ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

もう釣堀でいいじゃん…鳴沢ダム

2021-12-21 15:14:31 | 群馬(ダム/堰堤)
雑誌編集部から「今月は年末進行ということで締切が早めになります」との連絡。12月は例年そうなのですが、考えてみればこれって要するに印刷屋の都合なんですよね。奴らはフツーに「正月休みを取るので早く入稿しろよな!」と圧力を掛けてくるわけです。最近はあまりありませんが、ひと頃は毎年正月返上でヒーヒー言いながら原稿を書いていました。正月明け締切の原稿があったからです。印刷屋の勝手で我々ライターは毎年翻弄される…。理不尽だなあと思いますが、仕方がない。あーあ。

あ、すみません。愚痴りました。どーも、ワシです。今回は群馬県高崎市箕郷町(みさとまち)富岡にある利根川水系の鳴沢(なるさわ)ダムを訪れます。ダム名はかつてこの場所に鳴沢寺があったことに由来するそうな(参考)。すごいねぇ、ダムを作るためには寺まで潰しちゃうんだからさ。アクセスは県道137号を行くと見えてきます。

県道からちょっと入ると到着です。これが左岸から見たダム上。



貯水湖の名称は鳴沢湖。山の中でなく、平場にあるダムによくあるパターンですがここも釣堀みたいな感じ。ワカサギを養殖しているそうな。



「ワカサギ釣りは秋から冬の期間です」とありますが、具体的な日にちが記されていません。こういうのって「じゃあ、いつからいつなんだ?」と思いませんか? こうした曖昧さ、好かんです。利用者だって困惑するだろうに。もっとも、この記事の上にあるリンク先には具体的な営業期間・時間が書かれているからいいじゃないかというのはお役所的な発想。現場に記してこそ意味があるんじゃないの?



ダム上、中央から見た鳴沢湖の様子。



一方、下流側はこんな感じ。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。



左岸、下流側から見たダムの様子。



鳴沢湖側からダムを見るとこんな感じ。



洪水吐は左岸の端にあって、ダム上から見るとこんな位置にあります。



それを裏側から見るとこんな感じ。越流式なのがわかりますね。



左岸には「鳴沢湖の概要」を記した案内板があります。元々は農業の灌漑用貯水池として1937年に着工し、1950年に完成したとあります。



その隣には釣場利用者への案内板。うーん、まあ先ほどの看板よりは具体的ですが、なんかツメが甘いような…。



山の中でなく人里にあるダムは大体が釣堀化しています。ダム自体はオープンなのでそれが悪いとは思いません。でも、カネを取るような商業化したダムは個人的にはあまり好きじゃない。構造上はダムなのかもしれませんが、表記上は「鳴沢釣堀」でいいんじゃないか…と。あくまで私見ですけどね。
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谷にあるから…川場谷ダム

2021-12-20 07:08:49 | 群馬(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、グーグル先生の地図を見ていたら群馬県利根郡川場村川場湯原(かわばむらかわばゆはら)に利根川水系の川場谷(かわばだに)ダムというのがあるのを見つけました。そこで今回はこのダムへ行ってみようと思います。アクセスは以前訪れた平出ダム近くの県道64号を登って行くと到着するようです。

地図に示す場所に来ました。カーブ付近に石碑らしきものが見えます。近づいて確認しましょう。



まずは、これ。諸元を記した石碑です。1983年8月に着工し、1988年12月に完成したとあります。





次に、これ。定礎と刻まれた石碑。1984年11月とあります。





そこから見下ろすとダムはこんな風に見えます。形状からするとこれは砂防ダムですね。



ダム横まで降りてみました。ところが残念ながら鉄柵があってダム上に行くことはできず…。とほほ。



仕方ないので、上流側からダムを見るとこんな感じ。



ダム横から上流側を見るとこんな景色です。



県道のカーブのところにはこんな看板が。「川場かるた散策」? 調べてみると川場かるたは2009年12月に川場村の村政120周年を記念して同村教育委員会が発行したものだそうです。川場村の良き場所をかるたにして紹介しようというものらしい。で、「か」の札がこのダムというわけ(参考)。





観光名所をかるたにするというのは面白い試みだと思いますし、良いと思います。でもさあ、かるたでは「川場ダム」になってますけど、正しくは「川場谷ダム」なんだよね。名称の表記を間違えるのはまずいんじゃないかなあ。誰も気づかなかったんでしょうか…。ましてや教育委員会が発行したんでしょ? 正しく教育してよね〜。
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大滝調整池の大滝堰堤

