ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

機能重視…森田頭首工

2020-12-13 06:48:29 | 栃木(ダム/堰堤)
栃木県那須烏山市森田にある那珂川水系の森田頭首工に来ました。場所は烏山線の小塙(こばな)駅の南東にあります。

あれですね。四体のヘーベル君がいますね。(当ブログにおいてのヘーベル君についてはコチラをお読みください)



この道沿いにある白い建物がどうやら管理所のようです。



入口側に来てみましたが、



残念ながらフェンスで閉ざされていて入れず。



前回の塩田調整池、前々回の菅又調整池でも見かけた芳賀台地の案内板です。



それよりも、ヘーベル君たちの近くに行ってみましよう。畑のあぜ道を抜けると荒川の川沿いの細道に出ます。荒川といっても、ここは栃木県の荒川です。その上流はこんな感じ。



荒川の上流から見た頭首工の様子です。



さらに近づきます。



頭首工横から見たヘーベル君たち。



下流側から見たヘーベル君たち。あぁ、でもこれは顔っぽく見えないですね。



下流の荒川の様子です。この先をず〜っと行くと那珂川に合流します。



この施設は特に見学者のことを想定して作られたものではないようです。あくまでも水利のための施設という感じでした。
コメント

塩田調整池(芳那の水晶湖)

2020-12-12 06:20:32 | 栃木(ダム/堰堤)
芳賀郡市貝町(はがぐんいちかいまち)大字竹内にある那珂川水系の塩田調整池(しおたちょうせいち)に来ました。アクセスは県道64号(宇都宮向田線)から入っていきます。調整池の名称はその付近の地名に由来するものと思われます。そういえば、栃木県矢板市にも塩田という地名があり、そこには以前訪れた塩田ダムがありますが、それとはもちろん別物です。

到着しました。ここは別名「芳那の水晶湖(はなのすいしょうこ)」とも呼ばれます。



では、調整池に近づいてみましょう。緩やかなスロープを下りて行くとダム横なのですが、振り返ると高台に調整池を管理している芳賀台地土地改良区の建物が見えます(写真中央)。



近くには2つの石碑が並んでいます。



一つは定礎の石碑。1997年10月と書かれています(竣工は2000年)。



もう一つのほうは「芳那潤郷」と刻まれています。芳那(はな)とは用水の供給先である芳賀郡と那須郡の頭文字をとったもの。また、潤郷(じゅんごう/じゅんきょう)は故郷を豊かにするという意味だと思われます。



では、ダム上を歩いてみます。写真の白い手すり部分の下は余水吐の排水路です。



調整池の景色。



白い手すりのところから見た排水路。相当の幅があります。水はここから下流へ向かいます。



貯水湖の周囲にはフェンスが張られていますが、そこには五つの市町の花がデザインされたものが付けられています。



益子町の花「やまゆり」


茂木町の花「ききょう」


市貝町の花「きく」


芳賀町の花「なし」


那須烏山市の花は「こぶし」ですが、写真を撮り忘れました。うっかり、うっかり。

ダム上、中央付近から見た水晶湖の様子です。水鳥が気ままに遊んでいました。



同、下流側の景色です。う〜む、逆光でよく見えんな。



対岸に相当する場所まで来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、下流側から見た様子です。



もっとも、対岸といっても水晶湖は八角形なのでここが対岸とは言い切れませんが、まあダムの構造的にはここが対岸といって良いと思います。のんびり散歩するには良い場所ですね。
コメント

靄が神秘的…菅又調整池

2020-12-11 07:20:15 | 栃木(ダム/堰堤)
栃木県芳賀郡茂木町大字上菅又地内(はがぐんもてぎまちおおあざかみすがまたちない)にある那賀川水系の菅又調整池に来ました。場所は関東国際カントリークラブの北東に位置し、国道294号から入っていきます。

調整池といっても面構えはダムですね。



灌漑用水供給のために作られたものらしい。



これが、いわゆるダム上です。



「菅又調整池」と記された金ピカなプレート。



竣功は2002年7月。



ダム上、中央付近から見た調整池の様子。



ダムの真下はこんな感じ。興味深いのは流れ出た水が川でなく地下に潜っていくこと。



下流の遠景。朝日が眩しい…。



対岸(右岸)へ来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸にある、かつて何かが書かれていたであろう案内板。気になります。



