ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

あかん、準備せな…

2004-08-31 10:30:51 | 脳みその日常
今回の台風は凄かったねえ。
東京では明け方まで強烈な風が吹いとったし。

ところで、今日は月に一度の講義の日。
しかーし、準備はこれから…
間に合うんかな…うーん、どーやろ。
んなこと言うとらんで、さっさと準備せんかいっ !
へーい。

それにしても、ここのトラックバック(TB)って、ハタ迷惑なこともある。
すでに消去してやったが、昨日ワシが書いたことと大して違わない論説をTBしてきたやつがいる。
あのさ、そんなに自分の意見を人に見せたいんか?
やだねー、自己顕示欲の異常に強い人って…みっともねーよ。
じゃあ、ワシのブログはどーかって?
確かに公開はしとるが、自説を他人に押しつけようと思ってるわけじゃない。
ただ、自分の脳みその思考プロセスを書きつけてる「場」にすぎないのさ。

だいたいだな、何の面識もないのに、いきなりTBするなんて失礼じゃないのかね。
よっぽどのことがなけりゃ、そのTBなんて見ねえよ !
ワシの書いたものに対してコメントするのなら、まだわかるけどさ。
ま、今はそんなことに構っとる場合ちゃうから、放っとくけど。

そや、講義の準備、準備…
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男だねえ

2004-08-30 13:24:17 | 脳みその日常
ハンマー投げの室伏選手は立派である。
記者会見では「メダルよりも、もっと重要なものがあると思います」と述べていた。
もちろん、それはフェアなスポーツマンシップに他ならない。
イカサマをせずに正々堂々と競技を行なうこと。
当たり前のことに思えるが、フィールド競技では疑惑のもたれる輩が大勢いたという。
今回の事件が明るみに出たのは、室伏選手の告発によるもののようだ。

いや、彼は決して「チクリ」たくてチクったわけじゃない。
自分が行なっている競技だからこそクリーンでフェアなものにしたいと考えたからだ。
フツーならば、告発なんぞすれば仲間の選手から白い眼で見られるだろう。
「ったく、余計なことをしやがって…」と。
にもかかわらず、彼が告発を決意したのは真実の神オリンピアの精神に従ったからに他ならない。
エライ ! それでこそ真のスポーツマンである !

彼を評価するのは、何もこれだけではない。
これまで何度もマスゴミは彼を取り上げてきた。
しかし、そのたびにワシは彼の一挙手一投足の中に、他のスポーツ選手とは違う「何か」を感じていた。
いい知れぬ「凄さ」を思ったのだ。
それは彼の風貌によるものなのか?
今風の言い方をするなら「濃い」顔立ちだもんな。
そりゃ仕方がないさ、彼は日本とルーマニアの混血だからね。
いーや、ワシの感じた「凄さ」ってのは、見かけじゃないんだわ。
おかしな表現だが、彼は清らかな魂をもっているんじゃないかと思ったわけよ。
そうした魂は、俗世の汚れにはビクともしない。
それぐらいハイレベルな魂なんじゃないか。
もちろん、証明なんてできないさ。
ただ、ワシが感じただけだもの。

それにひきかえ、ケツの穴のような名前のアヌシュめ。
報道によれば、文字通りケツの穴に他人の尿を入れていたとか。
競技後、それを出すことでドーピング検査をパスしようとしたらしいな。
ったく、セコいことをしやがる。
わかるよ、優勝すれば将来の安定した生活が待っているってことはさ。
そのためにスポーツマンシップに反する行為をしたんだろ?
でもさ、じゃあルールって一体何だよ?
アンタは、ハンガリーを代表してアテネに来たんだよな?
私利私欲のためにルール違反することで、アンタは心が痛くないのかい?
おまけに、競技終了するや、コソコソとハンガリーに帰ったというし…(蔑)
男なら堂々と罪を認めるなり、無実を晴らせばいいだろが。
みっともないったら、ありゃしねーよ。

男らしくないといえば、元首相の橋本さん、アンタだよ。
アンタだって、剣道の経験者だろ?
正々堂々とやろうぜ。
一億円をもらっといて、知りませんはないんじゃないの?
事務局長はすでに罪を認めてるんだからさ。
まさか「事務局長が勝手にやったこと」だなんて言わんよな?
もう逃げ道はないんだから、率直に国民にお詫びしたらどうなのよ。
「私利私欲のためにやってしまいました」って。

けっ、ヘドが出らぁ。
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ぐはーっ

2004-08-29 11:55:55 | 脳みその日常
どーも、イカン。
脳みそのシナプスがストライキを起こしとるようだ。
書きたいことはいろいろあるのに。

そこで、どーでもいいネタをひとつ。

ヴィッツと聞いて、
自動車関係者なら「ああ、トヨタのクルマでしょ?」
食肉業者なら「ああ、ポークビッツのことかな?」
ピアノ・オタクなら「ああ、ホロヴィッツの略でしょ?」

ふうー、今のところは、これが精一杯。
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いい加減だな、まったく…

