ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

秩父に何が…

2006-02-27 05:29:50 | ドライブ関連
あるサイトに気になる自動販売機を見つけた。今回はそれを確認するために向かう。場所はR140から県道44号線に入って、しばらく行ったところにある(らしい)。とりあえず時間も時間なので関越道に乗って花園インターで下りる。

インターを出た道がR140なので、あとは目的地に向かって進むだけ。気になるものというのは普通の自動販売機では扱っていないモノ(らしい)。いったい何なんだろうか。期待は膨らむ。

該当する場所に到着。周囲はもちろん真っ暗。確かにそこには複数の自動販売機が設置されている。早速クルマを降りて確認。

ところが、そこにあるのはフツーの飲料ばかり。おかしいな、何が珍しいんだろう。よくよく確認すると道路に面している販売機は飲料なのだが、そのウラ側にはエロ本やらエロ・ビデオの自販機が並んでいた(笑)これが珍しいモノなのか?そうでもない気がするんだが。

さらによく見ると「営業中」という看板が。どうやら誰かが常駐しているらしい。うーん、あやしい。あやしすぎる。何かヤバイものでも売っているんだろうか。

釈然としないままその場所を離れた。帰りに道の駅ちちぶへ立ち寄る。こんな夜中にはもちろん営業はしていない。でも隅のほうに複数の自動販売機を発見。何かあるかなとチェックするも別段何も変わったものはなし。悔しいので、そこにあったチョコミントのアイスを買って怒りを鎮める。小腹がすいていたせいか、やけにウマい。

通常ならばそのままR299で飯能へ向かうのだが、ちょっとアドベンチャーがしたくなった。R299とほぼ並走して青梅に向かう道路から帰ることに。この道路はなかなかファンキーなのだ。林道というほどではないが街灯なんてほとんどない。そんな道なのに何をトチ狂ったのか大型ダンプが対向してくる。きゃー!スリル満点ですよ、ホントに。

スリルといえば、この林道に入ってしばらくしたらGPSナビが発狂。まったくトンチンカンな場所を示し始めた。なんだ、なんだ、このあたりには妙な磁場でもあるのか?

ま、そんなことはどうでもよい。悪路だってそうは続かない。のんびり行こうじゃないか。

この道は名栗湖へ向かっており、以前ここに書いた有間ダムのそばを通る道である。名栗湖近くまでくればもうフツーの道路。あとは軽く流すだけ。

道なりに行けば、小沢峠になる。よし、小沢トンネルを通って行こう。アップした写真にはうまく写っていないが、天井近くに白く見えるのは「東京都」という文字が書かれた看板。おおっ、ついに東京へ戻ってきたのか(笑)

そんなことをしながら、のんびりと帰宅。ざっと240km。
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解説をしない解説者

2006-02-26 05:56:06 | 脳みその日常
このところのオリンピックを見ていて思うのは解説者の熱狂ぶり。実況するアナウンサーが「壊れる」のは許せる。しかし冷静であるべき解説者までが

「よし!いけるぞ!行け、行け、行け~!!!」

などとシャウトするのはいかがなものか。

気持ちがわからないのではない。たぶん解説者は現役時代に選手だったから、ついコーフンしてしまうのだろう。でも、コーフンするのは競技を見ている視聴者なのだ。アンタまで一緒になってコーフンしてどうする。

解説者は、いかなる状況においても冷静でなければならない。なぜこの演技もしくは試技が素晴らしいのか、どこに欠点があるのかを説明するのが解説者の仕事ではないのか。その解説を聞いてシロートである我々はなるほどと納得するのだ。なのに視聴者と同じスタンスで応援するのであれば解説なんて必要ない。

NHKは今回のオリンピックではそれぞれの競技を放映する前に各競技についての説明をした。このやり方は視聴者にとってとてもわかりやすかった。つまり、解説者というのは競技中にそういう具体的なルールなどを説明するのが役割であって、コーフンするために呼ばれたのでないことを肝に銘じるべきである。
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前回の顛末

2006-02-24 23:54:14 | ドライブ関連
前回の続きを。

帰りの中央道を走っていた時のこと。いつものように法定速度をはるかに越えるスピードで巡航していた。相模湖を過ぎ、元八王子のバス停を通過した頃、走行車線にパトカーがいることを発見!

