ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

生徒たちの「気づき」

2021-12-16 07:03:25 | 音楽あれこれ
どーも、ワシです。先日、大昔の少女たちから「今月のレッスンは●●でやるのでよろしく!」と連絡があり、早速上京してきました。当ブログを初めて読む方には何のことやらわからんと思うので説明しますね。

2006年から都内のある場所でワシは高齢者の方々に「うた」を教えていました。いわゆる声楽じゃありませんよ、「うた」です。正確に言えば「歌い方」を教えていました。でも相手が高齢者だからといって童謡や唱歌を教えたんじゃありません。さすがに演歌は教えられない(コブシの回し方がわからん)ので、教えるのは流行歌や歌謡曲、フォークソングなどでした。

ただし、一般のカラオケ教室と違うのはまず楽譜に書いてある通りに歌うこと。なぜこれを最初にやるのかというと、耳で何となく曲を覚えて歌えたとしても、ほとんどの人がリズムや音程を意識していないので何百曲何千曲やったところで一向に上達しないんです。

若い人なら感覚的に理解してできてしまうんですが、高齢者の場合はそうはいかない。本当に基礎的な音楽能力が衰えているから。だからいくら感情を込めて歌えたとしてもそうした基礎力がないのでそれ以上の上達は見込めません。一見歌唱力があるような人もそこを見落としているので結局は歌手の「歌まね」で終わってしまうんです。

感情表現なんて歌い込んでくれば放っておいてもするようになります。だからまずは楽譜通りに歌うことができるかどうかが重要なんです。これをクリアした上で、感情表現に取り組むほうがはるかに効率が良い。何しろ高齢者には時間がないんです!

だからと言って高齢者の皆さんに楽譜の読み方を教えるわけじゃありません。いや、実際、読み方は教えてません。だから彼女らは楽譜が読めません。でも楽譜通りに歌えるようになります。ノウハウがあるんです。この方法でやればたとえ90歳でもSMAPの曲なんかでも「正しく」歌えるようになるんですよ。ノウハウは秘密ですけどね〜。

まあ、そんなこんなで大昔の少女たちはワシに歌い方を習ってきたわけです。で、最初の話に戻ります。今月のレッスン場所は何度かみんなで行ったことのあるカラオケのあるスナック。なぜそこなのか。話によると、そのスナックは今月一杯で閉店するのだそう。閉店する前に行きましょうよ!ということで決まったとか。

でも、営業時間内に行くので当然他の客も来る。なので、実質的にはレッスンはできません。そこで、過去にワシが教えた曲をひとりずつ復習してみることにしました。

そうこうするうちに他の客が来店。案の定、その人たちもカラオケを歌い始めました。しばらくしたその時です。ワシの生徒たちが一様に顔をしかめ始めました。

「あれっ、どうしました?」
「先生の気持ちがわかったのよ」
「なになに、どういうこと?」
「ほら、昔私たちが先生に習い始めの頃、私たちの歌を聴いて先生はつらいって言ってたよね?」
「あー、確かに前は音程とリズムが強烈に酷かったからねぇ」
「ああ、それそれ」
「気が狂うかと思ったよ」
「な、何もそこまで言わなくても…」
「すみません、すみません…(でも本心です)」

つまり、こういうことだったんです。他の客が歌っていたのは以前教室で教えたことのある歌でした。生徒さんたちは楽譜通りの「正しい」歌い方を叩き込まれているのでリズムや音程が違うのがすぐに理解できたんでしょうね。確かにその客の歌い方は感情たっぷりで歌い慣れている感じでした。でも、どこまで行っても自己流は自己流にすぎません。気持ちの悪い「タメ」をあちこちで使ったり、もう好き放題。生徒さんたちはそれを聴いてつらくなってきたようです。

「あっ、わかったの?」
「ええ、とっても気持ち悪いです」
「でしょ? みなさんも以前はああだったんですよ」
「やだぁ、恥ずかしい!」

こんなのは些細なことかもしれません。でも、実はその「気づき」が重要なんです。そのことがわかっただけでも彼女たちはまだまだ成長する余地があるから。それに気づかないと周囲に迷惑をかけるだけの自己満足歌い手に留まってしまいます。

意外に思えるかもしれませんが、声楽の先生でもあまりこのことを指摘しないらしい。指摘するとしても感情表現のことぐらいとか。それじゃあ生徒も上達しないわなあ。何事も基礎を疎かにしたらアカンのです!
コメント

なんだ、なんだ?