2004-08-27 04:59:42 | 脳みその日常
国民栄誉賞が見送りになるという。
ワシには関係ないので、どーでもいいことなのだが、政府の対応があまりにも杜撰だ。
賞を贈らない理由として、ヤミ献金をもらっといて平気な顔をしとる、いかにも間抜けそうな官房長官の説明によれば、

「確たる基準がなく、その時々の判断だ。ホームラン記録の王貞治氏は授与されたが、野球で大変な実績を残した長嶋茂雄氏には贈られていない」(参考記事)

と抜かす始末。
おい、その時々の判断って何だよ。
まさか気分で、贈る贈らないを決めてるのか?
そういういい加減な決め方をしているから、いつまで経っても日本はマトモな法治国家になれないんだよ。
受賞対象者をきっちりと決めればいいだけの話だろ。
笑わせるぜ、まったく…

たとえば、世界的な記録を打ち立てた人や金メダルを獲得した人、それにノーベル賞受賞者に贈るって決めればいいんじゃねーの?
国民栄誉賞ってさ、他国に誇れる何かを達成した人に贈られるものじゃないのかね。
アホ官房長官は「王貞治氏は授与されたが、野球で大変な実績を残した長嶋茂雄氏には贈られていない」と説明した。
バカタレめ、そんなの当然だろ。
王貞治氏は、世界に誇れるホームラン王(当時)だぞ。
長嶋氏には申し訳ないが、彼が世界レベルで何か記録を作ったのかね。
作っとらんだろが。
長嶋氏が評価されるのは、「ミスター」として国民的に親しまれるキャラクターだからに過ぎない。
だいたいだな、世界レベルのワンちゃんと情緒論からくるミスターを同列に考えることが間違ってやしないか?
もちろん、ワシだって「ミスター」の功績は評価しているさ。

でもさ、国民栄誉賞っていうのは、前述のように他国の人をも納得させられる何かがなくちゃならないだろ。
他国の人たちを納得させることができるのは、やっぱり世界基準となる数値や記録なんじゃないかな。
情緒論から生まれた大衆のスターってのは、悲しいかな、所詮「内輪の中でのヒーロー」でしかない。

逆の立場になって考えてみたほうがわかりやすいかもしれない。
つまり、他国でその功績は世界レベルではないが、ヒーロー扱いされている人をどれだけ思い浮かべられるだろう。
たぶん、ほとんど思い浮かばないと思うよ。
つまりは、そーゆーことなのさ。
だから、前述の通り、国民栄誉賞の基準なんてのは、簡単に設定できるはず。
基準さえ設定してしまえば、あとはそれを満たしている人物に賞を贈ればいいだけの話。
な、簡単なことだろ?
それをいつまでも、あーだこーだ決めかねているのは、結局のところ法の中に情緒論的な発想を持ち込むからなのさ。
いやー、いかにも「演歌の国」だねえ…(蔑)
悲しいのは、この国を動かしている連中が未だに「お涙ちょうだい」的な発想から脱していないこと。
(;´д`)トホホ

オマケの画像は、西新宿の都庁付近。
荷待ちのトラックや休憩中のタクシーが路肩に停車している。
なんとなく物悲しい雰囲気がいいでしょ?
その効果を最大に発揮しているのが、ワシの下手すぎる撮影の技術(泣)
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笑へる国民性

2004-08-26 17:31:14 | 脳みその日常
アテネ・オリンピックも、あと少し。
いやー、わが国民の「居直り」精神には、つくづく脱帽するわ。
というより、過去の言動をあっという間に忘れる楽天家の集まりというべきか。

前評判では、金メダルが確実視されていたにもかかわらず、実際には取れなかった。
選手だって、当然メダルが取れるものと思っていただろう。
ところが、競技終了後の選手のリアクションは驚くばかり。
「メダルの色がどうこうじゃないんです。結果はどうでもいいんです」だと?
おいおい、負け惜しみか? それって…
競技を見守り、報道するほうの発言にもあきれる。
「結果はともかく、日本チームは健闘しましたね」だ?
こらっ、お前らはオリンピック前にはあれほど金メダルだと煽っておきながら、いきなり手のひらを返すんかい !

たとえば、野球の例がそれだ。
競技前には、こんな報道が大勢を占めていた。
「いわばドリーム・チームみたいなもんですから、金メダルの確率は高いでしょう」
そう、確かに楽観的な見方をしていた。
野球において、ここまで楽観的でいられたのは、日本特有の精神論と関係していたからよ。
それは、次の構図でもわかる。

日本チームは、ミスターの指導のもとに結成され、固い絆で結ばれている。
ミスターは、我が国の誇れる野球人である。
そんな人が監督をするのだから負けるハズがない。


でも、負けちゃった。
あのね、どこの国にも「国民の英雄」と称される人物はいるさ。
でも、だからといって「英雄」をお守りにするのはどうかねえ。
別に、ワシはミスターを評価していないわけじゃない。
要するに、日本人の、根拠のない盲信に疑問をもつだけなのだよ。

