ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

立派なアースダム!…中沖池

2022-01-31 06:52:07 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は三重県多気郡大台町上菅(たきぐんおおだいちょうかみすが)にある宮川水系の中沖池(なかおきいけ)を訪れます。アクセスは県道424号沿いにある呉山コルク工業株式会社大台工場の近くに「とびだしちゅうい」の表示のあるT字路のところを入り、すぐ右側の道を行くと到着します。池の名称はここから宮川へ流れ込む細い川が中沖川なのでそれに由来すると思われます。

到着しました。これのようです。



これがいわゆるダム上になります。歩いてみましょう。



右岸寄りに洪水吐があるのですが、その手前のところに何やら石像が…。これは一体なんなのでしょうか。



その横に洪水吐があり、写真はその排水路です。



ダム上、中央から見た貯水側の景色です。



一方、下流側はこんな感じ。写真中央に見える太陽光発電のパネルは何度見ても違和感がありますね。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。



残念ながらここが中沖池であるという表示はどこにも見当たりませんでした。でも大台町が作成したハザードマップにはこの場所が中沖池であると示しているので間違いないと思います。これによると高さは19.2mなので定義上は中沖ダムと呼んでも良いくらいです(参考)。
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くっきり!と凛々しい…三瀬谷ダム

2022-01-30 06:53:53 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は三重県多気郡大台町菅合(たきぐんおおだいちょうすがあい)にある宮川水系の三瀬谷(みせだに)ダムを訪れます。アクセスは国道42号の「船木大橋南」交差点を県道424号へ曲がって宮川の右岸沿いに行くと目的のダムが見えてきます。

おおっ、凛々しい!



しっかりとダム名を宣伝していますね。



ダム名はかつてここの地名が三瀬谷だったことに由来します。現在ここは大台町ですが、1889年4月1日の町村制の施行から三瀬谷村、1953年4月1日から三瀬谷町に、そして1956年9月30日に同町は川添村と合併して大台町となり、三瀬谷町は廃止となりました。三瀬谷という名称は近くにある紀勢本線の三瀬谷駅、そしてダムに付設する三瀬谷発電所(1967年4月運転開始)にみられますが、いずれもかつての地名の名残なのではないでしょうか。

県道沿いにあるこの建物は「中部電力 三重水力センター」。ダムへはこの横の道を入っていきます。





これが右岸から見たダム上。小型車なら通行できるようですが、ここはひとつ歩いて行きます。



ダム本体に嵌め込まれたプレート。竣工年月は1967年2月とあります。



ダム上、中央から見た宮川の上流側の様子。



一方、ダム下39mはこんな感じ。



そして下流側の遠景です。向こうに見える鉄橋は紀勢本線。



対岸(左岸)に来ました。こちらには三瀬谷ダムと発電所の案内板があります。当該ダムは電力と工業用水の確保を目的として築造されたそうな。ダム湖の名称は「奥伊勢湖」と言い、三重県唯一の公式漕艇場なんだってさ〜。



訪れた日が晴天だったこともありますが、しっかりと印象に残るダムでした。
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長発電所取水堰堤なのだ!…滝原ダム(堰堤)

2022-01-29 07:04:06 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は三重県度会郡大紀町滝原(わたらいぐんたいきちょうたきはら)にある宮川水系の滝原ダム を訪れます。アクセスは国道42号から「おおみや青少年旅行村大滝峡キャンプ場」の管理事務所を目指してください。当該ダムはその先にあります。

キャンプ場の管理事務所前の道をそのまま行くとダム上になるんですが、まずは大内山川の右岸、下流側から見た「ご尊顔」をご覧ください。これで見るとわかると思いますが、ダムの設備は大内山川の左岸側に置かれています。もちろん河川の増水時には設備のない右岸側が越流式になっているので氾濫することはありません。



河川の中央にはお魚さんが川を遡るための魚道が用意されています。







下流側の景色です。このずっと先で大内山川は宮川に合流します。



それにしても水が澄んでいて美味しそう。



続いて、ダムの上流側から見た様子をご覧ください。この石造り…。なかなか歴史を感じさせますね。美しい!





