ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

復興を果たした藤沼ダム

2020-07-31 07:40:49 | 福島(ダム/堰堤)
須賀川市にある藤沼貯水池(国土地理院の地図では「藤沼湖」)へ行ってみました。ここには阿武隈川水系の藤沼ダムがあるんです。アクセスは国道118号もしくは県道29号から入っていきます。

この貯水池は1949年に竣工し、その後補強・改良工事が行われましたが、2011年3月11日の東日本大震災で堤防が決壊。それにより約150万トンの水が鉄砲水のように下流の居住地域を直撃。死者8名のほか、70以上の家屋が被災。そして田畑の土壌が流出するという大惨事に見舞われました。その後、2013年10月からダム建設に着工し、2017年4月から農業用水の供給を開始したそうです。

以上のことは恥ずかしながら全く知りませんでした。東日本大震災というとどうしても三陸海岸を襲った津波の印象が強く、まさか内陸部でこのような災害が起きていたとは思わなかったからです。今更ながらダム決壊で亡くなられた方のご冥福をお祈りしたいと思います。

さて、貯水池の周囲の道を行くと管理所入口の看板があります。



その先に管理所があるのですが、まだ新しい感じです。それもそのはず、ダム決壊以前に管理所はなく、写真の建物は震災後に建てられたものだそうです。



そこから見る藤沼ダムの様子。



近くには竣工記念碑があります。



では、ダムに近づいてみることにしましょう。貯水側から見たダムの様子です。



ダム上の道です。もちろん車両通行可。



すぐのところに越流式の排水路があります。ここから水は流れ出て、



あちらへ向かいます。



ダム上、中央付近から見た貯水池。



一方、下流側はこんな景色です。



対岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、貯水側から見たダム。



藤沼貯水池には、実はもうひとつダムがあるんですが、それは次回ご紹介します。
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トンボが多数…大滝川砂防ダム

2020-07-30 06:14:48 | 福島(ダム/堰堤)
前回の滑川砂防ダムの南南東に位置するのが阿武隈川水系の大滝川砂防ダム(須賀川市滝)です。大滝川は金喰川に合流した後、滑川となって阿武隈川へ流れ込みます。

ダム横に来ました。



その近くには案内図。



大滝川砂防ダムは「幻の大滝」への道の途中にあるので、それを目指すとわかりやすいですね。もっとも、幻の大滝も興味があったのですが、クルマを降りてから2kmも歩かなくちゃいけないそうなので断念。



大滝川砂防ダムにかかる橋を進んでいくと、橋の中央部分が緩いアーチ状に膨らんでいるのがわかります。



橋の名前は「義家橋(よしいえはし)」。その命名の由来は不明です。源義家(1039-1106)にまつわる話でもあるのでしょうか…。ちょい気になります。





橋の竣工は1997年3月。





大滝川をアピール。



その義家橋から見た貯水側の景色です。



一方、ダムの真下はこんな感じ。副ダムがありますね。



対岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。



その欄干には秋でもないのにトンボ。まるでハエのように無数に飛んでいました。



周囲には多数の木々があり、残念ながら「ご尊顔」を拝むことはできず。とほほ。
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目に優しい場所…滑川砂防ダム

2020-07-29 07:33:37 | 福島(ダム/堰堤)
須賀川市梅田字八幡岳(うめたあざはちまんだけ)にある滑川(なめかわ)砂防ダムへ向かいます。このダムは金喰川(かねはみがわ)の途中にあり、県道67号が川に沿っているので迷うことなく到着できます。

さて、須賀川(すかがわ)の地名の由来を調べてみました。諸説あるようですが、市の中心部で合流する阿武隈川と釈迦堂川の地点(須賀川市民スポーツ広場付近)が「洲処(すか)」であるところに起因するようです。「洲処」は砂地という意味。(参考

