ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

スッキリとした配置…八乙女頭首工

2021-04-30 06:58:05 | 福井(ダム/堰堤)
前回の「松ヶ鼻頭首工」から日野川を遡ったところにあるのが福井県南条郡南越前町八乙女(みなみえちぜんちょうやおとめ)にある九頭竜川水系の八乙女頭首工です。アクセスは北陸自動車道の今庄(いまじょう)インター近くで、国道365号沿いにある土の駅 今庄の裏あたりになります。ただし、頭首工の近くへ行くには日野川の対岸の道を行ってください。

【八乙女の由来】
「八乙女」は珍しい地名なので、その由来を調べてみました。言葉の意味として「八乙女」は神楽や舞を踊る8名の巫女を指す言葉で、例としては富山県南砺市にある八乙女山(やおとめやま:標高756m)が挙げられます。その地域では井波風という強い風が吹くのですが、井波風はその山の風穴から生じていると信じられていて、その風穴自体を御神体とみなしたことから、強風を鎮める儀式(風鎮儀式)は神に仕える八乙女が行なったところから八乙女山と命名されたといわれます。つまり八乙女という地名は何らかの形で巫女が関係していると考えられるわけです。

一方「魚止め(うおとめ)」という言葉に由来する説もあります。これは「乙女」という地名の場合もそうで、その場所で何らかの理由で魚を遡上させない、もしくは下流へ行かぬようにした場所という意味なのでしょう。たぶん。

そうこうするうちに、やってきました。これが八乙女頭首工です。写真は日野川の右岸上流側から撮ったもので、土手のところに独立してあるのが取水口を管理する建物です。



その建物以外は日野川を守る我ら四人衆といった感じ。(ゴレンジャーみたいなもんか…いや、違うか)



頭首工を右岸の横から見るとこんな感じ。写真右側に見えるのは管理橋です。



頭首工本体に付けられたプレートたち。これによれば、八乙女頭首工本体は1999年3月に完成したようですね。



右岸、左岸、どちらの側にも魚道があり、写真は右岸にある魚道です。下流からやってきたお魚さんたちはここを通って上流に向かうんですね。





これが日野川上流の景色です。この写真の下に見えるコンクリート部分が取水口になります。ここから取られた水は、



この建物の下を通り、土手の向こうにある沈砂地へ向かいます。



これが沈砂地。



そういえば、土手のところに八乙女頭首工の案内板がありました。これで位置関係がわかると思います。この表の中で「完成:平成12年(2000年)4月」とありますが、これは管理橋を含めた全体が完成した時期なのだと思われます。



その管理橋を横から見るとこんな感じです。ご覧の通り、柵があって橋の上に行くことはできません。



右岸、下流側から見た凛々しい四人衆の勇姿。



さて、先ほどの沈砂地の近くには「八乙女頭首工」「清流の里」と刻まれた石碑があります。





その前は「八乙女ふれあい広場」になっていて、日時計があったりします。



広場はまあまあ広く、



広場と土手の間に管理棟が鎮座しています。





取水口からどのように水が流れて行くのかは不明ですが、この頭首工自体はなかなか見応えがありました。
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トレードマークは赤!…松ヶ鼻頭首工

2021-04-29 06:54:13 | 福井(ダム/堰堤)
今回は福井県越前市向新保町(むかいしんぼちょう)にある九頭竜川水系の松ヶ鼻頭首工にやってきました。アクセスは北陸本線の王子保(おうしお)駅に近い県道136号沿いにあるので、すぐにわかります。

県道から頭首工への道を入ると、すぐにお目当ての松ヶ鼻頭首工が見えてきます。



頭首工に近づいて行くと、その途中には松ヶ鼻頭首工についての案内看板がいくつもあります。これは魚道についての案内板。この頭首工の魚道は右岸にありますが、ハーフコーン型というものが採用されていて、お魚さんが遡上しやすくなっているそうな。お魚さんに優しい工夫ですね。



これはこの日野川用水がどのように利用されているか説明しています。



この案内板では松ヶ鼻頭首工の歴史について書かれています。それによると元になった堰は室町時代の第8代将軍足利義政、第9代義尚の文明期(1469-1487)から第12代将軍足利義晴の享禄期(1528-1532)にかけて造られたそうです。そして1965年に最初の松ヶ鼻頭首工が造られたのですが、老朽化のため2013年に現在のものに造りかえられたそうな。