上流の景色です。実は撮影した場所は大内山川の中央で、増水していたらここも川になる場所なんですけど、この日は流量が少なかったので撮れたのです。



左岸側の設備で堰き止められた水は、ここの柵から取水されます。つまりここが取水口というわけですね。写真左上に見えるのが先ほど見た魚道です。



では、先ほどのキャンプ場管理事務所のところへ戻り、今度はダム上に向かいます。

通路の途中にはお馴染みの水利使用標識。水力発電のためのダムのようですね。



その通路の先には建物があり、その壁には滝原ダムの案内板が貼られています。それを読むと、滝原ダムは三重県がここから直線距離にして5.5km離れた三重県多気郡大台町長ケ(たきぐんおおだいちょうなが)に県営として1954年1月に初めて建設・稼働した発電所のために築造したもので、先ほど見た取水口から分水した水は地下水路を通って宮川沿いにあるその発電所へ送水されます。なお、その発電所名は建設当初はおそらくその地名から「長ケ発電所」だったのかもしれませんが、2015年4月以降、その発電所の管理は三重県企画庁から中部電力へ移譲され、現在の名称は「長(なが)発電所」と表示されています(参考)。

ところで、案内板に書かれている「滝原ダム諸元」を見るとこの高さは6.9mなのでダムの定義からするとこの築造物はダムではなく堰堤になります。さらに言及するなら、この堰堤は確かに滝原という場所に築造されたので「滝原堰堤」なのでしょうが、その目的からすると「長発電所取水堰堤」と呼んでも間違いではないと思います。



いよいよ、ダム上を歩きます。



ダム上、中央から見た上流側の景色です。



一方、下流側はこんな感じ。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。なぜか堰堤の上だけ屋根の骨組みになりそうなものが。ここにシートをかぶせたら雨よけになるかも?(どんな意味があんねん!)



いずれにしてもこの堰堤が築造されて今年で68年。もうそろそろ土木遺産として登録される日が来るかもね。石造りの築造物はとにかく味があるもんな〜。
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なぜ「小」は付いた?…小桂池

2022-01-28 06:55:35 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は三重県度会郡大紀町野添(わたらいぐんたいきちょうのぞえ)にある宮川水系の小桂池(こかつらいけ)に向かいます。アクセスは県道38号沿いにある奥伊勢廃材センターの角を曲がり、しばらく行ったところに「奥伊勢廃材処理場→」の看板があるのでそちらへ向かって進んで行くと今回の目的地の入口にあたる林道が右側に見えてくるのでその未舗装の林道を進むと到着します。

こんな感じの林道です。道幅はクルマでも行けそうですが、万一のことを考慮し、歩いて行きます。



いやいや、ホントにこの先にあるのかな…。



おっ、なんか見えてきましたよ。



どうやらこれのようです。



これがいわゆるダム上。行ってみます。



ダム上、中央から見た貯水側の様子。



一方、下流側はこんな感じの景色。



実は下流側からダム上に通じる小道があったようで、その小道を少し下りた場所から撮ったのがこちら。不思議なことに、この小道、薄〜く舗装されています。



対岸(左岸)手前にある洪水吐。





増水すると、水はこの水路を通って流れてゆきます。



そして洪水吐にかかる橋を渡って対岸にきました。振り返るとこんな感じ。



対岸の斜面を見ると石碑のようなものが…。なんでしょうね。



近づいてみると文字が書かれています。竣工記念碑のようですが、相当風化していてほとんど読むことができません。



石碑の左隅に「明治28年(1895年)2月」と読めるので、おそらくこの頃に築造されたものと思われます。



それにしても、なぜ「小桂池」と命名されたのでしょうか。先ほどの石碑に記されているのかもしれませんが、とにかく読めないのでネットで調べていくと意外な事実を発見しました。下の写真をご覧ください。



これは地元の大紀町が作成した地域防災に関する公式資料「第5編 資料編」ですが、その中の「8-9 老朽ため池」の項目に「桂池」というのが出ています。場所は野添で、この地域にはほかにため池がなさそうなので今回訪問した「小桂池」のことと思われます。ただ、「経過年数」が170年とあるのが気になります。同資料は大紀町の町長が谷口友美だった頃に作成されたものなので、資料作成年は谷口の在職が2009年から2021年の間と思われます。