おっと、直ちに減速しなくては…

時間が夜中なので、パトカーを発見して法定速度の80キロ近くになるまでは少し時間がかかった。なので、パトカーと並んだ時にはまだ95キロほど出ていた。奴さんはたぶん法定速度で走っていたので、こちらは当然のごとく奴の前に出ることに。

でも、そのままだと闇夜に赤色灯が輝いてしまう。それはさすがにマズいので法定速度まで減速し、走行車線に戻る。つまり、ワシはパトカーの前に進路変更をしたわけだ。

この段階で奴さんは初めてスピード計測をすることができる。しかしすでにワシのクルマのスピードは法定速度。したがって取り締まることはできない。

ところが、ワシの期待も虚しく、なぜか赤色灯が点灯!

「な、な、なんだ?威嚇のために点灯させたのか?」

でも、理論的には取り締まりできないはずなので、その速度のまま走る。

そのうち、何か叫ぶ声がした(ように思えた)。しかしその時ワシのオーディオではヘヴィメタが流れていたのでハッキリとそれが聞き取れない。別に後ろめたいことをしているわけじゃないので、気にせず走り続けた。ただし、メーターを見ると時速85キロになっていることに気づく。

その時だ。奴さんが追い越し車線へ移動し、そのままワシのクルマと並んだ。いや、正確に言えば、ややワシのクルマに横付けするくらい迫ってきた。そこで初めて「叫ぶ声」の意味が聞き取れた。それもほとんど怒鳴り声である。

「80キロで走れって言ってんだろ。コノヤロー!!」

オイオイ、アンタらは右翼かよ!公安のクセに何だその言い方は。エラソーにしやがって。確かにワシはアンタらを発見するまでは違法な速度で走ってたさ。でも今はアンタらにどーのこーの言われる筋合いじゃないだろ。ちゃんと法定速度で走ってるし。

その後、奴さん、ワシの前に車線変更し、あろうことか時速60キロぐらいに減速したのだ!まるで嫌がらせである。さらにそのナンバーを見て驚いた。

品川ナンバーじゃねえか…

いうまでもなく、ここは八王子。当然品川ナンバーのオマーリの管轄ではない。だいたい何でアンタらはこんなところにいるんだ?そのほうが不思議だぞ。

幸いなことにというか、当たり前のことだが、ワシはキップを切られることはなかった。奴さんは八王子インターで降りたのでサヨナラしたが、それにしても気分は最悪。これがもし一般道での出来事ならホントにキレてたかもしれない。かえすがえすも残念なのは、そのパトカーの写真を撮り忘れていたこと。

国家権力を笠に着て威張り散らすオマワリ。最低である。
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快適、快適

2006-02-23 06:08:52 | 脳みその日常
おとといの昼、ついにウチにも光ケーブルが開通!これでやっと時代遅れのダイヤルアップ接続から解放される。

光ケーブル接続は、それ以前に利用していたADSLよりもはるかに伝達速度がアップ。そのためサクサクとネット・サーフィンを楽しむことができる。それにしても、本当に快適だ。ストレスも溜まらないし。

昼過ぎ、北九州在住のKさんから電話。聞けば、いま都内にいるとのこと。6年ぶりに会って話をする。彼はもともと東京の人であり、ある事情で北九州に住んでいた。このたびようやく東京に戻ることになったらしい。めでたい、めでたい。

夜には大学の追いコンの二次会に出席。ワシの目から見れば、学生たちは後輩というより子供みたいなもの。ヘンな意味でなく、どの子も可愛い。いろいろな話をして時間を過ごした。

昨日は昼に帰省する。オヤジの様子の確認とオフクロの墓参りが目的。陽射しは鋭く、確実に春に近づいていることを実感。

夕方、入院している知り合いを見舞う。正月早々、自動車事故に遭ったそうな。雪道でタイヤがスリップし、横向きになったところへ対向車が突っ込んでの事故。対向車は、助手席に座っていた知り合いをまさに直撃。肋骨を6本と骨盤を骨折し、最近ようやく動けるようになったという。一日も早い恢復を願い、病院を後にした。

帰りの中央道で、久しぶりにキレそうになる「事件」があった。それについては、次回詳細なレポートという形で御報告しようと思う。

乞うご期待?
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ますます危険に…

2006-02-21 05:22:28 | 脳みその日常
「プチ模様替え」は無事終了。やれやれ、何とか荷物は収まったな。それにしても、歩くスペースを確保するとはいえ、資料の山を天井の高さまで積み上げるしかないとは、まったくもってトホホである。

こんな状態でデカイ地震が来たら、間違いなくワシは「即死」だ。できるだけ資料が崩れないよう工夫して積み上げてあるものの、こんな状態だと、あの耐震偽装問題なんて話にならないくらい即座に崩壊するはず。機能性をとるか、生命をとるか、それが問題だ…って、かのシェークスピア先生も仰っていたな…って、おいおい!