また、対岸(左岸)のほうにある平べったい三門の洪水吐には鋼製起伏堰という新技術が導入されていて、ゴム製の袋状のものが膨張・収縮することで洪水吐の高さを調節することができるのだとか。ほぉ〜、すごいね。 



日野川下流の様子です。写真下側にはハーフコーンを用いた魚道、そして川には沈砂のための装置が見えます。



頭首工の近くにあるのが管理棟です。





そこから頭首工はこんな風に見えます。対岸側に見える平たい洪水吐水門に先ほど説明した鋼製起伏堰が備えられているんですね。



頭首工を横から見るとこんな感じ。



そのすぐ上流側に取水口があり、分流した水は日野川右岸の各地域へ流れてゆきます。





その水路の先のほうにあるのが「日野川用水中央管理所」。





その敷地内には日野川用水を模した日本庭園風なものがあります。オシャレです。









レッドカラーが印象的な頭首工でした!
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ワクワクするよ!…足羽川頭首工

2021-04-28 06:57:57 | 福井(ダム/堰堤)
さて、今回目指すのは九頭竜川水系の足羽川(あすわがわ)頭首工。目印となるのは県道31号沿いにある道の駅「一乗谷(いちじょうだに)あさくら水の駅」で、そこを目指します。住所は福井県福井市安波賀中島町(あばかなかじまちょう)。

とりあえずは足羽川頭首工の「勇姿」をどうぞ。



では、まず目印となる「一乗谷あさくら水の駅」から。この看板は目立つので、すぐにわかります。



この付近を網羅する足羽川用水は2016年11月8日に福井県で初めて世界かんがい施設遺産に登録されたそうです。ここの幹線水路は江戸時代には既に完成していたんだとか。ほぉ〜。



ここに見える三連水車は写真奥にある頭首工から分水してきた水を2つの水車が低いところから高いところへ汲み上げる役目をします。そして残るひとつの高い位置にある水車は流れてきた水を利用して粉挽きをするそうな。







その高い位置にある水車はこの「粉ひき小屋」と繋がっています。



「粉ひき小屋」の奥には生き物がありのままに生活する場所という意味のビオトープがあります。



ビオトープ入口のすぐ横にあるこのコンクリートの塊は旧足羽川頭首工で使われていた柱の一部。旧足羽川頭首工は1963年に築造され、稼働していましたが、現在の新しい頭首工が建設されるのに伴いお役御免となりました。



さらに足羽川に近づくと、「足羽の清流」と記された何とも豪快な石碑が! 現在の足羽川頭首工の竣工を記念して設置されたものです。



石碑の横にある碑文には2008年11月竣工とあり、その裏には頭首工の概要が記されています。





で、頭首工の横に建っているのが管理事務所です。





管理事務所の玄関前には足羽川堰堤土地改良区連合の案内板。細部にわたる説明があり、感心させられます。



近くには「足羽の清流」がどのような水路なのかがわかりやすく説明されています。いやぁ、丁寧だなぁ。



お待たせしました。いよいよ足羽川頭首工の登場です! 武家屋敷を思わせる感じが良いですねえ。



足羽川の下流はこんな感じ。



上流側から見た頭首工の御姿。



足羽川の上流側はこんな感じ。写真右に見える建物のところが取水口になっていて、その水が先ほどの水車のある水路に繋がっています。



懇切丁寧な説明でわかりやすく、水路がどうなっているのかがわかり、とても勉強になりました。興味のある方は一度訪れてみてはいかがでしょうか。
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山中の巨像…岡本砂防堰堤

2021-04-27 06:58:15 | 福井(ダム/堰堤)
いやはや、びっくりです。こんな山の中にこんな建造物があるとは…。

あ、どうも、ワシです。ついつい心の声が文字になってしまいました。今回訪れた福井県越前市大滝町(おおたきちょう)にある九頭竜川水系の岡本砂防堰堤は、当初あまり期待していませんでした。まぁ、フツーの砂防堰堤だろうな…と。ところが、現地に着いて見た瞬間、思わず口にしたのは「いやいや、なになに?」。アクセスは北陸自動車道の武生(たけふ)インターを出たところを走る県道262号を東に向かい、道なりに進んで長田製紙所へ曲がる細い道を入ります。その道を行った先に岡本砂防堰堤があります。