それにしても、オール・プロによるメンバーなのに弱過ぎだよな。
オーストラリア・チームに2度も負けるし…
たとえば、アメリカのバスケット・チームがNBAのスターを集めて作った「ドリーム・チーム」。
これを思い出せは、その違いは一目瞭然。
他国チームのプレイが、まるで子供みたいだったもんな。
つまりはだ、プロというのはそういうプレイをするはずのものなのだ。
安心して見ていられるプレイをする。
それがプロなんじゃないのかね。

あるコメンテーターが抜かしていたな。
「これで、日本チームの存在が世界に知られるようになりましたね」って。
これは、もちろん能天気な発言に決まっている。
バカもの ! どこまでお気楽なんだよ !
やっとこさっとこ頑張った結果が銅メダルなんだぞ。
ため息が出そうなほどスマートなプレイをして金メダルなら、話は別だけどな。

今回のような結果を見て思うのは、日本の野球もまだまだだなということ。
確かに、メジャー・リーグで日本人プレーヤーは、目の覚めるような活躍をしている。
しかし、だからといって日本のプロ野球のレベルもそうだというわけじゃない。
何か、勘違いをしている気がしてならないのだ。

「井の中の蛙、大海を知らず」という諺がある。
報道の仕方もそうだが、「世界の中心は日本だ」というような錯覚を起こしている。
いや、中心とまでは思っていないにせよ、過剰なまでに優れた民族のように思っているふしがある。
どんな民族だって同じ人間なんだから、大した違いなんてないのにねえ。
なのに、マスゴミも国民も、負けについてやたらとフォローしたがる。
勝者を褒め称えるのを忘れて…ったく、うつわが小せえな。
こっちは負けたんだから、意味のないポジティブな言い訳なんていらないんだよ。
黙って帰ってくればいいのだ。
そして、こっそり悔し泣きすればよい。
自分たちの優越意識が、いかに空しく意味のないものであるかを思って…

国民だってそうだぞ。
負けて帰ってきた選手たちを、ただ「おーヨチヨチ」と慰めてたったダメ。
「ハイハイ、ボクちゃんは悪くないのよー」って、アホか、まったく。
負けは負けなのぢゃ。
素直に負けを認め、勝った者を称える。
それこそが、懐の広い人間のあり方なんじゃないですかね。

とはいえ、ワシは、そんな生温い考え方をする日本が好きなのだが(笑)
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ぶどうの丘

2004-08-25 05:14:30 | 夜景スポット
ワシが真夜中にドライブする目的のひとつは、夜景を見ること。
今回は、ふらっと甲府盆地まで足を伸ばす。
ここは言うまでもなく、山梨県の中心。
盆地なので四方を山に囲まれている。
だから盆地からちょっと山の方へ上ると、見晴らしが良ければ絶景はすぐに見つかるのだ。

自称「夜景フリーク」のワシは、甲府盆地をこれまでいろいろな場所から見てきた。
今宵チャレンジしたのは、「ぶどうの丘」という場所。
これは勝沼にあり、昼間ならぶどう狩りのほかに、レストランやバーベキューなどもできるレジャー施設。
もちろん、ワシが行ったのは真夜中だから営業してるわけがない。
もうね、ゴーストタウンよろしく、しーんと静まり返っていた。
ひとり肝試し状態(笑)

真っ暗な中を景色の良い場所まで行くと、施設の駐車場があった。
すると、すでに5台ほどのクルマが止まっている。
おおっ、お仲間か?
何やら車体が揺れているのもあるが、そんなのは最初からスルー。
だって、ワシは夜景を見に来たんだから。
素性の判らんカップルの「まぐわい」なんぞ、どーでもよいのだ。

いやー、ここの夜景も綺麗だよー。
そうだな、広がりにして150゜ぐらい見渡せるかな。
色とりどりの灯りがまたたいて、婦女子なら感激してきっと随喜の涙を…
おっと、あぶない。
一応、携帯で撮ったのをアップしておくが、こんなんじゃ雰囲気が出ないな(泣)
まあ、行った証拠として勘弁してね。

甲府盆地を見下ろすことの出来るナイスなスポットは、ほかにもある。
有名なところでは、「フルーツパーク」だな。
情報によれは、最近では地元のカップルのデートスポットになっているらしい。
うんうん、そりゃそーだろな。
ワシがそこへ行ったのは、もう8年ほど前になる。
当時はまだちゃんと整備されてなくて、見物人も少なかったのを思い出す。

夜景を楽しむには、まず暗い場所じゃないとアカン。
自分の周囲が暗ければ暗いほど、夜景は相対的に明るく輝いて見えるんだわ。
この理屈は、夜空の星を見る場合にもあてはまる。
だが、前述の通り、周囲が暗いということは、どんな危険が待ち構えているかわからんもの。
シャレにならんことだって起こりうるだろうし。
ま、何でもそうだが、素晴らしいものを得るには度胸がなければ始まらんのである。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」なのだ。
うーん、昔の人は良いことを言ったもんだねえ。
褒めてあげましょうか? 遠慮する? そうですか…