2021-12-19 06:51:42 | 群馬(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は群馬県利根郡片品村鎌田(かたしなむらかまだ)にある利根川水系の大滝堰堤を訪れます。アクセスは国道120号沿いにある道の駅 尾瀬かたしな付近から入って行くと到着します。

堰堤の下流に架かる橋から見るとこんな感じ。



右岸側には魚道があります。お魚さんたちはここを登って上流へ向かいます。



その橋から見た下流側の景色。これをずっと下流に行くと以前訪れた薗原ダムになります。



さて、まず左岸側へ行ってみます。これは堰堤の横から見た様子。フェンスがあって立ち入ることはできません。



左岸、上流側から見た堰堤の様子です。



次に先ほどの橋を渡って右岸側へ。どうやらここは東京電力が管理している幡谷(はたや)発電所(群馬県利根郡片品村幡谷)の大滝調整池らしい。



右岸の堰堤横にあるこの建物は「幡谷発電所 大滝調整池見張所」。





何分にもフェンスがあるので堰堤に近づくことができません。逆光で暗いのですが、これが右岸側から遠巻きに見た堰堤の様子です。



敷地内にはなぜか「馬頭観世音」と「供養塔」と刻まれた石碑が…。この供養塔の裏側には大滝堰堤が1927年に竣工したと記されています。この記述は幡谷発電所が発電の運用を開始したのも1927年11月なので間違いないと思います(参考)。



それにしてもこの供養塔は何を供養するためのものなのでしょうね。裏側に何やら記されていたのですが石碑がもはや風化していて解読不可能。馬頭観世音の石碑と並んでいるので、供養の対象は、ま、まさかおウマさん? どーなんですかね。ナゾだ。
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厚着の地蔵様が見守る…土合砂防堰堤

2021-12-02 07:02:58 | 群馬(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は群馬県利根郡みなかみ町湯檜曽(ゆびそ)にある利根川水系の土合(どあい)砂防堰堤を訪れます。アクセスは上越線の土合駅近くで、その近くを走る国道291号を北上して最初の急カーブのところにあります。

【湯檜曽の由来】
ところで、湯檜曽という珍しい地名が気になったので調べてみることにしました。ある説によるとこの地域の3つの特徴をそれぞれ漢字に直したものを合わせて地名にしたそうな。つまり「湯」の湧くところ、「檜(ひのき)」の森があるところ、そして「曽」の地(痩せた土地の意味)であること。これらを結合させて「湯檜曽」という地名になったという説です。もうひとつの説は奥州安倍頼時の支族が平安時代の天喜年間(1053-1058)もしくは康平年間(1058-1065)のころ、この地に温泉を発見して居を構えたそうな。当初は「湯ノ下村(ゆのすそむら)」と呼ばれたが戦国時代の天正年間(1573-1593)に現在の湯檜曽に改称したという説(参考)。ほぅほぅ。

そうこうするうちに到着しました。これですね。



堰堤の右岸に案内板があります。



当該堰堤築造のきっかけは昭和10年(1935年)に発生した洪水で湯檜曽川が荒廃したことによるそうな。そして下流域の被害を防ぐべく昭和16年(1941年)この堰堤が築造されたそうです。



2019年には土木学会選奨土木遺産に認定されています。(参考



案内板の後ろにはお地蔵さまが完全防寒態勢で堰堤を見守っています。まぁ、確かにここは寒い地域だもんね。お風邪を召しませんように!



アーチ式の砂防堰堤というのですが、左岸からでは今ひとつピンときません。



ならば右岸にまわってみると、おおっ、確かにアーチになっとる!