まあ、とにかくそんな細道の先にこんな建造物があるなんて誰も想像できないと思いますよ。アーチ式です。



右岸、貯水側から見た様子です。曲がってます、曲がってます。



堰堤横の看板には「岡本川砂防堰堤」と書かれています。あれれ、名称が違うゾ。



また、竣工記念碑には「岡本砂防ダム」と記されています。これまた名称が異なる…。



どないやねん! と思いながら、いわゆるダム上に行こうとすると本体に嵌め込まれたプレートを発見。すると今度は「岡本砂防堰堤」と刻まれていました。1985年3月竣工だそうです。



高さは25mなので、河川法のダムの定義上は砂防ダムが正しいのですが、ここはひとつこのプレートに従って「岡本砂防堰堤」と呼ぶことにします。



自己責任で堰堤の中央に来ました。



そこから見た貯水側の景色です。



一方、堰堤の下はこんな感じ。



調子に乗って、下へ行ってみることにしました。右岸、中腹から堰堤を見るとこんな感じです。曲線が流れるように美しいねえ。



堰堤下に来ました。堰堤の下には副堰堤があり、その出口には人が並んで手を繋いでいるように見える柵(?)があります。



その下流には幾何学模様の沈砂コーナーがあり、



さらに下流には人工的に流れをくねらせて流速を落とす工夫が施されています。う〜ん、芸が細かい!



最後に、逆光で見えにくいですが堰堤下から見上げた岡本砂防堰堤の全貌をご覧ください。



まあ、とにかくデカい。驚きました。
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越前ガニがぁ…総ヶ谷ダム

2021-04-26 06:54:25 | 福井(ダム/堰堤)
今回は若狭湾に近い福井県越前市千合谷町(せんごうだにちょう)にある九頭竜川水系の総ヶ谷(そうがたに)ダムを目指します。アクセスは県道19号沿いにある千合谷バス停のところを入っていきます。

まずはダム下から見た様子をご覧ください。ダム下には畑地があり、何とも長閑です。



バス停からの道を登ってくるとダムの左岸に辿り着きます。すぐに目に入るのは総ヶ谷ダムの概要案内板。これによれば当該ダムは水田補給を目的とした利水専用のアースダムとのこと。



その案内板からダム上を見るとこんな感じ。つまりこの案内板はダム左岸のちょいと奥まったところにあるわけですね。



これがダム上です。進んでみましょう。



左岸側にあるのが余水吐。増水時、水はここから溢れ出て、



この水路を通って、下流にある田畑へ向かいます。



ダム上、中央から見た貯水側の様子です。あの山の向こうに若狭湾があって、そこには越前ガニがウヨウヨいるんでしょうな…。ジュルルルル。嗚呼、ヨダレが止まりません。



一方、下流側はこんな感じ。向こうに見える田畑にここの水が供給されるのでしょうね。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



管理所は右岸の貯水側にあります。





そこから見たダム上の景色です。



ワシの頭の中は越前ガニのことで一杯だったので、総ヶ谷(そうがたに)が「そうガニ」と読めてしまっていたのでした。空腹だったんだろうか…。でも、妄想って怖いわぁ。
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フツーだけど穏やか…開谷ダム

2021-04-25 07:05:25 | 福井(ダム/堰堤)
今回は福井県丹生郡越前町開谷(にゅうぐんえちぜんちょうかいたに)にある九頭竜川水系の開谷ダムに来ました。アクセスは国道365号の八田(はった)付近から入っていきます。ただ、どこから入るのかはこれといった目印がないので説明が難しいんですよね。でも、ご安心ください。そのあたりの道の幅は広いので仮に道を間違えてもラクラクUターン可能なのでね。

で、そんなこんなで開谷ダムの右岸に到着しました。これが右岸から見たダム上です。



すぐ傍には案内板があります。これによれば開谷ダムは洪水調節のために造られたものだそうです。



右岸、貯水側の遠くから見たダム上はこんな感じ。



ダム横に戻り、ダム上を歩いてみることにします。ダム上、中央から見た貯水側の様子です。写真右端に見えるのが管理所らしき建物のようなので、後で行ってみましよう。



一方、下流側はこんな感じ。草ボーボーで木ばっかり。



洪水吐は左岸側にあります。増水時、水はここから溢れ出て、



この水路からあちらへ流れてゆきます。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



左岸、下流側から見たダム上はこんな風に見えます。う~ん、やっぱり木だらけ…。



左岸、貯水側から見たダム上です。



先ほどダム上から見えたクリーム色の建物のところに来ました。ところがこれが何の建物なのかプレートがありません。



窓越しに内部を覗いてみると、こんな感じでした。何かの操作盤もあります。



何の建物なのかなと思いながら、近くを見ると「開谷ダム」と刻まれた石碑。1978年3月竣工とあります。



長閑で、静かな場所でした。オチはありません。(そんなん、いらん?)
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草だらけの…小倉見ダム