そんなこんなで到着。まずは「ご尊顔」から。



ダム横に来ました。すぐに目に飛び込んでくるのはダムの諸元表。「河川名 阿武隈川水系滑川」となっていますが、上に書いたようにここは金喰川です。その下流で滑川に合流します。また「ダムの位置 福島県岩瀬郡岩瀬村」とありますが、2005年4月1日から市町村合併により須賀川市になっています。



そこから見るダムの様子。周囲の木々が繁茂しすぎてダムがほとんど見えず。



近くには「滑川砂防ダム」のプレートが嵌め込まれた石碑。



石碑の裏には概要が書かれています。1983年3月竣工なんですね。ここには「滑川堰堤」とありますが、高さが15m以上あるので砂防法上はダムと呼んでも間違いではありません。



では、ダム上の橋を進んでみましょうか。



橋の中央付近から見た貯水側の様子です。緑が目にしみるぅ。



対して、真下の景色です。落水すると副ダムで再度水が溜まるようになっています。



対岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。



ここは周囲がとにかく緑、緑、緑。癒しの場所であるのは間違いありません!
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新北沢池だよね?

2020-07-28 07:26:39 | 福島(ダム/堰堤)
前回の深田調整池から見て北西の方向にある、そして調整池の北側を走る県道6号の北側にあるのが郡山市逢瀬町(おうせまち)多田野にある灌漑ダム、阿武隈川水系の新北沢池です。でも、グーグル先生の地図では「北沢池」となっています。一体どちらが正しいのでしょうか。

到着しました。これが「ダム上」の道です。車両は十分通行できます。



貯水側から見た様子。何か養殖しているようですね。



ダム上、中央付近から見た貯水側の景色。



一方、下流の景色はこんな感じ。



対岸側には越流式の余水吐があります。越流する手前にはオレンジ色のフィルターが付けられていて、ゴミなどが下流へ行かないよう工夫されています。



対岸から振り返るとこんな感じ。



そこから見る池の様子。



対岸側には「改修記念碑」があります。これを読むと上で抱いた答えが判明しました。



石碑冒頭には「1935年に竣工した新北沢池…」とあります。な〜んだ、新北沢池が正解なんですね。さらに碑を読んでみます。すると、年月を経て老朽化が進み、漏水も生じてきたため改修工事を行ない、1984年3月までに改修完了したという旨が書かれています。やっぱりね、ネット上のデータを鵜呑みにするのは危険だなとつくづく思います。実際そこへ足を運び、自分の目で確認することが大切なんですよね。

もうひとつよくわからないのはこの灌漑用のダムの名称が「下北沢ダム」と呼ばれていることです。グーグル先生の地図にもそう書かれていますし、ダム便覧にもそう出ています。(参考

でも、ここが「下北沢ダム」という案内板などは見当たりません。演劇でもしてるんですかね(これは東京・世田谷区の下北沢のことを知らないとわからないジョーク)。
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逮捕、注意!…深田調整池

2020-07-27 07:28:39 | 福島(ダム/堰堤)
阿武隈川水系の深田調整池(郡山市三穂田町山口)に行ってみました。アクセスは県道29号から調整池を目指します。ただ、道が狭いので注意が必要かも。

見えてきました。あれですね。



到着です。管理事務所がお出迎え。





なんだか味のある独特な字体ですな。



すぐ近くには深田調整池と安積疏水農業水利事業を説明する案内板。



では、深田調整池を実際にこの目で見ようと思いきや、なんと立ち入り禁止。



強引に入ろうものなら最悪の場合逮捕されちゃうらしい。なんと恐ろしい!