堰堤の高さは11.0mなのでさほど大きなものではありません。ですが土木遺産に認定されただけのことはあり実際に見るとある種の芸術性を感じたりします。
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奈良俣ダム(ダム上編)

2021-12-01 06:51:32 | 群馬(ダム/堰堤)
(続き)

まあ、そんなわけで、次にダム上に向かいます。アクセスはダム下から県道63号を左に曲がり湯の小屋温泉 照葉荘(てるはそう)の先のT字路を入って行くとトンネルの先に奈良俣ダムが見えてきます。ダムへ行くには左折、管理事務所へは右折してください。

まずはダムのほうへ行ってみましょう。ダム横に来ました。ダム上には後で行くことにして、先にこちら側にあるいろいろなものを見ることにします。



ダム横の近くにはダム湖百選のひとつに選ばれた「ならまた湖」のプレートがあります。それはいいんですが、通常、このプレートはダム湖に面して設置されるのですが目線の先にあるのは下流側の景色。これはちょっといただけないねえ。



その横には奈良俣ダムの諸元が記されたピカピカな板。これによると当該ダムは洪水調節、流水の正常な機能維持、新規用水、発電を目的とする多目的ダムで、平成2年度に完成したとあります。





少し外れた場所にあるのが「奈良俣ダム」の石碑。



なぜか空を見上げる男性裸像のブロンズ。彫刻家、分部順治(わけべじゅんじ:1911-1995)の作品です。見たことのある名前だなと思ったら以前訪れた群馬県の高津戸ダムにもこの人の作品がありましたね。経歴についてはリンク先をご覧ください。



設置されたのは1989年8月。



ブロンズのタイトルは「黎」。意味は「くろ、諸々、頃合い」なんですが、なぜこの題名にしたのでしょうか。



ダム建設にあたって材料運搬に使用された80トンダンプトラックのタイヤ。このパターン、そういえば岐阜県の徳山ダムにもありましたね。もっとも、あちらは90トンダンプのでしたが…。





左岸には「ヒルトップ奈良俣」という建物があります。何か宇宙船のように見えますね。リンク先を見るとここは防災資料館だそうで。





この建物の下には「奥利根周辺案内図」。これを見ると位置関係がわかると思います。



その付近からダムを見るとこんな感じ。左岸側に洪水吐があり、2つの自由越流式の洪水吐の間にローラーゲートによる洪水吐が挟まれています。



では、いよいよダム上を歩いてみます。その洪水吐の上から下流を見るとこんな感じです。



洪水吐を過ぎて、その先のダム上の様子。ゴツゴツした岩が欄干の代わりになっていますね。これも徳山ダムと同じ。



ダム上、中央付近から見た「ならまた湖」の様子と、案内板。





一方、下流側の景色とそれを説明する案内板。





ところで、ダム上に設置されている照明灯の支柱には全てに異なるメッセージが記されています。

「水を活かす」


「愛して水」


「水は国の宝」


「一滴の治水」


「水はいのち」


右岸側には奈良俣ダム遊歩道があり、



この長〜い階段を下りていくとダム下にある発電所まで繋がっているようです。もちろん行きませんでしたが。



そして、ようやく対岸(右岸)まで来ました。こちらの斜面には水資源機構の得意技である壁面看板がデ〜ンと掲げられています。



そして振り返るとこんな感じ。



右岸、「ならまた湖」側からダムを見た景色です。



そこには慰霊碑があります。ダム建設にあたり亡くなられた4名の名前が刻まれています。合掌。





同じく、右岸の下流側からダムを見るとこんな感じ。



さて、左岸に戻り、管理事務所の方へ行ってみます。すると途中、こんなモニュメントが。



土台には「建設碑」と記されています。



一体、何をしているんでしょうか…。



説明によると「ロックダムの生命とも言われるコンタクトクレー(コンタクトクレイとも表記されます)を施工する作業員をモデルにしたもの」だそうです。コンタクトクレーは基礎着岩面に盛り立てた粘性土のことで、これをダムの基盤面の凸凹の隙間に流し込みながら最終的に基盤面を覆う作業のことらしい(参考)。



また、奈良俣ダムは平成2年(1990年)度の土木学会技術賞を受賞したそうな(参考)。



受賞理由が記されています。



さらに上流へ行くと「ならまた湖」と記された巨岩。



そして右岸、上流側の高台にあるのが奈良俣ダム管理所。





そこからダムはこんな感じに見えます。



管理所のすぐそばにはヘリポートが併設。さすが、デカいダムにはこれがありますね。



…というわけで、奈良俣ダムは見どころ満載。見学者のことも考慮したデザイン性に優れた建造物だと思います。

いや〜、年内の滑り込みセーフで見ることができて本当に良かった!