2021-04-24 06:51:37 | 福井(ダム/堰堤)
福井県丹生郡越前町佐々生(にゅうぐんえちぜんちょうさそう)にある九頭竜川水系の小倉見(おぐらみ)ダム…と思われる場所に来ました。アクセスは福井総合植物園プラントピアの近くを通る県道189号沿いにあります。

「…と思われる」と書いたのは、当該の場所にはどこにも「小倉見ダム」の看板はないからなんです。行ってみるとわかりますが、ここは草ボーボーの小山って感じなんですよ。まぁ、アースダムならではの特徴なんでしょうけど。



これがダム上です。もちろん、な〜んもありません。あるのは草、草、草…。



ダム上、中央から見た貯水湖の様子。景色はまあまあ。



下流側の様子です。そこには建設屋さんか何かがあるんですが、万一ダムが決壊したどうするんでしょうか。一発でアウトですよね。



対岸(右岸)側には洪水吐があります。よく見るとコンクリートのところに穴が開いていて、そこに木の棒が刺さっていますね。これはなんでしょうか。思うに、少量の水を排出したい時にはこの棒を引き抜いてそこから水を流すのでしょう。いわば水量調節の役割を果たしているんですね。



で、流れ出た水は、この水路を通って下流へ向かいます。



対岸に来ました。振り返るとこんな感じです。やはり、あるのは草、草、草。



それにしても、小倉見という名称はなんですかね。地名なのかなあ。疑問だ…。
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統一して欲しい…滝波防災ダム

2021-04-23 07:05:29 | 福井(ダム/堰堤)
今回は福井県福井市滝波町(たきなみちょう)にある九頭竜川水系の滝波ダムに来ました。アクセスは県道6号沿いにあるので難しくありません。

そして、これが全貌。左岸側に立派な洪水吐があるのがわかりますね。



ダム横に来ました。白いガードレールの奥にある橋の下が洪水吐の水路です。



近くには「豊潤」と刻まれた石碑と、



本ダムの概要が説明されています。防災ダムなんですね。この手のダムが造られる背景には大概水の取り合いによる争いを収める意味と、洪水防止という2つがあるようです。ここも、そう。



この石碑の裏にはダムの諸元が記されています。



ダム上へ向かう通路の途中には別の概要説明の案内板があります。ここでも「滝波防災ダム」とあるので、名称はこれに従うことにしましょう。



先にも書いたように左岸側には越流式の立派な洪水吐があります。増水時、水はここから溢れ出て、



あちらへ向かって流れてゆきます。



ダム上、中央から見た貯水側の景色です。



一方、下流側はこんな感じ。写真中央に見える白いガードレールのところが県道6号。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、貯水側から見たダム上。



右岸の貯水側のところに建物があります。



「滝波ダム管理所」だそうです。



たま〜に見受けられるのが、名称の表記が統一されていないこと。一体「滝波ダム」なのか「滝波防災ダム」なのか…。どっちでもええやんと思うかもしれません。でも、名称によってそのダムの役割と意味が違ってくると思うので、そのへんはちゃんと統一したほうが良いと思うんですがねぇ…。
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なんだか身がキリリ…武周ケ池

2021-04-22 06:40:52 | 福井(ダム/堰堤)
今回からしばらく福井県のダム関連施設を巡ります。最初に向かうのは福井県福井市二ツ屋町(ふたつやちょう)にある大味川(おおみがわ)水系の武周ケ池(ぶしゅうがいけ)です。グーグル先生の地図では「武周湖ダム」と書かれていますが、それです。アクセスは県道6号から花ももの里公園方面に入り、大味川沿いの道を進んで行くと武周ケ池の右岸側に到着します。

