ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

編集長のお世辞

2005-08-31 20:32:08 | 脳みその日常
ちょっと用事があって、いつも書いている雑誌社へ電話をかけた。編集長につないでもらう。ひとしきり用件を済ますと、突然編集長が、

「いやー、最近はずいぶんとご活躍のようで…」
「へっ?」
「いやいや、知ってますよ。あんなとこでもこんなとこでも書かれているのを」
「あぁ、何だか知りませんが、どこからともなくお声がかかるんですよ」
「ほほー、やっぱり…」
「な、な、なんですか、『やっぱり』ってえのは…」
「いえいえ、あなたには力があると前々から思ってましたからねえ。いつかそうなると…」

思わず笑い崩れるワシ。というより、ビックリした。なぜならこの編集長がそんなお世辞を言うとは思わなかったからである。ましてや電話口で聞く歯の浮くようなお世辞。驚いた。

で、失礼ながらツッコミ風なリターンをさせてもらう。

「また随分と編集長もおクチがお上手になりましたねえ」
「いやいや、人間、歳を取ると丸くなるもんですわぁ」

答えになってない!(笑) まあ、長年お世話になっているので「オイオイ」とも言えず。
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講座と飲み会

2005-08-30 22:36:14 | 脳みその日常
恒例の講座の日。本日のテーマは「いろいろなアヴェ・マリアを聴いてみよう」というもの。《アヴェ・マリア》といえばまずシューベルト(1797-1828)を思い浮かべるだろう。しかし長い音楽史において《アヴェ・マリア》と呼ばれる作品はほかにもある。そこで、今回はルネサンス時代から20世紀に至るさまざまな《アヴェ・マリア》を、もうほとんどメドレーに近い感じで聴きまくった。

これほどまで講義中に音楽を聴いたのは初めてかもしれない。そのぶんワシの話す時間は当然少なくなる。いつもだとそこそこの時間を使って話をするせいか、今日は講義が終わって受講者から冗談半分で「今日はいつもに比べてラクだったでしょ?」とからかわれる。確かにそうだ。でも、内容の性格上そうせざるを得なかったから仕方がないのだ。何も手を抜いたわけじゃない。

からかわれるのに甘んじるのはワシがすべての受講者より年下だから。「あははは、そうかもしれんですねえ」そう言うしかない。グッと怒りをこらえるのも勉強なのだ。受講者あってのワシなわけだし。ともあれ、無事に終わったので些細な怒りはすぐに忘却の彼方へ。

講義のあと、暑気払いの飲み会へ突入。場所は登戸駅から歩いて3分ほどのところにある「玄海」。この店は信じられないほど値段が安く、おまけに刺身がウマい。しこたま呑んで食っても3,000円もあれば十分おつりが来るほど。もちろんワシはクルマなので呑むのはウーロン茶だったが。

飲み会にはすべての受講者が参加したわけじゃない。主婦の皆さんは夕食の準備があるというので不参加。もっとも、パワフルな主婦は参加していたが(笑)変わり種は飲み会から参加した元受講者がいたこと。むろんこちらとしては大歓迎である。「いやー、先生の顔が見たくて来たんですよぉ」などとおっしゃる。う、うれしいことを言ってくれるじゃあーりませんか。

今や暑気払いというほどの気候ではなくなったが、受講者の皆様と楽しく親睦を深めることができてよかった。まあ、5年間も講座は続いているのだから、今さら親睦も何もないけれど(苦笑)
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夜のセヴラック

2005-08-29 06:57:08 | CD/DVD
あることで頭が一杯になっていて、とても家にいられない気分だったので深夜のドライブに出る。何気なくクルマを流していると、東京湾に近くなっていた。よし、ちょっと海でも見て気分転換するか。

ところが前にも書いたかもしれないが、東京湾というのはなかなか波打ち際まで行ける場所は多くない。海運会社や貿易会社が湾の縁をがっちり固めているからである。

ならば、お台場海浜公園まで足を伸ばす。ここなら波打ち際まで行くことができる。しかし、付近の道路をしつこいくらい何度もパトカーが巡回しており、道路にうっかり駐車しておくものなら直ちに駐車違反キップを切られてしまう。そんなわけでお台場はロケーションは良いのだが落ち着いて夜景を眺めていられないというデメリットがある。

夜景を楽しむためにわざわざ缶コーヒーを持参し、あちこち回ったが、結局のんびりすることなく帰宅。うーん、何だか消化不良だな。そこで思いついた「解決策」がセヴラックの音楽を聴くことだった。

デオダ・ド・セヴラック(1872-1921)は近代フランスの作曲家で、フォーレ(1845-1924)の影響を受け、またドビュッシー(1862-1918)の印象主義にも近い作品を書いたことで知られる。でも、なぜセヴラックが「解決策」になるのか?