2021-12-15 16:05:13 | 音楽あれこれ
どーも、ワシです。先ほどあるレコード会社から荷物が届きました。一体なんだろう?

開封してみるとブルーレイディスクが3枚。うーむ、購入した覚えはないけどなあ。



記憶を辿ります。
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
ああ、そういえば以前これらについて原稿を頼まれたような…。いや、そうじゃない。その原稿を再使用したいので許諾してくれって連絡が来たんじゃなかったかな。でもそれは確か2019年だった気がする…。でもなぜ今頃リリース?

調べてみるとこれらはシリーズのひとつで、そのブルーレイディスク化の第1弾(7タイトル)が2019年6月にリリースされていたのでした。で、昨年12月に第2弾(7タイトル)が発売され、今年の12月22日に第3弾(8タイトル)が発売されるそうな。ワシが書いた原稿はこの第3弾のシリーズのものらしい。だからそのサンプルディスクが先ほど届いた…というわけです。

上にも書きましたが、今回これらのディスクに載っている原稿は再使用のもの。じゃあオリジナルはいつ書いたものなんだろうか? 思い出しついでに調べてみるとこのシリーズの「DVD全集」として2002年にリリースされたものに書いたようです。

う〜ん、そんな前に書いた原稿をまた使うんだねえ。何を書いたのかよく覚えていませんが。
コメント

石原和三郎に呼ばれる…

2019-11-16 19:20:31 | 音楽あれこれ
国道122号を桐生市からみどり市へ向かって走ると途中で童謡《うさぎとかめ》が聞こえてきます。これはメロディーロードと呼ばれるものです。メロディーロードは全国のあちこちの道路にあります。特に北海道と群馬県に多数設置されています。

原理を簡単に説明しましょう。舗装路面に特殊な切り込みを入れることでタイヤとの摩擦により音が発生します。切り込みのパターンを変えることで発生する音の高さが変わるので、これを利用するとメロディーを作ることができます。その施行された区間をクルマが一定の速度で走ると発生音がメロディーとなって再生されるという仕組み。

さて、《うさぎとかめ》を聴いてワシは何かに導かれたのかもしれません。というのも、向かっていた草木ダムへ行く途中、ある建物に目が止まったからなんです。それは、



童謡ふるさと館」…う〜ん、なんだろうな。立ち寄ってみようか。



建物の前をキョロキョロしていると中から係員の方が出てきて「内部をご覧になりますか?」と声をかけてくださいました。

「いやいや、ちょっと立ち寄っただけなので…」
「構いませんよ、まだ開館時間前なので」
「そうですか、ではお言葉に甘えて」

内部に入って驚きました。なんとここは《うさぎとかめ》を作詞した石原和三郎(1865-1922)に関する資料を集めた記念館でもあったからです。「呼ばれたな…」と思いました。



ふるさと館は音楽や芝居も上演できる小ホールと資料室に分かれています。資料室の目玉は下の写真にあるように子供が喜びそうな兵隊のメリーゴーランド。実に精巧に作られています。アメリカ製で電動で動くんですよ。まあ、これは石原とは全く関係がないらしいんですが。(以下の写真は全て許可をいただいています)





ふるさと館には当時の小学唱歌の原本をはじめ、様々な資料が展示されています。昔のピアノやオルガンなんかもあるんですよ(いずれも試奏可能)。


香淳皇后が使用されたピアノ:スタインウェイ社製(1931)