仮に資料作成年が2020年としても170年前だと当該ため池は1850年に築造されたことになり石碑に記された年と異なることになります。でも、その石碑が「ため池改修記念碑」で、改修工事が終了した年が1895年だと仮定するならどうでしょうか。矛盾しません。とするならですよ、この資料の記載に従うならば今回訪問した場所は「小桂池」ではなく、正しくは「桂池」なんですよね。

地図の記載やネットの記述を鵜呑みにすると誤ちに気づかないものです。現場に案内板などがあればそれを信用しても良いのですが、何もない場合は多角的に検証しウラを取らないと思わぬ勘違いをすることになりかねません。とはいうものの、今回の場合はあの石碑の記載内容をすべて確認していないのでこの場所が「桂池」と断言することは正直できません。しかし、以上の検証からするとこの場所はおそらく「桂池」で間違いないと思われます。

それにしても、いつ、誰が、どのような理由で「小桂池」に変更したんでしょうね。そのほうがむしろ気になります。

たかがため池、されどため池。侮るなかれ!
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なぜ「神路」ダムなのか?

2022-01-27 06:54:56 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は三重県志摩市磯部町恵利原(いそべちょうえりはら)にある磯部川水系の神路(かみじ)ダムを訪れます。アクセスは県道32号(伊勢道路)を伊勢方面へ進んで行くとダムの左岸に到着します。

まずはダム下から見た「ご尊顔」をご覧ください。右岸側に洪水吐があるのが見えますね。



ダム下から洪水吐を見上げるとこんな感じ。大きな滑り台のようです。増水時、溢れ出てきた水は、



あちらへ向かって流れてゆきます。



では、県道に戻ってダム横に行ってみましょう。県道沿いにダム横があるので迷うことはありません。これがダム上なんですが、ご覧の通りダム上は立入禁止なので行くことはできません。



左岸、ダム上から見た下流側の様子。



左岸、ダム横の上流側にあるこの建物が「神路ダム管理室」。





その壁には水利使用標識が貼られています。これを見ると神路ダムは水道用水供給と発電用水のためのダムであることがわかりますね。



管理室付近から見た上流側の景色です。



左岸、ダム横の下流側には「神路ダム」と刻まれた石碑。1972年3月完成と記されています。



その裏側には神路ダムの概要が刻まれています。



その付近から見たダムの様子。構図としてはなかなか良いじゃないですか(笑)



ダム名についてですが、当該ダムの西側に神路山と呼ばれる山域があるのでそれに由来するのかもしれません。また、いくつかのサイトを見ると磯部川(神路川)と記されていますが、磯部川の別名が神路川なんですかね。確かにグーグル先生の地図ではダムの下流から「神路川」と記されています。でもダムの水利使用標識には磯部川と記されているし、ダムの下流のほとりに建てられている河川名の表示も「磯部川」になっています。一体どういうことなんでしょうか…。

釈然としないので、改めて調べてみました。ダムの上流には天の岩戸があり、そこからダムへ流れ込む川が神路川というらしい(参考)。これが事実ならばダムまでが神路川で、ダムから下流が磯部川ということになります。つまり神路川を堰き止めて築造したのでダム名を「神路ダム」にした…と。これならば納得がいきますね。それが真実なのかはわかりませんが。

いや、でも、こんなことは本当ならばダムの案内板に書かれるべきなんじゃないでしょうか。「ダム名の由来」とかね。こうした調査は意外に時間がかかるものなんですよ。ま、ワシは調べることは嫌いじゃないのでいいんですけどね。
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県道の下にひっそりと…松尾ダム

2022-01-26 07:14:49 | 三重(ダム/堰堤)
いや、どーも、ワシです。今回は三重県鳥羽市松尾町(まつおちょう)にある加茂川水系の松尾ダムを訪れます。アクセスは近畿志摩線の松尾駅側から県道47号(鳥羽磯部線)を進んで行くと当該ダムは最初に加茂川を渡る橋の下にあります。なので漫然と走っていると橋の下にダムがあることに気づきません。ご注意を!

