ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

脳内ターボ全開!

2007-06-24 05:06:26 | 脳みその日常
唐突な原稿依頼でヒーヒー言っている今日このごろ。それもタイトすぎる締め切り。うーん、きっと誰かに頼んで断られたのがコチラに回って来たのだろうな。それか編集者がうっかり原稿依頼するのを忘れていたか…。今回はそのヒトコマを再現してみよう。

ほぼ一週間前、知らない編集者から突然の電話。

「あのー、突然で申しわけないんですが原稿を書いていただきたいと…」
「はぁ、いいですけど、その内容と締め切りはいつですか?」
「内容については後ほどFAXかメールでお知らせします」
「わかりました。それで締め切りは?」
「えーと…、それなんですが…、今週の木曜日でお願いしたいんですけど」
「はあ? というと、21日?」
「え、えぇ…」(消え入りそうな声)
「…わかりました。とりあえず何とかしてみましょう」
「お引き受けいただけるんですか? あ、あ、ありがとうございます!」

しばらくして送られて来たメールを見て、ちょっと焦る。それは、いわゆる企画モノというやつで、30曲の曲目解説と演奏者20人のプロフィールを書かなければならないらしい。さてさて、大丈夫か?ワシ。

不安にかられたのには理由があった。近年体力と集中力の低下のせいか、原稿を書くスピードが著しく遅くなっているからだ。ほんの5年ほど前なら1日に20枚ぐらいは余裕でこなせた。

ところが最近は違う。頑張ってもせいぜい日に10枚程度。ほかにも頼まれている仕事があるので、この原稿に取り組むのは正味2日間ぐらいしかない。依頼された枚数は30枚。うーむ、ちと厳しいな。

この手の原稿で困るのはマイナーな曲が入っているケース。資料がないぶん、探すのに時間がかかる。送られて来た曲目リストをチェックしてみたら1曲だけ「お荷物」があった。さて、どうやって調べようか。

さらに演奏者のほうにも「お荷物」が…。20人中3人ほど資料検索困難と思われる人が入っていた。おぉぉぉぉ、ますますピンチ! 一体どうなる、ワシ。

で、締切日の木曜。丸2日の徹夜はかなりしんどいが、朝になっても原稿は終わらない。焦ったところで始まらないのはわかっている。でも焦る。

午前10時きっかりに編集者からメールが。

「お原稿のほうはいかがでしょうか」

アンタは鬼ですか! ま、そう言いたいところだが引き受けてしまった以上文句は言えない。おそらく向こうも相当焦っているのだろうな。やむを得ず「昼までに入稿します」と返事する。

そう返信したはいいが、終わる見込みはない。疲労は既にピークを超えていた。

その時だった。脳みそのなかで何かがハジけたのである。突如脳みそにターボ・エンジンが組み込まれたかのよう。もうね、はかどる、はかどる。アンビリーバボーな気分だった。

そんなこともあって、原稿は昼までにめでたく入稿。いやー、ホント、どうなるかとヒヤヒヤしたですよ。

脳内ターボ・エンジン、ありがとう!
コメント

どう生きるか

2007-06-19 23:58:58 | 脳みその日常
例の「歌い方教室」で教えた曲のなかに《千の風になって》がある。これは生徒さんの要望で取り上げた曲なのだが、ワシにとってはツライことこの上ない。故人のことを歌っている曲だからである。

何かイメージが重なるのだ。おまけに今日は命日。お宅を訪問し、お母様とお話をする。今年で七回忌だというのにお母様は故人を思い出しつつ涙ぐんでいらっしゃる。改めて愛情の深さを感じた。驚いたことにお母様の口から《千の風になって》って曲は悲しいですねという言葉を聞く。あぁ、やっぱりそうなのかと思う。