なので、見学はこれにて終了。別の場所から調整池を撮影したのですが、モヤが「見せね〜よ!」と言わんばかり。



ああ、そ〜ですか。ならば、さようなら。
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ブロンズの正しい説明を!…美郷橋

2020-07-26 07:42:35 | 橋のユニークな親柱
国道294号は福島県白河市大信増見北田(たいしんますみきただ)付近で隈戸川を渡るのですが、そこにかかっている橋が美郷橋(みさとはし:1999年11月竣工)です。ご覧の通り、一見どこにでもありそうなフツーの橋ですね。



親柱のデザインもさほど奇抜ではありません。4柱すべて同じ形だし。









ところが、橋の中央には上流側と下流側のそれぞれにブロンズが設置されているんです。

下流側のブロンズがこちら。タイトルは「朝」。作者は地元出身の彫刻家岡崎白信(おかざきはくしん:1911-1999)で、作品は1937年に開催された文部省美術展覧会で入選したもの。写真の中に「1996」とあるのはこの年に再製作したのかもしれません。







一方、上流側のブロンズのタイトルは「姉妹」。やはり岡崎白信の作品です。こちらは1936年に開かれた第1回帝国美術展覧会で入賞したもの。1994年に再製作されたのでしょうか。







ところが、調べてみると作品説明のプレートには間違いがあることがわかりました。プレートには「帝国美術展覧会」とありますが、国立国会図書館のデータによると「帝国美術院展覧会」が正しい名称です。(参考

また、上の岡崎白信のリンク先の説明には第1回帝国美術展覧会が「1935年」に開催されたとありますが、これも間違い。正しくはプレート通り「1936年」です。さらに作品名がリンク先では「姉弟」とありますが、これも正しくはプレート通り「姉妹」が正解。こんなのは実際の作品を見れば「姉妹」だとわかるのにね。こういうテキトーなことをするのが役所のダメなところです。

公的な記録とは何か、また文化とは何かを考えればそんないい加減なことはできないはずなんですがねえ。
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妄想膨らむ…犬神ダム

2020-07-25 07:14:44 | 福島(ダム/堰堤)
遂にダム巡りも福島県に突入!しばらくは南東北の風景をお楽しみください。

さて、最初に訪れたのは阿武隈川水系の犬神ダム(白河市表郷金山犬神)です。アクセスは国道289号と県道280号交差あたりの表郷郵便局付近から入っていくと到着します。

まずはダムの下から見た景色です。写真右下に見える水はダムからの排水と思われます。



ダム横に来ました。これは管理所かな?



かつては何かしらのプレートが貼られていたのでしょうが、今はありません。ちと寂しい。



おなじみの水利使用標識です。農業用水確保のためのダムなんですね。



そこから見たダムの景色。朝もやで煙っています。



ダム上です。進んでみましょう。



ダム上、中央付近から見た貯水側。なんか、こう中国の水墨画を思わせますね。



一方、下流側の景色はというとこんな感じ。ホント、ガスってます。



対岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。



元の側へ戻ってきました。かつて使用されていたと思われる「水利使用標識」。サビザビで朽ちるのを待つばかり…。



なんと、先ほど見た建物の奥に「犬神ダム」の石碑。揮毫は第4代福島県知事の木村守江(1900-1996)。知事職は1964年から1976年まで4期連続務めた。



その裏には沿革とダムの概要が記されています。それによると1958年の大旱魃を契機に水源確保の機運が高まり、県営灌漑排水事業が始まった。そして1963年4月に着工し、1972年3月に竣工の運びとなったそうな。



このダムが他のと異なるのは洪水吐(こうずいばき)がダム名の刻まれた石碑よりもさらに奥(上流側)にあることです。越流式の排水路はここを起点とし、



ここを通って…、あれれ、ちょっと待って。文字が見えます。



ズームしてみると他の文字は取れているのに「吐」の文字だけが残っています。ここは洪水吐だぞという「吐」の執念みたいなものが感じられますね。怖い、怖い。



朝靄のダムは風情があってなかなか素敵なんですが、犬神という地名からどうしても横溝正史の小説『犬神家の一族』をイメージしてしまいます。もちろんこことは無関係なんですが、モヤの中で事件は起きた…なんていう勝手なストーリーがこの時ワシの脳裏を駆け巡ったのでした。

