ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

ダムかね?ザワザワ(謎)…金沢ダム

2022-06-30 06:52:25 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県横手市金沢館石(かねざわ たていし)にある雄物川(おものがわ)水系の金沢ダムを訪れます。アクセスは国道13号と並行して走る「みずほの里ロード」から「カントリーパーク/金沢ダム」の道路表示のある交差点を入って行くと到着します。

見えてきました。あれですね。



右岸のダム横に到着しました。まず目を引くのは「秋田県営かんはい(?)事業 金沢ダム 竣工記念碑」と刻まれた石碑。ダム便覧では「金沢溜池」と表記していますが、現地の表記を優先して以下「金沢ダム」と書くことにします。



記念碑の裏側には築造の詳細な沿革などが記されています。それによると、昭和48年(1973年)に起工式が行なわれ、昭和55年(1980年)に竣工式が催されたとあります。その前文として、次のような文言が記されています。

「人と水
  その歴史は古く、きびしく、また尊いものがある。それだけに水わけは、いつも治外法権であった。戦いあり、和解あり、百姓の生きるためのきびしさと美しさ、そして醜さも、それが ”水” である。今、われわれは、この ”水” のもっている美しさと尊さを求め、明日への希いをこめて、この沢に水豊かな人造湖をつくりあげた」

なんだか味のある文章ですね。



記念碑の横には「定礎」と刻まれた小さな石。昭和49年(1974年)8月とあります。



その近くには水利使用標識?の角柱ヴァージョン。このパターンは秋田県のダムでよく見られますね。





竣工記念碑の横にある取水設備付近から見たダムの様子。



右岸、ダム横から貯水側を見ると、こんな感じ。



そして、これがダム上。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た貯水側の様子。空気が澄んでいて、とても美しいです。



一方、下流側は、こんな感じです。



洪水吐は左岸側にあります。越流式ですね。増水すると、水はここから溢れ出て、



この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。写真の白いガードレールの下が洪水吐の水路です。



左岸、貯水側から見たダムの様子。



もうちょっと奥から撮ると、こんな感じ。洪水吐の存在感がわかります。



上にも書きましたが、道路表示も竣工記念碑も「金沢ダム」なのに、なぜダム便覧では「金沢溜池」なんでしょうねえ。不思議だなぁ。ちなみにグーグル先生の地図及び国土地理院の地図では「金沢ダム」と表記されています。

記事のタイトルはダム便覧の中の人の心のありようを表現してみました(笑)特に意味はありません。単なるダジャレ。
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六郷砂防ダムなんですけど〜

2022-06-29 06:55:54 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、昨日の「ユウちゃん」を後にして、いよいよ「湯田ダム」(グーグル先生の地図の表記)へ向かいます。ちなみに国土地理院の地図では「六郷ダム」になっています。アクセス方法は昨日の記事を参考にしてください。

まずはダム下へ行って、その「勇姿」を眺めました。ん? 形状からすると、これは砂防ダムか?



ダム本体には管楽器を思わせるパイプ群が。もちろん、音は鳴りませんよ。



ダム下の副ダムにある堰堤。写真左がダム本体です。



ダム下にある小屋。ドアが完全に外れています。なんか不気味だなあ。考えすぎ?



次にダム横へ向かいます。



これがダム上です。でも、柵があって中央へ行くことはできません。



その脇に嵌め込まれているプレート。「六郷砂防ダム」と記されています。



右岸、貯水側からダムを見ると、こんな感じ。



近くには「六郷砂防ダム完成記念碑」と刻まれた石碑。昭和59年(1984年)10月完成とあります。





実は右岸のダム横で最初に目にするのがこの案内板です。ここはどうやら女神山(めがみやま:標高955m)へ行く登山道の入口らしい。そのルート名は「後ろのツル」。これは旧湯田集落の人々が呼んでいたもので、「後ろ」とは集落の家の玄関が湯田沢に向いていたことから「家の後ろの道」を意味し、「ツル」とは急な上り尾根の細い道を鍋の弦(つる)に例えて表現したもののようです。



その近くには「この湖底に湯田ありき」と刻まれた石碑があります。



その裏には次のような文言が記されています。

「昭和47年(1972年)からの「ガケ地危険住宅移転事業」により湯田集落は廃村。更に砂防ダム工事により、住民の里はダムの底に沈んだ。この思いを察し、追憶の証しとして、町や有志の浄財で、ささやかに記念の碑を建立する。
平成11年(1999年)9月吉日 六郷史談会」



いや〜、こういう文言は心に響きますね。

さらに、その湯田集落で誰がどこに住んでいたのかを示す地図がこちら。



それにしても現場にはちゃんと「六郷砂防ダム」と記されているのに何故グーグル先生の地図や国土地理院の地図には正しく表記されていないんでしょうか。時々そうした事例に出くわすのですが、おそらく担当者が自分の足で現地に行っていないんでしょうねえ。百聞は一見にしかずとはまさにこのことです。
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なぜ、ここに…

2022-06-28 06:59:19 | ドライブ関連
えー、どーも、ワシです。今回は秋田県仙北郡美郷町六郷東根(せんぼくぐん みさとちょう ろくごうひがしね)にある雄物川(おものがわ)水系の湯田ダムに向かうべく県道12号から「六郷温泉あったか山」の看板のあるT字路を入って行きました。す、するとですね、途中にある街灯をふと見ると、



あれあれ、これはどこかで見たことのあるキャラクターですよ! なんだったかな…そうだ、植田まさしの漫画だ!