この日には故人の友人から相変わらずお花が届いていた。こういうのを見ると、ある言葉を思い出す。

「人は二度死ぬ」

最初は肉体的な死、二度目は思い出からの忘却。つまり、まず人間は肉体としての死を迎えるが、人々の思い出のなかに故人はまだ生き続けている。だから肉体はなくなっても人々の記憶の中では生きているのだ。そして身内や友人などその故人の記憶をもっている人が実際に亡くなった時、本当の死を迎える。

ここで注目なのは、最終的な死を迎える時間が長い人ほど、その人の生前の人徳なり人柄が優れているという点だ。これは故人の頭の善し悪しとかそういうものではない。いくら生前キレ者であっても、心の貧しい人だったり自分本位で生きた人は最終的な死が意外なほど早く訪れる。

本人にしてみれば「もう肉体的に死んでいるんだから関係ないさ」と言うだろう。まあ、そうかもしれない。でも周囲の人が故人に対して抱く気持ちまでは、いくら本人でもどうすることもできない。逆に故人が周囲の人から「いい人だったね」と思われたいとしても、周囲の人がそう思わなければオシマイ。

要は肉体的な死までは自己アピールや自己評価で何とかなるかもしれないが、そこから先は他人の評価に委ねるしかないということ。ということは、つまりその人の本当の価値とは周囲の人々の記憶の長さに比例するということなのではないか。

どちらの生き方を選択するかは自由。どちらが良いとか悪いということではない。ただ、ワシは「善く」生きたいと思う。「善く」生きるとは善人ぶる意味ではない。少なくとも自分の気持ちに正直でありたい。あとは周囲がワシを判断してくれるだろう…。
コメント

三鷹の星

2007-06-17 05:13:54 | ドライブ関連
JR三鷹駅の南口から真っすぐ南下する通りで見つけたモノ。なんと、ビルの屋上に星が不時着していた(笑)一体こんなところに何故…。

意味がわからんのですけど。
コメント

躾けるべきは…

2007-06-12 19:39:43 | 脳みその日常
パーティーは終わった。頼まれていた挨拶も何とかこなし、やれやれである。それにしても人前で話すってのは何度やっても慣れない。苦手だなあ。ひとり静かに原稿を書いているほうがラクチン。つくづく思う。

それはさておき、近年教育現場をはじめ、子供の躾(しつけ)について様々な議論がなされている。少し前、知り合いの小学校校長と会った際、この問題の「実情」を聞いた。いわば現場の声である。部外者ではわからない話、そしてその対策についても色々と伺った。

同じ日、小中学生をもつ友人とも話す機会があった。上の問題についても話を聞いたが、同じ問題といっても彼は父兄の立場で語る。だから学校側の見解とは正反対。そりゃそうだ。でもこうして両者の言い分を聞いてみて思うのは、立場が違うのだから互いに責任のなすり付け合いをするのもやむを得ないなと。

どちらが正しいわけではないし、どちらを支持するつもりもない。ただ、両者の発言を聞いて感ずるのは、躾をすべき立場の人間がそもそも「なってない」ということ。両者に共通するところがあるとすれば、残念ながらそこである。

そもそも大人であっても社会常識に欠ける者は周囲を見渡しただけでもかなりいる。たとえば他人に世話になったら感謝の気持ちを伝えるのは当然のこと。それは何も豪華な贈り物をせよということではない。「ありがたい」という気持ちが相手に伝われば手段は何でも良いのだ。むしろ何のリアクションもしないほうが失礼極まりないことなのである。

仕事における通常のコミュニケーションでも同じこと。今や電子メールの時代。相手からの用件に対してできるだけ早く諾否を伝えるのは常識、いや、礼儀である。こんな簡単なことがなぜできないのだろう。どんなに忙しくたって諾否を伝えれば済むことなのに。

興味深いのは、以上の例に限ってみてもクイック・レスポンスができない奴は社会的に成功していないのがほとんどだということ。何をもって成功とみるかは難しいかもしれない。しかし、即座にレスポンスする奴のほうが少なくとも社会的信用はあるのは確かだ。

