ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

ひっそりと…湯の沢ダム

2022-08-14 06:56:47 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県能代市二ツ井町飛根(のしろし ふたついまちとぶね)にある米代川(よねしろがわ)水系の湯の沢(ゆのさわ)ダムを訪れます。以前訪れた横手市の「湯ノ沢沼溜池」と名称が似ているので紛らわしいんですが、もちろん違います。アクセスは奥羽本線の富根駅側から国道7号を走って来ると国道沿いに「七尾オート」というダイハツの自動車屋があり、その先のT字路を左折。秋田自動車道を潜ってさらに進んで行くと到着します。

これのようです。左岸に到着です。



左岸、貯水側からダム上を見ると、こんな感じ。



これがダム上。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。日差しが眩しい!



一方、下流側はこんな感じ。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな景色。



そこから見た貯水側の様子。貯水湖に右岸の景色が綺麗に映っていますね。



右岸から下流側を見ると、こんな感じ。



右岸側には洪水吐があります。緑が覆い被さっているのでわかりにくいですが。



そして増水時に溢れ出た水はこの水路から流れてゆきます。これも緑で覆われていてよく見えませんね。



ご覧のように、ここには「湯の沢ダム」を表示するものは何もありません。ダム便覧やグーグル先生の地図では「湯の沢ダム」と表示されているのでそうなのでしょう。ダム名の「湯の沢」はここから米代川へ流れ込んでいる川の名称(湯の沢川)に由来するものと思われます。
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これが正式名称でしょ?…菅の沢ため池

2022-08-13 06:53:07 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県能代市大森杭切沢(のしろし おおもり くいきりざわ)にある馬場目川水系の「菅の沢(すがのさわ)ダム」を訪れます。アクセスは県道4号の、カーブミラーが2つとゴミ集積所のあるT字路を入り、そのまま行くと右側にまたゴミ集積所のあるT字路があるのでそこを入ります。そしてそのまましばらく行くと目的地に到着します。いや~、説明しにくい!

その道を来るとダムの右岸に辿り着きます。そこから見た景色がこちら。



これがダム上になります。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。



一方、下流側はこんな感じ。



左岸寄りにあるこの建物は取水設備のためのもののようです。ゲート製作時期は昭和58年(1983年)11月。





その近くには「県営ため池等整備事業(大規模老朽ため池)菅の沢地区 竣工記念碑」と刻まれた石碑がデーンと置かれています。



その裏側には当該事業についての沿革が記されています。転記すると次の通り。

「本ため池は、山本町の北部に位置し、東西に長く分布する福田開墾地への用水供給を目的に、大正4年から7年迄築堤工事を行い、大正8年から共用を開始した。
 しかし堤体は完成したものの、用地取得が解決しないまま貯水敷地内用地が他へ転売され、今日に至っている。昭和37年には、これに起因する紛争が発生し、ため池の存続が危ぶまれる事態が発生したため、地域の人達で訴訟委員会を組織し、水利権妨害禁止や整備工事の仮処分を求めた。又、昭和30年頃には堤体からの漏水が発生し、堤防の脆弱化が問題となり、昭和53年には堤体内部の地すべりが発生するなど、急を要する事態となった。訴訟は、14年もの歳月を要しながらも昭和53年8月30日、秋田地方裁判所から漏水ため池の堤防修復の許可が出され、県営防災事業として改修工事を行える条件がようやく整い翌年直ちに事業申請を行い、昭和55年事業採択されたものである。
 工事着工以来昭和58年5月26日発生の「日本海中部地震」による堤体の亀裂発生、昭和59年の旧底樋の流出による異常出水等、幾多の困難をも克服し、ため池の整備がなされた。これによりため池決壊の危険性も去り、更には維持管理や水管理も極めて円滑に行われるようになった。
 今日、整備されたため池を見るとき、これまでの道程の険しさも懐かしさに変わりつつある。
 そしてまた、これらの諸問題や難工事が役員、組合員、秋田県、並びに施工業者の協力によって克服され、立派に完成されたことを記念し、事業に参加した人々の功績を讃え地域の繁栄を祈り、菅の沢ため池の歴史を後世に伝えるため山本町志渡橋、割道の受益者の手でここに記念碑を建立する。 平成4年3月吉日」

要するに、当該ため池は大正7年(1918年)に完成したが、老朽化したため県営のため池等整備事業として昭和55年(1980年)に改修工事が開始され、平成4年(1992年)3月に完了したというわけです。なるほど。