そんなわけで、興味のあるかたは是非ともチャレンジしてみましょう。
なんなら、ワシと一緒に探検してみます?
とって食ったりしませんから、ご安心を。
遠慮しますか? そうですか…
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オヤジ・ギャグ万歳(笑)

2004-08-24 23:58:42 | 脳みその日常
自慢じゃないが、ワシは現役バリバリのオヤジ・ギャガーである。(注1)

(注1)
ギャガーとは、ギャグの言う人の意。当然ワシの造語。
たとえば、ギターを弾く人をギタリストというようなもの。
名詞の後に「ist」をつけると「○○をする人」の意となる。
その例にならうと、ギャグを言う人は「ギャギスト」になってしまい、言いにくい。
そこで登場するのが、名詞の後に「er」をつける方法。
たとえば哲学する人を哲学者というが、それと同じ方法をとったのが、これ。
哲学(philosophy) → 哲学者(philosopher)
日本語なんだから、ギャグ者にすればいいのに、などとくれぐれも言わぬように。
だって、カッコ悪いじゃん。

世間ではオヤジ・ギャグの評価が極めて低い。
うっかりギャグを飛ばそうもんなら、たちまち「さぶい」とか言われる。
おかげで、この猛暑にオヤジ・ギャグは大活躍だ。
なにしろ、甲子園の「かちわり」に匹敵するらしいし…
ほっとけ。

しかしだな、オヤジ・ギャグを嫌う奴には共通した特徴があるのだ。
彼らは絶対にオヤジ・ギャグを言わない。(そら、そーだ)
自分が嫌なものを言うわけないもんね。
いや、厳密に言えば、彼らはオヤジ・ギャグが「言えない」のだ。
ハイ、ここ重要なポイントですよ。
「言わない」と「言えない」の違いは銀河系までの距離に匹敵するほどなのだ。(ウソ)

あのね、ギャグを言うという行為は、単語を用いた知的遊びなんだよ。
自分の知っている単語が多ければ多いほど、ギャグの飛び出す確率も上がるのだ。
しかし、単語を知っていればよいというものでもない。
単語の一部を変化させることが面白いという柔軟な発想がなければ、ギャガーへの道は遠いのだ。
だから、いくら碩学の国語学者であっても、脳みそがカチンコチンなら失格。
もともとは、遊びなんだし…

さらに、オヤジ・ギャグを敵視する多くの人にみられる特徴は、オツムの回転が弱いということ。
ギャガーになるための条件のひとつは、前述の通り、単語力があること。
それに、言葉で遊ぶユーモアの精神がわかっていること。
これらの条件が必要なのだが、肝心なのは脊髄反射的リアクションも要求されるのである。

オヤジ・ギャグの発生するシチュエーションは、たいがい会話の中である。
ギャガーは相手の話を聞きながら、虎視眈々と発言の機会を窺うのだ。(誇張)
会話の相手はその都度異なるわけだから、相手の口から出てくる単語も変わる。
しかし、真のギャガーは、そんなことではビビらない。
泰然自若の構えなのだ。
そして、ある瞬間にギャガーのスイッチがオンになる。
そう、まさにこの時、脊髄反射が起こるのだ。

エラソーに脊髄反射などと書いているが、実はすべて脳みそが処理していること。
でもね、その脳みそが迅速に動かなければオヤジ・ギャグなんて言えないのだよ。

「やあねえ、このヒト、オヤジ・ギャグなんて言ってるわぁ」

と軽蔑の眼差しをブン投げてくる婦女子をよく見かけるが、ワシは、ちーとも平気。
だって、そういうのに限って気の利いた発言すらできないからねえ。
哀れむべきは、コイツらのほうなのだ。

そうはいっても、まだまだオヤジ・ギャグの社会的地位は低い。
そこでだ。
世の中で肩身の狭い思いをしているギャガーの諸君 !
今こそ、我々の高度な能力を世に知らしめようではないか !
ぶははははは
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秋らしくなったな

2004-08-23 07:07:16 | 脳みその日常
オリンピックのせいで、すっかり現地時間の生活になっとる。
うそうそ、日が昇ってから寝るのは昔からなんだが…(笑)

それにしても、ここ数日で朝晩がすっかり涼しくなり、やれやれという感じ。
暑いのは苦手ではないが、じっくりと物事を考えるには適する環境ではない。
そうすると得意の深夜ドライブに移行するわけなのだが、今はオリンピックなので、どちらを優先するか迷ってしまう。
うはー、実にレベルの低い話だな(苦笑)
ま、もう少しでオリンピックも終わることだし、今後は仕事も捗ることだろう。

しかしだな、涼しくなっても変わらんのは隣の怪しい住人なのだ。
隣に誰が住んでいるのか知らんのは都会にはよくある話。
ワシのところも例外でなく、隣の住人の家族構成すら全く判らんのである。
確かワシがここに引っ越してきた頃、隣にはバアさんがいたと思うのだが、最近は見かけない。
縁起でもない話だが、その家で葬式があったような気配もない。
ま、まさか床下に埋められているなんてこたーないだろな…
(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル
ライターの想像力は逞しいのである。