とりあえず落ち着いたので、早速ドライブへ出掛ける。久しぶりにいつもの場所へ寄ってから、あてもなくフラフラとクルマを流していた。すると、ある道のことを思い出したので行ってみることに。

ある道というのは高速道路と並行して走る側道のこと。ほとんどすべての高速道路には側道がある。この側道は高速道路を建設する際に工事車両が通行するために造られた道なのだ。せっかく工事用に道を造ったのだからそれをつぶす手はない。というわけで、高速道路が完成して側道に工事車両が通らなくなっても、一般の道路として使われるケースがほとんどなのだ。

ただし、側道を通行する時に注意しなければならないことがある。ズバリ!スピードの出し過ぎだ。側道は高速道路じゃないので、交差する道路のところにはだいたい信号がある。

ところが、高速道に沿っているので基本的に道路は直線。見通しは良好。飛び出してくるようなところでもない。となれば、アクセルを踏み込むなというほうが無理。思わず踏んじゃう。

しかし、ここにワナが仕掛けられているのだ。そう、オマーリさんたちが虎視眈々とスピード違反をする車両をお待ちしているのである。ついつい誘惑に負けたドライバーは、まんまとそのワナにハマる。

オー・マイ・ガッ!
アンビリーバボー!!!

なんと悲しく切ないストーリーだろうか…などと妄想しながら走っていた。ちなみに、写真は東名の伊勢原付近の側道である。それにしても、うまく写らんなあ。肉眼ではキレイなんだけどな。
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ちょいと模様替え

2006-02-20 19:32:11 | 脳みその日常
実質的には「休脳日」。何もしないというのもシャクなので模様替えをすることに。

このブログを始めてから何度模様替えをしたことだろう。しかしワシは模様替えが好きというわけでは決してない。気分転換に模様替えをする趣味もない。ただただ使い勝手が悪いので「改革」するのだ。

問題はジャングルのような荷物の移動。「改革」をするためには資料をはじめとする荷物を動かさなければならない。正直な話、模様替えなんてやりたくない。なんとか収納されている荷物を敢えて崩すわけなので。でも機能性を良くするためにはやらねばならない、いわば「通過儀礼」なのだ。ま、それはオーバーな表現だけど。

それでも今回の模様替えは小規模なものなので、気分的には楽だ。さあて、ムダなダンボールなどをバッサバッサと切り刻み、スペースを確保することにしよう。夜半には雨も止むという予報なので、それまでには「改革」も終わらせていつものドライブに…(笑)
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伝統芸能は大変だ

2006-02-19 18:13:04 | 脳みその日常
狂言師にスポットを当てた番組を見る。言うまでもなく、狂言は日本の伝統芸能のひとつで、長い歴史がある。基本的には世襲制なので、いわゆる「お世継ぎ」ができるかは最大の問題。こういう家元へ嫁ぐ女性に相当なプレッシャーがかかるのは想像に難くない。

奥さんも大変だが、「お世継ぎ」たちの心労も計り知れない。単に家系を絶やさないというのならそれほど苦労することもないだろう。しかし、家元を名乗るからには優れた演技技術も維持しなければならない。人間国宝級の芸能をするのであればなおさらである。

驚いたのは86歳の家元の発言。

「この世界はですね、還暦を過ぎてからようやく評価されるようになるんですよ」

ということは、50代まではまだハナタレ小僧というわけだ。いやー、芸を磨く以前に、まずは長生きをすることが大事なんだねえ。そういえば、短命の狂言師なんてあまり聞いたことないわな。なるほど、なるほど…。

彼らはそうしたスタンスで生きているので、いろいろな意味で実に謙虚である。自分の芸に対しては厳しいが、学ぶべきことは素直に取り入れている。それは少し前、やはりテレビで彫金の第一人者のインタビューを見た時にも思ったことだ。