でも、なぜここにそれがあるんでしょうね。調べてみると植田まさし(1947- )は東京都生まれで、秋田県とは特に関係がないようです。じゃあ、どういうことなんでしょうか。さらに調べていくと意外な「事実」が判明。

まず、このキャラクターの名前は「ユウちゃん」。名前の由来はここ六郷は湧水で有名であること、楽しく遊ぶの「遊」、優れているの「優」、みんなの友達である「友」。これらからカタカナの「ユウ」が採用され、結果として「ユウちゃん」に決まったそうな。

じゃあ、植田との関係は? さらに調べると彼の代表作である『コボちゃん』の主人公、田畑小穂の父親である田畑耕二の出身が秋田県仙北郡美郷町という設定になっていること、また植田の妻がかつてここが六郷町(ろくごうまち)だった頃の町長の姪に当たることがわかりました。ちなみに六郷町は1891年から2004年10月30日まで存在した町で、翌11月1日からは千畑町(せんはたまち)、仙南村(せんなんむら)と合併して美郷町になっています。

なるほど、そういう経緯で「ユウちゃん」は誕生したんですね。なお、「ユウちゃん」は街灯だけでなくマンホールや美郷町のバスにも「登場」しています。(参考)(参考)(参考

納得したところで、明日は当初の目的地である湯田ダムをレポートしますよ!
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石板のリニューアルを!…潟尻ダム

2022-06-27 06:58:11 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県仙北郡美郷町六郷東根下馬転(せんぼくぐん みさとちょう ろくごうひがしね しもうまころばし)にある雄物川(おものがわ)水系の潟尻(かたじり)ダムを訪れます。アクセスは県道12号(花巻大曲線)沿いにあるので迷うことはないでしょう。

ダム名はこの上流に潟尻沼というのがあるのでそれに由来するものかもしれません。なお、ダム便覧では「潟尻第1ダム」と表記されていますが、現場に行っても「第1」の文字は見当たりません。一体「第1」はどこに由来するものなんでしょうか。ちなみに国土地理院の地図やグーグル先生の地図では「潟尻ダム」と書かれているので、ここではそれに準じることにします。

これが右岸から見た景色です。



県道12号を上ってくると右岸のダム横に到着するのですが、そこにはかろうじて「記念碑」と読むことができる石板があります。その下には何やら色々書かれているようですが、かなり風化していて判読不能。その一番下に「昭和41年(1966年)5月建之」とあるので「潟尻ダム」は少なくともその頃かそれ以前に築造されたものと考えられます。





右岸のダム横には何かの小屋。



そのドアには暗証番号をポチポチ押す鍵がついています。



これがダム上です。写真下部に見える柵のところは洪水吐からの水路に架かる橋。



その柵から洪水吐を見ると、こんな感じ。越流式ですね。



そして、増水して洪水吐から水が溢れ出ると、この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。



一方、下流側の景色は、こんな感じです。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



左岸、貯水側から見た様子。



左岸から見たダム下の傾斜具合。



ダム下から「ご尊顔」を撮ってみました。写真左に見えるのは洪水吐から流れ出た水が通る水路です。



上に見た石板の文字が読めないのでなんとも言えませんが、アースダム形式で農業用ため池のようにも見えます。築造からおそらく50年以上経過していると思われるので、そろそろ石板をリニューアルしてもいいんじゃないかなぁ。見学者の個人的見解ですけどね。
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緑に囲まれた仏沢ダム(ため池)

2022-06-26 06:57:09 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県仙北郡美郷町金沢東根仏沢(せんぼくぐん みさとちょう かねざわひがしね ほとけざわ)にある雄物川水系の仏沢ダムを訪れます。アクセスは国道13号の「戸蒔(とまき)」信号を美郷方面へ曲がり、そのまま行くと目的地に到着します。