まずは加茂川の右岸、上流側から見たダムをご覧ください。ダムの上の道路は県道47号。ダムの形状からすると防災ダムか治水ダムのようですね。



右岸の県道傍にあるのは詰所か何かかな?



その傍には「松尾堰堤」と刻まれた小さな石碑。1963年8月竣工とあります。竣工当時はそのように呼ばれていたんですね。しかしその高さは17mなのでダムの定義からすると「松尾ダム」と表示して間違いありません。(参考



ダム上の橋の名称は「堀切橋」。



では、ダム上の県道を歩いてみます。この県道は意外に交通量が多いので気をつけましょう!ダム上、上流側を見るとこんな感じ。



一方、下流側の景色です。後から気づいたんですが、遠くに見える橋からなら「ご尊顔」を拝むことができたのかもしれません。



対岸(左岸)にきました。振り返るとこんな感じ。



左岸、下流側から見たダムの様子です。



同名のダムは宮崎県児湯郡(こゆぐん)にもあるようです。いつか行けたらいいなあ。
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川の秩序は守るアナアキー?…河内(農地防災)ダム

2022-01-25 07:10:46 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は三重県鳥羽市河内町(こうちちょう)にある加茂川水系の河内ダムを訪れます。アクセスは加茂川に沿って走る国道167号の沿道にあるたこ焼き屋「片岡屋」近くの道を斜めに入り、道なりに進み、今度は鳥羽河内川に沿う道を行きます。そして第二伊勢道路を潜ってさらに進んで行くと当該ダムの右岸に到着します。

到着しました。右岸からダム上を見るとこんな感じ。なんだか古めかしいダムです。車両通行可。



ダム上、中央から見た上流側の景色。鳥羽河内川を堰き止めて築造されたダムのようで、訪れた時、水はほとんど溜まっていませんでした。



一方、ダム下はこんな感じ。水が澄んでいるのがわかりますね。



下流側の遠景です。山の中にいるって感じでしょ? まあ、いるんですけどね〜。



対岸(左岸)にきました。振り返るとこんな感じ。逆光はご容赦ください。



左岸、上流側から見たダムの様子。



同、下流側から見るとこんな感じ。木が邪魔して「ご尊顔」を拝むことができません。ったく…。



それでも、なんとか接写したい…。そんな気持ちから近づいてパチリ。越流式の洪水吐なんですね。



実際に行ってみて、正直なところガッカリしました。これが河内ダムという表示や看板がどこにも見当たらないからです。築造されたのは相当古いのはわかりますが、それを示す諸元表もありません。

どないやねん!と思いながらネットで検索してみると、このダムの少し下流に「鳥羽河内ダム」なるものが建設される予定であることを知りました。もちろんそれはまだ完成していませんし、いつ完成予定なのかもわかりません。もしかすると築造されない可能性もあります。ただ、この資料からわかるのは、河内ダムという名称はどうやら正しくなく、正式には「河内農地防災ダム」だということ。また同ダムは別名「穴あきダム」とも呼ばれるそうな。

ほぉ〜。
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農民の命を繋いだ斎宮調整池

2022-01-24 06:56:35 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は三重県多気郡明和町池村(たきぐんめいわちょういけむら)にある斎宮(さいくう)調整池を目指します。アクセスは県道37号の「有爾中西(うになか・にし)」交差点をビーフロードと呼ばれる道へ曲がり、しばらく行くと「斎宮調整池」と書かれた本当に小さな看板がある交差点があるので、そこを矢印に従って入って行くと到着します。

まずは左岸の高台から撮ったベスト・ショットをどうぞ。



では、順を追って見ていきましょう。右岸へ至る道を登ってくると当該調整池が見えてきます。



右岸の横にあるこの建物が「宮川用水斎宮調整池管理事務所」。





近くには「斎宮池顕彰碑」。



その裏側には斎宮池の築造の経緯が記されています。それを要約すると次の通り。

斎宮村は元々神領だったが、1602年に紀州領となったのを機に農業用水不足を解消するための惣田池(そうだいけ)を建設し、斎宮地内の灌漑のために使用された。その後1676年に斎宮村は竹川、平尾、有爾中、上野の4つの村とともに再び神領に戻るも惣田池は紀州領だけの灌漑に限定されたため斎宮村に水は供給されず、たちまち水不足に悩まされることになる。それだけならまだしも年貢米の取り立てが厳しかったため農民の破産・逃亡が続いた。