やはり何かの道を極める人というのはジャンルに関係なく謙虚なのだ。言い換えるなら、それは彼らの懐の広さ、もしくは「うつわ」の大きさを示しているのかもしれない。極める人はそれなりの苦労と努力を経ている。だからちょっとしたことでは動じない。いや、それ以上に他人へ優しかったりする。

でも、二流、三流になればなるほど謙虚でなくなり、他者を見下すような態度をとったり、我がまま三昧となる。何かのきっかけで権威というものにメリットがあると感じるや、そうした輩はたちまち権威主義の虜に変貌する。何と愚かなことだろう。いくら権威を笠に着たところで本人の実力が上がるわけでもないのに…。ま、それに気づかないからこそ、彼らは二流、三流なのだが。

雑魚のことはどうでもよい。どんなジャンルにせよ、上を目指すのならやはり第一級の人間の言動や振る舞いを「観察」することだ。彼らの一挙手一投足に注目することで、知らず知らずのうちに彼らに似るようになる。そう、「朱に交われば赤くなる」の理屈である。

ワシもまだまだハナタレ小僧。修行し続けなくてはなと思う。もっとも、長生きするつもりはないけどね。
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神様、降臨!

2006-02-18 06:18:40 | 脳みその日常
気づけば12時間も過ぎていた。記憶をたどる。覚えているのは確か明け方の6時。早朝の情報番組はオリンピックの話題だったような…。さて、ちょっと原稿を書いてから寝る前にブログを書こう。そんなつもりだった。

ところが珍しく「神様」が降りてきた。そのため、集中力が途切れることなく、原稿を書き続ける。だから途中で食事をすることも忘れていた。

仕事が終わったのは夕方。原稿をメールで送り、ふと我に返れば書き始めた時とほとんど変わらない部屋の暗さ。テレビを見ると夕方の情報番組になっていた!

あちゃー、神様、来ちゃったねえ…。

驚きつつメシを食う。ところが、ブログを書くことをすっかり忘れていた。というより、すでに書いたものと勘違いしていたのだ。

でも、神様が去った後は例によって魂が抜ける。いや神様がワシの魂を持って行かれたのかもしれない。それほどまでに空虚な感じになる。

そして今になった。忘れていたブログをようやく書こうという気になる。

それにしても、これから数日は仕事をする気にならないだろうな。よし!どこかへドライブにでも行くか…。しかし今日は土曜日。週末かあ。おかしなサンデー・ドライバーがウヨウヨと湧き出す時だな。そんなのに遭遇するのも嫌だな。

さあて、どうするか…。
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たくさんの「少々」

2006-02-16 07:36:46 | 脳みその日常
プロバイダーのインフォメーション・センターからコース変更の確認の電話が来た。5分程度で済むという。それならばと話を聞くことにした。

ひと通り説明を受けた後、不明な点があったので質問する。すると担当のオネーチャン、

「少々お待ちいただけますか?」
「はぁ、どうぞ」

しばらくすると、オネーチャンが戻ってきた。質問事項について説明を始める。ところが、その説明にはどうにも矛盾があるので、それについて聞いてみた。すると、

「あの、確認をとりますので、少々お待ちいただけますか?」
「はぁ…」

お待たせ中に流れる単調な電子音にそろそろ飽きてきた頃、再びオネーチャン、登場。説明を始める。でも、さっきこちらが指摘した矛盾について納得のいく回答がない。それについてはどうなのかと問いつめる。すると、オネーチャン、

「恐れ入りますが、少々お待ちいただけますでしょうか?」
「あのさあ、あなた、ワシの言う矛盾点はわかってるの?」
「え、ええ…」
「ならば、それについて説明してくれればいいじゃない」
「そうですね」
「大して難しい話じゃないんだから、お互い時間を無駄に使うのは意味ないよ」
「はい、それはわかっているんですが、私の中で確認できていないことがありますので少々お時間をいただけると助かるのですが…」

説明する側がちゃんと確認していないって、あーた。そんなんでいいのか?ちょっと呆れる。

うーむ、どうやらこのオネーチャン、自分とこのシステムについてよく理解していないようだ。まあ、これ以上ツッコんでもかわいそうだし、ワシにデメリットもなさそうだから勘弁してやろう。すでに電話が来てから30分も過ぎているし。そうなると、ここからは質問者でなく助言者になる。