まずは左岸から見た様子をご覧ください。



順を追っていきましょう。先ほどの道を来ると右岸の貯水側に到着するのですが、ダム横へは少し歩くことになります。そのあたりからダムを見ると、こんな感じ。



右岸のダム横へ行く途中には越流式の洪水吐があります。増水すると、水はここから溢れ出て、



橋の下の水路を通って流れてゆきます。



水路に架かる橋から見た洪水吐の様子。



ダム横まではもう少し歩きます。



あと少しでダム横というところで案内板が。この説明によれば、仏沢ダムは秋田県の県営ため池等整備事業として行なわれ、大規模ため池事業(仏沢地区)は昭和59年(1984年)に着手し平成2年(1990年)に完成。また大規模用排水施設整備事業(善知鳥(うとう)地区)は昭和60年(1985年)に着手し、平成元年(1989年)に完成したと記されています。



その近くには「貯水池築造 記念碑」と刻まれた石碑。上の案内板は要するに改良工事のデータですが、こちらは貯水池そのものを築造した記念碑です。でも、そういえば昨日記事にした一丈木ダムにも同じような記念碑がありましたね。でも、石碑上部の「貯水池築造」の文字がこちらは楷書体であるのに対し、一丈木ダムのほうは篆書体でした。裏に記された築造の経緯と概要の文言は一丈木ダムの記念碑と全く同じです。経緯と概要については昨日の記事をご覧ください。





石碑はまだまだありますよ。これは「湛水潤万頃」(たんすいじゅんばんけい)と刻まれた石碑。「万頃」とは中国の地積の単位で100畝のことなので原典は中国の古典かなあと思い調べて見ましたが該当するものはありませんでした。まあ、意味としては「蓄えられた水は広い地域を潤す」といったところですかね。





その横には「県営ため池等整備事業 大規模老朽ため池仏沢地区竣工記念」と記されたプレート。これは改修工事が完成した記念として設置されたもので、上に書いた案内板の具体的な事柄が下に記されています。すなわち、仏沢ため池(ダム)は築造して50年以上が経過し、その間に風水害や浸透水により老朽化が進行していた。特に取水施設の漏水量は甚大で、また洪水吐に十分な排水能力がないことから洪水時にはため池が溢れる危険もあった。これを放置すると自然災害が発生した場合、かなりの被害が出ることが予想された。そのため、国土の保全、民生の安定、人命の尊重の観点からため池の改修を早急に着手する必要があると判断。昭和58年(1983年)に県営ため池等整備事業として基本計画が採択され、翌年から工事に着手。そして平成2年(1990年)に改修工事が完了したとあります。





この石碑の裏側には仏沢ため池の概要が記されています。



これがダム上。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た貯水側の様子です。ここは前回の一丈木ダムと同じく見事な景色ですが、なぜかため池百選には選ばれていません。



一方、下流側はこんな感じ。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。



左岸側には取水設備操作室があります。





おっ、ここにも暗証番号をポチポチする鍵がついてますね。(一丈木ダムにもありました)



仏沢ダムは付近の道から少し入ったところにありますが、周囲は良い意味で緑がいっぱいの素敵な場所でした。
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水争奪問題解決のために…一丈木ダム

2022-06-25 06:51:55 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県仙北郡美郷町千屋一丈下(せんぼくぐん みさとちょう せんやいちじょうげ)にある雄物川水系の一丈木(いちじょうぎ)ダムを訪れます。ダム名の「一丈木」は右岸側の道路の北側の地名ですが、もしかすると築造した当時はここの地名も「一丈木」だったのかもしれません。地名の由来は不明です。アクセスは県道50号沿いにある「一丈木公園」方面に行くと到着します。

まずは左岸から見たダムの様子をご覧ください。



順を追って見ていきましょう。県道50号から「一丈木公園」方面の道を来るとその道沿いに「一丈木ため池」の案内板があります。一丈木ダムは別名一丈木ため池と呼ばれ、ご覧の通り、ここは日本に21万箇所あると言われるため池から選ばれたため池百選のひとつに選ばれています。一丈木ため池は昭和13年(1938年)に築造され、有名な「あきたこまち」を作る水田に水を供する役割を果たしているそうな。





その案内板からダムへ向かう途中には「一丈木公園」の看板。



のんびり寛げそうですね。



ダムの近くには「記念碑」と刻まれた石碑があります。その上部には篆字体で「貯水池築造」の文字。





その裏を見ると築造の経緯と概要が記されています。要約すると以下の通り。

高梨村、畑屋村、千屋村、六郷町、飯詰村、金澤村、西根村は仙北郡枢要の地で、広汎なる田地を有している。しかし分水設備の不備からこれまで灌漑用水を奪い合う争いが絶えなかった。そこで分水設備を改善し、水争奪の紛議の禍根を断つべく上記の七町村の首長が話し合いを行ない、畑屋村仏沢及び千屋村一丈木に2つの貯水池を築造することに決まった。そして秋田県の県営事業として昭和5年(1930年)9月に仏沢貯水池の工事に着手。次に昭和7年(1932年)に一丈木貯水池の工事に着手し、昭和13年(1938年)5月に竣工した。