周知のように、セヴラックは画家のオディロン・ルドン(1840-1916)と1900年に出会った。ルドンは当時にあっては我が道を行く作品を残し、孤高の画家とも評されている。そんなルドンは興味深い発言をしている。

「音楽は夜の芸術だ。夢の芸術。」

いかにも象徴主義者の言葉である。もちろんその発想はマルセル・プルースト(1871-1922)にも通ずるものであるが、いずれにしてもセヴラックがその影響を受けたことは間違いなかろう。たとえば彼の作品のなかでは比較的有名な練習曲集《セルダーニャ》(1911)。これは印象主義的なところもあるが、ドビュッシーのような色彩の鮮やかさはそれほど感じられない。むしろ闇を意識したような響きではないだろうか。もっとも、これはあくまでワシの主観がかなり入っているが。

ちなみに、どうでもよい情報をひとつ。セヴラックの4手のためのピアノ曲《鉛の兵隊》(1905)の第2曲には「ラ・マルセイエーズ」が織り込まれている。

やれやれ、ようやく夜の気分を味わえたと思ったら、外は朝じゃないか…。あはは。
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データ整理

2005-08-28 07:04:35 | 脳みその日常
深夜、原稿データのバックアップをしていなかったことに気づく。ここで言う原稿データというのは演奏会のパンフレット用もしくはCDのために書いた曲目解説のこと。昨年末以降に書いた20ほどのデータをバックアップし忘れていたので、慌ててバックアップ用のHDDに移す。

本当なら原稿を仕上げた時点で毎回やればいい作業。しかし場合によっては部分的な手直しをすることもあるので、書き終えてからしばらく放っておくほうが二度手間にならずに済む。ところがバタバタしているうちにバックアップのことなんて忘却の彼方…。でも、そういう時に限ってパソコンの調子が悪くなったりするから油断がならない。せっかく苦労して書いた原稿なのに、パソコンがヘソを曲げた瞬間に無情にも消えてしまうのだから。奴のご機嫌のよいうちに、とっととデータを移さないと…。

それにしても、データの移し替え作業は恐ろしいほど退屈だ。「そんなことはない。フォルダごと移せばいいだけだろ」と思うかもしれない。確かにそれだけならすぐに終わる。だが、ワシの場合はデータをHDDに移すのと同時にデータベース化するので時間がかかるのだ。そうはいっても今回の量で3時間ちょっとなのだが。

この作業をしておけば、急な原稿依頼でもすぐに対応することができる。原稿のストックがなければないで、すぐに調査に入れるわけだし。データ整理というのは地味な作業である。しかしそういう表には出ない苦労が結果的に実を結ぶのも確かなのだ。
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台風一過のドライブ

2005-08-27 19:12:42 | ドライブ関連
台風11号は意外に早く太平洋上へ抜けた。そのため昨日は思い立って異例の昼間ドライブを敢行。

そうだ、高原に行こう!目的が決まれば早い。サクッと中央道に乗り、韮崎インターで降りる。そこからR141で清里へ。

まだシーズンのせいか、清里の駅前は観光客で溢れていた。それを横目に有名な清泉寮に行き、これまた有名なソフトクリームを堪能する。コクがあってウマイ!

そこからさらに坂を上り、県営八ヶ岳牧場の間を抜けて途中にあるレストラン(名前は忘れた)に寄る。ここの見晴らしも最高だ。眼下の牧場にはウシが群れをなして遊んでいた。実はここのソフトクリームもなかなかイケる。

高原の空気を腹一杯吸ってから小淵沢へ降りる。当初はそこから高速で帰宅する予定だった。しかし気分が乗ってきたので、甲府南インターで降りて精進湖方面へ。

R358を上っていくとオ●ムの拠点で有名となった上九一色村となる。1995年の強制捜査から10年。もうそんな前の出来事なのか…。時間はあれよあれよと流れていくものである。にもかかわらず当時教祖だったブタはまだのうのうと東京拘置所で生き延びているという現実。まったくもって解せん!

