ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

馬見ヶ崎川合口頭首工

2024-07-03 06:57:05 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は最上川水系の馬見ヶ崎川(まみがさきがわ)に設置されている馬見ヶ崎川合口頭首工を目指します。住所は山形県山形市妙見寺(みょうけんじ)。アクセスは山形蔵王インターチェンジに近い国道286号沿いにある「麺家かぐら本店」を目指し、その近くにあります。

到着しました。左岸、下流側から見た様子。

左岸の頭首工横から見るとこんな感じ。ご覧のように管理橋は立入禁止。

水利使用標識

左岸、上流側から見た様子。

写真中央に見えるのが銘板のようですが、目視はおろかズームしても内容がわからず…。


帰宅してから調べてみると、これは昭和55年度に着手され、昭和61年(1986年)度に完成したもののようです(参考)。ところで、「合口」はなんて読むんでしょうか。「あいくち」かな?
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今度は行けた!…蔵王ダム

2024-07-02 06:58:32 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形市上宝沢(かみほうざわ)にある最上川水系の蔵王(ざおう)ダムを目指します。アクセスは国道286号沿いにある「山形道 関沢7キロ」の表示板の先を右へ入り、すぐの突き当たりを左へ。県道272号をそのまま進んでいくと到着するようです。

そのまま行けば左岸のダム横に到着しますが、まずはダム下から「御尊顔」を拝みます。

県道272号に戻り、ダム横に向かいます。もうすぐというところで木々の間から顔を覗かせるダム。

左岸、ダム横に来ました。そこに掲げられた案内板。蔵王ダムは洪水調節、灌漑、水道用水の確保、発電のための多目的ダムで、高さは66.0m、長さは278.0m。ダムの内部が空洞になっている中空重力式コンクリートダムだそうで、昭和45年(1970年)完成。なお、当該ダムはダム便覧に掲載されていますが、そこでは長さは273.8mになっています。これはダム・カードの記載と一致しますが、果たしてどちらが正しいんでしょうね。(参考

ダム本体の親柱に嵌め込まれた銘板。正確な竣功は昭和45年3月らしい。

で、これがダム上なんですが、ご覧の通り行くことができません。とほほ。

仕方がないので左岸ダム横からダム湖(蔵王湖)を眺めます。ダム湖へは葉ノ木沢と八方沢の水が流れ込みます。

一方、下流側はこんな感じ。ダムから下流は馬見ヶ崎川(まみがさきがわ)という名称に変わります。

左岸、ダム横にあるこの建物は管理所でしょうか。それを示すものは見当たりませんでした。

左岸、上流側から見たダムの様子。


実は、ここ、2021年に訪れようとしたんですが、その時は運悪く県道272号が土砂崩れのため通行止めでした。なので、今回は無事行くことができてよかったです。
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実は後期高齢者…本沢ダム

2024-07-01 06:58:35 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県上山市狸森(うえのやまし むじなもり)にある最上川水系の本沢(もとさわ)ダムを目指します。ダム名はそこを流れる本沢川を堰き止めて築造されたことに由来するようです。アクセスは国道348号(県道5号)沿いにあるので迷うことはありません。

その目印となるのはこの看板。

これが左岸から見たダム上。行ってみましょう。

ダム上、中央には二つの石碑があります。

左側の石碑は「顕彰碑」と題されたもので、その下には「村造る第一歩はダムの完成 苦難克服の勲尊し/哀草果」と記されています。哀草果とは山形市菅沢出身の詩人、結城哀草果(ゆうき・あいそうか:1893-1974)のことで、本名は黒沼光三郎(くろぬま・みつざぶろう)。斎藤茂吉に師事しつつも、生涯を山形市菅沢で暮らしたことで知られています。