(了)
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センスあるなぁ!…奈良俣ダム(ダム下編)

2021-11-30 07:09:55 | 群馬(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。昨日記事にした矢木沢ダムと同じく、その近くにある利根川水系の奈良俣ダム(群馬県利根郡みなかみ町藤原)もそこへ向かう管理道路が今シーズンは11月30日で閉鎖されるので行ってみました(参考)。アクセスは国道291号から県道63号に入り、ずっと行くとダム下への入口があります。

まずはダム下へ行ってみます。これが下から見上げた奈良俣ダム。



下の写真の案内図でわかるように、ダム下には発電所があります。



発電所の壁には水利使用標識が貼られています。



そして「群馬県奈良俣発電所」のプレート。



発電所は写真右側の建物。そして中央に見えるのは上の貯水湖から発電所へ送られた水の出口なのかもしれません。わかりませんが。



で、最初は気づかなかったのですが、実は県道から発電所への通路に工夫がされていたんです! これが発電所へ向かう通路。ここから発電所へ向かってみることにします。



まず目にするのは「太平洋」の文字。なんだろうなと思うじゃないですか。



その先に見えてくるのは「利根川」の文字。そうなんです、このブルーのタイル部分は海、そして川なんですね。



では、魚の身になって川を遡ってみましょう。すると二股に分かれます。



右側の川(片品川)を遡ると…以前訪れたことのある薗原ダムに行き着くんですね。



そして今度は二股になった左側の川(利根川)を遡ります。すると左から合流する川が見えてきました。赤谷川(あかやがわ)です。



その上流にもダムがあります。これも以前訪れた相俣ダムですね。



そして利根川に戻り、遡ります。するとダム上の道路が県道63号である藤原ダムが現われます。



さらに上流には須田貝ダム(リンク先には遠くから見た写真しかありませんが…)。



その上流はまた二股に分かれます。さあて、どっちへ行きましょうか。



じゃあ、まず左側へ。すると昨日記事にした矢木沢ダムへ辿り着きます。



一方、右側に進むとこの奈良俣ダムに到着。



で、見上げるとこんな景色になっているわけです。



ね? ダム下だけでも利根川水系の群馬県内の主要なダムの系統がわかるでしょ? ほとんどの見学者はダム上にしか行きません。だからこれはダム上に作ればいいのにと思うかもしれません。でも、そうじゃないんですね。利根川を遡っていけば、まず辿り着くのがダム下だからです。その場所にこれを作るから意味があるんです。そう考えるとこのダムの設計者もしくはデザイナーはセンスがあるなあと感じるんですよね。

今回はそんなわけで奈良俣ダムの下の部分の紹介でした。次回はいよいよダム上に向かい、色々見ていくことにします。

それでは!

(続く)
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ギリ、セーフ!…矢木沢ダム

2021-11-29 07:09:37 | 群馬(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。いや〜寒くなりましたね。みなさん、風邪をひかぬようご注意くださいね。

ドライブがてらダム巡りをしているわけですが、ふと「そういえば矢木沢ダムはもう行けるようになったのかな?」と思ったわけです。というのも、前回訪問した時にはダムを目前にしながら新型コロナウイルスのせいで無残にも行けなかったからです(参考)。

とにかく確認してみよう!…ということで当該ダムのサイトを見ると、なんとダムへ通じる管理道路が今シーズンは11月30日をもって閉鎖されるとな! いやいやいや、こりゃ早よ行かなアカン。

…というわけで、群馬県利根郡みなかみ町藤原矢木沢にある利根川水系の矢木沢ダムへ向かいましたよ。下流にある須田貝ダム横の管理道路からしばらく登って行くと…見えました、あれですね。



もうすぐダム横、というところで洪水吐(ウイングダム)が見えました。



そして、やっと到着。これを進んで行くと矢木沢ダム防災資料館(ネイチャービュー矢木沢)です。ただし、ここからは歩きになります。



この近くにあるのがこんな案内板。これで当該ダムの位置関係がわかると思います。







あの建物が「ネイチャービュー矢木沢」です。左側の建物は矢木沢ダム管理所。





そこからダムを見るとこんな感じ。



対岸には水資源機構ならではの壁面看板。



ダム湖名は「奥利根湖」。ダム湖百選のひとつでもあります。





周辺案内の看板。



矢木沢ダムを中心とした立体地図。なんかホイップクリームみたいで、ちょっと美味しそう(笑)