「あのさ、あなた、自分とこのシステムのことも理解しないでお客に説明しても、そのうちまたツッコまれるよ」
「はぃ…」
「まあ、今回の矛盾については一応こちらは納得したということにしておくけど、仕事なんだからちゃんと説明できるようにしておかなくちゃダメじゃない」
「申し訳ございません…」
「ちょっと、しっかりしてくれよー。ま、頑張ってね」
「あ、ありがとうございます」

やなジジイと思われただろうな(苦笑)
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ちょっとした心遣い

2006-02-15 06:52:28 | 脳みその日常
昨日はバレンタインデー。日本人にとってはクリスマスに次ぐ悪しき風習の日である。業者の宣伝にまんまとハマって浮かれ騒ぐ日本人たち。あぁ、何とオメデタイ人々だろう。良く解釈すれば日本人というのは理念にとらわれない享楽的、刹那主義的なのかもしれないが。ま、どーでもいいけれど。

これだけバレンタインデーの悪口を言えば、さてはオマエ、チョコレートがもらえなかったから僻んでいるんだな?と思うだろう。いえいえ、いただきましたとも…年配の女性たちから(苦笑)

昨日はある演奏会があって、いつもの講座の受講者の有志と一緒に聴いたので、たまたま彼女たちからいただいたに過ぎない。「普段の感謝の気持ちですから」とか「誠意ですから特別な感情はありませんよ」などなど。うん、まあ、特別な感情を持たれてはこちらも困るわけだからそれでいいんだけど。

そのほか、知り合いの女性たち数人からグリーティング・カードが送られてきた。もちろん、みな既婚者である。

なんだ、散々文句を言っておきながら、結局はもらって喜んでるじゃないかって?

いや、ちょっと違うのだ。確かに何らかの形でいただいた。しかし、そもそも送ってくれた人たちとワシの間には何の恋愛感情もない。むしろ単なる知り合いという関係に近いといったほうが正しい。でも、違う見方をすれば、彼女らには打算がないということでもある。あのね、打算のない優しさってのはね、本当に嬉しいのだよ。

「なんだかんだ言ったって、そりゃ義理だよ、義理!」という声も聞こえてきそうだが、義理でもなんでもよい。嬉しかったのは事実なのだから。どのような形であれ、彼女らのワシに対する打算のない行為。そこに温かく優しい心遣いを感じたのだ。
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勝者を称えること

2006-02-14 06:24:34 | 脳みその日常
ワシは狂信的な国粋主義者ではない。むしろリベラルな立場が好きだ。いや、リベラルというと政治思想的な意味合いが強いから「コスモポリタニズム」と言っておこう。

そうした目でオリンピックを見ると、この大会がいかに国威発揚のために行なわれているかがわかる。もちろん自分の国の選手を応援することが間違いだとは思わないし良いことだとは思う。しかし報道の姿勢などを見ていると特に日本はある意味で「中華思想」だなと思ったりする。他国の報道がどうかは知らないけどね。

中華思想をごくごく簡単に言えば「世界の中心が自分の国」という意味。つまり自分の国が中心となって世界が回っているという認識である。だけどそんなことはあり得ない。それぞれの国がそれぞれのスタンスで世界は回っているからだ。自国が世界の中心だなんて認識は、いうなれば子供の発想にほかならない。

子供は世の中をまだ知らないから、自分の目で見える世界でしか判断できない。だから自分中心に世界が回っているというふうに勘違いする。自己中心主義という考え方はそこから生じたものだ。

ほとんどの子供は大人になるにつれてそれまでの考えが「井の中の蛙、大海を知らず」であることに気づく。自分中心に世界は回っていないんだな、と。そうやって人は大人になってゆくのだ。その論からすると、中華思想なんて子供の発想みたいなもの。そんな発想をしている大人を「精神的な」大人の目から見れば、今風に言えばあまりにも「痛い」と言わざるを得ない。

ところが報道の仕方はどうだろう。自国の選手の様子は狂ったように何度も報道するくせに、優勝した選手が外国人である場合、その演技についてはおざなりにしか報道しない。おいおい、それでいいのか?