一方、右側の石碑は「本沢貯水池開鑿記念碑」と題されたもので、築造の経緯が記されています。以下、転記すると次の通り。

「昭和十七年九月食糧増産の国家的要請により本沢村民が多年希望していた旱害対策として本沢川上流に貯水池を作ることになったが県の激励と関係土地所有者の協力を得て実際に着工したのは翌年の十一月であったたまたま第二次世界大戦の影響で労力と資材の欠乏は深刻を極めたが村民の熱意はよくこれを克服し遂に昭和二十三年五月貯水量約十六万立方米に及ぶ貯水池の竣工を見るに至ったのである起工以来五ヶ年の歳月と四百余万円の工事費を費し出役人夫も四万人に近かった面積三、八ヘクタール余深さ十七米の水は四方の山容を映して母の愛情の如くゆたかに湛えている県知事はこれに本沢貯水池と命名した。顧みれば村人は長い間水不足に苦しんで来たがこの貯水池によって本沢地区の水田はまこと美田の名に相応しいものとなった本沢土地改良区はその権益継承と泥吐鉄扉の完成を機会にここに開鑿の概要を記してその業績を永く伝えようとするものである。
  昭和三十六年十月 本沢土地改良区撰文」

ダム上、中央から見た上流方向の景色。空気が澄んでいるのが写真からもわかりますね。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。向こうに見えるガードレールのところが国道348号。

右岸側には越流式の洪水吐があります。

その洪水吐付近から左岸側を見るとこんな感じ。

ダム上、中央から見た下流方向の様子。


本沢ダムはダム便覧に載っていて、それによれば高さは17.5mで、長さが81.2mとあります。そして着工は1991年、竣工は2004年と記されています(参考)。この記述からするとこのダムは意外に新しいという印象をもつことでしょう。しかしながら上の石碑にも記されているようにその原型である本沢貯水池は今から76年も前の昭和23年(1948年)5月に竣工しています。ダム便覧にはそのことが全く触れられていません。ダムとしての改良工事が終了したのはおそらく2004年なのでしょうが、母体となっている本沢貯水池のことに言及していないのは片手落ちと言わざるを得ません。だから記載されているデータを鵜呑みにしてはいかんのです。

ちなみに神奈川県相模原市緑区にも同名のダムがあります。当ブログでは「本沢調整池」として2019年に訪れていますが、こちらは「ほんざわ」と読みます。
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長ヶ沢ダムの役割

2024-06-30 06:52:43 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、久々の県外遠征を開始します。最初に訪れたのは山形県南陽市荻(なんようし おぎ)にある最上川水系の長ヶ沢(おさがさわ)ダム。アクセスは県道5号沿いにある「萩生産森林組合直売所」横のT字路を入っていくと到着するようです。

到着しました。これのようです。

左岸、ダム横にある建物。

入口には「長ヶ沢中和室」と記されています。ん?中和室?

その建物の裏手から見たダムの様子。

とりあえず、ダム上へ向かうことにします。

ダム上、中央から見た上流方向の様子。

なんでしょうね、まるでプールのよう。


一方、下流方向の様子と遠景。


対岸(右岸)に来ました。それにしてもフツーのダムとは景色が違うので戸惑います。

右岸側に設置されている洪水吐?

そこから溢れ出た水はこの水路を通って下流へ向かうようです。


それにしてもダムの構造といい、中和室といい通常のダムとは明らかに違います。で、調べてみるとこのダムは上流の鉱山から流れ出た酸性水を溜めて中和処理した上で流すためのもののようです。ちなみにこうしたダムを排滓(はいさい)ダムとか鉱滓(こうさい)ダムというそうな(参考)。そういえばこれと似た機能を持つのが群馬県吾妻郡中之条町にある品木ダムもそうでしたね。なお、長ヶ沢ダムの諸元については不明です。
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ここも鉱毒対策のための…菖蒲川ダム

2021-10-13 07:28:32 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は山形県上山市菖蒲(かみのやまししょうぶ)にある最上川水系の菖蒲川ダムを訪れます。アクセスは県道263号から「菖蒲の大杉」の看板のある道を入って行きます。しばらく行くと右側にダムへ降りる道があり、そのまま行けば到着します。

右岸から見た様子です。なんとも目立つ色使いですね。



その降りたところにスペースがあるのでクルマはそこに止めましょう。この正面にあるのが案内板です。菖蒲川ダムも蔵王に近いこともあり、一昨日の記事で書いた生居川(なまいがわ)ダムと同様に鉱毒対策事業として築造されたものです。着工は1967年11月、完成は1973年3月。このように説明看板があると見学者にとっては理解しやすいんですけどねぇ。





