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ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

御所池/相坂ダム

2025-05-31 18:29:51 | 徳島(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は徳島県阿波市土成町土成町宮川内相坂(どなりちょう みやがわうち あいざか)にある吉野川水系宮川内谷川(みやがわうちだにかわ)の御所池(ごしょいけ)を目指します。アクセスは国道318号沿いにある「手打たらいうどん平谷家」の看板のあるT字路を入っていき、「平谷家」の看板を過ぎてしばらく行ったところにある脇道を降りていくと到着します。

到着しました。これのようです。なんか古めかしい感じですね。

左岸、ダム横には「御所池碑」と題された石碑があります。グーグル先生の地図では、この場所は「相坂ダム」と表示されていますが、おそらく御所池の別名なのでしょう。

碑に記されている内容を転記すると次のとおり。

「板野郡御所一帯ノ地古来灌漑ノ養水乏シク僅二宮川内谷伏樋ノ渓流ヲ利用スルニ過ギズ一タビ久旱ニ遇ヘバ水源忽チ涸渇シテ桑穀ノ惨害真ニ名状スベカラズ藩政ノ時既二之カ救済ノ法ヲ講セシカ遂二成ラズ明治以来村民ノ陳情ト相須チ縣亦數回計策ヲ立テシモ各種ノ事情二因リ実現スルニ至ラザリキ偶昭和九年未曾有ノ風水害アリ縣ハ応急施設ノ必要ヲ感ジ十年十二月御所耕地整理組合ヲ認可セリ是二於テ組合ハ宮川内谷上流猪ノ鼻山間二溜池築造ノ計画ヲナシ農林省技師ノ地質調査及縣當局ノ設計ニ本ヅキ國庫ノ補助二依リ十一年三月十七日ヲ以テ役ヲ起セリ今其ノ工事ノ概況ヲ聞クニ此地岩層粗悪二シテ亀裂多ク掘鑿ノ勞費豫算ノ倍額二上リ再三本省技師ノ派遣ヲ求メテ新二浸透水防止加工ヲ施ス二至リタルノミナラズ十二年七月支那事変勃発ノタメ物価ノ高騰勞力ノ不足等更二幾多ノ違算ヲ生ジテ事業ノ進行二支障少ナカラザリシモ関係者ノ鋭意努力二ヨリ十四年二月十一日遂二其ノ竣工ヲ見ルヲ得タリ池體ハ粗石コンクリート及粗石モルタル堰堤二成リ長二百七十二尺天巾七三寸高五十三尺貯水高四十六尺貯水面積四町五反歩水量四萬八百三立坪工費十萬圓ヲ算フト云フ惟フ二本溜池ノ完成二依リ今後灌漑地区ハ古来ノ旱害ヲ免ルト共二利用二努メテ業ヲ励ミ産ヲ興シ公私ノ福祉二裨益シテ以テ築造ノ趣旨二對ヘザルベカラズ因テ其ノ由来ヲ叙シテ後二傳フ昭和十四年二月
   徳島縣知事従四位勲三等清水良策撰 岡本由喜三郎書」

左岸、貯水側から見たダムの様子。

左岸、ダム横からみたダム上。危険という理由で関係者以外立ち入りを禁じているので自己責任で歩いてみます。

ダム上、中央から見た御所池の様子。

ダムの真下を覗き込み、

下流方向の遠景を眺めます。

対岸(右岸)に来ました。その壁面を背にしているのは妙見菩薩でしょうか、それとも水神様でしょうか。

右岸のダム横から見た様子。


このダムはダム便覧では「御所池」という名称で紹介されています。名称の由来を調べてみると、1221年の承久の乱で後鳥羽院が隠岐島に流刑された際、その息子である土御門上皇は処罰の対象ではなかったものの京都にいられないと自ら離京を決意。そして晩年の1227年から崩御する1231年までこの地で過ごしたことからその地名も「御所」となり、その近くの温泉名も御所温泉と呼ばれるようになったようです。(参考
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