ウィーン式ハンマーアクションが特徴のグランドピアノ:ライラ社製)


懐かしいですね、足踏みオルガン。これは左右のペダルを踏みながら音を出すものです。音色は鍵盤の上方にあるストップを引いてセレクトすることができます。


リードオルガン:ベル社製(1900)


石原和三郎に関しては旧花輪小学校記念館にも資料が展示されているので興味のある方は出かけてみてはいかがでしょうか。

童謡ふるさと館も旧花輪小学校記念館も運営はみどり市教育部が行なっています。郷里が地元の偉人を称えて箱物を作るのは良いことと思います。ただ、心配なのはその自治体の財政が悪化してきたときにどうなるかということ。景気が悪くなると文化関係のものは真っ先に「切られる」ことが多いからです。役所というものはこういう時には実に冷酷なんですよね。たぶん、もともと文化の価値がわかっておらず、その意味を理解していないから容赦なく閉館にしてしまうんでしょうけど…。

突然の訪問にもかかわらず親切に対応していただいた遠藤さんにはこの場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました!
コメント

へんなの〜

2018-11-23 03:58:36 | 音楽あれこれ
9月以降、田舎へ引っ込んでいますが、都内で催される演奏会には時折出かけています。



今回のは正直呆れました。ソリストがロンドン・ブーツ姿で登場!おまけに演奏終了後、通常の弦楽器奏者であれば自分の楽器を携えてソデに帰るのですが、此奴はその場に楽器をなんのためらいもなく放置。おそらく数百万はするであろう楽器をですよ!自由過ぎると片付けるのは簡単ですが、放置された楽器がかわいそうでね…なんとなく。

もうひとりの登場したソプラノにもビックリ。バックの楽器編成は室内楽程度の小編成なのですが、なんとマイクをご使用になられている。こんな小編成なら生声で十分じゃないのか? それは作曲家の指示なんでしょうか。だとしても、マイクを通しても大して声が聞こえなかったんですがね。なんなんだろうか。

この演奏会は少し前に同一のプログラムでニューヨークでも行われたらしいのですが、その時はスタンディング・オヴェーションで大成功だったそうな。演奏前にそう聞かされたのですが、終わってみれば「ふ〜ん、どこが?」といった雰囲気が会場中に蔓延。「ブラヴォー!」と騒いでいたのは白い人と黒い人たちばかり。なんなんだろう、この温度差。

黄色い我々は理解力がないのか? いや〜そんなこたぁ、ない!
コメント

ラストの講義

2018-03-12 03:21:26 | 音楽あれこれ
時間が経過してしまいました。先月の27日、最後の講義が終了。ゲストには同業者のIさんと出版関係のFさんをお招きし、音楽と出版について「あーでもない、こーでもない」話をして賑やかに終えました。受講者の方々には業界の裏側(?)を知ってもらえたでしょうか。

振り返ってみると、よくもまあ17年間も続いたものだと思います。それも一度として同じテーマでなく。講座の後の懇親会では「まだまだ続けてください」という声もありましたが、主催している会の財政が思わしくないこともあり、続けるのは困難。まあご要望があれば、そのうち誰かが旗を振って「セカンド・ステージ」という形でやるかもしれません。

いずれにせよ、バロックと古典派を中心に聴いていた受講者の方々にロマン派と現代の音楽(1960年代あたりまで)を抵抗なく聴けるまでにできたことは大きな収穫だったと言えます。数年前まではシェーンベルク(1874-1951)ですら苦手と仰っていた方々がペルト(b. 1935)の、それもかなりマイナーな作品すら面白いと感じられるようになったのですから。

趣味の講座とはいえ段階を踏んで教えていけば、高齢者(や初心者)であっても理解してもらえるんだなと実感しましたね。うん、やはり教育って重要なのだ!
コメント

ラスト・ツー

2018-02-01 04:56:42 | 音楽あれこれ
2001年に講師を引き受けて始めた音楽講座も残すところ、あと1回となりました。破格の受講料ではありましたが、そこらの音大でも聞けない講義内容でずっとお話ししてきました。受講者のほとんどは高齢者の方々でしたが、皆さん熱心にワシの話を聞いておられました。しかしどういうわけか受講者数はさほど増えず、会の運営も困難となってきたため、来月で200回を迎えるのを機に閉会することに…。