対岸から見た調整池の様子。早朝のせいか湖面に神秘的な靄がかかっています。



建設されたのが今世紀になってからなので、まだフレッシュな感じが残っています。朝靄の感じが何とも言えない雰囲気を醸し出していました。
コメント

釣り人も集まる…大郷戸ダム

2020-12-10 07:03:10 | 栃木(ダム/堰堤)
今回は栃木県芳賀郡益子町(はがぐんましこまち)山本にある利根川水系の大郷戸(おおごうと)ダムを訪ねてみます。ダムの名称は下流の地名からとったもので、そこには鎌倉末期から室町初期のものと推定される大郷戸廃寺跡五輪塔群(益子町指定文化財)があります(参考)。アクセスは県道41号から県道257号に入り、妙伝寺付近の道を入っていったところにあります。

その道を登っていくと…、あれですね。



右岸に到着しました。ダム横にあるのが「益子町土地改良区大郷戸ダム事務所」。





水田用水を確保するためのダムのようですね。



事務所から見たダムの様子。



事務所の奥のほうには「大郷戸ダムの碑」があります。これによれば、この地域は昔から水不足に悩まされてきたそうで、農業用水の安定確保のためにダムが築造されたとあります。1976年に着手され、1987年3月に完成したそうな。



その碑の隣には「定礎」のプレートが嵌め込まれた石碑。1980年9月とありますが、一体何の定礎なんですかね。



では、ダム上を進んでみます。



ダム上、中央付近から見た貯水湖の様子です。訪れた時間が早朝だったので、湖面には靄が立ちのぼっています。



下流側の景色です。



対岸(左岸)手前には余水吐があり、増水するとここから溢れ出て、



あちらへ流れていきます。



対岸から振り返るとこんな感じです。



対岸、貯水側から見たダムの様子。写真手前に見えるのが越流式の余水吐。



なお、大郷戸ダムはブラックバスが釣れるそうな。写真には入っていませんが、訪れた日にも釣り人が数人いました。
コメント

表示はないけど…下大久保ダム(堰堤)

2020-11-07 06:48:49 | 栃木(ダム/堰堤)
グーグル先生の地図を見ていたら鹿沼市下大久保に下大久保ダムというのがあるのを見つけました。見つけたからには行くしかありません。場所は利根川水系の大芦川(おおあしがわ)に沿って走る県道14号(鹿沼日光線)沿いのようです。

到着しました。どうやらこれのようです。ダムというより高さから見て堰堤かなあ。



すぐ下流はこんな感じ。水の澄んでいるのがわかりますね。



上流側はこんな景色です。



では、足元に気をつけながらダム上に乗ってみます。



ダム上から見た下流の景色。やはり水がきれいです。



よく見ると対岸側にはお魚さんが遡るための魚道がありました。



このダム(堰堤)にはそれを示す看板などはありません。うっかりすると通り過ぎてしまうかも。目標物といえばやはり県道14号沿いにある大芦神社かなあ。下大久保ダムはこの神社よりもちょいと下流にあります。

澄んだ水に心が洗われます…なんてね。
コメント

元からかも?…赤川ダム

2020-11-06 06:55:38 | 栃木(ダム/堰堤)
今回目指すのは宇都宮市福岡町細野にある利根川水系の赤川ダムです。場所は宇都宮市森林公園の近くにあります。ダムの下流には森林公園の駐車場があり、クルマはそこに止めるしかありません。ダム横へは車両が通れる道があるのですが、通行禁止の標識があるので800mほど歩くしかないのです。

駐車場に掲げられてある森林公園の地図です。



緩やかな坂をてくてく歩きながら森林のこんな景色を楽しみましょう。



ダム横(左岸)に到着しました。そこには赤川ダムの概要が書かれた案内板。1971年3月竣工だそうで。



左岸の貯水側から見た様子。



これがダム上。早速進んでみることにします。



ダム上、中央付近から見た貯水側の景色です。



同、下流側の景色。



対岸(右岸)側には越流式の余水吐があります。増水するとここから溢れ出て、



あちらへ流れていきます。



対岸から振り返るとこんな感じ。白いガードレールの下に余水吐の排水路があります。



対岸、貯水側から見たダムの様子。



同、下流側から見るとこんな感じ。



赤川ダムについては、あるサイトでは「かつては地名から『細野ダム』と呼ばれていた」と記されていますが、本当なんでしょうかね。というのも、一番上に載せた森林公園の地図を見ると赤川ダムの上流に「細野ダム」があるからです。かつてそう呼ばれていたとしても細野ダムが二つあるというのはどうも怪しい。どちらかが先に作られているはずですから、ダム名を同じにするのは混乱の元になるので通常は避けると思いますけどね。