いや、そんなことはどーでもよい。
ワシの生活を脅かすのは、その家族がすこぶる魚好きということ。
そりゃね、健康を考えれば肉よりも魚のほうが良いに決まってる。
魚を食うなとは言わん。
問題はだな、魚を焼く時に発生する煙がウチのドアを直撃するということなのだ。

煙というのは、わずかな隙間からでも侵入する。
そうすると、相手がご機嫌で魚を焼いている時、ワシの部屋は煙で充満するというわけだ。
これはね、不愉快きわまりないんだぜ。
想像してごらんなさいよ、多い日には三食魚を焼かれることを…
先にも書いたように、ワシのおやすみタイムは基本的に日が昇ってからお昼まで。
さあて熟睡するかと思いきや、ドアの隙間からブルーの煙が…
秋といえば秋刀魚の季節。
てーことは、ますます煙害がパワフルになるっちうことやん(泣)
心までブルーになってくるわ。(うまい ! …ってシャレを言ってる場合じゃないねん)

君子危うきに近寄らず、というわけで、とっとと引っ越せばいいと思うだろうが、何せ「先立つもの」がない。
とかくライターというのは、想像を絶するほど儲からん職業である。
もちろん、物書きといってもピンからキリまである。
ピンといえば、売れっ子の小説家や脚本家、それにテレビなどの台本作者などもそれに属する。
彼らがピンなのは大衆の需要があるからにほかならない。
もちろん、実力がなければ話にならないわけだが、いずれにしろ大衆の支持というのはカネにつながるのだ。

ところが、大衆にあまり縁のないジャンルのライターだとそういうわけにはいかない。
同じ音楽でもポップスやロックの業界なら、まだ「潤って」いるかもしれん。
しかし、何をトチ狂ったか、ワシの専門はクラシック音楽。
もともと需要がないんだから、よほどのゴマスリでもしない限り、その業界の売れっ子になんぞなれるわけがないのよ。
ゴマスリというより、魂を売るというほうが正しいかもしれんな(苦笑)
心の中ではこれっぽっちも思っていないのに、文章では平気で絶賛する奴。
こういう奴は、ロシアのヴァイオリニストを知らないのだ。(これはトンチ。解答は最後)

それはともあれ、どの世界でも正論を吐くやつは敬遠されるのというのは世の常。
だから、なかなかクライアントが現われないというのは不思議じゃないのさ。
でも、魂を売ってまでカネを稼ぎたいとは思わないからねえ。
ただなあ、魚の煙にまみれ続けるのと、クリーンな空気に包まれるのとどちらを選ぶかと言われれば、かなーり迷うのだがねえ。
はっはっはっ…(空虚な笑ひ)


(解答)
厚顔無恥が正解なのだが、その熟語にロシアの有名なヴァイオリニストのレオニード・コーガンをひっかけただけのこと。
つまり、コーガンを知らない → コーガン無知 …なんちって。
さぶいですか? そーですか。
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感動の裏側 (後編)

2004-08-22 00:58:08 | 脳みその日常
「後編」といったって、何も新たな論が展開されるわけじゃない。
ただ、日付が変わってしまうので、あわてて投稿したまでのこと。
(* ̄m ̄)プッ

そうなのだ、つまりオリンピックも受験戦争も性格上はさほど違うわけじゃない。
もしオリンピックを無条件に賞賛しているとしたら、それは成績至上主義を肯定することでもある。
もし成績至上主義を肯定しないのなら、オリンピックに対して批判的であるべき。
それはそれでいいのさ、などと言うのは、ある意味ですでに洗脳されている証拠。
「スポーツは受験勉強とは違うでしょ?」などと抜かしても、説得力はないよ。
前述の通り、それらはどちらも競争原理に基づくものだからだ。

優れたパフォーマンスに対して、素直に賞賛の言葉を贈るのは間違いじゃない。
事実、我々はそれを見て感動するのだから。
でも、その背後には無数の負け犬たちがいることも忘れるべきじゃないだろう。
受験勉強でいえば、偏差値の低い連中だ。

かのクーベルタン男爵は「参加することに意義がある」と述べたそうな。
うんうん、そうだろうね。
でもさ、今や「メダルを取ることに意義がある」ことに変わってしまっている。
現状を男爵が見たら、きっと嘆くことだろう。
そんな声をよく耳にする。
だけど、メダル獲得を目的とするようになった今日のオリンピックでは無理な話。

選手の立場とすれば、どーせ参加するのならメダルを取りたいだろうよ。
そのために彼らは切磋琢磨して結果を出そうとする。
その姿は美しいし、そういう発想はきわめて自然なことではないか?
観客だって、素晴らしいパフォーマンスをすれば満足するわけだし。

以前にも書いたように、人権屋などが抜かす平等主義なんて所詮机上の空論なのよ。
社会学的にみれば、人間が2人以上集まれば社会というものは成立するという。
人が集まれば、そこには競争意識が出てくる。
相手よりも優位な立場でいたい。
そう考えるのはフツーだよな?
じゃあ、どちらが優れているかを判断するには、数値的処理がなされる。
こうすれば成績が一目瞭然だからね。