これですね。ちょっと変則的な形状です。



道から見ると、いわゆるダム上がえらく盛り上がっているように見えますね。



道に沿うような感じで洪水吐の水路があり、武周ケ池の水が増すと、ここから溢れ出て、



道の下のトンネルを潜り、



この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



で、洪水吐を跨ぐようにして池に近づくと、ご存知の水利使用標識。



そして、武周ケ池の案内板があります。この案内にあるように、1590年にこの池の東側にあった天賀峯が崩落し、大味川を堰き止めたことで武周ケ池ができたそうな。そして来た道をさらに進んでいくと白山開祖といわれる奈良時代の修験僧、泰澄大師(たいちょうだいし:682-767)が若い頃に修行したといわれる越知山(おちさん:標高612.5m)に至るんだとか。ほほぉ。



では、ダム上を歩いてみましょう。



中央付近から見た武周ケ池の様子。実際はもっと明るいです。



下流側はこんな感じ。これは副ダム? いや〜、ちょっと違う感じですね。あとで降りて行ってみましょう。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。



対岸から少し池の方へ降りるとダム上はこんな風に見えます。まぁ、なんてことない景色ですな。



先ほど副ダムかと思ったところへやってきました。ここから武周ケ池のダム上を見上げるとこんな感じ。たぶん、ここで溜めた水が日本海に面した北陸電力の蒲生発電所に送られて使われるようです。



足元を見ると、これは増水時用の排水路らしく、ここから溢れ出て、



あちらへ流れていくようです。



右岸の違う角度から見るとこんな感じ。



ここへ来る道をさらに上流側へ行ったところに見張所のような建物が。



特にそれを示すプレートは見られませんでしたが、どうやら北陸電力に関係する建物のようです。



そこから武周ケ池を眺めるとこんな感じです。



ここが修験僧の修行の地に近いという思い込みなのか知りませんが、なんだか身の引き締まる感じがしました。まあ気のせいでしょうね。

はは、ははは。
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こうだったのか…香坂ダム(再訪2021)

2021-04-21 06:56:28 | 長野(ダム/堰堤)
長野県佐久市香坂(さくしこうさか)にある香坂ダムを再訪しました。何度も書いていますが、昼間のダムの様子は深夜ではわからないことが明らかになるので驚くことが多々あります。まず、県道138号からダム横に向かう途中で見えた景色にびっくり。あれ? 香坂ダムって、あんなに大きな洪水吐があったのか…と。ちょっと、ちょっと、期待に胸が膨らむじゃあ、あ〜りませんか!



これが県道と繋がっているダム上です。まあ、これは深夜でも見えたので珍しくありません。(参考



この説明看板も記憶にあります。



ところが、県道沿いのダム横に「香坂ダム」と記された石板があることは今回初めて知りました。深夜だと照明がないし、植え込みの陰にあるので気づかなかったんでしょうね。



では、ダム上を進みます。中央付近から貯水側を見るとこんな感じ。なるほど、まあまあの規模ですね。



一方、下流側の景色です。



ダム上、中央から左岸寄りのところに斜めに下りる道があります。その先にあるのが管理所らしき建物。訪れた日には建物の外壁の工事中で近寄ることはできませんでした。撮影は左岸側から。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。このフェンスの下に先ほど驚いた洪水吐があります。



フェンスのある橋から見ると、越流式の洪水吐の大きさに改めて驚かされます。増水すると水はここから溢れ出て、



フェンスの橋の下を通って、



あちらへ流れてゆきます。これ、水路なんですが、もう道路ですよね。



左岸の貯水側に行ってみましょう。これは取水塔で、



ここがそこへ行く入口です。ここも前回来た記憶があります。



その入口にある看板。う〜ん、昼間でもやっぱり読めそうで読めない。楔形文字のよう。金タワシで思わずサビを落としたくなります。



香坂ダムは思った以上に大きなダムでした。概要看板にあるように、これは農地防災ダムなので下流の人々や田畑を災害から守る役割を果たしているんですね。サビはともかく、いや〜、立派なダムです。
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正しくは…茂沢発電所取水堰?