回を重ねるごとに運営資金も乏しくなり、ここしばらくはゲストを呼ぶこともできない状態でした。でも尻すぼまりで閉会するのもなんなので、ラスト2回くらいゲストを呼んじゃえ! というわけで、今回は音楽マネジメントの世界を知ってもらうため、30年ほど前から一緒に仕事をしてきたNさんをゲストに迎え、色々なお話を伺いました。



業界のベテランだけあって、興味深い話が次から次へと。たぶん受講者の方々も楽しんでいただけたのではないかと思います。次はいよいよ最終回。ゲストの数も2人に増やし、業界ならではの話をたっぷりと聞いていただくつもりです。
コメント

できてナンボの世界

2015-04-02 03:36:04 | 音楽あれこれ
先月の講座も無事終了。先月、先々月はオーディオとピアノが置かれている視聴覚室での講義だったので、特に準備が大変でした。それというのも、受講者の方々から「せっかくそこにピアノがあるのだから、先生、何か弾いてよ!」と要望されるからです。

まあ言われるのも、ごもっとも。受講者にしてみれば、音楽を教える先生はピアノが弾けて当たり前と思っているからです。「ピアノもロクに弾けないの~?」なんて思われては信用ガタ落ち(笑)。なので、それなりに練習して本番に臨むわけです。

それは他のことでも同じ。別の場所で教えている「うたの教室」だってそう。うたを教える先生がちゃんと歌えないなんて話になりません。初見であろうがなかろうが、正しく歌えてこそ「さすが、先生!」となります。もっとも、歌謡曲程度の歌なら初見で歌えるので何の問題もありませんが。

でも、いろいろなカラオケ教室を「渡り歩いて」きた生徒さんに言わせると「模範演奏をしてくれる先生はほとんどいない」そうな。ましてやピアノを弾きながら教える先生もあまりいないらしい。

じゃあ、その手の先生はどうやって教えるかというと、生徒に歌わせてから「あそこはこんな感じで、ここはもっと盛り上げて…」みたいにアドヴァイスするだけ。そんなんで良いんだったら教えるほうは本当にラクだと思います。でも、そんなテキトーな教え方じゃ、生徒は何百曲習っても絶対にうまくなりません。基本的なことを学ばないままだからです。

生徒は基本的なことがわからないから間違うのです。それを正すのが教師の役目。どうすればよいのか。一番良いのは歌って聴かせること。それにつきます。

実技指導は教師が模範を示してこそ生徒は上達します。ただ「ああ、いいねえ」とか「だめだねえ」しか言わない先生には絶対に師事しないこと。その先生が高名だからという理由だけで師事したらレッスン代が無駄になると言っても過言ではありません。習い事というのはそういうものです。
コメント

自信につながったかな?

2015-01-30 08:17:13 | 音楽あれこれ
ワシが教えている「うたの教室」の生徒さんは、みな謙虚。「正しく歌えていますよ」と褒めてあげても、「いえいえ、そんなことないです」と仰る。もちろん、こちらがウソを言っているのでもなく、お世辞を言っているのでもない。彼らはただただ「歌うのって難しいですね」を繰り返す。

そんななか、彼らの歌唱レヴェルを示す方法を思いつきました。カラオケの中にある「採点ゲーム」というのを活用するのです。そこにある「ハイパー予備校」を使って歌うと、全国で同じ歌を歌っている人の中で自分の順位を見ることができます(参考記事)。

いうまでもありませんが、これは「正しく歌っているかどうかを判断するもの」で、上手に歌っているかどうかを判断するものではありません。ヴィブラートなんかむやみに駆使したら、それこそ減点対象となるようです。