取水設備の建物の奥には洪水吐があります。越流式ですね。



建物と洪水吐との位置関係はこれでわかると思います。で、増水すると水はそこから溢れ出て、



この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。



水路の上に架かる橋を渡ると左岸になります。そこから振り返ると、こんな感じ。



そこから見た下流側の景色。



左岸から見た貯水側の様子。天候に恵まれたこともあり、ホント良い眺めでした。



どうしてもひっかかるのが名称なんです。記事の冒頭では「菅の沢ダム」と書いてますが、これはダム便覧及びグーグル先生の地図での表記にすぎません。現場を見回しましたがどこにも「菅の沢ダム」という表記はないんです。じゃあってんで国土地理院の地図を見ると「菅ノ沢堤」。この表記も現場では見当たりません。上に転記した沿革の文章には「菅の沢ため池」と記されています。一体どの表記が正しいのでしょうか。

ま、フツーに考えたら現場にある公的な記念碑に書かれた名称が優先されると思うんですけどね。だとすると、この正式名称は「菅の沢ため池」のはず。むしろ不思議なのはそうでない名称が勝手に付けられていること。そもそもそれらは何を基にしているんでしょうか。謎だなぁ。
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現場の表示は…外ノ沢堤

2022-08-12 06:51:07 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県山本郡三種町下岩川中ノ沢(みたねちょう しもいわかわ なかのさわ)にある馬場目川水系の外ノ沢堤を訪れます。アクセスは県道4号から「森岳温泉郷」方面へ行き、「←外の沢大堤」の看板のある交差点を入って行くと到着します。目的地の住所は上に書いたように中ノ沢ですが、外ノ沢(そとのさわ)は下流の地名。もしかするとこの場所は以前「外ノ沢」だったのかもしれませんね。

見えてきました。あれのようです。



右岸のダム横に到着です。



すぐ近くにある看板。この表示では「外ノ沢堤」となっています。国土地理院の地図も同じ。ところがグーグル先生の地図では「外の沢堤」。ダム便覧に至っては「外の沢ダム」。なぜ現場と異なる表示をするんでしょうね。現場に何も表示がないのならともかく、一応公的な表示があるんですからそれに従うべきじゃないかと思うんですけどねえ。



その付近から、いわゆるダム上を見るとこんな感じ。



そして、これがダム上。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た貯水側の様子。



同、下流側の景色です。



洪水吐は左岸側にあります。これを見るとかなり高い位置で越流する感じ。越流する水位がそこから2メートルほど高くなったら完全に満杯になるんじゃないかと心配になります。写真左側に見える、ガードレールの切れ目あたりには取水設備があります。



左岸から見たダム上の様子。



その場所から貯水側を見ると、こんな感じ。



先ほど見た洪水吐から水が溢れると、この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



昨日あたりまで三種町で大量の雨が降ったという報道を目にしました。被害がなかったか心配です。近年の雨の降りかたは特定の地域に大量に降る傾向がありますね。そうなると洪水や土砂崩れが発生しやすくなります。ダムや砂防堰堤はそもそも災害が発生しやすい場所に築造されてきたわけですが、こうした雨の降りかたをみるにつけ、これらの築造物の重要性を思わざるを得ません。ため池はまた違うのかもしれませんが。
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現場の表記…羽根川溜池

2022-08-11 06:53:03 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県山本郡三種町鹿渡大羽根川(みたねちょう かど おおはねがわ)にある馬場目川水系の羽根川ダムを訪れます。アクセスは秋田自動車道と並行して走る道沿いにある「はねがわ森林公園」の看板のあるところを入って行くと到着します。

見えてきました。あれですね。



右岸に到着です。そこから見た景色。



右岸、貯水側から見たダムの様子。



これがダム上。特に立入禁止でもなさそうなので行ってみます。白いガードレールの下が洪水吐の水路になっています。



そのガードレールところから洪水吐を見ると、こんな感じ。増水すると水はここから溢れ出て、



この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。良き眺めです。



下流側はこんな感じ。向こうに見えるガードレールのところが先ほど来た道になります。



対岸(左岸)には「県営羽根川溜池 竣工記念碑」があります。



裏側には「碑文」と題された文章が記されているんですが、ところどころ読めないので要約します。

「農民の歴史は水との斗(たたか)いであり、この地域における用水は東側丘陵より流れ出る河川と数多く点在する小さな溜池のみで他に灌漑の方法がなかった。渇水期は旱魃に泣き増水期には水害を被る状態を幾百年も続けてきた。こうした大自然の災害を人間の力よって克服すべく昭和32年(1957年)県営排水事業としてこの地に堤高17.7米、堤長138米有効貯水量85万6千立法米の土堰堤の築造に着手することが決定。しかし幾多の議論が百出し事業は困難を極め、遂には一時中止の声等も上がった。だが理事長及び全役員よく団結協力して諸々の難事に対処し本日の完成を見た次第である。そこで当時を偲び一文を草し後世の礎とする。
 昭和41年6月22日
山本郡琴丘町鹿渡土地改良区
理事長・児玉専太郎 (以下、略)」