2021-04-20 06:51:03 | 長野(ダム/堰堤)
う〜ん、よくわからんな。それというのも、今回向かった場所はグーグル先生の地図だと「泥川ダム」と記されているんですが、現場に行って見たらそれを示すものが何もないんです。いうまでもありませんが、これは以前訪れた「中部電力 泥川ダム」とは違います。アクセスは信濃追分駅から南東方向の中軽井沢カントリークラブの南側を流れる湯川のところにあります。

とりあえず、その設備をご覧いただきましょうか。



その設備の下流側にはサイコロ・キャラメルのような沈砂のためのコンクリート塊がゴロゴロ並んでいて、左岸側(写真下部)には魚道もあります。



さらに湯川の下流はこんな感じ。



次に、設備の上流側に行ってみます。まずは上流側から見た設備の様子。



そして上流の湯川の様子です。



その設備の上流側の左岸には取水口がありました。ああ、設備本体には水利使用標識も見えますが、近寄れないためほとんど読めません。





取水口を通過した水はここに流れてきて一時的に溜まり、



柵のようなフィルターを経て、次なる場所へ向かうと思われます。



この建物は何でしょうね。見張所のようですが、それを示すものはありません。



じゃあ、この取水口を経た水はどこへ? 調べてみたところ、ここから直線距離にして1.3kmほど下流にある中部電力茂沢(もざわ)発電所へ地下水路を通って繋がっていることが判明。つまりこの設備は信濃川水系の茂沢発電所の取水堰なんですな。だからグーグル先生の地図の記述は誤りだったわけです。(参考

考えてみれば、この設備は湯川にあるのに泥川ダムと命名するのはそもそもおかしいでしょって話です。しっかりしてください、グーグル先生!
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山腹工なのに床固工の推理

2021-04-19 07:06:41 | 群馬(ダム/堰堤)
そういえば、一昨日アップした烏川上流砂防堰堤のすぐ近くにこんなものがありました。



群馬県林務部が昭和51年度(1976年)に復旧治山事業として建設した山腹工(さんぷくこう)です。山腹工とは崩落した斜面がそれ以上拡大しないように柵や壁を設置する工事のことです。おそらく実施年度以前にこの場所で斜面が崩落したんでしょうね。



しかし、一番上の写真に見える下側のコンクリート本体には「床固工(とこがためこう)」の文字。しかも前年の昭和50年度(1975年)に行なったとあります。



ん? どういうこと? まず床固工を説明します。床固工とは言うなれば砂防堰堤の小型版で、河川法によれば高さが15m未満の設備のものは全て堰堤と呼び、さらに5m以下のものを特に床固工と言います。

なぜワシが疑問を抱いたのかというと、見た感じ、その場所は川でも渓流でもないからです。とすると、考えられるのは1975年以前ここには渓流があり、渓流の土砂の流出を防ぐために床固工が建設された。しかし同年にその渓流が土砂で埋まってしまい渓流は消失。そこが山肌に変化したため、翌年に斜面の崩落を防ぐため山腹工の工事が行なわれた…と。

まあ、そんな推理ですが、どうなんですかね。知りませんが。
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シンプルすぎひん?…八ッ場ダム

2021-04-18 06:52:20 | 群馬(ダム/堰堤)
前々から気になっていた利根川水系の八ッ場(やんば)ダムへ遂に行きました。住所は群馬県吾妻郡長野原町川原畑(あがつまぐんながのはらまちかわらはた)。アクセスは国道145号バイパスを行くとダム横に到着します。2020年に完成してすぐに行きたかったのですが、どーせミーハーなダム・ヲタクたちが押し寄せるんだろうなと思ったので様子を見ていたのです。で、もうそろそろいいかなと思い、向かった次第。

まずは左岸から見たダム本体をご覧ください。



いきなりダムの写真を載せましたが、国道沿いにすぐダムがあるわけじゃありません。ダムへの入口はこの電光掲示板が目印になります。



入口を進むと広い駐車場があり、その先に「国土交通省 八ッ場ダム管理支所」の建物があります。





管理支所の中には八ッ場ダムを説明するための展示施設があります。入ってみましょう。



下の写真のように、このダムは「洪水調節」「流水機能の維持」「水道用水の供給」「発電」の役割を果たす多目的ダムだそうで。



ダムの構造図です。写真の下に見えるように「八ッ場」とはダムの左岸の地名なんですね。



ダム建設の経緯も写真付きで示されています。建設のきっかけとなったのは何と1947年にさかのぼります。同年9月15日から16日にかけて関東地方を通過したカスリーン台風は甚大な被害を起こしました。あちこちで堤防が決壊し、30万軒の家屋が浸水。1,100名もの犠牲者が出ました。これを受けて2年後の1949年に利根川改修計画がスタート。この計画のひとつが八ッ場ダムの建設だったようです。