要は生徒さんに自信をつけさせるのが目的。もっと自信を持っていいんですよというのを数値として示すのにはもってこいの方法だと考えたわけです。

最初、生徒さんにこの提案をしたら「と、とんでもありませんよ。嫌です!」と異口同音に仰っていましたが、ちゃんと趣旨を説明すると「じゃあ、やってみましょうか」と納得してもらえました。

で、みんなでチャレンジ。そしたら、ほぼ全員が全体の中の上位1割に入る快挙。例えば、ある曲を2,000人(もしくは2,000回チャレンジ)が歌ったら、ウチの生徒さんなら200位以内に入るというわけです。それも70~80歳の高齢者が、ですよ!ちなみに今回皆さんが歌ったのは、中島みゆきの「麦の歌」という曲。童謡や唱歌なんていう簡単な曲じゃないところに注目してください。

これは自慢じゃないんです。ちゃんと教えたら高齢者でも正しく歌うことができるという例。だからワシとしてはその結果はチャレンジする前からわかっていました。まさに当然の結果なのです。
コメント

ワシは悪くない!(笑)

2014-10-15 04:12:17 | 音楽あれこれ
少し前、ある外タレの演奏会の解説を頼まれました。依頼された曲目の解説を書き、しばらくした頃、マネジメントから

「すみません、曲目の一部が変更になりました。追加で書いてもらえますか?」

とのメール。こんなことは外タレにはよくあることなので、驚きません。チョチョイと書いて、サクッと返信。

さて、演奏会当日。スケジュールが空いていたので聴きに行くことに。ここで耳を疑う「事件」が…。

なんと、その外タレ、変更した曲の冒頭をカットして演奏したのです。もうちょっと詳しく説明しましょう。変更後の曲は2曲あって、どちらの曲も冒頭は同じ始まり方をします。そのため解説では曲の特徴のひとつとしてそのことに触れました。

ところが、当の外タレ、2曲のうちの片方の曲の冒頭をカットしたのです。なぜカットしたのか、理由はわかりません。弱ったのは変更した2曲の演奏後でした。ワシの後ろで聴いていた夫婦(と思しき男女)の会話、

「ねえ、いまの2つの曲、どういうこと?」
「え、なになに?」
「だってさ、解説には『両曲とも冒頭は同一の始まり方をする』って書いてあるのに2つの曲の始まり方は全然違ったじゃん。冒頭ってどの部分を言うの?」
「ああ、そういえば違ったね。この解説、違うんじゃないの?」

いやいやいやいや、そうじゃないんですよ、お客さん。コイツ(注:演奏家のこと)が勝手に省略して演奏したんですよ!!!

心の中で、最低3回はそう叫んでました。

でも、その曲を聴いたことのない人なら、よもや演奏家がそんなことをするはずはないと思うでしょうね。「いま聴いた演奏が楽譜通りの正しい演奏だろう」と。

まあ、終わったことは仕方ない。困った奴だなと諦めることにしました。

しかし、「ドラマ」はまだ終わりませんでした。なんと彼奴は他の演奏曲の演奏順まで変えてきたのです。これには言葉を失いました。「えっ、そんなこと、する?…」と。

有名な曲ならば、「あれれ、順番が違うじゃん」ってわかるでしょうが、この時演奏したのはあまり知られていない曲。プログラムには演奏する順番もきちんと記されています。それをステージ上で急に変更するとどうなるか…。まあ、聴いている人が気づかなければ何も問題はないんですけどね。

久しぶりにハラハラドキドキしながら聴いた演奏会のお話でした。あ~、精神衛生上よくないな。
コメント

早熟すぎる酒飲み?