このため各村の庄屋は連名で藩主に池村に溜池を構築をするよう要請したが、池村が紀州領であるという理由でその願いは聞き届けられず。農民がますます困窮していくのを憂慮した内宮庄屋の永島丈右衛門は諸々の手を尽くし、遂に1748年、紀州藩の許可を取り付けてこの地に溜池を築造することが決定。そして1753年に念願だった斎宮池が完成した。



斎宮調整池の案内板。



宮川用水についての案内板。宮川用水とは宮川の上流に造られた粟生頭首工で取水された水を伊勢平野南部の農地へ供給する水路のことで、1957年から国営宮川用水土地改良事業が開始。1964年に粟生頭首工が完成。1966年には導水路および幹線水路が整備されます。現在の斎宮調整池が整備・完成したのは2010年だそうです。



では、いよいよ調整池の、いわゆるダム上に向かいます。右岸、下流側から見たダムの様子。右岸横からダム下へは緩やかな階段があり降りていくことができるようです。



右岸、調整池側から見た様子。



これが、いわゆるダム上。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た貯水池の様子。水面に黒い点のように見えるのは居住する水鳥たち。チャプチャプ泳いでいます。



一方、下流側はこんな感じ。中央からも階段でダム下へ行くことができます。遠くに白く見えるガードレールのところがビーフロード。



池のほとりで休憩する水鳥たち。



その奥にあるのが余水吐。



違う角度からこれを見ると…。



左岸、調整池側からこれを見ると…。(しつこい?)



いずれにしても、増水すると水は越流式の余水吐から溢れ出て、この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



左岸から右岸を見るとこんな感じです。



左岸、調整池側から大きく眺めるとこんな感じ。



いや〜、なんでしょうね、三重県の印象なんですが空がとても広く感じます。空ってこんなに大きかったのか。

実に良い気分!
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雪化粧の平子川砂防堰堤

2022-01-23 07:08:09 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は国道477号を走っていて、以前訪れた蔵王ダム野洲川ダムの間に堰堤らしきものがあるのを発見。早速向かってみました。場所は滋賀県蒲生郡日野町熊野(がもうぐんひのちょうくまの)になります。

これが「ご尊顔」。どうやら透過型の砂防堰堤のようですね。



左岸のダム横へ行ける道があるので向かいます。近づいてきました。



堰堤本体に嵌め込まれたプレート。「平子川砂防堰堤」とあり、完成は2016年8月。高さは9.5m。



これがいわゆるダム上になります。しかしフェンスがあってその先へ行くことはできません。



左岸、上流側から見た様子。雪が積もった砂防堰堤もまたオツなものですねぇ。



さらに上流から見るとこんな感じ。堰堤の向こうに見える道路は国道477号。



堰堤名はここを流れる平子川に由来します。平子川は下流で日野川に合流し、蔵王ダムへ流れ込みます。この砂防堰堤は現在のところ国土地理院の地図に載っていないので、偶然見つけた時にはびっくりしました。ちなみにグーグル先生の地図には出ています。先生の地図は時々ちゃんとしているので困るんですよね(苦笑)
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右岸からどうぞ!…櫟野川砂防ダム

2022-01-22 06:59:01 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、昨日の記事で櫟野川(いちのがわ)沿いにある複数の床固(とこがため)を見学してきました。で、今回は当初の目的地である淀川水系の櫟野川砂防ダムを訪れます。アクセスについては昨日の記事をご覧ください。

まずは「ご尊顔」をどうぞ。



左岸のダム横に来ました。そこには櫟野川砂防ダムの案内板があります。これによると1977年にまず砂防ダムとして計画されたが、後に農業用水を貯水する目的も追加され、1979年6月に工事を開始。そして1981年3月に完成したとあります。