ここに出てくる琴丘町は1955年4月1日から2006年3月19日まで存在した町で、現在は山本町と八竜町(はちりゅうまち)と合併して三種町になっています。

対岸(左岸)からダム上を見ると、こんな感じ。



左岸、溜池側から見た様子。



同、下流側を見るとこんな感じ。



地図やダム便覧にはここの名称は「羽根川ダム」となっていますが、上に書いたように現地にはそのように記されてはいません。従ってここでは記念碑に書かれている「羽根川溜池」と記すことにします。
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秋田県最大の「大堤」

2022-08-10 06:57:26 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県男鹿市北浦北浦十二桜(おがし きたうらきたうら じゅうにざくら)にある加茂川水系の大堤(おおづつみ)と思われる場所へ行ってみます。ここはダム便覧に載っているので訪問するわけですが、その場所は地図を見ても「大堤」とは書いていません。とりあえず行ってみましょう。アクセスは「なまはげライン」から「温浴ランドおが」方面へ曲がり、坂を登った最初の変則的T字路を斜め後方へ。そして細道をすぐ右折して行くと到着します。

どうやらここのようです。これが左岸から見たダム上になります。写真に見える橋の下は洪水吐の水路らしい。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。



同、下流側はこんな感じ。向こうに見えている道路は「なまはげライン」。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな景色。



右岸から見た貯水側の景色。



ご覧のように周囲は木が生い茂っています。左岸に洪水吐があるとわかったのもダム上から左岸を見て判明しました。写真の洪水吐の右側には取水設備があるようです。



その取水設備の建物を覗き込むと…なるほど、これでここが大堤と呼ばれているわけなんですね。



何気なく秋田県が作成した「ため池データベース」を見てみると「大堤」と称するため池は何とここを含めて34もあることがわかりました。その中でもここの大堤の高さは15.6mあり、ダムの条件を満たしています。以下は秋田県内にある「大堤」と称するため池の場所を示したものです。( )内は高さ。どーでもいいデータですが、ご参考まで。

秋田市河辺河辺町戸島本町(6.7m)/

能代市鰄渕(3.1m)、同市二ツ井町麻生(3.4m)/

横手市安本(3.0m)、同市雄物川町矢神(3.0m)/

大館市芦田子(4.0m)、同市白沢(5.0m)/

男鹿市脇本百川(9.0m)/

由利本荘市曲沢(5.0m)、同市森子(4.0m)、同市黒沢(4.0m)、同市鳥海町下笹子(3.0m)、同市鳥海町才ノ神(1.7m)、同市東由利宿(7.0m)、同市東由利老方(6.9m)、同市岩野目沢(10.6m)、同市北福田(2.4m)/

大仙市協和荒川(4.0m)、同市太田町太田(7.0m)/

北秋田市今泉(6.5m)、同市脇神(3.0m)、同市米内沢(6.0m)/

にかほ市両前寺(5.0m)、同市院内(4.2m)、同市小国(3.0m)、同市前川(3.0m)、同市象潟(2.5m)/

山本郡三種町森岳(2.4m)、同郡同町志戸橋(1.5m)、同郡同町志戸橋字塞ノ神(3.0m)/

山本郡八峰町峰浜塙(1.8m)/

南秋田郡五城目町高崎(3.8m)、同郡同町馬場目(3.3m)/
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長兄として?…真山1号ダム

2022-08-08 07:02:03 | 秋田(ダム/堰堤)
えー、どーも、ワシです。今回は秋田県男鹿市北浦真山水喰沢(おがし きたうらしんざん みずくいさわ)にある真山1号ダムを訪れます。アクセスは「なまはげライン」沿いにある「なまはげ直売所」のところの交差点を「なまはげ館」方面へ曲がり、道なりに進み、「なまはげ館」の少し手前の細い道を入って行くと到着します(グーグル先生の地図にはその細道は出ていませんが「北浦真山」の文字あたりにその入口があります)。

それにしても、何やら奇妙な名称のダムですよね。仮面ライダー1号みたいな…。真山はもちろんここの地名に由来するものです。じゃあ「1号」ってなに?…って思うじゃないですか。「1号」があるなら「2号」もあるのか? そう思いますよね。当然の疑問です。そこで調べてみると確かにありました(あるんかい!)。

「秋田県のため池データベース」を見ると「真山○号」というため池は1号から5号まであるんです。今回訪れる「1号」の高さは17.4mで、確かにダムの条件を満たしています。だからダム便覧にも載っているのでしょう。でも、そのデータベースを見ると「4号」の高さが15m、そして「5号」の高さが17mで、これらもダムの条件を満たしています。ところがそれらはダム便覧には載っていません。なぜなんでしょうね。真山1号は真山ダム兄弟の長男なので(?)代表して載っているんでしょうか。「ここは、ほれ、兄ちゃんは長男だからさ。ダム便覧には兄弟の代表して載るわ!」ってな感じ?(ホントか?おい!)