さて、ダム上を歩くんですが、右岸から歩き始めてすぐのところに小道があります。その先にあるのは菖蒲川ダムの管理事務所。





再びダム上に戻ります。左岸のほうを見るとこんな感じ。進みましょう。



するとダム本体には「菖蒲川ダム」のプレートと、



「昭和42年(1967年)11月着工 昭和47年(1972年)3月竣功」のプレートが嵌め込まれています。あれれ、着工年月は先ほどの案内板と同じですが、竣功と完成の年月が異なっています。これは文字通りに解釈すると竣功と完成は意味が違うってことなんですかね。わかりませんが。



ダム上、中央から見た貯水側の景色です。



よく見ると網場(あば)に草が生えちゃってますね。すごい生命力!



一方、ダムの真下はこんな感じ。高さは31.1mなので怖さは感じません。



下流側の遠景です。山の中にいるって感じでしょ? ん、まあ、確かにそうなんですが。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。



改めて右岸にある「あらまし」を見直してみました。すると諸元表の「型式」には「重力コンクリートダムとフィルダムの複合ダム」と記されています。ああ、それでダム上の様子が通常のコンクリートダムと異なる理由が理解できました。つまり、最初見た時はてっきりコンクリートダムだと思っていたのですが、それにしてはダム上がやたらと長く伸びていたからです。

コンクリート部分は終わっているのにダム上の通路はまだ終わらない…。なんとも不自然だなと思ったわけです。複合ダムということを考慮するとフィルダム部分のダム上が繋がっているのは当然なんですね。だから菖蒲川ダムのダム上というのは高速道路によくある照明灯みたいな部分全部がそうなんですよ。納得しました。
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鉱毒対策のための…生居川ダム

2021-10-11 07:31:07 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県上山市上生居(かみのやましかみなまい)にある最上川水系の生居川(なまいがわ)ダムを訪れます。アクセスは東北中央自動車道の「かみのやま温泉インターチェンジ」を出て国道13号を山形方面へ向かい、コスモ石油のガソリンスタンドのある交差点を右折し県道263号に入ります。そして宮生(みやおい)郵便局のある交差点を左折し県道264号に。しばらく行くと生居川ダムがほんのり見えてくるのでそこを左斜めに降りる道を進みます。そして最初のT字路を左折し道なりに行くと右側に当該ダムが見えてきます。

ダムへの道を進んで行くと右岸に到着します。するとこんな景色が見えてきます。



実は最初に目に入るのが「生居川ダム管理事務所」の建物。それを横目に見ながらダム横に向かいます。





これがダム上。天気が良いので元気よく歩いて行きます。



ダム上、中央から見た貯水湖の様子。



同、下流側はこんな感じ。



左岸側には洪水吐があります。あとで行ってみましょう。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。



そこから見た洪水吐です。越流式になっていて、増水時になると水はここから溢れ出て、



この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。



近くには「定礎」のプレートが嵌め込まれた石碑。1986年8月とあります。



そして「建設の碑」と銘打たれたもの。



さらに生居川ダムの構造と諸元のみが記された案内板。



「事業名」が「県営鉱毒対策事業」とあるので、おそらく下流地域で地中から湧き出る有害物質を当該ダムから放流することで希釈する役割を果たすのかな?…と思い調べてみると、やはりそうでした。つまり蔵王火山の活動や硫黄鉱山の採掘で発生したと思われる強酸性の鉱毒水が蔵王川に流れ込み、それが昭和10年代から下流地域での農業被害を引き起こしていたのだそうです。

そこで仙人沢の真水を灌漑用水として利用したのですが、それだけでは全体の必要量に満たすことができなかったため、この生居川にダムを作り真水を貯水・放流することで全地域に必要な真水灌漑用水を確保することが可能になりました。この対策事業が完成したのは1993年3月だそうです(参考)。