いや、今日は怒るためにハンドルを握ったのではない。自然のエネルギーを戴くために来たのだ。忘れよう。精進糊を横に見ながらR139を河口湖方面へ。

河口湖も多くの観光客でごった返していた。湖畔近くの駐車場にクルマを止めようとしたら、黒人かと思うほど日焼けした見知らぬオッチャンが近づいてきた。

「ボートに乗らねえかえ?」
「いや…それはちょっと寂しすぎるシチュエーションになりますんで結構です」
「ほぅー、ほんならここは駐車できねえぜ」
「えっ、だめなの?」
「うそうそ、ほんなことねえよ」
「やだなー、冗談キツいなー」
「で、どれぐらい駐車するだえ?」
「ええと、まあ10分ぐらいですよ」
「ほぅー、ほんならあの隅っこのほうに駐車しといてくれや」
「はいよー、どうもあんがとさんです」

素朴な会話を楽しんだあと、湖の波打ち際へ降りる。寄せて返す波は眩しいほどに輝いていた。いつもの夜中に来たら、そんな経験はできない。波に反射した光は目に痛かったが、気分は爽快。

そこからさらに山中湖へ。ボート乗り場の前で駐車。どう見てもブサイクなドナルド・ダックの形をしたボートとにらめっこをして楽しむ。

そこから御殿場方面へ。箱根を経由して帰ろうと思ったら、途中で通行止めのためかなり迂回させられる。ったく…。

そして小田原厚木道路を経て東名に乗り、帰宅。久々に550kmを走破。充実したドライブだった。
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熱い目薬

2005-08-26 06:06:14 | 脳みその日常
現在、台風は千葉県あたりを通過中とのこと。大きな被害が出なければいいのだが。みなさま、ご注意ください。

パソコンを日常的に長時間使用しているのと年齢のせいか、少し前から「ドライアイ」の状態が続いていた。そこで近所のドラッグストアへ行き、目薬を購入。以来、パソコン画面とにらめっこする際、目薬はワシの強い見方となった。

そもそもドライアイになるのは瞬きの回数が減ることに起因するらしい。それにより眼球が乾燥し、結果としてドライアイになる。なるほど、理屈はそういうことなのか。

でも待てよ。そういえば、前に友人から「あまり瞬きをしないんだね」と言われたことがある。もちろん本人に自覚はない。ならばと、ある時「瞬きしない選手権」を開催。普段からさほど瞬きしないのであれば、意図的に瞬きせずに長時間いられるはず、というわけだ。

数人の友だちと対戦したが、確かに楽勝だった記憶がある。その持続時間までは覚えていないものの、友人たちはすぐさま瞬きしてしまい、「この根性なし!」と笑ってやったのはハッキリと思い出す。

それはさておき。先日もいつものようにドライアイになったので、手元にある目薬を何気なくさした。その瞬間、声にならない感覚に見舞われる。

「Ψ∞ぐЖ◎!仝?▲?√∵♂∋…」

いやいや、不意をつかれると脳みそのなかではこんな風になる(のかも)。本当に何が起きたのか一瞬わからなかった。ワシはもちろん宇宙人に拉致されたことはない(と思う)が、その瞬間もそんな感じなのかもしれない。

要するに、目薬の温度が熱かったのである。一般に、目薬は「ひんやり」か常温であると誰もが思うだろう。ワシもそう思っていた。ところが目薬が目に注がれたまさにその時、感覚的には「目から湯気が出た」ようだった。

むろんそんなことはあり得ない。本当に目から湯気が出たらワシの目玉はとっくに「ゆでたまご」になってるはずだし。でも、それくらい驚いた。

一体なぜそんなことが起こったのか。よくよく見ると目薬のそばに煎れたばかりのコーヒーを置いていたのだ。その熱が伝わって、目薬は少なくとも常温よりも上の温度になったものと思われる。目薬を注す時にケースに熱さを感じなかったのも驚愕する原因だったのかもしれない。その時に熱さを感じていれば、きっと目薬は注さなかっただろうし。

みなさまも「熱い目薬」にはくれぐれもご注意ください。
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モンテロの蛇足

2005-08-25 04:34:54 | 音楽あれこれ
ベネズエラ出身の女流ピアニスト、ガブリエラ・モンテロ(b.1970)の新作が2枚組でリリースされた。これはなかなか素晴らしいアルバムといってよい。