そんなわけで、左岸のダム横に到着です。これがダム上になります。



左岸、ダム横から下流側を見ると、こんな感じ。



左岸のダム横のところにはなにやら得体の知れないモノが…。簡易的な取水装置?



まあ、いいや。とりあえずフカフカのダム上を歩いてみます。ダム上、中央から貯水側を見ると、こんな感じ。



一方、下流側の景色です。はるか向こうに日本海が見えるらしいんですが、よくわかりませんでした。



草に足を取られながらも対岸(右岸)に到着。振り返ると、こんな感じ。



右岸から見た下流側の景色です。



洪水吐は右岸側にあります。ダム上から見るとこんな感じ。



それを違う角度から見ると、こんな感じ。規模は小さいながらも越流式になっています。そして増水すると水はここから溢れ出て、



この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。



上にも書いたように「真山4号」「真山5号」もダムの条件をクリアしているので訪れてみようかとも思ったのですが、その場所が特定できないので諦めることにしました。もっとも、この「真山1号」だってそれを示す看板があるわけでもなし。グーグル先生の地図に載っていたから行ったまでのこと。そもそも真山兄弟はため池だしなぁ。最近、ちょっと「ため池恐怖症」になってるし…。
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秋田県の滝川ダム

2022-08-05 06:57:50 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県男鹿市男鹿中滝川三ツ森(おがし おがなかたきがわ みつもり)にある滝川水系の滝川(たきかわ)ダムを訪れます。ダム名は「たきかわ」なのに住所のほうは「たきがわ」なのはなんとも紛らわしいですね。それはともかく、アクセスは国道101号から男鹿温泉郷へ向かう「なまはげライン」に入り、途中の「航空自衛隊5.8km」の表示のある交差点を左折。そのまま道なりに進み、約2.8kmほど走ったところを左折して行くと到着します。

まずは左岸から見たダムをご覧ください。



でも、いきなりこの景色が見えるわけじゃありません。ダム横に至る手前には滝川ダムの案内板があります。それによると、この滝川は毛無山(けなしやま:標高677m)を源とする川ですが、急流であることから降雨時には一気に増水する一方、晴天が続くと渇水するというややこしい河川だそうな。そこで農業用水の安定供給を図り、農業経営の安定向上に資することを目的としてこの滝川ダムが築造されたそうです。



案内板の隣には「清流豊穣」と題された滝川地区かんがい排水事業竣工記念碑があります。清流豊穣の典拠は不明ですが、文字通り訳せば「清き流れは五穀豊穣をもたらす」といった意味でしょうか。1998年10月建立。



その裏側に書かれている文章の内容は、上の案内板に書かれていることとほぼ同じ。追加内容としては工事の着手が昭和39年(1964年)で、完成が平成10年(1998年)くらいかな。





これらの案内板と石碑の先に行くとダムの左岸になります。左岸側には立派な洪水吐があります。



左岸のダム横から見たダム上の様子。



左岸、下流側からダムを見ると、こんな感じ。形式はフィルダムで、本当はこれを冒頭に載せようと思ったのですが草だらけで「絵的に」映えないのでやめました。



では、ダム上を歩いてみましょう(車両通行可)。洪水吐の水路に架かる橋から見た洪水吐の様子です。増水すると水はここから溢れ出て、



この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。



同じ場所から先ほど見た左岸側の洪水吐を見ると、こんな感じ。



一方、下流側はというと…もう木しか見えません。



対岸(右岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



右岸、下流側の景色。やっぱり木だらけの面白味のない景色です。



右岸の貯水側にあるこの建物は管理所でしょうか。でも、それを示すものはありませんでした。



建物の土台のところには「定礎」のプレート。平成4年(1992年)7月とあります。



この建物からダムを見ると、こんな感じ。



正直な感想として、男鹿半島の山の中にこんな立派なダムがあるとは思いませんでした。そういえば、同名のダムが福島県双葉郡富岡町にもありましたね(参考)。また三重県伊賀市にもあるようですが(こちらは「たきがわ」)、そのうち行ってみようと思います。
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兎品沢の木製床固工