…ということは、生居川ダムが完成したのはそのころと思われます。ていうかさ、そういった内容が記された案内板がなぜないんでしょうね。これほどの規模のダムなんだからダム建設の経緯を説明する案内板があってもいいと思うんですけどねぇ。ちょいと不親切だなあ。
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忠山池からの〜前川(治水)ダム

2021-10-10 12:38:40 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県上山市(かみのやまし)川口にある最上川水系の前川ダムを訪れます。アクセスは国道13号から「市内川口」の表示のある交差点を入って行くと到着します。詳しくは(資料参照)。

このダム名なんですが、グーグル先生の地図では「前川ダム」と記されています。ところが上のリンク先にある公式パンフレットでは「前川治水ダム」と表記されています。ちなみに国土地理院の地図の表記も「前川治水ダム」になっています。さあ、どうしましょう。ここでは一応「前川(治水)ダム」と表記しておきます。

まあ、そんなこんなで、とりあえず下流から見たダムの様子をご覧ください。



右岸のダム横に来ました。これがダム上。進んでみます。



歩き始めてすぐのところ、つまり右岸側に越流式の洪水吐があります。増水時、水はここから溢れ出て、



この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



洪水吐の水路を渡ったところに何かありますね。まるで昔のパソコンのモニターみたいだなぁ。



近づいて見ると「定礎」の文字。1979年6月とあります。



ダム上、中央から見た貯水側の景色です。いいねえ。



一方、下流側はこんな感じ。



対岸(左岸)へ来ました。振り返るとこんな感じです。



左岸、下流側からダムを見ます。



同じく、貯水側から見た景色です。



えーっと、管理所らしきものはどこかな? 見まわすと右岸の上流側に建物が。たぶんこれだと思うんですが、それを示す看板はありませんでした。



この建物へ行く途中、1985年4月25日に建立された「前川ダム記念碑」の石碑があり、ダム建設の経緯が記されています。うっかり写真を撮り忘れたので、かいつまんで説明します。

慶応2年(1866年)、この辺りを治めていた上山藩領内で大旱魃が発生。当時大名の家老に相当する参政の金子与三郎の提唱により「忠川池」が築堤されたことで問題は解消されます。

ところが第二次世界大戦後、山林の乱伐などにより自然破壊が進み洪水や旱魃などの災害が起こります。1967年、これを憂慮した当時の上山市長である鈴木行男(任期:1966-1971)は前川の上流部に多目的ダムを建設することで災害を未然に防止できるばかりか、上水道の確保もできると主張。そして1974年建設工事に着手し、1982年9月に前川治水ダムは完成。

なるほど、そういう経緯があったんですね。
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へぇ〜白川ダムから?…小松頭首工

2021-10-09 11:17:30 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は山形県東置賜郡川西町上小松(ひがしおきたまぐんかわにしまちかみこまつ)にある最上川水系の小松頭首工を訪れます。頭首工の名称はここの地名に由来するものと思われます(でも、それならなぜ「上小松頭首工」にしなかったのかというツッコミは無しで…)。場所は
米坂(よねさか)線の羽前小松(うぜんこまつ)駅から西へ伸びている県道8号沿いにあります。

「この犬川を司るのは我ら三人衆だぁ!」と言わんばかりのお姿。



頭首工の横から見るとこんな感じ。連絡橋は関係者以外立入禁止です。



上流側から見た「三人衆」。



上の写真の左側にある三角っぽい小屋のところが取水口で、下の写真では真ん中の場所にあたります。



犬川の上流方面の景色です。



近くにある表示板。灌漑期になると以前訪れた「白川ダム」から5kmのトンネルを抜けて水が流れてくるそうな。へぇ~、すごいなあ。



頭首工の前の県道沿いにあるのが「農林水産省 小松頭首工管理事務所」。県道を走ってくると、まず目にするのがこの建物です。





事務所の壁面には水利使用標識が貼られています。時期によって取水量が変わるんですね。



ここにはちゃんとした駐車場はありません。従って空きスペースを見つけて停めるんですが、事務所前を走る県道8号はまあまあ通行量が多いので要注意です。
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米どころを支える…水窪ダム