2014-09-03 05:27:08 | 音楽あれこれ
先月の講座のテーマは、酒の神バッカスに関係する音楽。まずバッカスの生い立ちを説明し、なぜ彼が酒の神として崇められるようになったのかを、古代ギリシャの詩人ヘシオドスの『神統記』をもとにお話ししました。

バッカスは言うまでもなくギリシャ神話におけるディオニュソスのこと。全知全能の神ゼウスはテーバイの王女セメレー(人間)を身籠らせます。ところがゼウスの正妻であるヘーラーはセメレーを憎み、ゼウスの雷光の力を利用して焼き殺してしまう。

その時、セメレーの胎内にはディオニュソスがおり、ヘーラーはその胎児までをも殺そうと企みます。しかしその企てを察知したゼウスは先回りしてヘルメースに焼死体から胎児をとりあげるよう命令。そして自身の腿に隠して臨月まで育てる。

無事誕生したディオニュソスであったが、ヘーラーの怒りは収まらず、彼女から逃れるため、エジプトやシリアなどで長い間放浪の旅を続ける。そうした生活の中で学んだのがブドウの栽培法とワインの製造法。その製法を民衆に伝えたことでディオニュソスは彼らの支持を得るようになります…。

まあ、『神統記』ではそのような記述になっているんですが、後世の画家には『神統記』を読まずに描いてしまった人もいるようです。その一例が次の作品(クリックで拡大できます)。



ちょ、いくら神様でも赤ん坊の頃からの飲酒はないやろ。しかもラッパ飲み…て。飲みながら同時に小便も垂れ流しとるし。

これはバロック時代に活躍したイタリアの画家グイード・レーニ(1575-1642)が1623年に描いた『飲酒するバッカス』ですが、赤ん坊のバッカスはまだワインの製造法は知らなかったはず。おそらくこれはレーニが想像したバッカス(ディオニュソス)のイメージなのでしょうが、それにしてもこれは…うーん。
コメント

「腰」で弾く

2014-05-07 03:35:06 | 音楽あれこれ
久しぶりに音楽の話でも。

少し前、あるピアノ・リサイタルに出かけました。デビューして数年という若手で、そりゃもう技巧は達者。これは大器になるかも…と期待しながら聴きました。

ところが、演奏会も後半になって後期ロマン派の作品を聴いて、がっかり。この人、ピアノを「腰」で弾くことをご存知ないらしい。ひたすら腕の力だけで無理やり弾きまくっている。

ある程度でもピアノを習った人なら知っている(と思う)のですが、腕の力だけで弾いても、本人が思ったほど響かないのです。いや、むしろ詰まったような音になってしまいます。

後期ロマン派の音楽は基本的に響きが厚く、作品を書いた作曲家も豊かな響きを思い描きながら作曲したはずなのです。だから、演奏者も作曲家の意図を再現すべく豊饒な響きを出すように意識を向けなければなりません。

ならば、力任せにガンガン弾けばいいかというと、そうじゃない。先にも書いたように腕力だけに頼っては「良い音」にはならない。そこで登場するのが「腰」なのです。

腰で弾く? 何をアホなことを、と言うなかれ。やってみればわかりますが、背筋を伸ばし(下腹部を前に突き出すようにする)、腰を支点のようにしながら上半身全体の重量をかけるように弾くと、腕の力はほとんど使わず、しかも「良い音」で鳴らすことができるのです。

でも、この若いピアニストはそのことをまったくわかっていません。後期ロマン派の作品も技巧だけで押し通すことができると勘違いしているようです。腰で弾くようにすればもっとラクに弾けるのに…。

そんな基本的なことを忘れるとは…。まさか腰で弾くことを教わっていない? いや~、そんなわけないだろうけど。

実際、「良い音」で弾いているピアニストの「姿勢」を観察してみてください。良い音を出す演奏家は例外なく腰をどっかりと据えて、いわば「出っ尻」のような姿勢で演奏してますから。
コメント

正しく歌うだけで…

2014-04-04 05:45:46 | 音楽あれこれ
「ちょっと歌ってみてよ!」

ワシが教えている「うたの教室」のオーナーから突然頼まれました。今月教えることになっている曲の感じがイマイチつかめないからとのこと。どんな曲にするかはオーナーがどこかから楽譜をみつけてくるので、月初めのレッスンでその月の曲を初めて知るという次第。