へへ、笑ってやってくだせえ。
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用水確保と送水…前山池(前山ダム)

2020-07-24 07:17:21 | 愛知(ダム/堰堤)
常滑市金山石坂にある矢田川水系の前山ダムへ来ました。位置的には知多横断道路「常滑インター」北側にあります。

案内板には「前山池」とありますが、フィルダムなので前山ダムでも間違いではなさそう。農業用水確保や前山川を通して愛知用水へ送水する役割を果たしています。



道路側にあるのが越流式排水路。増水するとここから流れ出し、



あちらへ向かい、これが前山川となります。



貯水側から見た様子。



では、いわゆる「ダム上」の道を歩いてみましょう。



「ダム上」中央付近から見た池の右側。写真右に見えるのは管理所らしい。



池の中心部分の様子。



一方、下流側はこんな感じ。



対岸へ来ました。振り返るとこんな景色。



対岸、貯水側から見た様子。



これが先ほど遠くに見えていた管理所。なんか立派ですなぁ。



ちなみに常滑市の地名の由来はこの付近の地盤(床)は粘土層の露出が多く、その性質が滑らかであることから「床滑 → 常滑」になったそうな。ほぅほぅ、またひとつ勉強になりました。
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また来ます…佐布里ダム

2020-07-23 07:16:50 | 愛知(ダム/堰堤)
弱まりつつあると思われたコロナ・ウイルス。こいつがまた勢いを盛り返して来たようです。そのせいで医療従事者である例会メンバーMには宴会禁止のお達しが出たそうな。先月例会が復活できてヤレヤレと思っていただけに、今度は違う意味でヤレヤレである。全くコロナの奴め!

雑誌社からの原稿依頼はありがたいのですが、今月は夏休み進行とやらで原稿の締め切りが前倒し。面倒臭い依頼内容に苦戦しながらも何とか終わらせました。いやいや、疲れます。


それはさておき、知多市佐布里(そうり)にある木曽川水系の佐布里ダムへ行ってみました。アクセスは県道254号を行けばそのまま到着します。

ダムがあるのは佐布里池。



佐布里池およびダムが完成したのは1965年5月。



梅林が有名だそうです。



で、どんなダムなのかと思いきや…現在は補強工事の真っ最中。完成は、2021年3月25日(予定)だそうでトホホな結果に。



とりあえず現状はこんな感じ。







来年、また訪れてみようと思います。チャンチャン。
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巡回お疲れ様…八幡調整池

2020-07-22 07:11:13 | 愛知(ダム/堰堤)
西尾市西幡豆町西池下(にしはずちょうにしいけした)にある矢作川水系の八幡調整池(やはたちょうせいち)へ行ってみました。アクセスは県道320号から明正寺付近の道を入って行きます。

到着しました。まずはご案内の看板。随分とサビちゃってます。



越流式の排水路。ここから流れ出て、



ここを通り、



あちらへ流れて行きます。



越流式排水路側から見た景色。



その近くにある「八幡池」の石碑。



石碑の裏には沿革と概要説明が記されています。これによると八幡調整池が完成したのは1986年12月。



これがいわゆる「ダム上」に相当する道。車両通行可です。行ってみましょう。



調整池の景色です。



下流側はなんとも長閑な景色。



対岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、貯水側から見た様子。



見学中、地域のパトロールカーが巡回に来ました。そして排水路を丹念にチェック。異常がないことを確認するや早々に去っていきました。確かに水関係の施設での事故はありますからね。今後も定期巡回をよろしくお願いしますよ。
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時期によってはアジサイも…補陀ヶ池

2020-07-21 07:14:32 | 愛知(ダム/堰堤)
蒲郡市金平町寺中にある補陀ヶ池(ほだがいけ)に来ました。アクセスは県道322号から入り、形原(かたはら)温泉の脇を上っていくと到着します。池の名称は近くにある曹洞宗の補陀寺(ほだじ)に由来するものと思われます。