ダム横に向かいます。これがウイングダムのダム上。ウイングダムと称していますが、要するに洪水吐ですね。



ウイングダムの中央から「奥利根湖」を見るとこんな感じ。



ウイングダムから排出された水はこの水路を通って流れてゆきます。



その隅にある矢木沢ダムの看板。ここには「水資源開発公団」(1962年5月設立)と書かれていますが、それは現在の独立行政法人「水資源機構」(2003年10月設立)になる前の名称です。同機構のサイトのデータによれば矢木沢ダムの竣功は昭和42年(1967年)9月だそうです。だからこの看板の表記は水資源開発公団のままなんですね。





ここからはアーチダムのエリアに入ります。右岸から見るとこんな感じ。確かにアーチ型ですね。



アーチダムの中央から見た「奥利根湖」の様子。



一方、ダム下はこんな感じ。高さは131mなのでさすがにクラクラします。クルマの大きさが米粒くらいにしか見えないのでその高さはイメージすることができるでしょう? そういえばこれに似た景色、見覚えがあるなぁ。そうだ、以前に訪れた長野県の奈川渡ダムも同じアーチ式のコンクリードダムでしたね。もっとも、そちらは高さが155mでしたけど(参考)。



下流側の遠景はこんな感じ。



そうそう、アーチダム上の中央には「矢木沢ダム」と刻まれたプレートがあり、その裏側には諸元が記されています。





対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。ダム上の長さは352mもあるので長い長い。



左岸、下流側から見たダムの様子。やっぱりアーチってますね。(変な日本語)



そこから真下を見ると…ひぃ、足がすくみます。



左岸、「奥利根湖」側からダムを見るとこんな感じ。



そこから見上げると先ほどの壁面看板。やっぱりデカイなぁ。



さすがに11月末のダム訪問は寒いです。風もびゅーびゅー吹いてましたし。でも今回は見学することができて大満足!
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山腹工なのに床固工の推理

2021-04-19 07:06:41 | 群馬(ダム/堰堤)
そういえば、一昨日アップした烏川上流砂防堰堤のすぐ近くにこんなものがありました。



群馬県林務部が昭和51年度(1976年)に復旧治山事業として建設した山腹工(さんぷくこう)です。山腹工とは崩落した斜面がそれ以上拡大しないように柵や壁を設置する工事のことです。おそらく実施年度以前にこの場所で斜面が崩落したんでしょうね。



しかし、一番上の写真に見える下側のコンクリート本体には「床固工(とこがためこう)」の文字。しかも前年の昭和50年度(1975年)に行なったとあります。



ん? どういうこと? まず床固工を説明します。床固工とは言うなれば砂防堰堤の小型版で、河川法によれば高さが15m未満の設備のものは全て堰堤と呼び、さらに5m以下のものを特に床固工と言います。

なぜワシが疑問を抱いたのかというと、見た感じ、その場所は川でも渓流でもないからです。とすると、考えられるのは1975年以前ここには渓流があり、渓流の土砂の流出を防ぐために床固工が建設された。しかし同年にその渓流が土砂で埋まってしまい渓流は消失。そこが山肌に変化したため、翌年に斜面の崩落を防ぐため山腹工の工事が行なわれた…と。

まあ、そんな推理ですが、どうなんですかね。知りませんが。
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シンプルすぎひん?…八ッ場ダム

2021-04-18 06:52:20 | 群馬(ダム/堰堤)
前々から気になっていた利根川水系の八ッ場(やんば)ダムへ遂に行きました。住所は群馬県吾妻郡長野原町川原畑(あがつまぐんながのはらまちかわらはた)。アクセスは国道145号バイパスを行くとダム横に到着します。2020年に完成してすぐに行きたかったのですが、どーせミーハーなダム・ヲタクたちが押し寄せるんだろうなと思ったので様子を見ていたのです。で、もうそろそろいいかなと思い、向かった次第。

まずは左岸から見たダム本体をご覧ください。



いきなりダムの写真を載せましたが、国道沿いにすぐダムがあるわけじゃありません。ダムへの入口はこの電光掲示板が目印になります。



入口を進むと広い駐車場があり、その先に「国土交通省 八ッ場ダム管理支所」の建物があります。





管理支所の中には八ッ場ダムを説明するための展示施設があります。入ってみましょう。



下の写真のように、このダムは「洪水調節」「流水機能の維持」「水道用水の供給」「発電」の役割を果たす多目的ダムだそうで。



ダムの構造図です。写真の下に見えるように「八ッ場」とはダムの左岸の地名なんですね。



ダム建設の経緯も写真付きで示されています。建設のきっかけとなったのは何と1947年にさかのぼります。同年9月15日から16日にかけて関東地方を通過したカスリーン台風は甚大な被害を起こしました。あちこちで堤防が決壊し、30万軒の家屋が浸水。1,100名もの犠牲者が出ました。これを受けて2年後の1949年に利根川改修計画がスタート。この計画のひとつが八ッ場ダムの建設だったようです。