つまりは、強い者が勝つんだよ。
負けた者は悔しいだろうが、そういうルールで成り立っているんだから従うしかない。
負け犬はリトライするか、別の道を歩むしかないのさ。
オリンピックのみならず、社会はそうやって成立しているのだ。

そう見てくると、文部科学省が唱える「ゆとり教育」がいかに社会に合致していないかがわかる。
「ゆとり教育」なんて、結局はバカを増やすだけのことなのに。
学生はな、いや勉強をしなくちゃならない時期は懸命に勉強しなきゃいかんのだよ。

負けてもいいと思っている奴は、存分に遊んでいればよい。
ただし、因果応報じゃないが、その後にはそれ相応の人生しかないんだけどな。
そんな簡単なことすらわからん若者が増殖していて、こっちが滅入ってくるこの頃。
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感動の裏側 (前編)

2004-08-21 23:58:33 | 脳みその日常
東京オリンピック以来の金メダル・ラッシュである。
いや、今回はそれを凌ぐほどの活躍といえるだろう。
マスゴミは放映権料を払っているので、競って「感動をありがとう」的な番組を垂れ流す。
金メダルを取るや、選手はほぼすべての局の早朝番組に出演させられることになる。
そして、何度も同じ質問に対して答えなければならない。
まあ、それはそれで仕方のないことかもしれないが。
それにしてもさ、もうちょっと気の利いた質問はないのかね(蔑)
揃いも揃って、通り一遍な質問ばかりしおって…

国民は連日のメダル・ラッシュに対し、純朴な子供のように喜んでいる。
水を差すつもりはないが、メダルを取るってことはさ、成績至上主義による結果だよな?
我々が感動するのは、エリートたちのパフォーマンスを見てのこと。
つまりは、もの凄い競争を勝ち抜いてきた彼らの演技に対して、我々は「おおっ」と思うのさ。

これはオリンピックという名のお祭りだからクレームをつける者などいない。
ところが、大学受験みたいなことになると、途端に「あーだこーだ」言い出す奴が出てくる。
「受験戦争は良くない」とか「子供はノビノビ育てるべきだ」など。
ちょっと待てよ、オリンピックに出場する選手だって同じだろ。
国の代表になるためには、無数のライバルと闘ってきたわけだろが。
それはまるで東大医学部に合格するようなものかもしれん。
天性の素質に加え、やはり猛烈な練習がなければ代表になることは不可能なハズ。
同じ成績至上主義の出来事なのに、オリンピックの場合にはクレームが付けられないというのは、考えてみれば不思議だと思いませんか?

(つづく)
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せいぜい「ハゲ」んで下さいな

2004-08-20 05:03:34 | 脳みその日常
昨晩は、東フィルのスペシャル・コンサートに行く。
チョン・ミョンフンの指揮による演奏で、以下の曲目。

・ラヴェル《ダフニスとクロエ》の第1&2組曲
・ショスタコーヴィチ《交響曲第5番》

うーん、やっぱり東フィルの響きは良い意味でロシア的だな。
弦のヒステリックなところなんか旧ソ連のオケを思わせるし(苦笑)
もっとも、金管が炸裂しないからクソ面白くもないけどね。

それにしても、今回の演奏は、あまり考え抜かれたものじゃなかった気がする。
チョンの演奏の特徴のひとつは、クライマックスのポイントが明確であること。
どこにクライマックスをもってくるかを、あらかじめ設定した上で速度などを工夫する。
最初はわからなくても、結果的に「なるほど、そうだったのか」と納得できる。
そんなパターンなのだ。

ところが、今宵の演奏は、いわば消化不良のままだった。
ラヴェルのほうにしても、あんまり美しい音色じゃなかったし。
かつてDGでリリースしたサン=サーンスの《オルガン付き》を覚えている者としては、フランス音楽の「あの」透明感のある響きを聴きたかったのに。
その演奏はバスティーユだったが、なぜ東フィルでは不可能なのか?
オケが違うからといって、できない相談とも思えないのだが。
それとも、音色を追求する「ツメ」をしなかったのだろうか。
ここ最近のチョンとオケとの不調和が非常に気になるところ。
大丈夫か? 東フィル。

演奏会のあと、後輩のIさんとSさんと会う。
Iさんは岐阜から上京したので、その後の様子を聞く。
なかなか思い通りにいっていないらしいが、今の苦労があとで花開くから安心しなさいね(笑)
人生なんて、そんなもんよ。

しらんうちに、トラックバックされていた。
どうやらこの人、髪の毛が不自由らしく、育毛剤のお世話になっているようだな。
お気の毒です。
残念ながら、ワシは他人にわけても余るほど頭髪がありますんでねえ。
お仲間になれないのをお許しください。
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何気に100km