う〜ん、その説はどうも眉に唾だな。

…と、このことに気づいたのは後の祭り。赤川ダムの上流に細野ダムがあることは訪問時には気づかなかったのです。いつかまた機会があれば細野ダムへ行ってみようと思います。

テヘヘ、うっかり、うっかり。
コメント

憩いの釣堀…栗谷沢ダム

2020-11-05 06:41:45 | 栃木(ダム/堰堤)
宇都宮市新里町乙栗谷(にっさとまちおつくりや)にある利根川水系の栗谷沢(くりやさわ)ダムに行ってみました。ダム名はおそらく栗谷という場所に沢があったところに作ったのでそのままダム名になったと思われます。アクセスは日光宇都宮道路の徳次郎インターチェンジを降りて国道293号を鹿沼方面に向かい、県道22号に入ってしばらく行くとあります。

これがダム上になります。写真下方に見えるガードレールのところには余水吐があります。



これがガードレールから見た余水吐。



ダム上、中央付近から見た貯水側の様子です。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



実はここ、ダムというよりヘラブナやブラックバスが釣れる場所のようです。上に挙げた写真には敢えて出していませんが、数十人の太公望が釣り糸を垂れていました。デカい釣堀という感じです。その近くでシャッター音を出そうものなら怒られるに決まっているので、わざわざ彼らから離れた場所で撮ったという次第。だから、すぐさま退散と相成りました。
コメント

惜しいなぁ…東荒川ダム

2020-11-04 06:53:27 | 栃木(ダム/堰堤)
今回訪れるのは塩谷郡塩谷町上寺島にある那珂川水系の東荒川ダムです。アクセスは東荒川に沿って走る県道63号を行くと到着します。

その県道沿いには東荒川ダムを一望できる場所があり、そこからダムはこんな感じに見えます。



この場所には東荒川ダムの案内板があって、「役割いっぱい!」というキャッチフレーズと、



子供にもわかるように示されたダムの説明があります。これはわかりやすい!



それにしても、もっとダムに近づくことはできないものだろうか…。地図を見ると県道を下流方向に進んだところに脇道があるのを発見。どうやらこの道を行けばダム横に行けそうということがわかりました。

そして道を進んで行くと、見えてきたのは管理所の建物。





管理所の定礎は1985年11月19日。



ここにもダムについての案内板があります。「自然を活かす」というキャッチフレーズと、



上のものと内容は同じながら、表現の仕方は大人向けになってます。



その付近からダムはこんな風に見えます。



下流側から見るとこんな感じ。



で、さあ、ダム上を歩くぞと思いきや、なんと立入禁止とな!





もうね、ムムムな気分ですよ。案内板の工夫に感心しただけに、最後にこんなオチがあるとは…。
コメント

マムシがいるよ…寺山ダム

2020-11-03 06:31:58 | 栃木(ダム/堰堤)
今回目指すのは矢板市長井字石切場にある那珂川水系の寺山ダムです。県道272号を宮川に沿って走って進んでいくと…。

おっ、あれですね。



ダム横に来ました。ダムの入口脇には寺山ダムの案内板があります。これによるとこのダムは洪水調節、流水の機能維持、水道用水確保を目的とする多目的ダムで、センターコア型ロックフィルダムという構造だそうな。



また、寺山ダム竣工記念碑もあります。1985年2月に竣工とのこと。



では、ダム上を歩いてみま…あれれ、ロープが張ってあり、進入禁止のようです。



マムシがおるんかい!