2021-10-08 14:40:02 | 山形(ダム/堰堤)
知り合いの担当者から突然の連絡。「急ぎで原稿をお願いします!」とな。もっと前から連絡せいよ!(心の声)…と思う。ふぅ〜。

どーも、ワシです。今回は山形県米沢市三沢にある最上川水系の水窪(みずくぼ)ダムを訪れます。ダム名の由来は不明です。アクセスは奥羽本線の関根駅近くを通る県道232号から時の宿 すみれ付近の県道376号を進んで行くと水窪ダムの右岸に到着します。

ダム横に来ました。右岸には「水窪ダム 東北農政局」と刻まれた石碑。



そこからダムを見るとこんな感じ。



右岸のダム上のところには案内板があります。今でこそ米どころとして知られる米沢平野ですが、この地域は昔から保水力に乏しく、絶えず水不足に悩まされてきました。そこで「置賜地区の農業に黎明を」「先ず豊かな水を」という関係者の願いが実を結んだのがこの水窪ダムの築造だったそうな。工事の着工は1971年、そして1975年に水窪ダムは完成します。





では、ダム上を歩いてみましょう。車両通行も可能です。



ダム上、中央から見た貯水湖の様子。



同、下流側はこんな感じ。この階段を降りていくとダム下へ行けるようです。行きませんでしたが。



ダム上をさらに進むと対岸の手前に「水窪ダム管理事務所」があります。





その近くには3種類(水道、工業用水道、灌漑)の水利使用標識。







そこからダムを見るとこんな感じです。



当該のダムは刈安川(かりやすがわ)と矢沢という2つの川が合流する場所に作られています。写真正面に見えるのが刈安川。写真では見切れていますが、右側にあるのが矢沢です。



管理事務所よりもさらに対岸(左岸)側にあるのが洪水吐。増水時、水はここから排出されます。



排水量を調節するための装置。対岸へ行くには写真上の通路を進みます。



その通路から洪水吐の下流を眺めるとこんな感じ。



通路を渡り、ようやく対岸へ来ました。振り返るとこんな感じです。



対岸(左岸)には看板や石碑があります。ダム湖名は「豊穣の湖」らしい。







ちなみに静岡県浜松市にも「水窪ダム」というのがあるようですが、こちらは「みさくぼ」と読みます。そのうち行ってみることにします。
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色々見どころあり!…綱木川ダム

2021-10-07 13:54:44 | 山形(ダム/堰堤)
いや〜、自宅の駐車場の雑草を放置していたらエライことに。仕方ないので草刈りを。夢中でやっていたらちょっと目の前がクラクラ。あっ、これは熱中症の前兆かも。慌てて家の中に入り、水分補給。あぶねぇ、あぶねぇ。

あ、どーも、ワシです。さて、今回は山形県米沢市簗沢(やなざわ)にある最上川水系の綱木川(つなきがわ)ダムを訪れます。アクセスは国道121号から米沢市立第三中学校近くの県道233号に入り、その県道をずっと行くと到着します(途中で直進すると県道234号になるので注意)。

…てなわけで、見えてきました。あれですね。



ダム下にはオシャレな庭園があります。向こうにちょいと見える道路が県道233号で、あれを登って行くとダムの右岸横に行くことができます。



ダム下の庭園のところの道を登って行くとダムの左岸に到着します。左岸の横から見た様子がこちら。



貯水側からダムを見るとこんな感じ。



左岸のダム横から右岸を見るとこんな感じです。ご覧のようにダム上は車両通行できないので先ほどの道を戻り、県道から右岸へ向かいます。



県道を登っている途中、ダムの右岸側から出ている洪水吐の様子を見ることができます。





坂道を登りきるとトンネルのようなスノーシェードがあり、その出口のところが綱木川ダムの入口になります(その途中にも入口らしきものはありますが、それは出口専用なので注意)。入口を進むと目に入るのが綱木川ダム管理所。





管理所付近からダムを見るとこんな感じ。洪水吐の形が実にユニークでしょ?