2004-08-19 05:56:37 | ドライブ関連
ほとんどビョーキになってる深夜のドライブ(笑)
今回は環七から国道1号に入り、横浜方面へ。

それにしても夏休みのせいか、暑さのせいか、アタマのイカれたのが多い。
車線が複数の道路では何かと競争したがるアホ。
だからー、ワシは別に競争なんぞするつもりはないってばー。
にもかかわらず、アホどもは既に臨戦体勢。
通常だと、仕方なくお相手してやるのだが、今はチト事情があって不参加。
その理由は、いずれココに書くことになるだろうけど。
結局、アホどもはワシを鼻くそにして大黒ふ頭方面にカッとんで行った。
やれやれ。
ワシはそのまま横浜市内に入る。

そして、東神奈川から市ケ尾へ抜ける道を右折。
この道はさほど広くはない。
それに、ほとんど片側一車線の道路だ。
ワシがノンビリ走っていると、またアホが登場。
コイツ、やたらと煽ってきやがる。
仕方ないので、ご要望にお応えして、ワシもしばらくカッ飛ぶ(笑)
すると、コイツ、ご機嫌になったらしく、さらに付いてきやがる。
面倒くさいので、先に行かせてやる。
そのクルマを見て、ワシは大爆笑。
フルスモークのガラスといい、特定の数字が並んだ字光ナンバーといい、完璧なマル暴さん。
ったく、大人げないぜ。
どーせ、運転しているのはチンピラだろうけどな。
コイツとは佐江戸の交差点でバイバイして、やれやれ。

市ケ尾で国道246号を横切ると、そこは見通しの良い片側2車線の直線道路。
ただし、ここは適度にスピードを出さないと、うまく信号をかわすことができない。
下手をすると、すべての信号に引っかかってしまうからだ。
しゃーないので、そこそこのスピードを出して走る。
すると、またおかしなのが後ろから追っかけてきた。
あらま、今度は個人タクシーかいっ。
適度にスピードを出しても、結局はどこかの信号で止まる。
そのため、タクシーとワシは必ず信号で並ぶことになる。
このタクシーに客は乗ってなかったせいか、運転手はもう臨戦体勢。
またかよ…
ワシは勝負なんてしないってばー。
この道路、しばらく行くと一車線になる。
ははーん、コイツ、どーやらワシの前に出たいらしいな。
それがわかったので、先に行かせてやる。
すると、目にも止まらぬ速さでフッ飛んで行った。
ねえ、こんな深夜なのに飛ばしてどうするのさ。
ま、まさか、ウンコ漏らしそうだったのかな(笑)

あぁ、お下劣な話でスンマセン。
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面倒くさいな

2004-08-18 20:38:29 | 脳みその日常
連日、金メダルが確定している。
いや、別にどんな色のメダルでもよい。
また、どこの国の人が入賞してもよい。
見ていて気分がよいのは、その笑顔だ。
心の底から溢れ出る喜び。
これこそ、本当の笑顔なのだろう。
それにしても、みんな、いい顔をしているよなー。

新企画の執筆者メンバーを決めた。
誰に何を書いてもらうのかはまだ未定だが、とりあえず原稿の承諾はもらえた。
やれやれ…
そのうち、クライアントとの顔合わせがあるだろう。
あとは、書いてもらう原稿の内容をワシが考えれば良いだけだ。
実は、それが一番面倒くさいことだったりして…

執筆者のひとりであるF君と話をしていたら、同業者のK君の話になった。
なんでも、K君はクライアントには「いい顔」をしているらしい。
そのくせ、同業者仲間にはクレームの嵐を浴びせるので困るのそうだ。
そりゃそーだろうな。
ワシもK君には、以前エライ目にあったし(苦笑)
F君も、これで懲りたことだろう。
しかしなあ、同業者から顰蹙を買ってまでクライアントにゴマをすってもねえ。
そのうち相手にされなくなるのは目に見えてるのに…
本当に可哀想な奴だわ。
ワシは、K君のそんな態度を正そうと説教したことがあった。
でも、「馬の耳に念仏」とはこのことで、どうにもならなかった。
むしろ、彼はワシのことを今では快く思っていないだろう。

自分の考えがすべて正しいと思い込むことは、何事においても危険なことである。
自らの価値観に凝り固まってしまうと、周りが見えなくなるものさ。
そうした思考回路が出来上がってしまうと、物事を柔軟に考えられなくなる。
他人の価値観を認めたり、他人の発言に耳を傾けることは、逆説的だが自分を大きくするものなのだ。
K君の思考回路が閉じてしまっているのは、学問的な方法論をすべてに適用しているからにほかならない。
つまり、自らが認識しないことは信じないという姿勢だな。
もっといえば、認識したとしても、自分がそれに同意できなければ認めないということでもある。
だが、世の中の価値観がひとつじゃないことぐらい、子供だって知っている。
大人でありながら、K君がそれを理解できないとしたら、それは社会的不適応者と言われても仕方がないな。
ま、こんな奴に何を言ってもダメだから放置しておくけど。
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やっぱりな…