仕方ないので、県道側(左岸)にある余水吐の写真をどうぞ。増水すると、水はここから溢れ出て、



この排水路を通って下流へ向かいます。



ダム横のすぐそばには管理所の入口があります。写真右側に見えているのが県道272号。



その入口を進むと管理所の建物があります。





近くには「全建賞受賞記念碑」。全建賞? なんでしょうね。調べてみました。全建賞とは一般社団法人 全日本建設技術協会が「我が国の良質な社会資本整備の推進と建設技術の発展を促進するために」設けた賞のことで、1953年に創設されたものだそうです。寺山ダムは1984年に受賞したということなんですね。



ちなみに同協会の会員には協会発行の月刊『建設』なる会報が送付されるそうですが、協会のサイトでその内容を見ると極めてマニアック。部外者のワシにはチンプンカンプンです。まあ、そりゃあそうだね。専門家向けの会報だもの。
コメント

余計な心配を…塩田ダム

2020-11-02 06:35:09 | 栃木(ダム/堰堤)
今回は栃木県矢板市塩田にある那珂川水系の塩田ダムに行ってみました。アクセスは県道272号から箒根(ほうきね)神社方面に行き、簗目川(やなめがわ)に沿って遡る道を進んで行くと到着です。

あれですね。ロックフィルダムのようです。



ダム横まで来ました。



これがダム上です。車両は通れないようなので歩いて進んでみます。



ダム上、中央付近から見た貯水側の様子。



同、下流側の景色です。



ダム上の道から対岸に近いところに階段があり、そこを降りて行くとちょっとした東屋が設けられています。でも、どうなんでしょうね。ここで休憩する人はいるんでしょうか。それにそこから良い景色が見えるとは思えないんですが。



自由越流式の余水吐は対岸(右岸)側にあります。ここから溢れた水は、



あちらのほうへ流れていきます。



対岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸横から少し貯水側に行ったところにも東屋があります。うん、この場所なら少し高台になっているのでダムの様子も見えますね。



さらに貯水側へ進んで行くとダムの管理所があります。





その付近からダムはこんな感じに見えます。



近くには何かを説明していると思われる案内板。灌漑排水事業の説明らしいのですが、消えかかっていて全く読めません。



ダム上は車両通行不可なのに管理所には関係車両が止まっていました。一体どういうことなんだろう…。しばらくすると管理所から職員らしき人が出てきて、おもむろに車両に乗り込むやダム上とは反対の方向に走り去りました。ん?ん?ん?

あとで地図を見て納得。この貯水湖の周囲の道路が管理所に繋がっていたという次第。でも、見方を変えれば、ダム上の道は車両の重量に耐えられないほど脆いということになります。ヲイヲイ、大丈夫なのか?、このダム…。
コメント

公園で楽しもう!…塩原ダム

2020-11-01 06:17:21 | 栃木(ダム/堰堤)
那須塩原市金沢字西山にある那珂川水系の塩原ダムに来ました。アクセスは国道400号沿いにある「森林(もり)の駅/もみじ谷大吊橋」から行くか、県道30号から箒川(ほうきがわ)に沿って走る道を遡る2通りの方法があります。今回ワシがチョイスしたのは後者。理由は後ほど。

箒川沿いに遡って行くと塩原ダムの右岸に辿り着くのですが、諸般の事情からまず左岸から見たダムの様子をご覧ください。



左岸から見たダム下の様子です。



左岸側から見たダム上はこんな感じ。



では、ダム上を歩いてみることにします。中央付近から見た上流側の景色です。



同、下流側はこんな感じ。写真中央に見える緑色の吊橋からなら塩原ダムの正面からの「ご尊顔」が撮れると思うのですが、吊橋への道は探しても見つかりませんでした。



ダム本体に嵌め込まれたプレート。それによれば、塩原ダムは1971年4月に着工し、1977年10月に竣工の洪水調節と灌漑を目的とした重力式コンクリートダムとのこと。



このダムの管理所の正面入口は、なんとダム上と繋がっています。もっとも、右岸寄りにあるのですが。それにしても珍しいですね。





これが右岸側のダム横。実はここに到着したのが開門時間(9:00)前だったのでゲートが閉まっていたのです。



で、右岸側から見た管理所はこんな感じ。二階が入口という感じですかね。



右岸、貯水側から見たダムです。



塩原ダムの案内板。完成は1978年とあるのはダム施設全体が完成したという意味なのでしょうか(上にある竣工年月が1977年10月なので)。





ダムの右岸の貯水側にはダム公園が設けられています。これはその案内図。公園は趣向を凝らしたもので、見学者を楽しませるように作られています。





公園の景色の一部です。



矢板市出身の宮大工で、西岡常一の内弟子でもあった小川三夫(おがわみつお:1947- )の作品。う〜ん、なぜこれがここに…。ちょっと違和感。







公園中央には天辺に羽(?)のついた時計台。誰が作ったのでしょうね。





そして、これが先にも書いたもみじ谷大吊橋。



確かに大吊橋です。



橋の袂には「恋人の聖地」なるモニュメント(?)が。雌雄のクマタカだそうです。この橋の上でプロポーズをするとロマンチックなのかしらん。知りませんが。







じゃあってんで、もみじ谷大吊橋を渡ってみようと思いきや、なんと有料とな!