モンテロは周知の通り、1995年の第13回ショパン・コンクールで第3位となった経歴を持つ。今回のアルバムを聴くと、彼女がなぜ第3位なのかわかる気がした。率直に言えば、この人はショパン向きじゃないからである。むしろこのアルバムに収められている後期ロマン派の作品こそ彼女の真骨頂なのだ。

意地悪く表現するなら、モンテロは本能むき出しの演奏をする。ドロドロ、ギトギトに加え、色気バシバシなのだ。まさしくラテン系の演奏であろう。ヒナステラ(1916-83)の《3つのアルゼンチン舞曲》なんて、もう脳みそが完全にふっとんじゃってるし。それはそれはスゴイ!

しかし、モンテロの素晴らしいのは、本能むき出しでブイブイ言わせながら、ちゃんと作品の特徴を「理性」で弾き分ける点である。だからラフマニノフ(1873-1943)ではラフマニノフの音がするし、スクリャービン(1872-1915)はスクリャービンらしい響きとなる。1枚目最後のリスト(1811-86)の《メフィスト・ワルツ第1番》にしても、ただ鍵盤をぶっ叩くわけじゃない。人間に共通するリズムのようなものを踏まえて演奏するから、聴いた後で素直に「これはいいゾ」と思える。

こうした作品に対し、ショパン(1810-49)の《夜想曲》op.27-2とか《幻想即興曲》なんて、もう地味もいいとこ。借りてきた猫である。つまりモンテロのグラウンドは後期ロマン派なのであって、仄かに香る前期ロマン派ではないということなのだろう。だから優れた技巧をもっていても、ショパンの作品しか審査対象にならないショパン・コンクールで優勝できなかったのも頷けるのである。

手放しで評価するのはここまで。問題は2枚目のCDである。ここにはラフマニノフの《ヴォカリーズ》やJ.S.バッハの《ゴルトベルク変奏曲》などをテーマとする即興演奏(インプロヴィゼーション)が12曲も収められている。すべてジャズ風なテイストなのだが、これがまた気の遠くなるほど退屈なのである。1枚目の感動はどこへやら…というのが正直なところだ。

ワシはジャズを否定する立場ではない。むしろ大好きなほうだ。だからなのかもしれないが、シロートに毛の生えたようなジャズ演奏をなぜこのアルバムでカップリングさせるのか全く理解できない。クラシックの演奏ができればジャズもイケるだろうと考えるのは思いっきり間違っている。たぶんこのプロデューサーはそれがわかっていない。せっかくクラシックでナイスな演奏をしたのに、こんなオマケを付けたばっかりにこのアルバムは見事に価値を落としてしまった。残念至極である。

リーフレットを読むと、大御所のマルタ・アルゲリッチ(b.1941)がモンテロに、インプロヴィゼーションというものがいかに特殊なものでどれほど違うものなのかを気づかせたとある。そして、モンテロにとってインプロヴィゼーションは癒しの形だとも述べている。

それはそれでいいわさ。でも、そんなのはおウチの中で自己満足でやればいいこと。自分が癒されるからといって、それが他人にも同じ効果があると考えるのはスウィートですぜ。繰り返すようだが、モンテロのグラウンドは後期ロマン派であって、ジャズではない! せめてキース・ジャレット(b.1945)ぐらいの力量がなくちゃ、聴く者を唸らせることはできませんぜ。もっとも、キース自身も唸ってるけどね。
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「ムーグ」氏死去

2005-08-24 02:43:25 | 回想する脳みそ
シンセサイザーの開発者として知られる Robert Moog(1934-2005)が亡くなった。アサヒ・コムの記事では「モーグさん」と紹介しているが、ワシの感覚からすれば「ムーグ」である。

ワシの青春時代、ムーグといえばシンセサイザーの代名詞みたいなもの。「いつかはクラウン!」という昔のCMじゃないけれど、シンセ・フリークであれば「いつかはムーグ!」という憧れの気持ちがあった。ムーグ・シンセサイザーのことを知りたければ「ムーグとムーグ・シンセサイザーのサイト」をどーぞ。

しかし、ヘタレなワシは結局「ムーグ」を入手することができなかった。その代わりに購入したのは1986年に発売されたローランド社の「Juno106」。これは当時はアナログ・シンセとしてなかなか人気のあった楽器である。今でも時々アンプにつないでは遊んで弾いている。