その後の建設経過の様子は省略します。そして記憶に新しい2009年9月、当時の国土交通大臣(前原誠司)が生活改善事業の一環として八ッ場ダムの建設中止を宣言します。しかしダム事業の必要性を検討した結果、2011年に事業継続という形となり、工事は開始。2019年6月、ダム本体が完成。同年10月、試験湛水を経て八ッ場ダムは完成したということです(なお、ダムの運用開始は2020年4月1日)。



展示施設の二階にはダムの諸元を説明する図や、



常用洪水吐ゲートの模型、



非常用洪水吐設備の模型などが展示されています。



なお、写真を撮り忘れましたが、管理支所の建物の中にはダム・カードの発券機があり、来訪者はもちろん無料で受け取ることができます。ワシは取りませんでしたが。

さて、いよいよダムへ向かいます。管理支所からダムを見るとこんな感じ。



これがダム上です。



ダム上の欄干の模様のパターンです。まあ、シンプルっちゃあシンプルでいいんですが、な〜んか味気ないですよね。



ダム上、中央から見た真下はこんな感じ。訪れた日には工事をしていました。高さ116mですから、まあまあ恐怖。



下流側の遠景です。写真中央の下あたりに見えるのが吾妻峡。



一方、貯水側の景色はこんな感じです。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じの景色。いやいや、シンプルです。



右岸、下流側から見たダムの様子。



同じ場所から見たダム下の様子。



右岸、貯水側から見たダムです。



ダム見学で歩き疲れたら管理支所の隣にある「やんば茶屋」をご利用ください。寄りませんでしたが。



訪れた日、さすがにヲタクっぽい人は見かけませんでしたが、見学客はまあまあいました。まぁ知名度はありますからね、ここは。
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明るきゃ見える?…大津ダム(再訪2021)

2021-04-18 03:13:29 | 群馬(ダム/堰堤)
八ッ場ダムの上流にある吾妻川を堰き止めて作られた大津ダム(群馬県吾妻郡長野原町)を再訪しました。前回訪れた際は深夜で何も見えなかったので行って見た次第(参考)。

結論から言うと、見えませんでした…。



水利使用標識は前回から更新されているし、



近くにある管理所もバッチリ撮れています。





しかし、下の写真左に見える小径が立入禁止になっていて行けません。その先にある大津発電所付近からダムが見えるかなと期待したんですが…。



明るくても見えんもんは見えんのですわ!
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清々しい気分で!…烏川上流砂防堰堤

2021-04-17 18:39:31 | 群馬(ダム/堰堤)
群馬県高崎市倉渕町(くらぶちまち)川浦にある利根川水系の烏川(からすがわ)上流砂防堰堤に来ました。アクセスは国道406号から県道54号へ向かい、さらに県道56号へ入ります。

すると、すぐに見えてきます。お〜、なかなかの規模の堰堤です。近づいてみましょう。



案内板があります。それによると、明治43年(1910年)と昭和10年(1935年)に発生した水害により烏川下流域は多大な被害を受けたため翌年から国による砂防事業が開始。その事業のひとつとして築造されたのがこの烏川上流砂防堰堤だそうです。当時としては最先端の技術と機械を駆使し、着工から竣工(1951年5月31日)までわずか1年という異例の早さで完成したとのこと。名称は砂防堰堤ですが、高さが18mあるのでダムの定義上からすると砂防ダムですね。



2006年8月3日には国の登録有形文化財に指定されています。(参考



近づいて見ると、確かに大きく迫力があります。



すぐ下流側には副堰堤(副ダム)がありますね。



さらに烏川の下流はこんな感じ。岩がゴロゴロ…。



堰堤の横に来ました。フェンスがあって堰堤の上に行くことはできません。



上流側から見た堰堤の様子です。おお、烏川の水がとても綺麗です。



烏川上流はこんな感じ。



堰堤付近をウロウロしていたら一台のジープがやってきました。そして、

「ここで何をしているんですか?」
「いえね、この堰堤を見に来たんですよ」
「そうですか」

聞けば、この人、群馬県の職員だそうで、定期的にこの辺りを巡回し登山客などに声を掛けているそうな。年齢は40代半ばだそうですが、まだ少年のような面影が残っていて良い人そう。