それと躾がどう結びつくのかって? そもそも子供は親の背中を見て育つ。子供は大人が想像する以上に大人を「観察」しているのだ。だから彼らは「コイツはダメな大人だな」と思えば容赦なくナメるし、良い意味でも悪い意味でも大人のマネをする。「大人(教師、親)があんなにいい加減なんだから、こっちがちゃんとする必要はない」と。

もちろん例外はある。それは子供が「ダメ大人」を反面教師としてみなす場合だ。「ああいうダメな人になっちゃあ、いかんな」と子供心に感じるので、彼らは自らを律し、立派な(フツーの)大人に成長する。まさに賢い子供である。

でも、そんなのは本当に少ない。ダメ大人たちが自分のことを棚に上げて、子供に一縷の望みを託したって、ムダムダ。だから自分が「ダメ大人」という自覚があるのなら、いや、なくても「先ず隗より始めよ」の精神で自己改革すべきではないだろうか。

ちなみにこの故事成語は現代では「言い出した者から始めよ」という意味で使われるようだが、本来の意味は「手近なものから始めよ」である。ワシはまさに言い出しっぺなので、現代的な意味で捉えて「フツーの大人」を目指そうと思う。
コメント

八雲の暗闇に光る「目玉」

2007-06-07 05:57:52 | ドライブ関連
目黒区八雲付近を走行中、不気味に光る「目玉」を発見! なんだ、なんだ、何事だ?と思って近づいてみた。ここはかつての都立大学の跡地。現在では「めぐろ区民キャンパス」として利用されている。ああ、そういえば敷地内には「めぐろパーシモンホール」ってぇのがあったな。

それはそうと、当の「目玉」の正体は何なのだろう。帰宅して調べてみたら、あった。当該サイトによれば、「平成14年に旧制府高と新制都立大の同窓会により旧正門の奥に設置された、「燦燦」と題された記念モニュメント」らしい。

ほぅほぅ、なるほど。昼間の写真で見れば何てことないモニュメントだな。でも深夜だと、まるで「光る目玉おやじ」。こえー、こえー。もちろんコイツが「オイッ、鬼太郎!」などと高音で言うわけは…ない! そりゃ、そーだ。

で、そのモニュメントに面した道の反対側を見ると、こぢんまりとしたスペイン田舎料理の店がある。その名は、たぶん、というか絶対、いやきっと「グラナダ」と読むのだろうが、横線の微妙な傾き具合から「グラメダ」と読めなくもない。ったく、ハッキリしねーな。

ネットの情報によると、ここは子供不可らしい。それはいいとしても、笑ってしまったのは次のコメント。「時々シェフはスペインに修業か仕入れに出てしまう」オイオイ、シェフさん、きわめて気ままじゃねーか。ま、スープはうまいらしいので、行きたい方はどーぞ。
コメント

つ、つい出来心で…(?)

2007-06-05 05:55:02 | CD/DVD
たまにはディスクの紹介を。

いや、特に珍しいモノではないのだが、これはジャン・フランチェスコ・マリピエーロ(1882-1973)の弦楽四重奏曲全集。二枚組でありながら、価格は何と980円! さすがは天下の(?)ブリリアント・クラシックスである(笑)

演奏はオルフェウス弦楽四重奏団で、録音は1991年。ま、そんなデータはどうでもいい。むしろ面白いなと思ったのは《第8番》(1963/4)のこと。この曲は言うまでもなく単一楽章で書かれているが、面白いのはその最終部分。なんと、そこで登場するのはベルクの《ピアノ・ソナタ》の冒頭動機なのだ。あ、そんなこと知ってたって? そーですか、そりゃ失礼、失礼。