もっとも、当初欲しかったのはYamahaが1983年に発売したディジタル・シンセ「DX-7」だった。でも、周囲のキーボード奏者はみなこれを持っていたので、何もワシまでそれを購入することはなかろうと断念。だって必要とあらば頼んで借りればいいわけだし。

アナログ・シンセの魅力は何と言っても音色を自分で作れることだった。たとえばVPOとかVCOといったツマミをコントロールすることで様々な音を出すことができた。「他にはない自分だけの音」が欲しければ、当時は「JUNO」が最も手軽な楽器だったのである。手軽といっても当時の値段で128,000円ぐらいだったが。支払はもちろん分割で(苦笑)

そう、このシンセはJR東中野の駅前にあった「アンディーズ・ミュージック」という楽器店で購入したんだっけ。現在はもう閉店していて、どうなってるのかなと思っていたら何と下北沢で「ANDY'S GROUP」としてやってるらしい。なーんだ、あるじゃん。当時の記憶では、男3兄弟で経営しており、末弟が確かジュリアード音楽院のサックス科を卒業したとかで、その頃は店頭でよくサックスを吹いていたりした。いやあ、懐かしいねえ。機会があれば今度訪ねてみようかな。

付録:「ソ連製のシンセサイザーのサイト」←音が聴けます!
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休業日

2005-08-23 20:48:18 | 脳みその日常
例により、集中して仕事をした後は脳みそが働かない。
なので、今日は休業日とさせていいだく。

それにしてもムラのある脳みそだ…
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スクリャービンの呪縛?

2005-08-22 19:17:46 | CD/DVD
おとといから今朝にかけて原稿に追われる。一時は「こりゃアカンかもしれん」と思うほどピンチな状態にあった。それもこれも仕事を甘く見ていたせいなのかもしれない。それにしても今朝の自分の集中力には驚いた。まるで分刻みで原稿を仕上げて行くような感じ。久々にシビレる仕事をした気がする。

そのせいなのか、すべての原稿を出し終えても神経がコーフンしていて全く眠くならない。無駄に横になるのもシャクなので久しぶりにマニアックなディスクを聴いて遊ぶことにした。ご紹介するのはボリス・リャトシンスキー(1895-1968)の作品集である。

このなかで注目なのは誰が何と言おうと《交響曲第1番》op.2 (1918/19)以外にない! いや、そんなに強く主張するほどのことでもないな…。でも、いろいろな意味でこの作品は面白い。

ひとつには20代前半の若きリャトシンスキーが、モロにスクリャービン(1872-1915)の影響を受けていることがわかるからだ。もう、どこを切ってもスクリャービンの《プロメテウス》(1910)の響きがプンプンと匂うし。金管や打楽器の使用法だって、「そりゃパクリだぜ!」と思うほど似ていたりする。

でも、考えてみればリャトシンスキーがこの作品を書いたのは23歳から24歳の時。それはそれで凄い才能だと思う。ただ、カップリングされている《ウクライナの4つの主題による序曲》op.20 (1927)や、もっと後で書かれた《再統一の詩》op.40 (1950)などを聴くと、リャトシンスキーの作曲家としてのピークはもしかすると20代だったのかもしれないと思ったりもする。だってそれらはあまりにダサい作品だからさ。創意の閃きが感じられないというほうが適切かもしれないが。

別の意味で面白いのは、演奏しているウクライナ国立交響楽団の豪快さとショボさがないまぜになっているところだ。格好いいのは交響曲のフィナーレ。なかなかのド迫力で、思わず随喜の涙をこぼしそうになった。そうかと思えば、時々弦楽器どもがノコギリのような音を出す始末。こらっ、ちゃんとリハーサルしとけよ。

指揮はウラディーミル・グネーダシ(Vladimir Gnedash)とかいう『The New Grove』にすら出ていない人。もちろんレーベルはロシアン・ディスクだから懇切丁寧な解説書などを望むほうが無駄というもの。ならばリンクしたウクライナ国立響のサイトに出ているのかというと、そこにもない。このウラディーミルさん、一体どんな人なんだろうか。

それにしても、ウクライナ国立響のサイトもショボ過ぎる。たぶんこれは公式サイトなのだろうが、シロートが遊びで作ったのと大して違わない。それは別の意味で泣けてくる。
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同窓会報