2022-08-04 06:51:39 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県南秋田郡五城目町兎品沢(ごじょうめまち とひんざわ)にある木製床固工(とこがためこう)を紹介します。アクセスは国道285号沿いにある「森山森林公園 五城目城 森山頂上」の看板のところを入り、道なりにしばらく登っていくと左側に現われます。

それが、こちら。



これね、実は偶然見つけたものなんです。道沿いに「木製床固工」と記された案内板がありゃ、そりゃ気づくわな。



施工の手順も写真で紹介されています。ここの床固工は2005年に作られたものだそうで。



早速、近づいてみます。前にもどこかで説明しましたが、床固工は高さが5m以下の築造物を指します。なので、簡単に、いわゆるダム横に行くことができます。そして、これがダム上の様子。全体が草に覆われているので「これは床固工だよ」と言われなければなんだかわかりませんね。



ダム上の中央から落水部を撮ったもの。いや、ホントになんだかわかりませんね。



ダム上から下流の道を見ると、こんな感じ。



この床固工は完全に木製なのでコンクリートに比べ強度は格段に落ちます。でも自然に優しいし、朽ちる頃にはまた作り直されるのでしょう。木製といえば、以前東京都青梅市にある栗山林道治山ダムもそうでしたね。もっとも、こちらは木製校倉式ですが。
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つつみ隠さず見せてよぉ…小倉堤

2022-08-03 07:03:29 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県南秋田郡五城目町内川小倉(ごじょうめまち うちかわおぐら)にある小倉堤(おぐらつつみ)を訪れます。ダム便覧では「大由沢(おおよしざわ)溜池」という名称でもあると書いてありますが、グーグル先生の地図や国土地理院の地図には「小倉堤」と記されているので、ここではそれに従うことにします。アクセスは国道285号沿いにある「R285ショップ」の交差点を北方向へ曲がり県道4号に入ります。しばらく行くと「←ストックヤード」の看板のある二又の道が現われるので左のほうの道に進みます。そして道はまたまた二又に分かれるので今度は右方向へ。そのまま進んで行くと目的地に到着です。

あと少しで到着というところで、な、なんと、行く手を阻むゲートが!向こうにダム上が見えています。



ゲートに寄りかかるようにして撮ったのがこれ。見えているのに行けない。それが一番ショックなんですよね。



そんなわけで、今回のドライヴはこれにて終了。ちなみに小倉堤という名称はここの地名に由来するものと思われます。ダム便覧の「大由沢溜池」の名称の由来はわかりません。
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築造は義なり…萩形ダム

2022-08-02 06:51:55 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県北秋田郡上小阿仁村南沢小阿仁奥山(かみこあにむら みなみざわ こあにおくやま)にある米代川(よねしろがわ)水系の萩形(はぎなり)ダムを訪れます。ダム名はその上流の地名が萩形なので、それに由来するものと思われます。アクセスは国道285号から県道129号(杉沢小阿仁線)へ入り、そのまま行くと到着します。

【小阿仁の由来】(参考
珍しい地名なので調べてみました。秋田県の三種町(みたねちょう)と能代市(のしろし)にまたがる房住山(ぼうじゅうざん:標高409m)一帯はその昔高倉長者と呼ばれる族長が支配していました。そのひとり娘である「たつこ」は成長して「阿仁」という名の婿をとります。その後長者に男子(実子)、つまり「たつこ」の弟が誕生します。高倉長者はあとになって財産争いが起きないようにとクジ引きで土地を分けることにしました。その結果、阿仁は米内沢(よないざわ:現在の北秋田郡森吉町)に、実子は現在の北秋田市鎌沢に住んでそれぞれの地を支配します。娘婿と実子はその後山地を開拓し、娘婿は大阿仁と呼ばれる現在の秋田内陸線「比立内駅(ひたちないえき)」付近の比立内地区を支配し、これに対し実子は「小阿仁」と呼ばれ、今回の当該ダムのある萩形地区を治めたことから後に上小阿仁村の誕生(1889年)に繋がったものと思われます。

ちなみに下小阿仁村と呼ばれる村も1889年に誕生していますが、1995年3月末日をもって3村(上大野村、下大野村、落合村)と合併して北秋田郡合川町(あいかわまち)となり廃止。さらには2005年3月22日に鷹巣町(たかのすまち)、森吉町、阿仁町と合併して現在は北秋田市になっています。ところで、以前訪れた「玉川ダム」の記事の中で「辰子伝説」を紹介しましたが、この辰子は「たつこ」とは別の人物なのでしょうか。両者は地理的には近いので、もしかすると同一人物なのかも?