竣工記念碑がこちら。



近くには「清流山静」と刻まれた記念碑。この四文字の典拠は不明です。櫟野川砂防ダム竣工記念なのはわかりますが、砂防事業100年記念とはなんでしょうね。





その答えはその記念碑の裏側に記されていました。滋賀県における砂防事業は調べてみると江戸時代の1686年に栗太郡と滋賀郡で行なわれたのが最初のようです(参考)。そこから100年となると計算が合いません。じゃあ砂防事業100年は何に基づくのでしょうか。どうやらそれは明治15年(1882年)にオランダの土木技師、ヨハネス・デ・レーケ(1842-1913)の指導のもとで滋賀県大津市上田上桐生町(かみたなかみきりゅうちょう)に草津川の砂防堰堤として「オランダ堰堤」の工事に着手したことに基づいています。デ・レーケは内務省技術顧問として1873年来日し、1903年に離日する30年間に滋賀県のみならず富山県などでも数々の業績を上げました(参考)。ちなみに「オランダ堰堤」(1889年完成)は2004年に土木学会選奨土木遺産に指定されています(参考)。



で、いよいよダム上に向かうんですが、ご覧の通りフェンスがあって左岸からは行くことができません。



その傍には「櫟野川砂防ダム」のプレートが申し訳なさそうにこちらを見ています。



でも、ダム上に行くことはできないものだろうか…。地図を見ると対岸(右岸)に行く道を発見。迂回してみました。すると、木の間から「ご尊顔」が!



ラッキーなことに右岸のダム横からダム上に行くことができたんです!



中央の落水部まできました。



ダム上、中央から見た貯水側の様子。うーん、ゆったりしています。



ダム下の副ダムはこんな感じ。



ダム上、中央から右岸を見るとこんな感じです。



なぜ左岸からダム上に行ってはいけないのかは不明ですが、右岸から行けたので良しとしましょう。それにしても上に書いた「オランダ堰堤」、気になります。いつか行ってみたいと思います。
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櫟野川の床固たち、その意味

2022-01-21 07:00:50 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は滋賀県甲賀市甲賀町櫟野(こうかしこうかちょういちの)にある淀川水系の櫟野川(いちのがわ)砂防ダムを目指します。アクセスは県道131号から櫟野川に沿う道を遡って行くと到着…なんですが、目的のダムへ至る途中にいくつかの堰堤があったので、今回はそれらについてスポットを当ててみようと思います。

で、櫟野川に沿う道を進んで行くと、まず出くわすのがこの「関所」。野生動物対策と思われるゲートです。でも心配いりません。通行者は自らゲートを開閉して先へ行くことができます。



さらに進むと「櫟野川遊歩道案内図」が。ここからダムまでに3つの広場があります。下流からひとつずつ見て行くことにしましょう。



最初は「けやきひろば」。



ここには「櫟野川荒廃砂防床固(とこがため)」と記されたプレートが貼られたものが。1992年3月に完成したもので、高さは3.65mです。ちなみに床固(床固工とも記される)とは高さ5.0m以下の築造物のことで、川が縦に削られないようにする働きと川底の堆積物の流出を防ぐ目的があります。





その下流側はこんな感じ。



この上流にあるのが「山桜ひろば」。



ここにも同名の床固があります。こちらの完成は1991年2月。高さは2.5mなので先ほどのよりは少し小ぶり。







その下流はこんな感じ。



さらに上流へ向かいます。すると「小池ひろば」が。



ここにも床固があります。こちらは1990年5月に完成したもので、高さは2.2m。







その下流はこんな感じです。



小池ひろばではバーベキューをすることができるようです。



こうして見てくると櫟野川の床固は上流から順々に築造されてきたことがわかりますね。しかも床固の規模は築造されるたびに高さが増しているという事実。ということは、年々砂防対策を強化してきたということなのかもしれません。そう考えると、なかなか興味深いものがあります。

さて、次回はいよいよ当初の目的である櫟野川砂防ダムへ向かいます。お楽しみに!
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まだまだ進化するのか?…大原貯水池(ダム)