でも、「補陀」ってどういう意味なんでしょうか。調べてみると観音菩薩が降臨する霊場のことを「補陀落(ふだらく)」というので、それに由来したものと考えられます。ちなみに栃木県の日光の地名も補陀落に由来するという説もあるそうです。つまり補陀落 → 二荒(ふたら)→ 二荒(にこう)→ 日光(にっこう)になったというわけです。

でも、それなら寺名をなぜ「ふだじ」でなく「ほだじ」としたのでしょうか。漢字の音読みをすれば確かに「ほだじ」と読めます。「ほだじ」のほうが読み間違いもありませんね。しかし補陀落はそもそもサンスクリット語のポータラカ(Potalaka)を漢字に音訳したものです。そうならば補陀寺の表記は音訳したものに従い、読みは原語(ポータラカ)の読み方に準じたと考えるのが妥当と思われます。知りませんが。

さて、これがいわゆる「ダム上」相当する場所。



すぐ近くにはペンキの剥がれかけた看板。かろうじて「補陀ヶ池」と読めますね。





池側から見た「ダム上」。



「ダム上」中央から見た補陀ヶ池の様子。



下流側の形原温泉の景色。



遠くを見ると、太平洋と三河大島が見えます。



対岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、池側から見た景色。



時期がうまく合えばこの辺りでは満開のアジサイの花を見ることができるそうです。
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長閑な…琴沢調整池(琴沢池)

2020-07-20 07:08:24 | 愛知(ダム/堰堤)
矢作川水系の琴沢(ことざわ)調整池(額田郡幸田町大字桐山)は名豊道路(R23)「幸田桐山インター」の北側にあります。この調整池から流れ出た水は琴沢川となり、広田川に合流。そして矢作(やはぎ)川の分流である矢作古川(ふるかわ)へ至ります。 

琴沢調整池へは「幸田桐山インター」を出た道路を北上するとすぐのところにあります。調整池の目印はこの案内板。ただし、駐車場はないので空きスペースを探して止めてください。



その付近から見た調整池の様子。



また、近くには「琴沢池」と刻まれた石碑。揮毫は梶木又三(1919-2008)。梶木は神戸出身で京大卒業後、農林省入省。同省農地局建設部長を経て参議院議員に当選。1971年から3期務めた(〜1989年)。石碑に「参議院議員」とあるので、これが建てられたのはその頃と思われます。



これがいわゆる「ダム上」の道です。



ダム上、中央付近から見た長閑な下流の景色。



一方、貯水側の景色はこんな感じ。



対岸手前には越流式の排水路があります。ここから流れ出て、



あちらへ流れてゆきます。



対岸から振り返るとこんな景色。



先ほどの越流部。



そこから見た池の様子。



その先には関連施設でしょうか。



一応、「局舎」のようです。



ここは、あまり見所がありませんが、のんびりした場所という感じでした。それにしても「琴沢池」が「琴沢調整池」に名称が変わったのはいつからなんでしょうね。
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お〜い、行け…大井池

2020-07-19 07:53:02 | 愛知(ダム/堰堤)
額田郡幸田町(こうたちょう)大草にある矢作川水系の大井池に行ってみました。アクセスは東海道本線の相見(あいみ)駅近くを走る国道248号から県道324号に入って進んでいくと到着します。

まもなく大井池というところで、まず目に入るのが強烈な存在感を示す石碑。



そしてこれがいわゆる「ダム上」の道。県道なので当然車両通行できます。



「ダム上」の道を進もうとしたら、すぐ脇に越流式の排水路。増水するとここから流れ出し、



あちらへ流れてゆきます。



さあ、「ダム上」の道を進みます。中央付近から見る池の様子。良い眺めです。



一方、下流側の景色はこんな感じ。



対岸へ来ました。振り返るとこんな景色。



対岸、貯水側から見た様子。



対岸、池側に何やら建物が。見張所?