なるほど、やはりここの溜池の築造にも水利権が絡んでいたんですね。

そんなことを思いながら、いよいよダム上に向かいます。これが右岸から見たダム上です。写真に見える白いガードレールの下が洪水吐から流れ出た水を流す水路になっています。



その洪水吐がこちら。越流式です。



そして、溢れ出た水はこの水路を通って、あちらへ流れてゆきます。



洪水吐の水路に架かる橋を渡るとダム上はこんな感じで、細い通路になっているんですが、



ダム上、中央に来た時、通路の硬さが急に変わりました。その境目がこちら。写真中央を境に微妙に色が違うのがわかるでしょうか。写真左が右岸側で、そこから中央まで地面は硬かったのですが、中央を境に急にフワフワした感触になったのです。おそらく改良工事はここを境に行なわれたのかもしれませんね。



で、そこから溜池(貯水池)を見ると、こんな感じ。なるほど、ため池百選に選ばれるだけことはありますね。美しい!



一方、下流側はというと、うーむ、森だ…。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じです。



左岸、下流側から見たダムの様子。



同、貯水側には取水設備の建物でしょうか。



そのドアには暗証番号をポチポチする鍵がついています。(のちにわかることですが、これは近隣のダムでも採用されていました)



先ほど見た「一丈木ため池」の案内板の隣には2つの貯水池、即ち「一丈木ため池」と「仏沢ため池」の位置関係を示す地図があります。



「仏沢ため池」も一応ダムのようなので、これは次回の記事で紹介しようと思います。
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のんびり寛げます!…杉ノ沢ダム

2022-06-24 06:53:13 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県横手市大森町板井田北ノ沢にある雄物川水系の杉ノ沢ダムを訪れます。アクセスは県道36号から「ショートステイ くつろぎの里おおもり」前の二又に分かれる道を左へ入り、しばらくするとまた二又に分れるので小さな橋を渡って道なりに進みます。そしてしばらく行くと目的地に到着します。

まずは左岸から見た杉ノ沢池の様子をご覧ください。



順を追って見ていきます。道なりに進んでくると杉ノ沢ダムの右岸に辿り着くのですが、右岸側には「水清翠豊」と刻まれた石碑があります。「水、清らかにして翠(みどり)豊かに」とでも読むのでしょうが、ざっと調べた限りでは何処かからの出典というわけではなくオリジナルのようです。



その裏を見ると、杉ノ沢ダム(溜池)建設の経緯と諸元が記されています。それによるとこの溜池は昭和10年(1935年)に秋田県の県営事業として築造されたものであるが、老朽化が著しくあちこちから漏水するようになったため秋田県が事業主体となって「杉ノ沢地区老朽ため池整備事業」として昭和53年(1978年)から改修工事に着手し、昭和56年(1981年)に竣工したと記されています。



右岸には取水設備操作室と思しき建物があります。その壁には農業用水路と書かれているので、杉ノ沢ダムは農業用水を溜めるためのダムということがわかります。





その付近からダム上を見ると、こんな感じ。



右岸、ダム横に来ると、そこには立派な洪水吐があります。越流式ですね。増水すると、水はここから溢れ出て、



この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



これがダム上。歩いてみましょう。ガードレールのあるところの下が洪水吐からの水路になります。



ダム上、中央から見た杉ノ沢池の様子。



一方、下流側は長閑な景色が広がっています。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



左岸から下流側を見ると、こんな景色です。



ダムといっても農業用のため池なので先ほど見た石碑以外には特に案内板があるわけではありません。でも、周囲はホントに長閑で、のんびりくつろぐことができます。
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見せねえつもりだな…神代ダム

2022-06-23 06:55:01 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県仙北市田沢湖卒田(せんぼくし たざわこ そつだ)にある雄物川(おものがわ)水系の神代(じんだい)ダムを訪れます。アクセスは国道46号沿いにある「夏瀬温泉 都わすれ」の看板のあるT字路から入り、狭いクネクネ道をしばらく進むと道は二又に分かれるので右に進んで行くと目的地に到着します。

ダムの敷地のすぐ手前には「国土交通省 神代ダム水質観測所」があり、





敷地正門の横には水利使用標識があります。水利使用の目的は発電なので調べてみると、ここから直線距離にして4.0km下流にある神代発電所へ玉川とは別の水路を通って発電のための水が供給されるようです。



ちなみに上のリンクによれば神代発電所の竣工は1940年で、当時そこは秋田県仙北郡神代村だったことから神代発電所と命名されたようです。そして今回のダムの名称は神代発電所の取水ダムということで神代ダムとなったと思われます。ただ、神代村は1899年4月1日から1956年9月30日までの名称で、同日から仙北郡生保内町(おぼないまち)、同田沢村と合併して田沢湖町となります。ところがその田沢湖町も2005年9月20日に仙北郡角館町(かくのだてまち)、同西木村(にしきむら)と合併し、仙北市になっています。