右岸、ダム横の近くには「綱木川ダム説明図」があります。



当該ダム建設は1967年8月26日から29日にかけて発生した羽越豪雨がきっかけでした。これにより最上川水系鬼面川(おものがわ)総合開発事業計画に基づき、洪水調節、正常な流水の機能維持、水道用水の安定供給を目的とした多目的ダムが築造されました。



ダムの諸元表。



工事は1994年に着工され、2007年5月に竣工しています。その翌年の2008年には全建賞を受賞(参考)。





説明図の近くには「綱木川ダム」のプレートが嵌め込まれた石碑。豪快な形の岩です。



これが右岸から見たダム上。歩いてみましょう。



先ほども書きましたが、右岸側には洪水吐があります。その下部に穴が開いていますが、これは低水位の場合、ここから排水されるというもの。高水位になると越流して流れ出ます。それにしても独特な形状ですね。



そして流れ出た水は、この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。写真左上に見える道路が県道233号。



ダム上をさらに進みましょう。中央から貯水側を見るとこんな感じ。



一方、下流側は高さ74mから見る景色がまるでジオラマのよう。



ダム湖の名称は「おしょうしな湖」だそうです。「おしょうしな」とは山形県の置賜(おきたま)地方の方言で「ありがとう」という意味で公募により2006年9月に決定したそうな。自然の恵みと水に感謝する心、うん、大事です。(参考
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鬼面川貯水池とあるけど…杉沢溜池

2021-10-06 12:47:58 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県米沢市簗沢(やなざわ)にある最上川水系の杉沢溜池を目指します。アクセスは説明が難しいんですが、まず国道121号沿いにある口田沢(くちたざわ)郵便局の西側にある道を入ります。その目印は「小野川温泉」と表示のある標識。その道をしばらく行くと太田川という細い川を越えるので、次にその太田川に沿う道を右折して進んで行くと溜池の左岸に到着します。

到着しました。これですね。



貯水側から見た様子です。ピントが合っていません。なぜだろう。



これがいわゆるダム上。行ってみます。これもピンボケ。うーむ。



ダム上、中央から見た貯水側の様子です。またまたピンボケ。どないなってんねん!



同、下流側の景色。あれれ、これはピントが合っとる!



ダム上、中央にある何らかの建物の壁面です。なんかオシャレ〜。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。ありゃ、またまたピンボケやん。もしかして、ダム上に何かおるん?



右岸に唯一ある公的看板。ここは杉沢地区にある溜池なので溜池の名称は「杉沢溜池」なのでしょう。看板にもそう記されていますし。



ところがですよ、この場所はグーグル先生の地図で見ると「鬼面川(おものがわ)貯水池」と記されています。また国土地理院の地図もそう。Yahoo地図もNAVITIME地図もそうなんです。だけど、この場所に「鬼面川貯水池」なんて表示はどこにもないんです。いったいこの名称はどこに由来するものなんでしょうね。

地図で確認すればわかりますが、そもそも鬼面川とこの溜池とはだいぶ離れています。この溜池から流れ出た水は太田川となって下流で大樽川に流入します。そしてさらに下流で初めて鬼面川に合流するのです。だから当該の溜池を「鬼面川貯水池」とするのは違和感を覚えるわけです。先ほども書きましたが溜池周辺にはこれについての説明が一切ありません。地図だけが勝手に「鬼面川貯水池」と名乗っているんです。なんだかなぁ。

【鬼面川の由来】
ちなみに鬼面川という名称は、あの六歌仙のひとりで美女としても名高い小野小町が病が癒えた後、この川を覗いたところそこに映った自身のやつれた顔が鬼のように見えたことから命名されたという説があるそうな。

小野小町の出生地については諸説あるようですが、平安時代初期に出羽国(現在の秋田県と山形県)を統治していた小野一族のひとりだとすれば現在の秋田県湯沢市小野で生まれたとする説は有力かなあとも思います。またこの頃に出羽国の北方で蝦夷の反乱があったため出羽国府を現在の山形県酒田市にある城輪柵(きのわさく)へ移したという史実があるので彼女もその辺りに居住していた可能性は十分に考えられます。