いやいや、そうでなく、取水設備のための建物でした。



調べてみると、この辺りは花見の名所でもあるようです。時期が時期なら綺麗なんでしょうね。(参考
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豊岡池 → 蒲郡調整池

2020-07-18 07:26:59 | 愛知(ダム/堰堤)
今回は蒲郡市豊岡町にある西田川水系の蒲郡調整池へ行ってみました。さて、蒲郡(がまごおり)とはどういう意味なんでしょうね。その意味を調べてみました。

蒲郡という地名は1876年に「蒲形村(かまがたむら)」と「西ノ郡村(にしのこおりむら)」が合併する際、それぞれの村の一文字取って蒲郡村が誕生。そして1891年の町制施行で蒲郡町となり、さらに1954年4月1日の市制施行で近隣の三谷町および塩津村と合併し現在の蒲郡市となったそうな。つまり、蒲郡は意味というより2つの村の名の一部から取られた合成地名なんですね。

蒲郡調整池へのアクセスは東海道本線「三河三谷(みかわみや)駅」付近の国道247号から入っていきます。すると、こんな景色が見えてきます。目的地はあれですね。



池の名前は「とよおか湖」。



いわゆる「ダム横」に上がってきました。ここには概要案内図と「豊岡池竣工記念碑」があります。説明によると1942年と1944年の干ばつ被害をきっかけに「ため池」築造構想が起こり、1950年に建設が着手され1954年に「豊岡池」が完成したと書かれています。ということはこの記念碑はその頃に作られたものと思われます。





では、「ダム上」相当する道を歩いてみます。



中央付近から見た「とよおか湖」の様子。良い色です。空も水も。



下流の景色です。直下には「とよおか湖公園」があり、遠くには三河湾が見えます。



対岸手前には越流式排水路があり、増水するとここから流れ出して、



下流へ向かいます。



対岸に来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、貯水側にある建物。見張所のようですが、それを示すプレートはありません。



建物の近くには「蒲郡調整池」と刻まれた碑。新しいですね。



その裏側を見て理由が判明。刻まれた「沿革」によれば、1968年に蒲郡市の農業用水と生活用水の安定供給のための「豊川用水」が完成したものの、次第に水需要が増大したため「豊岡池」の規模拡大を余儀なくされます。そこで1989年12月から工事に着手し、1997年3月に竣工。「とよおか湖」と「蒲郡調整池」の名称はこの時に決まったということです。「蒲郡調整池」の碑が新しいのはそういうことなんですね。





そこから見る景色です。立派な調整池ですなあ。



先ほど見た「とよおか湖公園」はピクニックなどで楽しめそう。お弁当を持っていくと良いかもね。
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工事ならば別道から…駒場池(駒場調整池)

2020-07-17 06:33:00 | 愛知(ダム/堰堤)
豊川市平尾町駒場(ひらおちょうこまんば)にある豊川水系の駒場池(こまんばいけ)に行ってみました。アクセスは県道377号を進んでいけば到着するはずなのですが、その入口は工事中ということで入れず。ならば別の道を探します。

すると、駒場池の南側を走る東名高速と並行する道から行けることが判明。豊川浄水場を目指し、その脇の道から登って行くと駒場池に到着です。

これですな。



貯水側から見た景色。



これが当ブログでいうところの「ダム上」。歩いてみます。



ダム上、中央付近から見た貯水側の様子。



下流側の豊川浄水場。



越流式の排水路は対岸側(県道377号側)にあります。増水すると、ここから溢れ出て、



この水路を流れて行くシステム。



対岸まで来ました。振り返るとこんな感じ。



駒場池は別名「駒場調整池」とも言うようです。ただし、県道からの入口付近は確認していませんが、ここが駒場池だという看板は見当たりませんでした。でも、まあ地図からすると駒場池はこれ以外にはないので、ここなんでしょうな。

浄水場の職員らしき人がこちらをジロジロ見ていたので、すぐさま退散。
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