2005-08-21 23:25:54 | 脳みその日常
そういえば先月、高校の同窓会事務局から封書が届いた。何のことはない、年に一度送られてくる「同窓会報」である。卒業以来、ただの一度も会費を払っていないのに勝手に送ってくるのでそのままにしているのだが…。

そもそもワシは同窓会といったものに対してあまり興味がないほうである。たまたまある時期に同じ学校で勉強しただけじゃないかという認識しかないし。もちろんその時に個人的に影響を受けた教師や友人はいる。でも、この歳になって思い返してみれば、あの時だからこそ互いの「波長」が合ったのではないかと思ったりもする。

感傷に耽るのが好きな人は同窓会をやりたがるものだ。その気持ちを否定するつもりはない。しかし、実際に再会して、かつてのような関係になれるかというと残念ながらなれない。再会した瞬間は懐かしいという気持ちで盛り上がることはできても、それでおしまい。翌日からはまた元の生活に誰もが戻るわけだし。何だか無理矢理再会したみたいで、後味が悪い。少なくともワシはそう感じてしまう。

縁というのは不思議なもので、出会うべくして出会う人もあれば、その時の成り行きで出会ってしまった人もいる。縁がある人とは頻繁に連絡をとっていなくても交際は続く。いわゆる「腐れ縁」というやつだ。だが、縁のない人とは一時的に異常なほど仲が良くても、ある時期を過ぎるとまったく音信不通になる。まあそんなものだ。

同窓会報に話を戻す。毎年一方的に送られてくる会報のなかで唯一見てしまうのは「訃報欄」だ。ワシの母校は100年以上の歴史がある。だから当然毎年多くの同窓生が亡くなる。他人の不幸を喜ぶつもりは毛頭ないが、その欄にもしかすると自分の知っている人が出ているかもしれないと思うと見ずに捨てるわけにはいかない。

で、今年の訃報欄には同年のA君の名前が載っていた。クラスは違ったしロクに話もしなかったが、長身でヌボーッとした姿は明確にワシの記憶に刻み込まれている。訃報欄によると亡くなったのは5年前らしい。またどのような経緯か知らないが、1年後にはA君の弟も亡くなったというのも出ていた。兄弟揃って同じ高校だったのだ。それにしても何とも不可解な話ではないか。両人の冥福を祈るばかりである。
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怖くて入れない(笑)

2005-08-20 04:25:14 | ドライブ関連
昨日、やたらと脳の活性化をほざいていたので、やっぱりドライヴしたい気分になる。でも遠出はできない。軽い気分転換の意味も込めていつもの「やすらぎの場所」へ行く。

帰り道、ふとある場所を思い出す。そう、いつか撮ってやろうと思っていたのだ。今回めでたく夢が叶う。それがアップした写真である。

「日本一まずいオロチョンラーメン」(!)

凄いよ、凄すぎるよ、小澤さーん。看板なのに「日本一まずい」なんて断言しちゃってるし…。さすがに店の名前を出すことは憚られるのでちょっとカットさせていただいた。

もちろんこの地元ではそれなりに「有名な店」らしい。ネットで検索してみると幾つかヒットしてるし。おまけにちゃんと「試食」までして感想を述べているサイトもある。まさに勇者の称号を贈りたいぐらいだ。小心者のワシにはとてもチャレンジする勇気はないが…。
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Oh!脳

2005-08-19 22:51:48 | 脳みその日常
最近つくづく集中力が続かないことを痛感している。暑いのも原因なのだろうが、それにしてもこれは著しい低下である。言い訳したくないが、やっぱりトシなのかなあ。やれやれ…。

それでも現状を打開するため自分なりの工夫をしてはいるのだ。たとえば脳が活性化されないのであれば、無理にでも活性化させればよい。ワシの場合、それに効果的なのが実はドライブなのである。

「またまたー、自分の世界にもっていくなんて強引ねえ」などと思うかもしれない。いや、そういうつもりでなく、実際のところドライブした後の脳みそはすこぶる調子が良いのだ。

クルマを運転することは危険を回避する意味で相当な注意を要する。つまり脳みそがボーッとしていてはできない「作業」なのだ。外部の状況にすぐさま対応できるよう、運転中はあらゆる注意を払う。たぶんそれが脳みそを活性化させるのだと思う。

しかし、今はロング・ドライブする時間がない。ケツカッチンの状態だからである。「なまくら」になっている脳みそをこれからどうやって騙しながら活性化させるか。またまた解決策を見いださなければならない。