あのさ、なぜその選手が優勝したのかを考えてごらんよ。彼もしくは彼女が優勝したのは、他の選手以上に優れた演技をしたからではないのか?そうした演技こそが見ていて感動するわけだし、美しいのではないのか?マスゴミは日本人選手だからといって予選落ちした演技や競技を放映したりするが、そんなのは申し訳ないけどどうでもよいのである。

力と力がぶつかりあって優れた演技が生まれる。その結果、勝者が誕生するのだ。その勝者がどの国の選手であれ、そんなことは関係ない。たとえ自分の国の選手が勝者でなくてもいいではないか。ワシは自分の国の選手がどうのこうのというより、素晴らしい成績を収めた勝者の演技を見たいのであり、そちらのほうを評価したいのだ。

常にナンバーワンを見ること。これはすべての意味において確かな目を養うのに必要なことであり、そこに民族の要素を介入させるのはもってのほかなのである。仮に入れるとしても、それは二次的要素であるのが望ましいのであって、それを目的にしてしまったら見る目が曇る原因となる。

大して才能もない日本人アーティストに注目し、必要以上にもちあげて報道するのも実は根っこは同じ。マスゴミさん、もっとさ、大局的に物事を見ようよ。悲しいぜ…まったく。
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スピードの魔力

2006-02-13 02:44:36 | 脳みその日常
連日トリノでは素晴らしい闘いが繰り広げられている。オリンピックの種目にはスピード系のものと芸術系のものとがある。いずれも見る者を魅了するが、個人的に好きなのはスピード系種目だ。

先ほどアルペン競技の男子滑降が終了したが、ワシの目はもうその迫力に釘付け。あの急斜面をナント時速120キロで滑り降りるのだ!凄い度胸である。一歩間違えば大けがは確実なのに。でも気持ちいいだろうなと思う。

スピードへの憧れは昔からあった。ガキの頃、冬になればスキーかスケートで遊んでいた。スケートはともかく、スキーといえばもう直滑降ひとすじ。スピードを出しすぎて木に激突するとか小屋に突っ込むなんてことは当たり前。その時は確かに痛いけれど、スピードの魔力には勝てなかった。

大人になった今では、もうスキーもスケートもやらなくなった。飽きたというのが正直な気持ちである。現在その代わりとなっているのが深夜のドライブであることは読者の皆様ならご存知だろう。どちらもスピードでワクワクするのは共通なのだ。

そういえば、スキー選手のなかにはバイク野郎も多い。うーん、やはり考えることは同じなのかもしれないな。もっとも、事故る奴も多いけど…。
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手書きの手紙

2006-02-12 06:45:07 | 脳みその日常
最近、手紙を書いてますか?

前にも書いたように、近年誰かに連絡するには電子メールで事足りている。相手がどんな人であっても関係ない。友人へのくだらない内容のものも、高名な先生宛のもの、さらには海外の出版社であっても、メールはメール。すべてはアプリケーションのメール・ボックスへ保存される仕組みだ。

確かに電子メールは嵩張らないのでジャマにならない。しかし操作ひとつで一瞬のうちに消えてしまう危険も孕んでいる。うっかり消してしまったら、基本的にはもう元には戻せない。電子メールの便利さは消去されてしまう危険と表裏一体の関係にあるといってもよい。

なぜそんなことを書いたのかというと、先ほど部屋を整理していたら昔からの郵便物がゴッソリ出てきたからである。モノによってはかなり変色していたりする。でも、それぞれの郵便物には思い出がある。とっくに忘れてしまっていたことも、その手紙を見た瞬間に当時のことがよみがえってくる。

当時留学していた友人からのエア・メール、今は亡き先生方からの自筆の手紙、知り合いの演奏家からの手紙、外国の出版社とのやり取りの手紙…。次から次へと出てくる。気づけば、貪るように読み返している自分がいた。手書きの手紙の良さはそんなところにある。その手紙さえ見れば、いつでも当時に戻れる。いやー、不思議だねえ。

だが、過去の電子メールを読み返しても、同じような感慨に耽ることは少ない。記録が活字ということもあるだろう。肉筆の暖かみの感じられる文字はそこにはない。仮にその当時の記憶がよみがえることはあっても、そこには思い出せない何かがあるような気がする。