で、正門から入ろうとしたのですが、基本的に立入禁止らしい。



正門の先に見える建物が管理所のようですが、



ここでも昨日記事にした夏瀬ダムと同じく「テレビカメラ監視中」の文字。いや、だからライヴ中継してんのかい! 御用の方は連絡くださいと書かれていますが、わざわざ連絡してまで敷地内へ入りたいとは思わないのでここで断念します。



それでも、ここからダムは見えないもんかなあと背伸びしてみたら、ほんのちょっとだけダムの頭が見えました(写真中央)。



むむむ、東北電力も見学者の敷地内への立ち入りは極力拒むんですなぁ。がっかり。
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オススメしません!…夏瀬ダム

2022-06-22 06:55:17 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県仙北市田沢湖刺巻(せんぼくし たざわこ さしまき)にある雄物川(おものがわ)水系の夏瀬ダムを訪れます。アクセスは国道46号沿いにある「夏瀬温泉 都わすれ」の看板のあるT字路から入り、狭いクネクネ道をしばらく進むと道は二又に分かれるので左の道を進みます。さらに林道のような細い見通しの悪い道を玉川に沿って行くと夏瀬発電所に到着しますが、夏瀬ダムはその奥にあるので発電所の脇を進んで行きます。


地図で見るとわかりますが、夏瀬ダムは昨日記事にした鎧畑ダムの下流に玉川を堰き止めて築造されたダムです。ダム名は下流の地名に由来するものと思われます。

で、到着したはいいんですが、ご覧の通りゲートが閉まっていてダムに近づくことはできません。写真中央にちょっとダムの頭が見えるだけに悔しい!



東北電力が管理するダムのようです。



「テレビカメラ監視中」…って。放送しとんのかい! それを言うなら「監視カメラ作動中」でしょうが。



上のリンクの内容を信用するなら、夏瀬ダムは1940年に竣工したとあるので上流にある玉川ダムや鎧畑ダムよりも前に築造されていたことになります。それはさておき、狭い林道を緊張しながらやって来た末、結局ダムを見ることができなかったという脱力感! 思わず「嗚呼!」と呻きました。
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酸性水と闘う!…鎧畑ダム

2022-06-21 06:54:01 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は秋田県仙北市田沢湖玉川にある雄物川水系の鎧畑(よろいばた)ダムを訪れます。ダム名はすぐ下流の地名に由来するものと思われます。アクセスは国道341号沿いにある「鎧畑ダム管理事務所」の表示のあるところを入っていくと3kmほどで到着します。

まずはダム下から見た「ご尊顔」をご覧ください。訪れた時は放流の真っ最中で、玉川が溢れるんじゃないかと思うほどでした。



ダムに近づいてきました。右岸から見ると、こんな感じ。



ダム横を通り過ぎて、右岸の奥に行くと鎧畑ダムの管理事務所があります。プレートの文字を白抜きにすればいいのに、そうしないので写真ではよく見えませんね。





そこからダムを見ると、こんな感じ。空気が実に澄んでいます。



で、これが右岸から見たダム上。クルマでも行けそうですが、ここは敢えて歩いて行きます。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。いや〜、ホントに美しい! この上流に行くと昨日記事にした玉川ダムがあるんですね。



ダムの真下を見ると凄い勢いで落水しています。



下流側の遠景。ね、川が溢れそうになっているでしょ?



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな景色です。



左岸、下流側から見た様子。写真中央にアンテナらしきものが見えますね。あとで行ってみましょう。



同、貯水側から見たダムの様子です。日光の関係なのか、水面に映ったダムの姿がまたビューリホー。



左岸の貯水側に進むと独特なフォルムの慰霊碑があります。ダム建設中に亡くなられた11人の名が刻まれています。慰霊碑の建立が1958年3月なので、鎧畑ダムの築造はそれ以前と考えられます。合掌。





慰霊碑の横には、これまたユニークなものがあります。なんでしょうね。



そこに貼られているプレートの文字を読んでみます。これは鎧畑ダムの概要が記されています。転記すると

「鎧畑ダムは雄物川全体計画の一環として、玉川下流及び雄物川中流地域に対する洪水の防禦を主目的とし、併せてこの貯水池を利用して発電所を建設し、阿仁田沢地区総合開発の根幹とするために築造された。ダムサイドは基礎岩盤が不良であり、河水は強酸性を有していたが、基礎岩盤に対しては徹底的なるセメント注入によりこれが強化をはかり、酸性河水に対しては対酸性セメント及び鋼材を使用し、技術的に完全にこれらを克服してダムを完成したのである。
  昭和32年(1957年)10月 建設省東北地方建設局」