「う~ん、私は今日初めてこの曲の楽譜を見るんですけど…」
「どーせ、初見で歌えるんでしょ?」
「いやまあ、曲にもよりますけどねぇ」

手渡された曲は《はがゆい唇》。1992年頃にリリースされた作品です。歌っていたのは高橋真梨子なので、ご存知の方も多いかもしれません(ワシはほとんど知りませんでしたが…)。

2回ほど歌ってみたところで、オーナーが、

「じゃ、カラオケで歌ってみて?」
「え、今ですか?」
「そうよ!」

こちらが承諾する間もなく、オーナーはカラオケに曲名を打ち込む。ところが、通常の操作ではなく、点数や偏差値の出る恐ろしいやつ(ハイパー予備校とかいうやつです)にしたのです。こりゃぁ、いい加減に歌うわけにはいきません。音程が外れたりすれば数字となってハッキリ出ちゃうんですから…。

覚悟を決めてトライ! その結果が次の写真(見たい方は拡大できます)。



おおっ、まあまあの出来じゃないですか。写真左上にある五角形をみると「声量」が足りませんね。これは仕方ありません。何しろ、できるだけ正しい音程とリズムで歌うことに注意を向けたので…。もっと大きな声で歌えば点数や偏差値もおそらくアップしたことでしょう。

見方を変えれば、正しい音程とリズムに注意するだけで、ここまでできるという証明でもあります。つまり、いかに世の中のカラオケ・ファンの多くがテキトーに歌っているかということでもあるんですね。

上手とはいえないけれど、決して下手には聞こえない方法は、まずはズバリ正しい音程とリズムで歌うこと。これができないのに自己流の歌い方をするから、いつまで経っても歌が上手に歌えるようにならないんです。いうなれば基本をないがしろにして先に応用問題を解こうとするようなもの。できないのは当然なのです。だけど、大多数の人はそのことに気づいていません…。

ま、とにかく「うたを教える先生」としてはオーナーに対して面目躍如といったところでした。でも、正直、焦ったぁ…(笑)
コメント

投げ売り!

2013-11-21 03:30:11 | 音楽あれこれ


今月の講座はイタリアの作曲家ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)についてお話しします。で、説明のための音資料として尼損で探したら、75枚組の全集があったので、ついつい購入(いや、あまり知られていないマイナー作品が収録されていたのでね)。

驚いたのはその価格。現時点でCD1枚あたり、なんと「157円」。なんだろね~、レコード・メーカー、もうヤケクソって感じですな。

それにしても、笑っちゃうのは「尼損」で検索しても、ちゃんと本家本元がヒットすること。なんだよ、この思いやりは…。いらん、いらん!
コメント

目的を忘れずに!

2011-11-29 04:47:04 | 音楽あれこれ
相変わらず都内某所の地下スタジオで「うたの教室」をやっています。半年に一度「おさらい会」なるものをやっていて、先日も開催。今回がなんと10回目。そうか、教え始めてから、もう5年になるのか…。


前にも書きましたが、生徒さんはすべて高齢者。最高齢は今年89歳になるおばあちゃん。最年少の人でも60代半ば。そりゃね、すぐに覚えちゃくれないですよ。

でも生徒さんは皆、一所懸命。ワシの言う通りに覚えようとしてくれる。その健気さを見るとこちらも一所懸命教えようと思うようになる。どうやらそれが相乗効果を生むらしい。手前味噌かもしれませんが、ウチの生徒さんはうまくはないけど、決して下手じゃない。まあ「フツー」に歌います。