【米代川の由来】(参考
ついでに米代川の由来も調べてみました。この地域に古くから伝わる「だんぶり長者」という民話によれば、米のとぎ汁で川が白く濁ったことから昔は「米白川」と呼ばれていたそうな。ちなみに「だんぶり」とはトンボのこと。でも、なぜ「白」が「代」に変わったんでしょうねえ。

まあ、そんなこんなで到着しました。この県道129号、なかなかの「険道(険しい道)」で驚き。ダム横へはトンネルの手前から入っていきます。辛抱して走ってきた甲斐もあり、「ご尊顔」も心なしかステキに見えます。



左岸のダム横には次のように記された碑があります。転記すると、

「治水の技術 こゝに集中せり 小阿仁の開発 これより始まる」

なんだか気合いが入っている文言ですね。これはどういう意味なんでしょうか。次に書かれた一文で謎が解けました。つまり萩形ダムは秋田県による県営ダムとして最初の築造物だったのです。そりゃ気合も入るわなぁ。





その背後には慰霊碑があります。裏側にはダム建設で亡くなられた7人の名前が刻まれています(うち1人は病死)。合掌。





ダム本体の親柱に相当するところには「萩形ダム」のプレートが嵌め込まれています。昭和41年(1966年)10月竣功とありますね。



これが左岸から見たダム上。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た貯水側の景色です。



一方、ダムの真下を覗くと…、後で知るのですが高さが61mにしては高く感じました。写真中央上に見える道路沿いにある建物が萩形発電所。



そして下流側の遠景。よくもまあこんな場所にダムを築造したなと改めて思います。



対岸(右岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。向こう(左岸)に見えるオレンジ色の屋根の建物がどうやら管理事務所のようですね。後で行ってみましょう。



右岸、上流側から見たダムの様子。



同、下流側から見ると、こんな感じです。



ダム上から見た管理事務所です。一般の見学者があそこへ行くには一旦県道へ出て、短く狭いトンネルを潜らないといけません。せっかく来たので行ってみます。



管理事務所の壁には「萩形ダムのあらまし」が記された案内板があります。それによると、洪水調節、流水の正常な機能維持、発電の3つの目的をもつ多目的ダムだそうです。昭和36年(1961年)に着工し、昭和41年(1966)10月に完成。



萩形発電所の案内図。この運用開始は比較的新しく、2014年4月。(参考



この管理事務所は萩形ダムだけでなく、森吉ダム(未見)の管理事務所も兼ねているんですね。



管理事務所から見たダムの様子。



最初にダム名は萩形という地名に由来すると書きましたが、萩形とその読み方(はぎなり)の由来もわかりませんでした。記録によると、この地は江戸時代には狩猟を生業とするマタギが住んでいて、萩形ダムの完成により10戸が水没、30戸が離村したことでマタギたちも消えたそうな。もしかすると、150年近く続いたマタギの狩猟文化がそうした特殊な読み方を生み出したのかも。知りませんが。
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元和からの…真崎堰頭首工

2022-08-01 06:54:33 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は秋田県南秋田郡五城目町馬場目帝釈寺(ごじょうめまち ばばめ たいしゃくじ)にある馬場目川水系の真崎堰頭首工を訪れます。アクセスは県道15号沿いの「帝釈寺」と表示された看板のところを北へ向かって行くと到着します。ちなみに今回の目的地はグーグル先生の地図では「真崎堰竣工記念碑」と表示されているところです。

到着しました。馬場目川に設置された頭首工を下流側から見た様子。仲良し三兄弟といった感じです。



順を追って見ていきます。先ほど示した道を来ると頭首工の手前に小さな橋があり、そこから頭首工を見ると、こんな感じです。よく見ると、頭首工の上流側に取水口があるのがわかりますね。(赤色のところ)





頭首工の少し上流寄りのところには「県営ため池等整備事業竣工記念碑」があります。



そこに記されている「沿革の概要」を転記しておきます。

「本真崎堰頭首工は馬場目川の中流に位置し五城目町、井川町、飯田川町の3町866ヘクタールの水田にかんがいする施設である。
 本頭首工は元和元年(1617年)佐竹藩の家臣真崎長右衛門が知行地開田のため帝釈寺地内に用水堰を築いたのが始まりである。明治に至り水利組合組織により維持管理されて来たが昭和24年のキティ台風による災害復旧工事として組合直営によりコンクリート頭首工が築造されたものであるが30有余年を経過した今日、構造物の全体的な老朽化が進み取水に支障をきたし加えて全面固定堰であることから河川堤体の余裕高不足による決壊の事態を招く等治水上の問題もあり昭和56年度に県営大規模ため池等整備事業(大規模用排水施設整備事業真崎堰地区)として新規採択されて着工し昭和59年度に総事業費2億7千万円をもってここに完成したので恩沢に浴する関係者のため本事業の概要を記し後世の証とするものである。 昭和59年6月」