うーん、「なまくら」スパイラルから脱することは容易じゃないなあ。とほほ。
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報われぬ手間

2005-08-18 18:47:31 | 脳みその日常
通常の8月だと、まず机に向かうことはない。基本的にクライアントの担当者が交互に夏期休暇を取ることが多く、実際に仕事にならないからである。もっとも、暑いので集中力が続かないのも事実。効率の悪いなかで仕事をしてもクオリティーの高い仕事はできない。だからこの時期はいつも他のことをしている。

とはいえ、近年CDの新譜数が減少するのと並行して我々の仕事も年々少なくなっている。そんななか、仕事があるのはありがたいことだ。暑い暑いと文句を言っている場合ではない。

てなわけで、今日取り組んだ原稿ではブラジルの音楽に触れる必要があった。ブラジルの音楽? うーん、即座に思いつかないなあ。おぉ!そういえば前にブラジルの音楽史を綴った本を購入したことがあったな。それを見ればいろいろなデータが見つかるかもしれない。よしよし、まずはその本を探そう!

時々ここで書いているように、ウチはモノがよく「遭難する」場所である。いったん入り込んだら出て来れないことも覚悟しなければならない…。そう、まるで富士の麓の樹海のように。ひぇぇぇえええ。

そんな涼しい話はどうでもよい。とにかく探すのだ!

部屋は定期的に整理しているのだが、モノには限度、風呂には温度である。先日も不要になったCDを300枚ほど売り払い家賃の足しにしたが、それでもまだ樹海のまま。でもさすがに紙の資料は売却できない。売れたとしても二束三文である。

話をもとへ戻そう。探している本の捜索は難航した。捜索から何と3時間後にようやく「生存」が確認される。ニュース報道で、家族が遭難者の生存の知らせを受けて安堵するのと同じ心境になる。

「よ、よくぞ無事で…うぅぅ」

必要な資料があれば、もう鬼に金棒。仁王立ちの構えである。そして該当する箇所に目をやると…

「な、ない! 求めていたデータが載っていない! そ、そ、そんなぁぁぁぁ」

ワシの記憶違いだったのか。うーむ、完膚なきまでの敗北である。
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信用ならん表記

2005-08-17 20:53:27 | 音楽あれこれ
思いっきり脱力である。それというのも、演奏会の曲目解説を書くため調べていたらトンでもない表記の間違いに気づいたのだ!

書こうと思ったのはフランチェスコ・マンフレディーニ(1684-1762)の《2本のトランペットのための協奏曲》である。曲を知るためにCDショップでようやく探し出したのが右のアルバム。念のため担当者のT君に確認をとる。もしかすると同じ曲名であっても別の作品の可能性もあるからだ。

ワシ「この曲って、ハ長調のやつだよな?」
T君「いえ、演奏者の話だとニ長調だそうです」
ワシ「あちゃー、ということは違う曲なのか…」
T君「のようですねえ」

調査は振り出しに戻った。録音が入手できないとすれば楽譜を探すしかない。そこでご登場いただくのはお馴染み「アカデミア・ミュージック」さんである。

ワシ「マンフレディーニのニ長調のその曲ありますかねえ」
担当「ああ、ありますよ。お取り置きしておきますか?」
ワシ「ええ、じゃあ、これから伺います」

てなわけで、すぐに楽譜を入手。よしよし、これで原稿が書ける。そう思いながらその楽譜を見てみると、何となく身覚えるある曲であることに気づく。

「えっ…、もしかして」

脱力したのはこの瞬間である。先のCDは同じ曲だったのだ!

確かにCDの表記には「ハ長調 (C-Dur)」とある。なぜ表記を間違えたのか考えてみた。パート譜を見て、すぐにピンと来た。第1トランペットの楽譜には何も調号が付いていないのだ。それを早合点してCD制作者は「C-Dur」と表記したのに違いない。

でも、パート譜の隅っこにはちゃんと「D管で」と書いてある。D管のトランペットはもちろん移調楽器だから「ニ長調 (D-Dur)」の曲ならばその楽譜は調号が何もつかない「ハ長調 (C-Dur)」で表記される。もぅ、早合点以外の何ものでもない。

CD制作者のウッカリはこれだけではなかった。写真をクリックしていただければわかるが、マンフレディーニの生没年すら間違っている有様。ったく…。

問題のレーベルは「DIVOX」だ……気をつけろっ! (どこぞの芸人のマネ)
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