2022-01-20 06:55:23 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は滋賀県甲賀市甲賀町神(こうかしこうかちょうかみ)にある淀川水系の大原ダムを訪れます。アクセスは県道129号を進み、県道131号(鹿深の道)と分岐する場所の先の二又のところを右へ入っていくとダムの左岸に到着します。

フィルダムのようです。



下流側はこんな感じ。



左岸のダム横に来たのですが、どうやらダム上に行くことはできないようです。





左岸側に目をやると越流式の立派な洪水吐がありました。増水すると、水はここから溢れ出て、奥へ向かう水路を通り、



あちらのほうへ流れてゆきます。



洪水吐からの水路の上には2つの物体がちょこんとお行儀よく並んでいます。



ひとつはダムの案内板。築造の経緯はここを流れる大原川流域とその下流で合流する杣川(そまがわ)流域が昔から干ばつで悩まされていたことにありました。そこで1943年に大原川を堰き止めて貯水池の建設に着手します。しかし第二次世界大戦のために工事は一時中断。戦後、食糧増産の要請を受けて1947年に工事は再開。そして1954年に完成しました。その後、貯水池の老朽化が進むとともに地震時における強度不足も指摘されたため、2007年から2011年にかけて県営防災ダム事業として全体的な改修工事が行なわれ、現在に至ります。

ところで、なぜ大原貯水池と命名されたのでしょうか。大原川を堰き止めて築造されたから? それも一理あるでしょう。しかしこのダムが完成した当時、ここは大原村だったというのが最も妥当な考えかもしれません。大原村は1889年4月1日の町村制施行により大久保、神、櫟野(いちの)、大原上田、大原中、鳥居野、相模、大原市場、高野の各村が合併して始まりますが、1955年4月1日に佐山村と油日村(あぶらひむら)が合併して甲賀町として発足したため同日をもって大原村は廃止。というわけで、貯水池の完成当時は大原村だったため、「じゃあ大原貯水池と命名しよう!」となったのではないかと思われます。





貯水池でありながら、高さは27.4mもあるのでダムの条件を満たしています。したがって「大原ダム」とも呼ばれるのです。



もうひとつの「物体」は改修工事以前まで活躍していた取水設備の一部。



この付近から貯水池を見るとこんな感じ。なかなかの大きさです。



左岸沿いの道のさらに奥に管理棟があるようなので行ってみます。



これがその管理棟。だからなんだと言われても困りますが…。





そこから見たダムの様子。あれれ、気がつかなかったんですが、ダム上の貯水池側に太陽光発電のパネルがぎっしりと並べられているじゃありませんか! なるほど、だからダム上は立入禁止なのかもしれません。でも、このパネルで発電した電気は何に使用されるんでしょうね。ますます気になります。



農業用水供給のためのダムとして出発した大原貯水池(ダム)ですが、今後は電気も供給するようになって行くのかもしれません。発展の道はまだまだ続く…

なんちゃって。
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忘れられた存在?…佐山頭首工

2022-01-19 07:02:30 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は滋賀県甲賀市土山町前野(こうかしつちやまちょうまえの)にある淀川水系の佐山頭首工を訪れます。アクセスは国道1号の「前野」交差点を県道24号(甲賀土山線)を南下し、野洲川(やすがわ)手前の道を右折。そして瀧樹神社(たきじんじゃ)方面へ行き、その先に当該の頭首工が見えてきます。

ところで、この頭首工の名称ですが、なぜ佐山なのでしょうか。周囲にそれらしき地名は見当たりません。気になったので調べてみました。どうやら野洲川のこのあたりの左岸側は以前「佐山村」だったことと関係がありそう。佐山村は1889年4月1日の町村制の施行により隠岐村、神保村、小佐治村、岩室村、和野村、嶬峨村(ぎがむら)がまとまって佐山村となります。そして1955年4月1日に佐山村は大原村、油日村(あぶらひむら)と合併して甲賀町になったため、この日をもって佐山村の名称は廃止となったそうな。

で、この頭首工は1966年に着工し、翌67年に完成するわけですが(参考)、その名称はおそらくかつてこの付近が佐山村だったことにちなんで命名されたものと思われます。そんなことは現場にはどこにも説明はありませんけどね。