「群馬県のこの辺りは良い雰囲気ですよね」
「そう言っていただけると、とても嬉しいです!」

なんてことのない会話でしたが、清々しい気分で現場を後にしたワシでありました。
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上流にある親分…四万川ダム

2021-04-16 06:55:36 | 群馬(ダム/堰堤)
ついに四万川(しまがわ)の最奥にある利根川水系の四万川ダム(群馬県吾妻郡中之条町四万)にやってきました。まずはダム下から見た「ご尊顔」をご覧ください。



なんていうんでしょうか、四万川にあるダムの親分という感じですね。ではダム横を目指します。

国道353号を登っていくと四万川ダムの右岸に到着します。ダム横手前の駐車場には案内板が2つあります。それによれば、四万川ダムは「洪水調節」「水道用水供給」「河川環境の保全」そして「発電」のための多目的ダムだそうです。





そこから見るダムはこんな感じ。



ダム横の袂には渋い作りの看板と、



枠が外れかけている「減勢工」の説明看板。



ダム本体に嵌め込まれた「四万川ダム」のプレート。1999年6月完成とあります。



これがダム上の通路。しかし、ここは左岸から右岸への一方通行になっていて、右岸から左岸へクルマで向かうには貯水湖である奥四万湖を回らないといけません。



ダム上の欄干には地元の中之条町立第一小学校の児童が作成した陶板画が多数飾られています。それが余りに多いので、ここでご紹介するのはほんの一部。なお、中之条町立第一小学校は2004年度までの名称で、2005年度以降は中之条町立中之条小学校と改称しています。







ダムのあちこちには設備の名称の説明が。ん? そういえば群馬県内の大仁田ダム桐生川ダム、そして道平川(どうだいらがわ)ダムにも似たパターンがありましたね。県営ダムには決まったパターンがあるのかもしれません。











中之条町の花はヤマユリだそうです。



ダム上、中央から見た奥四万湖の様子。



一方、ダムの真下はこんな感じ。89.5mの高さはなかなかのものです。



下流側の遠景はこんな感じ。



お〜っと、ダム上にはオリジナルのマンホールが…。その道のマニアが見たらたまらんでしょうねえ。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



左岸、下流側から見たダムの様子。



左岸には「四万川ダム 竣工記念碑」があり、傍には「四万川ダムの概要」が記されています。





その隣に建っているのが管理事務所。





右岸に戻ります。こちら側には「四万せせらぎ資料館」なるものがあります。





資料館内部はさほど広いわけではありませんが、興味深い資料や展示物があって楽しめます。







見て、学んで、楽しめる。四万川ダムはそんな場所です。
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なかなか渋いゾ…四万取水ダム

2021-04-15 06:51:02 | 群馬(ダム/堰堤)
前回の中之条ダムから国道353号を四万川沿いにさらに遡ります。ゴキゲンに走行していると突然音楽が…。

何を隠そう、いや隠しませんが、国道上にメロディーラインが設置されているんです。曲名は《いつも何度でも》。そう、アニメーション映画『千と千尋の神隠し』(2001年公開)の主題歌ですね。でもなぜこの曲が? 調べてみると、この先にある四万(しま)温泉の老舗旅館が映画に出てくる「油屋」のイメージモデルになったからだそうな(参考)。ちなみにメロディーラインが聴けるのは四万温泉に向かう登り坂のみで、同じ場所でもくだり坂には設置されていませんのでご注意を。

そして四万温泉の手前あたりにあるのが今回訪れる利根川水系の四万取水ダム(群馬県吾妻郡中之条町四万)です。ダムは国道から見下ろしたところにあるので深夜では見つからないでしょう。



でも、大丈夫。国道上には案内表示の看板がありますからね。



国道沿いには見張所らしき建物があります。訪れた日には職員らしき人たちがワサワサしていました。



その建物の入口付近にあるのが水利使用標識。水力発電用のダムなんですね。



建物の上流側にあるのが四万発電所の概要図。このダムで取水された水が、メロディーラインとその下流にある中之条ダムの間にある四万発電所へ送られて発電に使われるんですね。ふむふむ。



で、いよいよダムへ向かうのですが、その入口は概要図からさらに上流のところに降り口があります。そこにある看板がこれ。「桃太郎の滝」? 命名の由来はわからんそうです(わからんのかい!)