あれ? 元和元年は1615年ですぜ。いかんねぇ、こういう基本的なミスは…。

※キティ台風…1949年8月31日から翌日にかけて関東地方を直撃した台風10号のこと。キティはその台風の国際名。



そこから見た頭首工の様子。



近づいてみましょう。頭首工本体に貼られたプレート。昭和58年(1983年)5月製作とあります。



下を見ると先ほどの赤い取水口が見えます。この取水口から分水した水は、



この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



頭首工の下流側には2つの石碑が寄り添うように建っています。



手前のは「顕彰碑」と題されたもの。昭和25年(1950年)12月14日に建立されたもので、上に記した記念碑から推測すると最初の頭首工が設置された時に建てられたものと思われます。ただ、石碑の風化が激しく、全てを読むことが難しい状態となっています。



その向こうにあるのは「南秋田郡真崎堰土地改良区 県営かんがい排水事業 県営老朽ため池事業 竣工記念碑」で、建立は昭和51年(1976年)5月。



その裏に記されている文を転記します。

「真崎堰かんがい排水事業は元和八年真崎家により開堀された水路を全面改良舗装したものであり、袖ヶ沢老朽ため池事業は昭和11年県営事業として築造されたものを全面改修したものである。画期的両大事業の完成は一千名組合員及び総代の協力と関係役員の努力が実を結んだものである」

あれれ、上の「沿革の概要」には元和元年とありますが、ここでは元和八年となっていますね。



どうやらこの記念碑は2つの事業に関する竣工記念碑で、県営かんがい排水事業の工事期間は昭和39年から7年間、県営老朽ため池事業の工事期間は昭和46年から5年間で完成したということのようです。





そのあたりから頭首工を見ると、こんな感じ。



そして馬場目川の下流方向の景色。



こうしてみると現在の真崎堰頭首工に到るまでには長い歴史があったことがわかります。ただ、気になるのは頭首工名の「真崎堰」の読み方。真崎長右衛門に由来するのでしょうが、これは「まさきぜき」なのか「まざきぜき」なのか、はたまた「しんざきぜき」と読むのか…。

余談ですが、これらの石碑をジーっと眺めていたら近くの民家の窓がガラッと開いて、上半身裸の爺さんがこちらをジーっと見つめていました。こちらはそんなことは気にならないんですが、向こうからすると「なにしてんだ、おめえ」と思ったんでしょうね。
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秋田県の井川ダム

2022-07-31 06:54:50 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県南秋田郡井川町井内(いかわまち いない)にある馬場目川(ばばめがわ)水系の井川ダムを訪れます。アクセスは国道285号の「湖東のやさい畑」の看板のある交差点を東方向に進み、突き当りを右折します。そして県道228号を道なりに進んで行くと目的地に到着です。

ちなみに馬場目川の名称ですが、「ばば」は崖の意、「め」は狭いという意味らしい(参考)。狭いという意味の「め」は数日前の旭川ダムの記事で書いたようにもしかするとアイヌ語に由来するのかもしれませんね。さらにちなむとアイヌ語で崖は「ピラ」と言うんだそうな。だから「ばば」はアイヌ語に由来するものではなさそうです。

そんなこんなで当該ダムの右岸まで来たんですが、ちょうどその時、作業員たちがそこで伐採した木材を移動していたので、しばし待機。ワシのクルマに気づいた作業員のひとりが近づいて来て、

「あの〜、急いでます?」
「いえ、まったく。ゆっくりやってくださいな」

その作業員の兄ちゃん、別の作業員が道を開けるまでの間、ワシを飽きさせないようにするためなのか世間話を開始。なかなかの気遣い君です。しばらく喋っていて、ふと彼の話し方にほとんど訛りがないことに気づきました。