先日の「おさらい会」終了後の打ち上げのこと。生徒さんがしきりにワシのことを褒めてくださる。

「先生は、いつも辛抱強く教えてくださる。きっと気が長いのね」

ははは、何をご冗談を。ワシは自分で言うのもなんですが、非常に気が短い。知らんな、ワシの正体を。

また別の生徒さんは通常のレッスンの様子を録音したものを、やはり「うた」を習っているという友人に聴かせたという。すると、その方は驚愕したとか。

「ウチの先生だったら、きっと激怒してるわよ。ヒステリーを起こすんじゃないかしら。それにこんなに丁寧に教えてくれないもの」

う~ん、そうなのか。でもその前に許可なく録音テープを他人に聴かせんで欲しいなあ…。まあ、いいけどさ。

ともかく、皆さん、やたらと感心なさる。怒ることなく、なぜ辛抱強く教えられるのかと。

いやいや、簡単なことですよ。生徒さんがこちらの言う通りできないからって怒っても何も生み出さないからです。怒ればうまく歌えるのなら、とっくの昔に怒ってますって。そもそも歌えるようにするのが目的なのですから、こちらが感情にまかせて怒るのは何の意味もないでしょ。ならばできないところを何度も繰り返し教えたほうが、はるかに上達しますよ。

いろいろなことに通ずるのかもしれませんが、生徒さんはできないことが前提で教わりにくるのですから、できなくて当たり前と思わなければ教師としては失格。ましてや生徒さんに激怒するなんて問題外。彼らにとってはいい迷惑ですよ。

よくは知りませんが、世の中の教師にはそういう輩が多いらしいですね。困ったもんです。目的を忘れて己の感情にまかせて激怒するなんて絶対にやっちゃいけませんよ。やっぱり基本は楽しくやらなくちゃね。
コメント

恥から学んだこと(後)

2011-01-12 04:03:02 | 音楽あれこれ
その醜態を晒した数日後のことです。ある室内楽の演奏会に出かけたのですが、ワシの関心は無意識のうちに伴奏者へ向いていました。どうやったら上手な演奏ができるのだろうか…と。

その演奏のやり方を見ていたら、「なるほど!」と気づかされることがありました。

その伴奏者はいわゆる「譜めくり」を置かず、自分で楽譜をめくるスタイル。もっとも、「譜めくり」を同伴させようがさせまいが、それはどちらでもいいことなんですが、とにかくその人は自ら楽譜をめくっていました。たぶん、自分の思うようにめくれるからなのでしょう。

ただし、めくるという行為にはある種のリスクが伴うもの。つまりめくるために一瞬演奏から離れなければならないからです。また、ホールによっては空調が悪戯をすることもあります。あるホールなどは演奏中に空調の風が楽譜のページを戻してしまうこともあるんですよ。

そんな時、「譜めくり」がいればフォローしてもらえます。しかし「譜めくり」がいないとなるとそのリスクも考えながら演奏しなくてはなりません。

その日のホールは幸いにして空調が悪さをしないところだったので、ページが戻るトラブルはありませんでした。ところが、その伴奏者は演奏に集中しすぎて、ちゃんとページをめくれないことがしばしば。中途半端にめくるので何度もページが戻りそうになりました。

でも、この伴奏者はそんなことにはおかまいなし。そして驚くべきは「どう考えてももうめくらなくちゃいけないだろう」と思うのに全くめくる動作をしないことがよくあったことです。そして思い出したかのように楽譜をめくる…。

これは何を意味しているのでしょうか。そうです、この伴奏者は演奏する曲をほとんど暗譜しているんですね。だから楽譜をめくることに関して何らかのトラブルがあっても動じなかったわけです。譜面台に楽譜を置いていたのは、まあ確認する程度だったのでしょう。

本当に恥ずかしいことですが、こんな基礎的なことをワシはすっかり忘れていたのでした。数日前に講座で醜態を晒したのは暗譜するまで弾き込んでいなかったせいでもあったのです。ただ楽譜に書かれている音符を追っかけるだけ…。これじゃあロクな演奏にならないのも当然です。

何事もそうですが、やはり基本を忘れてはいけないですね。わかっていたつもりが、実は最も大切なことを見落としていた…。その意味で今回の醜態はワシにとっていい勉強になりました。
コメント