今時こんな考え方は古いのかもしれない。過ぎ去った昔のことなど、もうどうでもよいではないかと言われればそれまでだ。だけど、目の前にある過去の郵便物の束を見たら、簡単に割り切れない自分がそこにいるのもまた事実。うーん、やはりワシは古いタイプの人間なのかな。

といって、じゃあ、手書きの手紙を書いてみようと思わないのが、また悲しいところだ。だって、キーボードをちょいと操作すれば手紙と同じ情報量のメールは完成してしまうんだからね。封筒と切手を用意しなくてもメールは相手に届いてしまうんだし。こうした便利さに負けて現代の人々は手書きの手紙を書かなくなっているんだろうな。良いのか悪いのか…。

ちょいと複雑な気分である。
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いやー、びっくりだぁ

2006-02-11 05:48:42 | 脳みその日常
決して「崎陽軒」のコマーシャルをパクったわけじゃない。え、何のことか分からないって?いいんですよ、わからなくても…ええ、ええ。

金属疲労という言葉がある。経年変化によって金属にヒビが入るというものだ。航空機事故ではよく起こる原因とされる。それと同じようなことがつい最近我が家で起こった。

もちろん金属疲労などというオーバーなものではない。言うなれば「木材疲労」である。20数年使用していたカラーボックスが突然メリメリと音をたてて崩れたのだ!まったくもって青天の霹靂、驚天動地、それに阿鼻叫喚である。こんなことってあるんだねえ。

このカラーボックスには大量の楽譜が詰め込まれていたので、ほとんど雪崩寸前。秋田の温泉にノンビリ浸かっていた観光客の気持ちがわかった。よもや雪崩が起きるなんて思わないもんね。もっとも、ウチでは「未遂」で済んだから良かったけれど。

でも、ボックスの崩壊により他の部分も崩れそうになるという「二次災害」の可能性が出てきたので慌てて新品を購入。思わぬ出費だ。しかし、まあ、20数年も使ったのだからヨシとしなければならない。カラーボックス君、今までお疲れさんでした。

驚くことは他にもある。自分の不注意から今ネットの接続が原始的なダイヤルアップの状態。これではカネと時間がかかってあまりに効率が悪い。21日に光ケーブルが開通するのだが、それまで情報収集の手段は携帯電話で代用することに。

携帯によるネット接続はもちろん時間がかかるものの、パケホーダイに加入しているので、少なくともカネの心配はない。それだけでも助かる。ところが驚いたのはそのパケット料。

調べてみたら、たった9日間で、ナント、1096234パケット!!!

なぬ?ひゃ、ひゃくきゅうまんパケット???

うぉぉぉぉぉぉおおおおお!!!!

あ、ありえねー。

従来の携帯使用時でも月に60~70万パケットだから、この調子で行くと今月は計算上では300万パケットに届くかという勢い。まさにアンビリーバボーである。よかったー、パケホーダイで契約しておいて…。

いやー、びっくりだぁ。
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海沿いを…

2006-02-10 06:10:27 | ドライブ関連
今回は近場をドライブ。まずはお台場へ。本当ならレインボー・ブリッジの写真でもと思ったが、トホホな携帯のカメラではうまく写らない。そこでお台場海浜公園の看板でも。

お台場から青海へは海底トンネルを抜けてゆく。もちろん無料だ。東京湾の下を通っているという感覚はない。ま、考えてみれば恐ろしいことだけれど。

青海からは羽田方面へ行くことが可能。これも海底トンネルになっている。陸に出るとR357につながっている。

そのまま羽田へ行こうと思ったが、そういえば最近、「京浜島のおでん」を味わっていなかったことに気づく。そこで、急遽京浜島へ。

京浜島のおでんは前にも紹介したが、自動販売機で売られているカンヅメのこと。もちろん秋葉原などでも売られているが、一部のファンの間では京浜島の販売機で購入するのが良いとされている。これを「京浜島詣で」と言うらしい。

さて、いよいよR357で羽田空港へ向かう。それにしても、この空港付近の道路はまるで迷路だ。たまに行くとワケがわからなくなるほど入り組んでいる。昼間で、しかも時間に追われている時は、きっとパニックになるだろうなあ。

ご覧のように真夜中だと誰もいない。せいぜい数台のタクシーとパトカーがいるぐらいだ。あとは夜間工事をする人たち。大変だなあ。お疲れさまです。
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