や〜めた。
コメント

那須疏水と西岩崎頭首工

2020-10-31 06:46:32 | 栃木(ダム/堰堤)
今回は那須塩原市西岩崎にある那珂川水系の西岩崎頭首工(とうしゅこう)を訪ねてみます。アクセスは地図によれば県道30号から脇道に入り、那須疏水公園近くにあるようです。

到着しました。とりあえずクルマを近くに駐車し、ここからは歩いて行きます。



こんな小径を進んで行くと、



那須疏水公園の案内図がありました。



よく見ると、西岩崎頭首工の文字が。1976年完成とあります。



近くには「那須疏水旧取水施設」の説明看板。これを読むと那須疏水の歴史は古く、明治時代の1885年に最初の施設が完成し、水田や感慨に利用されたそうです。その後何度かの改良が行われたのち、1976年に国営那須野原総合農地開発事業の一貫として西岩崎頭首工が完成します。ということは、つまり那須疏水と西岩崎頭首工は全くの別物ではなく、祖先と子孫みたいな関係なんですね。



で、那須疏水旧取水施設は2018年に日本遺産に認定されます。



その一部が次の写真。これは明治時代に作られた水路の跡。現在は使用されていないので草ボーボーになってます。







これも明治時代に作られた取入口のトンネル。しっかりした作りです。



これが那須疏水が取り入れていた現在の那珂川(西岩崎頭首工の上流側)。



西岩崎頭首工はその下流に建設されています。



那須疏水公園から頭首工を見るとこんな感じ。




上の説明看板によれば、ここ那須疏水は1883年完成の安積疏水(福島県)、1890年と1912年に完成した琵琶湖疏水(滋賀県/京都市)と並ぶ日本三大疏水のひとつに数えられる優れた取水施設ですが、那須疏水の歴史を知るまでワシは西岩崎頭首工は全く関係のないものと思っていました。

お恥ずかし限りです。でもこうやって現地に行って歴史を知ることはとても有意義なことであり、またスリリングな気分にもなります。

楽しいな、ドライヴ♪
コメント

上池なのだ!…沼ッ原調整池

2020-10-30 06:48:13 | 栃木(ダム/堰堤)
那珂川水系の沼原(ぬまっぱら)ダム(那須塩原市大字板室)は前回の深山ダムと直線距離にして2kmくらいのところにあります。なので、あっという間に到着できるかなと思いきや、なかなかの大回りをしないと辿り着けません。深山ダムから行くならば、一旦県道369号を南下し、県道266号に入ってから鶴見大学セミナーハウス方面の道を登って行くしかないからです。

ようやく到着しました。これです。「なんだ、フツーの池じゃん」と言うなかれ。よく見ると壁面が全てコンクリートで固められています。深山ダムはこの写真でいえば真ん中あたり、つまり沼原ダムの向正面の下のほうにあります。



到着はしたものの、ダムへ向かう道が見つかりません。また、ここが沼原ダムという表示もなし。キョロキョロして見つけたのがこの案内板。



ご覧の通り、ここが沼原ダムであるのは間違いありません。しかし案内板に「沼原ダム」とはどこにも書かれていませんね。「沼ッ原調整池」が正式な名称のようです。

また、案内板の下のほうには深山ダムとここがどう繋がっているかの図があります。これはいうまでもなく両者が標高差を利用した揚水発電のための上池と下池の関係にあることを示すものです。それにしても山中の地下にこんな水圧鉄管や発電所を設置するなんて、よくもまあ考えたもんだなと感心します。

この調整池の周囲にあるのが沼ッ原湿原で、訪問者のための駐車場は舗装こそされていませんがとにかく広い、広い。夏季には多くの観光客が訪れるからなのかもしれませんね。



不思議なのは現地ではダムという表示がないのにネットのサイトなどには「沼原ダム」と紹介されていることです。ここはひとつ国土地理院の地図表記に従って「沼ッ原調整池」と表記しておくことにしたいと思います。
コメント