似たモノついでに、思い出したので、もうひとつ。ドビュッシーの《練習曲》第3番の途中で出てくる音型がさ、スクリャービンの《ピアノ・ソナタ第8番》のなかにもあるんだわさ。急速に下行する連続アルペッジョの音型。両者が全く同一というわけじゃないけど、極めて似ているんだよね。作曲年代的にはスクリャービンのほうが早いから、ドビュッシーがついついパクッてしまったのかも。いやいや、そりゃ失礼だな。ここではインスパイアされたと言っておこうか。ま、パクリなんて他にもたくさん例があるから別に珍しいことじゃないけどね。あ、インスパイア、インスパイア…。

マリピエーロ、ドビュッシー、それぞれの「犯行の動機」については現在調査中である。しばし待たれよ。

(業務連絡)
こちら大佐。スネーク、事実関係が判明次第、至急報告せよ!
コメント

キューティクル・スクラム

2007-06-02 07:11:20 | 脳みその日常
早いなあ、もう6月かいな…。さて、今回はつまらない話を。

先週美容院へカットに行った。前からこのブログを読んでおられる方ならご存知と思うが、この美容院とは、もう20年近くの付き合い。オバチャン美容師の腕は相変わらず目も当てられないが、居心地が良いので通いつめている。

長年のよしみというのか、オバチャンからは料金外のサービスを受けることがよくある。あ、ヘンな意味じゃないよ。長時間にわたって首や肩のマッサージをされるとか、業務用のシャンプーが余ったから使いなさいよ…といったもの。思い出せばキリがない。

で、今回受けた「サービス」はカラーリング。このところワシの頭の白髪化は加速度的に進んでいる。ふだんほとんど鏡を見ないので気づかないが、美容院ではデカイ鏡が目の前にあるので、否応なしに現実と向き合うことになる。鏡を見るたびにジジイになってゆく自分がそこにいるのだ。こわいねー、まったく。

オバチャンはそんなワシの心を見透かしたかのように、ふと一言。

「あのさ、カラーリングしてみない?」
「へっ? カ、カラーリング?」
「うんうん。かなり白髪も増えてきたしさ」
「確かに白髪だらけだねえ」
「よし、決まった!」

決まったって、あーた、まだやっていいと言ってないんだけど…。ワシの返事も聞かないうちに、オバチャン、そそくさとカラーリングの準備に取りかかる。

「ちょっと、ちょっと」
「ん? なに? あ、これ? 気にしなくていいんだよ。サービスだから」
「いや、そうじゃなくて…」
「どーせ、チューブに余ったやつがあるから、それを使うだけ」
「(なるほど、余り物ね…)」

つい納得してしまったワシもワシだが、オバチャンの手はすでに作業を始めている。でも、ちょっと心配だった。このオバチャンなら、ワシの頭を金髪か紫色にしかねないから…。ほら、タダより怖いものはないっていうでしょ?

しかしそれはワシの取り越し苦労だった。頭はみるみる黒色に変わってゆく。おーっ、すごいねえ、ワシが若返っている!

ところが、世の中そんな甘いものじゃなかった。染料みたいなものを流し終えてみたら、前と変わらない白髪頭に! あれっ、若返ってないじゃん。

「あらー、やっぱり●●さんには無理だったかねえ」
「え? どゆこと?」
「うん、つまりね、アナタの髪は染まりにくいんだよ」
「はあ、そーすか」

詳しいことは知らないが、説明によると染料は髪のキューティクルとキューティクルの間に浸透することで色が定着するそうな。ところがワシの場合はその隙間がほとんどないので染料が浸透しないらしい。そういえば昔パーマをかけた時にもオバチャンに「苦情」を言われたことがあったな。

「ちょっとー、バーマがちっともかからないじゃないの!」

いやいや、おかしいでしょ。文句を言うのはこっちなんだけど(苦笑)

結局、夢にまで見た(大嘘)黒髪にはなれず、こざっぱりした白髪オヤジのできあがり。

とほほ
コメント (2)