…とすると、彼女がこの川を覗いて云々とする説は真実味を帯びてきますね。さらにさらに鬼面川という名称はアイヌ語で「氾濫する川」という意味があるんだとか。ほほぉ。

そういえば、この溜池の洪水吐が見当たりません。どこかなあと見回していると左岸の貯水側にありました。奥にあったので気づかなかったのです。





たかが溜池なのに、されど溜池。案内板がないせいで、色々調べちゃいましたよ。ありがとう!
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温泉街の奥に…肘折砂防堰堤

2021-09-26 07:11:11 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県最上郡大蔵村南山にある最上川水系の肘折砂防堰堤を訪れます。アクセスは国道458号から肘折温泉を目指し、温泉街を抜けた銅山川に目的の堰堤があります。ただし、温泉街の道路はめちゃくちゃ狭いので要注意。

【肘折温泉、名称と由来】
肘折温泉は平安時代の807年に開湯したとされ、肘を折ったある老僧がここの湯に浸かったところ傷がたちどころに癒えたという言い伝えから命名されたそうな(参考)。

…というわけで、到着しました。これが肘折砂防堰堤の全貌。なかなかの規模です。銅山川の左岸からも行けるようですが、訪れた日は工事中だったので右岸から近づくことに。



肘折砂防堰堤は文化庁の登録有形文化財に指定されています。登録されたのは2009年8月7日(参考)。







その工法は練石積玉石コンクリートと呼ばれるもので、セメントを節約するためにコンクリートの中に玉石を詰めて硬化させる、当時としては典型的な工法だったようです。それが今では文化財として認められるようになったのでしょうね。



すぐ近くには概要を示す案内板。これによると1950年4月1日に着工し、1952年3月31日竣工とあります。



さらに堰堤に近づくと「記念 弘法礼(?)湯」と刻まれた石碑が。天明年間(1781-1789)に南山村の庄屋の柿崎氏がこの地を訪れた際、温泉が湧き出ているのを発見。これをなんとか開湯できないかと奮闘したものの資金が続かず百有余年放置されていた。その後明治39年(1906年)に三原半三郎がこの工事に再度取り組み、翌年3月に竣工した…といったようなことが書かれています。



だいぶ堰堤に近づいてきました。



下流側の景色はこんな感じ。



堰堤の横まで登ってみます。堰堤の表面のゴツゴツした石の感じが歴史を感じさせますね。



これが堰堤の上。工事中なので立ち入ることはできませんでした。



改めてナイスなアングルで撮ってみました。いいねえ。



(おまけ)

国道458号から肘折温泉へ降りてくる県道57号の途中に「肘折希望(のぞみ)大橋」というジェットコースターのような橋があります。これは最初から作られたものではなく、2012年4月10日と5月13日に発生した土砂崩れにより県道が160mも崩落したため同年中に急ピッチで工事が進められ、大晦日に仮開通。本開通は2013年11月30日だそうです(参考)。





いや〜、肘折温泉は鄙びた温泉街ですが雰囲気は良いです。ぜひ一度行ってみてくださいね。
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ピカピカの新人!…最上小国川流水型ダム

2021-09-25 07:10:46 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県最上郡最上町富澤(もがみまちとみさわ)にある最上川水系の最上小国川(もがみおぐにがわ)流水型ダムを訪れます。アクセスは国道47号沿いにある陸羽東線(りくうとうせん)の赤倉温泉駅の東にある県道28号に入り、途中から県道262号を左折して進んでいくと到着します。

これですね。完成してまだ新しい感じがします。



ダム横には「最上小国川流水型ダム」のプレートが嵌め込まれた石碑。



その裏側には建設の経過が記されています。1991年に予備調査が開始され、2015年に工事着工、そして2020年3月に完成したとあります。なんと、完成して一年半じゃないですか! そりゃあ新しいわけだ。



県道262号沿いにあるこの建物が管理所。初々しさがありますね。





管理所付近から見たダムの上流側の様子です。小さな堰堤があったりしますね。



同じ場所から見たダムの様子はこんな感じ。ダム上の欄干にある真っ赤な手すりが印象的です。



ところが、ダム上には行けず…。「この先 立入はご遠慮ください」と穏やかな表現ですが、鉄パイプでガッチガチに塞がれていて進みようがありません。それならいっそのこと「立入禁止」の表示にすればいいのに。