その後の建設経過の様子は省略します。そして記憶に新しい2009年9月、当時の国土交通大臣(前原誠司)が生活改善事業の一環として八ッ場ダムの建設中止を宣言します。しかしダム事業の必要性を検討した結果、2011年に事業継続という形となり、工事は開始。2019年6月、ダム本体が完成。同年10月、試験湛水を経て八ッ場ダムは完成したということです(なお、ダムの運用開始は2020年4月1日)。



展示施設の二階にはダムの諸元を説明する図や、



常用洪水吐ゲートの模型、



非常用洪水吐設備の模型などが展示されています。



なお、写真を撮り忘れましたが、管理支所の建物の中にはダム・カードの発券機があり、来訪者はもちろん無料で受け取ることができます。ワシは取りませんでしたが。

さて、いよいよダムへ向かいます。管理支所からダムを見るとこんな感じ。



これがダム上です。



ダム上の欄干の模様のパターンです。まあ、シンプルっちゃあシンプルでいいんですが、な〜んか味気ないですよね。



ダム上、中央から見た真下はこんな感じ。訪れた日には工事をしていました。高さ116mですから、まあまあ恐怖。



下流側の遠景です。写真中央の下あたりに見えるのが吾妻峡。



一方、貯水側の景色はこんな感じです。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じの景色。いやいや、シンプルです。



右岸、下流側から見たダムの様子。



同じ場所から見たダム下の様子。



右岸、貯水側から見たダムです。



ダム見学で歩き疲れたら管理支所の隣にある「やんば茶屋」をご利用ください。寄りませんでしたが。



訪れた日、さすがにヲタクっぽい人は見かけませんでしたが、見学客はまあまあいました。まぁ知名度はありますからね、ここは。
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明るきゃ見える?…大津ダム(再訪2021)

2021-04-18 03:13:29 | 群馬(ダム/堰堤)
八ッ場ダムの上流にある吾妻川を堰き止めて作られた大津ダム(群馬県吾妻郡長野原町)を再訪しました。前回訪れた際は深夜で何も見えなかったので行って見た次第(参考)。

結論から言うと、見えませんでした…。



水利使用標識は前回から更新されているし、



近くにある管理所もバッチリ撮れています。





しかし、下の写真左に見える小径が立入禁止になっていて行けません。その先にある大津発電所付近からダムが見えるかなと期待したんですが…。



明るくても見えんもんは見えんのですわ!
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清々しい気分で!…烏川上流砂防堰堤

2021-04-17 18:39:31 | 群馬(ダム/堰堤)
群馬県高崎市倉渕町(くらぶちまち)川浦にある利根川水系の烏川(からすがわ)上流砂防堰堤に来ました。アクセスは国道406号から県道54号へ向かい、さらに県道56号へ入ります。

すると、すぐに見えてきます。お〜、なかなかの規模の堰堤です。近づいてみましょう。



案内板があります。それによると、明治43年(1910年)と昭和10年(1935年)に発生した水害により烏川下流域は多大な被害を受けたため翌年から国による砂防事業が開始。その事業のひとつとして築造されたのがこの烏川上流砂防堰堤だそうです。当時としては最先端の技術と機械を駆使し、着工から竣工(1951年5月31日)までわずか1年という異例の早さで完成したとのこと。名称は砂防堰堤ですが、高さが18mあるのでダムの定義上からすると砂防ダムですね。



2006年8月3日には国の登録有形文化財に指定されています。(参考



近づいて見ると、確かに大きく迫力があります。



すぐ下流側には副堰堤(副ダム)がありますね。



さらに烏川の下流はこんな感じ。岩がゴロゴロ…。



堰堤の横に来ました。フェンスがあって堰堤の上に行くことはできません。



上流側から見た堰堤の様子です。おお、烏川の水がとても綺麗です。



烏川上流はこんな感じ。



堰堤付近をウロウロしていたら一台のジープがやってきました。そして、

「ここで何をしているんですか?」
「いえね、この堰堤を見に来たんですよ」
「そうですか」

聞けば、この人、群馬県の職員だそうで、定期的にこの辺りを巡回し登山客などに声を掛けているそうな。年齢は40代半ばだそうですが、まだ少年のような面影が残っていて良い人そう。

「群馬県のこの辺りは良い雰囲気ですよね」
「そう言っていただけると、とても嬉しいです!」

なんてことのない会話でしたが、清々しい気分で現場を後にしたワシでありました。
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