階段を降りて行くと見えました。



近くまで来ました。まあまあの迫力がありますね。



これがダム横。通路を進んでみます。



ダム上、中央から見た四万川の上流の様子です。



対岸(右岸)の貯水側にあるのが取水口になります。



ダム上、中央から見た下流側の様子。



先ほど見た取水口を経た水はこの水路を通って下流の四万発電所へ向かいます。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



右岸から見たダム下の様子。この石積みの感じからすると完成したのは昭和初期頃でしょうかね。



右岸の先に道があるはずで、その先に桃太郎の滝があると看板にありましたが「立入禁止」で行けず。なんたること!



小ぶりながらも雰囲気のあるダムでした。
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還暦過ぎのナイスガイ…中之条ダム

2021-04-14 07:02:19 | 群馬(ダム/堰堤)
さて、今回から群馬県を流れる四万川(しまがわ)を遡っていこうと思います。遡るといってもワシは魚じゃないので四万川に沿って走る国道353号を進みます。あ、でも、色々な川を遡ろうとする魚、通称「アドヴェンチャー・フィッシュ」がいたら面白いですよね。

「いや〜、●●川には苦戦したぜ。なにせ魚道がないんだもんなぁ…」とか
「それに比べたら、●●川は楽勝だったな。立派な魚道があったし…」

なんて会話がSNSに…いやいや、ないない、そんなこと。

冗談はさておき、まず現れるのが群馬県吾妻郡中之条町四万にある利根川水系の中之条ダムです。その「ご尊顔」をご覧ください。実に格好がよろしい。



中之条ダムは国道沿いにあるのですが、少し低いところにあります。そこへ行く道の脇にあるのが慰霊碑。おそらくダム建設にあたり犠牲になった方がいたのでしょうね。



慰霊碑の裏面には亡くなられた方5人の名前が記されています。合掌。



では、ダム上を進んでみることにします。こうして見るとアーチ式のコンクリート・ダムであるのがわかりますね。



左岸側にある水路のようなもの。過剰に増水するとここからも排水されるんですかね。



やはり左岸の貯水側にあるのは取水口です。オルゴールの歯のような形をしたフィルターでゴミなどが入らないようにしています。なお、後ほど調べてみたところ、ここで取り込まれた水は直線距離にして約4km下流にある群馬県企業局の中之条発電所へ送られるようです。



貯水側の様子。左岸側の景色です。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。



ダムの真下はこんな感じ。



下流側の遠景です。



対岸(右岸)に来ました。やっぱりイカしてます。



先ほど見た水路は横から見るとこんな感じですね。



右岸、貯水湖側から見たダム。



左岸に戻り、国道沿いにある駐車場に行ってみます。そこには中之条ダムの案内板(1960年2月完成)や、



ちょっとオシャレな「中之条ダム」と刻まれた石碑。



その裏にはダムの諸元が記されています。おや?竣工は1960年3月になってますね。上に示した案内板では2月完成となってますが、このひと月の違いはなんなんでしょうか。



石碑のさらに隣には「中之条発電所概要図」。ほほぉ、勉強になりますな。



駐車場から見ると中之条ダムはこんな風に見えます。これもなかなかナイスなヴューですね。



ええっと、管理所はどこに? 国道を少し上流側に行ったところにありました。これです。





最後に、右岸から見たダイナミックで、迫力のある(とワシが思う)お姿をどうぞ。



還暦を過ぎたとはとても思えない格好良さ。見習いたいものです…(なんのこっちゃ)
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独特の雰囲気…赤三調整池

2021-04-13 07:05:02 | 群馬(ダム/堰堤)
前回の湖中ダムの上流にあるのが利根川水系の赤三調整池(群馬県利根郡みなかみ町相俣)です。アクセスは国道17号から県道270号に入っていき、途中から脇道を下ると到着です。

小さなダムですが、なんともいえない雰囲気があります。



これがダム横。でも、ご覧の通りダム上に行くことはできません。なお、赤三調整池という名称は下流の湖中ダムのところにある赤谷川第三発電所のための調整池という意味で付けられたようですね。



おなじみの水利使用標識です。



上流側から見た様子。



ズームすると…。



上流側の景色です。



この調整池に至る道はそこそこ狭いので、行かれる方はご注意ください。
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