そんなこんなで到着しました。野洲川の右岸から見ると頭首工はこんな感じ。



どうやら左岸のほうに取水口があるようです。



これが真横から見た佐山頭首工の姿。



すぐ近くには四畳半ほどの建物。詰所か何かでしょうか。



その壁には水利使用標識が貼られています。



では、左岸に向かって頭首工の上を歩いてみることに。中央から上流側を見るとこんな感じ。野洲川を横切っている橋のところは県道24号(甲賀土山線)です。



一方、下流側はこんな景色です。言うまでもありませんが、野洲川の水量が多い時はここも川になるんです。



そこから右岸を見るとこんな感じ。



左岸側の設備に目を向けます。この日の流量は少ないながらも澄んだ水が流れていました。以前訪れた「野洲川ダム」、そして「青土ダム」の圧巻の洪水吐から流れてきた水がここに至るわけです。そう考えると感慨深いものがありますね。



通常、水の流れは左岸側のようで、その中央寄りには魚道があるんですが、この時は全く機能していませんでした。



左岸側から勢い良く流れ出る水。見ているだけで清々しい気分になります。



おそらくこの裏側あたりに取水口があって、そこから分水して左岸側の農地へ流れてゆくのではないでしょうか。いずれにしても現地にはそうした説明のための案内板が全くないので残念でなりません。この頭首工とて野洲川農業水利事業計画の一旦を担っているのですから下流にある石部頭首工、水口頭首工同様に丁寧な案内板があってもいいんじゃないかと思うんですけどね。それとも、もう用済み?

そりゃないぜ、セニョール!
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目立たないところに…鎌掛頭首工

2022-01-18 16:07:30 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は滋賀県蒲生郡日野町鎌掛(がもうぐんひのちょうかいがけ)にある淀川水系の鎌掛頭首工を訪れます。アクセスは県道182号沿いにあるおかちん本舗 加名田米菓研究所近江ヒルズゴルフ倶楽部の間にあります。

到着しました。雪が残っています。日陰なので画像が映えませんね。ここは2段階で取水するようになっているようです。まずは上流側の1段目。



ズームすると越流する場所に細いパイプが並んでいて、そこを通る水が分水する仕組みのようです。



分水した水は右岸の水路を通って流れてゆきます。



ひとつめの堰堤のすぐ下流にもう1つの堰堤があります。そこは川の勢いを抑制するだけであって特に取水していません。





この下流に2番めの取水口のある堰堤があります。



それがこちら。見ると今度は左岸側に取水口が見えますね。この柵状になっているところから取水するようです。





下流はこんな感じ…といってもよくわかりませんね。とほほ。



県道182号を挟んだ反対側に管理所らしきものがありますが、それを示すプレートはありません。写真を撮り忘れましたが、この建物の裏側に配水池のようなものがあるので建物はその操作所かもしれません。



雪がなければ頭首工のある北砂川の近くまで降りて見るのですが、危険を感じたので県道から見ただけでした。
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ほとんど放置状態?…今郷貯水池

2022-01-17 07:08:40 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は滋賀県甲賀市水口町今郷(こうかしみなくちちょういまごう)にある淀川水系の今郷貯水池を訪れます。アクセスは県道182号から入って行くと到着します。ちょっとわかりにくいかもしれませんが。

右岸に到着しました。



これがいわゆるダム上。歩いてみます。



ダム上、中央から見た貯水側の様子。ゆったり、のんびり時間が過ぎている感じ。



一方、下流側はこんな感じです。



おや? これは何かな? 分水工のようにも見えます。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



洪水吐は左岸側にあって、ある程度の水位になると溢れ出すという構造のようです。これも越流式というんでしょうか。





そして溢れた水はこの水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



ダム上、およびタム横周辺にはここが今郷貯水池であるという案内板はありません。何もないのかなと思いながら貯水池を後にしようとした時、なんと右岸へ至る道の途中にありました。うっかりすると気づきませんが、ちゃんと「今郷貯水池」と刻まれているのがわかりますね。やれやれ、一安心です。



そんなわけで、今郷貯水池の成立の経緯などはわかりませんでした。農業用のため池なのかもしれませんね。知らんけど。
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