もうひとつのプレートには鎧畑ダムの諸元が刻まれています。全体写真ではよく見えないので部分を拡大したものも併せて載せておきます。これによると、着工は1952年5月で、竣工は1957年10月と記されています。







さて、先ほど気になっていた下流のアンテナのあるところに行きました。入口には「玉川ダム管理所 鎧畑無線中継所」「鎧畑ダム管理事務所 変電所」のプレートが。



これが先ほど見たアンテナを下から見上げると…。



そういえば、上に転記した概要の中で「酸性河水」とありましたが、このあたりの国道341号を走っていても独特なニオイがしました。それはよく間違って言われる「硫黄のニオイ」なんですが、正しくは硫化水素のニオイなんですね。硫黄そのものにニオイはありません。そのニオイで思い出したのは、ここ玉川には「玉川温泉」というのがあったなということ。玉川温泉はその酸性が確かリューマチなどの神経疾患や皮膚病に効くと何かで読んだ記憶があります。

なるほど、「玉川ダムと鎧畑ダム」と玉川温泉はこうして繋がっていたのか…。ひとり納得。
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色々楽しい!…玉川ダム

2022-06-20 07:08:52 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県仙北市田沢湖玉川(せんぼくし たざわこ たまがわ)にある雄物川(おものがわ)水系の玉川ダムを訪れます。ダム名はそこを流れる玉川に由来します。アクセスは国道341号を進んで行くと「玉川ダム」の表示があるのでそこから入ると右岸のダム横に到着します。

ダム横へ行く前に、まずダム下へ行ってみます。これが「ご尊顔」。



非常用洪水吐をアップで撮ってみました。



ダム下には玉川発電所があります。1990年6月1日運転開始だそうで。



玉川発電所のあらましが表示された案内板。秋田県が運営する発電所で14番目に作られたものだそうです(参考)。説明文には書き手の優しさが感じられますね。



近くには水利使用標識。



では、ダム横に向かいます。先ほど書いた道を行くと最初に目にするのが展望台の建物です。



「カリヨンの鐘」とありますが、カリヨン(carillon)それ自体が鐘という意味なのでこの表記は「鐘の鐘」みたいになるので、おかしいんですけどね。



展望台に登り、そこからダムを見るとこんな感じ。ちなみに上の写真の説明にある通りカリヨンを手動で鳴らすことができるので何も考えずに鳴らしてみると…いやいや、これ、めちゃくちゃデカい音がするんですよ。恥ずかしいったらありゃしない。ご注意ください。



嫌な汗が出たところで、さらにダム横へ近づきます。そこには玉川ダムの案内板が。ダムの大きさを表現するには東北地方だと東京ドームなんですね。関西だと大阪ドームとか甲子園球場だったりして地域性が出ていて面白いです。







その近くには「ダム湖百選」のプレート。ダム湖名は宝仙湖だそうです。



ダム横にあるこの建物は玉川ダム資料室。





その奥には玉川ダム管理所の建物があります。





まだダム上には行きませんよ。資料室の前には玉川ダム竣功記念碑があります。デザインのセンスが良いですね。



その隣には平成元年度土木学会技術賞受賞記念の碑。受賞の根拠となったのはこのダムはRCD(Roller Compacted Dam-concrete)工法が採用されたことだそうです。





その付近からダムを見ると、こんな感じ。



右岸、宝仙湖側から見たダムの様子。



さて、いよいよダム上を歩きます。



ダム上の欄干には先ほどのRCD工法の説明があります。国土交通省が独自に開発した工法で、従来の工法よりも時間とコストを大幅に短縮できるものだそうです。説明がとてもわかりやすいですね。



で、指示されたようにダム下を見ると、ご覧の通り公園にはRCDの文字が。



そしてダム下の副ダムのところには先ほど見た玉川発電所の建物があります。



国土交通省の管理するダムに共通なのは細かいところまで説明が行き届いていることです。教育的配慮なのかもしれませんが、非常に好感が持てますね。

観測計器室




エレベーターハウス




ゲートハウス




ダム上、中央から見た宝仙湖の様子。うん、美しい!



一方、ダムの真下を見るとこんな感じ。



そして、下流側の遠景。



左岸の斜面には「玉川ダム」の文字。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



左岸、宝仙湖側から見たダムの様子。



同、下流側からダムを見ると、こんな感じです。




資料館の前には「玉川ダムまめ知識」の案内。マスコットキャラクターのロンくんとルンちゃんは日本と台湾のハーフなんですね。でも、なぜここで台湾が出てくるんでしょうか。



【辰子伝説】(参考
疑問に思ったので調べてみました。まず彼らの母親である「田沢湖の辰子(たつこ)」には次のような伝説がありました。田沢湖はその昔は田沢潟と呼ばれていたそうですが、院内(現在の湯沢市西部)に辰子という美しい娘がいたそうな。彼女はその美貌を保ちたいと思い、密かに大蔵観音に百度参りの願をかけていたところ最終日の夜に「北に湧く泉の水を飲めば願いが叶う」とのお告げを受けます。