ダム本体にも「2020年3月竣工」と記されたプレートが嵌め込まれています。





それにしても「流水型ダム」というのは初めて見ました。調べてみるとこれは洪水調節に特化したダムのことで、貯水を必要としないダムの一形態だそうです(参考)。

へぇ〜、そうなんだね。勉強になりました。
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山肌の穴!…小以良川ダム

2021-09-24 06:56:33 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回目指すのは山形県新庄市萩野にある最上川水系の小以良川(こいらがわ)ダムです。アクセスは県道307号から小以良川の左岸の細道を進んでいくと到着するのですが、その道はグーグル先生の地図に出ていないくらいなので難易度は極めて高いと言えます。もし行かれるならば相当な覚悟が必要かもしれません。

本当にこの道を進んでいくとあるんだろうか…と思いながら、ふと山肌を見ると穴がポッカリ開いています。これはねぇ、びっくりしますよ。なになに、どういうこと?



細道と並行して流れているのが小以良川です。



そして、すぐ上のほうを見ると…どうやらこれが小以良川ダムらしい。ダムの斜面を右岸から左岸へ横切る形で登って行きます。



見れば、先ほどの低いところに開いていた穴から水が流れています。これについては後でなんなのか判明しました。



ダム横に来ました。



左岸、貯水側から見たダムの様子です。



これがダム上。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た貯水湖の様子。逆光のせいで、実際にはもっと明るいです。



同、下流側の様子です。この道を登ってきたわけです。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



そういえば、洪水吐はどこにあるんだろう…と、見れば左岸の奥まったところにあるのを発見。



左岸に戻り、洪水吐へ行く途中にある貯水湖に面したこの建物。なんですかね。



その裏側に行ってみると、ボートか何かを下ろす設備がありました。



撮影しているこの場所、実は緩やかなスロープになっていて、このまま駆け下りて行けば貯水湖にダイブできそう…もちろん、しませんでしたが。



湖面すれすれのところまで下りてきました。この写真右側のコンクリート部分が洪水吐です。



今度は洪水吐の上から撮りました。越流式になっています。そして増水すると、水はここから溢れ出て、



この水路を通って下流へ向かうのです。そうです、先ほどダムの下にあった低いほうの穴は、どうやらここと繋がっているようなのです。でも、高いほうの穴はなんなのでしょうね。



残念というべきか、ここが小以良川ダムという看板は何一つ見当たりませんでした。何かしらの案内板があればいいのにと密かに思う見学者なのでした。
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偶然通過できた?…桝沢ダム

2021-09-23 06:51:38 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は山形県最上郡金山町下野明桝沢(もがみぐんかねやままちしものみょうますざわ)にある最上川水系の桝沢ダムを訪れます。アクセスは国道13号から県道320号、そして県道323号へ行き、途中から桝沢川(?)に沿う道を登っていくと到着します。

まずはダム下から見た「ご尊顔」をご覧ください。



で、いよいよダム上へ向かうのですが、その直前にこの隧道を通らなければなりません(これはダム側から見た写真です)。



隧道上部には「謝水恩哉」と刻まれています。出典は不明。



隧道を抜けた目の前にダムが現われます。まず目にするのが水利使用標識。灌漑用のダムのようです。



その横には桝沢ダムの概要と諸元が記された案内板。これによると当該ダムは最上特定地域総合開発事業の一環として農業基盤の整備・近代化を目的として1967年に竣工したとあります。



右岸、貯水側から見たダムの様子。



貯水湖の眺めです。



では、ダム上に行こうか…と思いきや、ゲートが施錠されていて進むことができませんでした。



その脇のところに階段があり、登っていくと桝沢ダムの管理事務所の入口があります。





このダムに関して、他のサイトを見ると隧道の入口までしか行けないとありましたが、訪れた日は偶然なのか隧道のゲートが開いていて通ることができました。その意味ではラッキーだったのかもしれません(参考)。
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