下池なのだ…深山ダム

2020-10-29 06:33:19 | 栃木(ダム/堰堤)
今回からしばらく栃木県のダムを巡ります。まず訪れたのは那須塩原市百村字深山(もむらあざみやま)にある那珂川水系の深山ダム。アクセスは県道369号(黒磯田島線)を那珂川に沿って遡って行けば到着します。

深山ダムの右岸に到着しました。まず目に入るのがこの洪水吐(こうずいばき)。



その洪水吐の下流はこんな感じになっています。



県道369号は深山ダムの右岸からダム上、そして左岸へ続きますが、右岸に来て最初に目に入るのがこの管理支所の建物です。



また、びっくりするくらい広いダム横のスペース。200〜300台くらい余裕で駐車できるんじゃないでしょうか。写真ではイマイチ伝わらないかもしれませんが、とにかく広い!



そのスペースには色々なものがあります。まずは「深山湖」のプレート。ほほぅ、この貯水湖の名称ですか。



その裏には深山ダムの諸元表。



七千山水源(ななせんやますいげん)の森と深山ダムの概要が記された案内板。これによると深山ダムは1974年3月に完成した表面アスファルト遮水壁型ロックフィルダムで、水道用水、農業用水の確保と発電を目的として作られたようです。



水利使用標識です。多くのダムでは目的別に標識を複数掲示していますが、ここでは一枚の標識に集約されています。コンパクトにまとまっていて見やすいと思いませんか。たぶんこれを作った担当者は頭脳明晰なんじゃないかと思いますね。



では、ダムに目を移していきましょう。まずは右岸の深山湖側から見た様子です。確かに深山湖の壁面がコンクリートで覆われているのがわかります。



これが県道369号でもあるダム上。歩いて進んでみます。



先程見た洪水吐をダム上から見るとこんな感じ。



びっくりなのはダム上の道から洪水吐の様子が透けて見えること。見た瞬間、驚きました。



洪水吐を過ぎると…ん? 墓標?



いえいえ、深山ダム竣工記念の石碑でした。



その裏にはダム建設の簡単な経緯が記されています。でも1969年着手し、1973年完成とあるんですが、先に見た案内板では1974年3月完成と書かれていましたね。う〜ん、どういうこと?



この石碑の隣には深山ダム竣工25周年記念の碑があります。これは1998年10月とあるので逆算するとダムの竣工は1973年ということになります。とすると、案内板の表示が間違っているのか?



モヤモヤした気分のままダム上を進みます。中央付近から見た深山湖の様子。



下流側の景色はこんな感じです。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな景色です。手すりのサビがひどいですね。



対岸、下流側から見た様子。



対岸、深山湖側から見るとこんな感じ。



ここは観光地的な要素はないものの、栃木県のダムとしては規模の大きいものの上位に入ると思います。またこの深山ダムは次回訪問する沼原ダムと揚水発電をする上で密接な関係にあります。深山ダムはいわばその下部調整池なのだそうです。ほぉ〜。
コメント

穏やかな…矢の目ダム

2020-08-14 07:21:20 | 栃木(ダム/堰堤)
今回ご紹介するのは栃木県那須郡那須町豊原にある那珂川水系の矢の目ダム。アクセスは国道4号から県道105号へ入り、那須クラインガーデン豊原の看板のあるところを左折してください。

その道を進んでいくとダム下に到着します。



案内図。



ダム下の公園は日本庭園風なデザイン。なかなかセンスがあります。



近くには水利使用標識。灌漑用のダムですね。



来た道をそのまま進んでください。ダム横に到着します。まず目につくのは管理所のような建物。でも管理所を示すプレートは見当たりません。



その横には年期の入った案内図があります。



貯水側から見たダムの様子です。訪れた日はまだ梅雨明け前だったので空がどんよりして暗いですが、ご勘弁を。



さて、ダム上の道を歩いてみましょうか。



ダム上、中央付近から見た貯水側の様子。



下流側の景色です。下方に見えるのが先ほど見た公園。



対岸側には洪水吐があります。増水するとここから溢れ出て、



あちらへ流れていきます。



対岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、貯水側から見たダムの様子。



真夏の快晴の日に来れば、印象が違ったかもしれません。でも、穏やかなダムでした。
コメント