そこで辰子はワラビを摘むと言い残し、ひとりで院内岳(いんないだけ/秋田県仙北市田沢湖潟:標高750m)を越えて深い森を進んで行くと苔生す岩の間に泉が湧いているのを発見する。彼女はこれがお告げの水だわと思い、掬って飲むとますます喉が乾いてしまい、ついには泉が枯れるほど夢中になって飲み干してしまう。そして気づけば彼女は龍になっており、やがて田沢潟の湖底に沈み、主となったという。

ついでに言えば、娘が帰宅しないのを案じた母親は娘を探しに田沢潟のほとりにやってくると娘が龍になってしまったことを知ります。そして悲しみのあまり持っていた松明を湖に投げ捨てると、松明は魚になって泳いでいったという。これはのちにクニマス(国鱒)と呼ばれるようになったとか。ふぅ〜ん、すごい伝説だねえ。

次にロンくんとルンちゃんの父親である八郎太郎について調べてみました。八郎太郎は八郎潟の主と言われる龍ですが、もちろん元は人間でした。その生誕地には諸説あるようですが南秋田郡大潟村のサイトによれば八郎太郎が生まれたのは秋田県鹿角市十和田草木保田(かづのし とわだ ぼった)だそうです。あれれ、上の写真の案内板には台湾の清澄湖出身と書かれていますが、これはどういうことなんでしょうね。謎だなぁ。八郎太郎の詳細については大潟村のサイトに詳しく記されているので興味ある方はご覧ください。

いずれにしても、伝説によれば毎年秋の彼岸の頃に八郎太郎が田沢湖にやって来て辰子と過ごすため、主のいない八郎潟は凍りつき2人のいる田沢湖は冬の間は凍らないというのは興味深いですね。

ついでに書くと田沢湖と台湾の高雄市内にある清澄湖(せいちょうこ)が姉妹湖の提携を結んだのは1987年11月4日なのですが、そもそもどういう経緯で提携を結んだのでしょうか。どうやら以前「旧田沢湖町で開かれた国際シンポジウムで、パネリストが湖を縁に台湾と交流してはどうかと提案したのがきっかけ」だったようです。日台間で姉妹都市を提携すると中国からの圧力と妨害が懸念されたが湖同士なら問題はなかろうということで提携に至ったそうな(参考)。

そして、その前の同年6月には玉川ダムの本体コンクリート打設が完了したことでマスコットキャラクターを設定するにあたり八郎太郎を姉妹湖である清澄湖の出身ということにすれば両湖の友好関係に寄与すると考えたのかも。そう解釈するとまあ合点がいきますね。かなり強引な設定のように思えますが。
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寄木で見つけたレアな床固工

2022-06-19 06:55:10 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は偶然見つけてしまったものをご紹介します。場所は秋田県横手市大森町八沢木寄木(おおもりまち やさわぎ よりき)の広域関連農道を走っていると、こんなものが目に入りました。



農道から少し入った山の斜面に堰堤らしきものがあるじゃ、あ〜りませんか! もうね、吸い寄せられるように近づいていきます。ああ、確かに砂防堰堤のようです。



堰堤本体にプレートがあるので近づいてみます。「平成31年度 復旧治山事業(寄木) No.1 コンクリート床固工 秋田県」とあります。



左岸、下流側から見た様子。



同、上流側から見ると、こんな感じ。



床固工の上、中央から見た上流側の様子です。おそらく以前にこの奥から土砂が流出したんでしょうね。



一方、下流側の景色。向こうに見える道路が広域関連農道です。



基本的に他府県に関してはダムもしくは堰堤のみを記事にしていますが、うっかり見つけちゃった場合は記事にします。もちろん、この床固工はグーグル先生の地図にも国土地理院の地図にも載っていないレアものです。でも、そんなのばかり探していたらキリがないので他府県を訪問した際にはできるだけ見ないようにしているんですけどね〜。
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ダムより木…寄木ダム

2022-06-18 06:58:04 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県横手市大森町八沢木寄木(おおもりまち やさわぎ よりき)にある雄物川(おものがわ)水系の寄木ダムを訪れます。ここはダム便覧には載っていませんが、グーグル先生の地図で見つけたので行ってみました。アクセスは県道164号から「武道(ぶどう)」方面へ行く広域関連農道へ入り、そのまま進むと到着します。

農道といっても実際にはフツーの道路なので快適にクルマを走らせていると寄木ダムは左側に見えてきます。ダムへ下りる細い道がありますがリスクを考慮してクルマはその付近に停めます。そこからダムを見ると、こんな感じ。



ここからは歩いてダムへ向かいます。30mほど歩くと左岸のダム横に到着します。これがダム上になります。



左岸、貯水側からダム上を見ると、こんな感じ。新緑が眩しい!