2004-08-17 22:27:57 | 脳みその日常
言わんこっちゃない。
マスゴミが盛んに取り上げていた女子バレーやソフトボールの惨憺たる成績を見よ。
その代わり、さほど注目されていなかった男子体操は団体で見事に金メダル。
マスゴミは、あたふたしちゃって、各局の朝のワイドショーでは、てんやわんや。
笑っちゃうよなー。
柔道だって、予想とは大きく外れちゃってるし(笑)

それはともかく、男子体操は見事だったねえ。
この選手たちの世代って、第二次ベビーブームじゃなかったっけ?
それで思い当たるのは、競争社会の中から優れた選手が輩出されるんじゃないかってこと。
人数が多ければ多いほど、競争意識は生まれ、相手に勝つために頑張ろうとする。
それが結果的には立派な成績や業績を生むんじゃないかな。
彼らの親の世代も、がむしゃらに働いただろ?
それが高度経済成長の一翼を担ったのは言うまでもない。

近年は、わけのわからん人権屋のせいで「ゆとり教育」などというバカな方向に行っている。
人権屋どもは、落ちこぼれの生徒も大切にしなければならないと抜かす。
確かに、そうかもしれぬ。
しかしな、落ちこぼれのために、能力ある生徒が怠けるようになったら、もっと世の中のためにならんのだ。
教育指導要領も、昔に比べたら内容はスカスカになっとる。
教師たちは、教えたくても教えんでええといわれる。
結局、ガキどもが楽になるだけのシステム。

競争原理っちうのは、弱者の立場になれば成立しないのは当然。
でも、人が集まれば自然に競争意識っちうものは生まれる。
それに勝ち抜いた奴が優れた業績を残すのではないのか?
偏差値教育の弊害が叫ばれて久しいが、それも弱者の視点によるものさ。
なのに、偏差値の低い子供が可哀想だからあーだこーだ…
バカだねー、何だって競争すればトップもいればビリもいるに決まっとるやろ。
逆にだな、全員が100点だったら気持ち悪いわ。

生物というものにはすべて「個体差」というものがある。
どんなに同じように育てても、生まれ持った能力の差っていうのはあるんだよ。
だから相対論的に社会の制度を決めても意味がないのよ。
自然界の法則に「弱肉強食」ってあるじゃん。
これなんて、まさにそれに沿ったものだろ?
このバランスが取れているからこそ、自然界のピラミッドは均衡を保たれている。
人間だって、その一員なんだから例外はあり得ない。
生物的に見ても、優れた奴、劣った奴はいるんだよ。
悲しい現実だが、しゃーないのさ。

つまり、相対論で物事を決めて行くとロクなことにならんということだな。
下手をすると、単なる「ぬるま湯」の社会になりかねないからよ。
ある意味、それは非常に危険なことなのだ。

あー、難しいことを書いちまったな。

ところで、後輩のT君は沖縄で休日を楽しんでいるらしい。
いいねえ。
うらやますぃー。
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期待するからダメになる

2004-08-16 23:05:04 | 脳みその日常
アテネ五輪が盛り上がりを見せている。
どの選手も懸命に頑張っている。
その姿は美しい。
しかし、競技によっては前評判ほどの成績が出ていないものもある。
一体なぜなのか。
ひとつには「見えないプレッシャー」があるからではないか。

五輪の開催以前にマスゴミは注目の選手やチームについて特集番組を放映した。
それはそれで、やった意味はあるだろう。
国民はそうした報道を見たり、耳にすることで本番に期待するからだ。
だが、一連のそうしたことは選手にとっては想像を絶するプレッシャーにもなる。
上位入賞が当然のような報道をされた場合は特にそう。
データ的に入賞確実だと思われても、所詮勝負は水モノである。
本番で何が起こるかは誰もわからない。
だから、選手寄りの見方をするなら、本番まで放っておくほうがいいのだ。
そのほうが、仮に初戦敗退であっても、選手の心の重圧は少なくて済む。
いや、重圧がなければ、本当の実力が発揮されて優勝する可能性が高まるかもな。

これまでのところ、いわゆる「お家芸」的な種目ではイマイチ思わしい結果が出ていない。
それは、そうした種目には精神論が重視される傾向にあるから。
余計なプレッシャーがそこに加われば、能力が発揮されないとしても不思議じゃない。
「いや、それは選手の心が弱いからさ」という意見もあるだろう。
しかし、最初から放っといてやれば、どの選手もノビノビと競技に打ち込めるんじゃないのか。
で、結果として上位入賞を果たしたら、思いっきり賞賛すればよい。

日本選手を応援したい気持ちはわかる。
でも、応援するほうは、それが諸刃の剣であることを認識する必要があると思う。
もっとも、例外はある。
本当に実力がある選手だったら周囲が何をしようと優勝するんだし。
まあ、これからの競技を穏やかな気持ちで見守ってやろうではないか。

ところで、主催国であるギリシャの選手をほとんど見かけないんだが、なぜ?
これから出てくるのか?
フツー、主催国だったら是が非でもメダルを大量に獲得しようとするのに。
やる気、ねーのかな(笑)
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