「あれれ、失礼だけど訛りがないですね」
「ああ、自分はこのへんの人間じゃないので」
「へえ〜、どちらのご出身?」
「自分、宮城と福島のハーフです」

うははは、ハーフ…。面白い言い方をする兄ちゃんです。もっとも、間違いじゃないんでしょうけどね。

そうこうするうちに道が空いたのでダム見学を開始。ご覧の通り、このダムの形状は独特で、洪水吐が右岸のダム横から離れたところにあります。



向こうに見えるのがダム上。つまり洪水吐からの水路の向こうにダム上があるわけです。だからここから直接ダム上に行くことはできません。



ダム上に行くにはちょいと下流からアクセスします。すると、ダムはこんな風に見えてきます。このあたりまではクルマで行けますが、ここからは歩いて向かいます。



ダム横に来ました。ダム上はこんな感じ。草でふかふかになっていて歩きにくいですが、ダム上を歩いてみます。



ダム上、中央から見た貯水側の景色です。



下流側は、こんな感じ。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな景色。あれれ、ピンボケだなあ。



左岸のダム横から見た貯水側の景色です。先ほどの洪水吐は写真中央あたりにあります。行ってみましょう。



フカフカの地面に苦戦しながら洪水吐のところまで来ました。このアングルからだとわかりにくいですが、



横から見ると、微妙にアーチを描いているのがわかります。



そこから溢れ出た水は、この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



実は、このダム、ダム便覧には載っていません。グーグル先生の地図で「ダム」で検索すると出てきますが、通常は出ていません。唯一、国土地理院の地図には「井川ダム」と表記されています。もちろん現場には井川ダムを示す看板すらありません。でも、井川ダム…どこかで見た覚えが。ああ、そういえば同名のダムは以前訪れた静岡県静岡市葵区にありましたね。(参考
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そこに見えているのに…箒田溜池

2022-07-30 06:53:48 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県秋田市下新城小友箒田(しもしんじょうおとも ほうきでん)にある雄物川(おものがわ)水系の箒田溜池を目指します。場所は昨日記事にした堀田溜池のすぐ北側にあるのですが、アクセスするには堀田溜池へ向かう手前のT字路を入って行くようです。

で、行ってみると、その道は完全に農道の車幅。3ナンバーのクルマではとても到達できそうにありません。クルマを置いて歩いて向かおうかとも思いましたが、周囲は水田だらけで駐車スペースもなし。というわけで、撮れた写真はこの一枚のみ。



ここはダム便覧にも掲載されていますが、基本的に農業用の溜池なのでクルマで気軽に行ける場所じゃありません。今回のことでちょっと溜池への訪問は遠慮しようかなと思ったりしています。農道で脱輪してもシャレにならんし…。
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カーテンの奥に…堀田溜池

2022-07-29 07:08:52 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県秋田市下新城小友堀田沢(しもしんじょうおとも ほったざわ)にある雄物川(おものざわ)水系の堀田溜池を訪れます。アクセスは昨日記事にした猿田沢溜池へ向かう道の手前のT字路を入って行くと到着します。

見えてきました。あれですね。屹立した木々のカーテンが開いて、登場するかのよう。



訪れた日はダム上の整備の真っ最中だったようですが、到着した時間、まだ工事が始まっていなかったので歩いてみました。ただし、いわゆるダム横へ直接クルマで行くことはできないのでそこへは歩いて登ります。



右岸、ダム横から見た貯水側の景色。時期的に貯水量は少なめ。



ダム上、中央から貯水側を見るとこんな感じ。



一方、下流側はこんな景色です。



対岸(左岸)にある取水設備の建物。



ここも洪水吐が見当たらないなと思いながら後にしましたが、後ほど国土地理院の地図で確認すると右岸側にあるようです。ちなみに現地にも地図にも堀田溜池の表示はありません。住所から推測すると溜池はここしかないので、たぶん間違いないと思います。
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立派なんだけど…猿田沢溜池

2022-07-28 06:53:43 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県秋田市下新城小友猿田沢(しもしんじょうおとも さるたざわ)にある雄物川(おものがわ)水系の猿田沢溜池を訪れます。アクセスは県道41号から菅原神社を目指し、神社の右側の道を進んでいくと到着します。

水田の向こうに…見えてきました。あれですね。



未舗装の細道を進んでいくと右岸に到着します。しかし軽車両なら右岸に行けますが、そうでなければ溜池の下にクルマを停車させて歩いて登るのが無難だと思います。で、これが、いわゆるダム上になります。



右岸から下流側を見ると、こんな感じ。



同じく、右岸から見た貯水側の景色。ダム上を進んでいきます。



ダム上、中央から貯水側を見ると、こんな感じ。水量が少ないため、溜池の中央に島のようなものが現われています。



同、中央から見た下流側の景色。のどかなもんです。



ダム上から左岸方向を見ると取水塔と取水設備があるのがわかります。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



左岸、ダム横から見た貯水側の景色。



取水塔や取水設備があったり、なかなか立派な溜池ですが、残念ながらここが猿田沢溜池であることを示す看板な案内板はありません。そういえば洪水吐が見当たらなかったように気がするのですが、どこかにあるのかな。(帰宅してから国土地理院の地図が確認すると、右岸の奥のほうに洪水吐はあるようです)
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