ダム上、中央から見た貯水側の様子。



一方、下流側はもう緑、緑、緑!



対岸(右岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。向こうに見える電柱のあるところが農道。



写真ではわかりにくいですが、洪水吐は右岸側にあります。写真中央が洪水吐。排水路はもちろんあるんでしょうが、それは草で覆われて全く見えず。



このダムに関してはほとんど情報がありません。実際現地でも表示板もしくは案内板すらありません。上に書いた通りグーグル先生の地図に出ていたので行ってみたわけですが、見どころはほとんどなし。まさにマニア向けのダムという気がします。
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回り込む洪水吐…葛ヶ沢ダム

2022-06-17 06:58:04 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県横手市大森町八沢木葛ヶ沢(おおもりまち やさわぎ くずがさわ)にある雄物川(おものがわ)水系の葛ヶ沢ダムを訪れます。アクセスは県道29号沿いにある電波塔の近くの交差点を北方向へ入り、突き当りを左折します。そして八沢木郵便局の先のT字路を右折。しばらく行くと二股に分かれる道があるので右方向へ行くと目的地に到着します。

まずは左岸から見た全景をご覧ください。



順を追って見ていきます。先ほど書いた道を来るとダムの右岸に到着します。この橋の下に洪水吐の水路が通っています。向こうに見えるクリーム色の建物は見張所かな?



橋から貯水側を見ると、こんな感じ。越流式の洪水吐が手前に見えますね。増水すると、水はここから溢れ出て、



あちらへ流れてゆきます。



見張所らしき建物の壁にはこんな表示が。ちなみに「平鹿郡(ひらかぐん)」とありますが、〇〇郡△△村のような地域区分名称として存在したのは2005年9月30日までで、それまで平鹿郡に属していた増田町、平鹿町、雄物川町、大森町、十文字町、山内村、大雄村(たいゆうむら)が翌日から横手市に合併したため平鹿郡は消滅。現在はありません。この表示からわかるのは、葛ヶ沢ダムは少なくとも2005年9月30日以前に築造されたということ。また「農業用水路」という表示があるので同ダムは農業用水確保のために築造されたものであることもわかります。



近くには「碧水無盡」と刻まれた石碑があります。昭和45年(1970年)11月とあるので葛ヶ沢ダムの築造年はこの頃かもしれませんね。なお、「碧水無盡」とは文字通り訳せば「青き水は尽きることがない」と言った意味になります。その出典は何かなとネットで調べてみると中国北宋時代の詩人、政治家である晏殊(あんしゅ:991-1055)が作った漢詩『蝶戀花(ちょうれんか)』の訳文に「碧水無盡」が出てきます。これが原典なのかはなんとも言えませんが。



ダム上、中央から見た貯水側の景色です。



一方、下流側の景色。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



葛ヶ沢ダムはダム便覧に載っているものの、実際に現地へ行ってみると諸元などを示す案内板はありません。まあ、居心地は良いですけどね。
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マニア向け?…大木屋ダム

2022-06-16 06:54:08 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県横手市大森町八沢木下石高(おおもりまち やさわぎ しもいしだか)にある雄物川(おものがわ)水系の大木屋(おおごや)ダムを訪れます。ここはダム便覧には掲載されていませんが、グーグル先生の地図を見ていたら載っていたので行ってみることにしました。ダム名は左岸側の地名に由来するものと思われます。

ダムへの入口は県道29号から入るのですが、そのあたりからダムを見ると、こんな感じです。



ただ、その入口を示す看板のようなものはありません。なので説明が難しいのですが、目印としては入口の横に「前田浄水場」の建物があるのでそれを目指すと良いと思います。ちなみにこの浄水場の水源はダムの水で、急速濾過され塩素消毒されて水道水として供給されるようです。(参考



ダムへの入口からは徒歩で向かいます。そして、そのあたりから貯水側を見ると、こんな感じ。ご覧のようにダムの周囲はホント木だらけ。



県道から歩いて1分ほど下るとダム横に到着します。これがダム上。草だらけで道らしきものはありません。



ふと見れば、右岸側に洪水吐があるのを発見。越流式で、訪れた日には少量の水がシャーシャー流れていました。ただ、排水路は草に覆われて見えず。



ダム上の草をかき分けながら中央へ進みます。そしてその付近から貯水側を見ると、こんな感じ。



一方、下流側の景色は当然草だらけ。



ようやく対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じです。向こうに見えるのが先ほど書いた前田浄水場。



ご覧のように、ここにはダム名を記した看板はありません。ましてや案内板すらもありません。ネットで検索しても有益な情報は1つもヒットしません。言うなれば大森町の一部の人々のための貯水池なのかもしれませんね。それはそれで必要なものなのでしょうが…。
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