ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

臨時休業

2005-10-31 13:33:02 | 脳みその日常
いろいろなことがドカンといっぺんに来て、ただいま脳みそがオーバーヒートしてます。
復旧を試みていますが、いまのところ、どーにもならん。
そのため、本日は臨時休業とさせていただきます。
読者のみなさま、すみません。
コメント

やっと降りてきた

2005-10-30 10:38:49 | 脳みその日常
まったくヤキモキさせる「神様」である。ここでいう「神様」とは、平たい表現をするなら「ヤル気を起こしてくれるもの」もしくは「モチベーション」という意味。本当ならばとっくに終わっていなければならない原稿があったのだが、パソコンの前に座るもののどうにも書く気が起こらなかったのだ。こんなブログなんてすぐに書けるのにさ。

やっと規定の半分までこぎつけた。あとの半分は今日中に何とか片付けないとマズい。というのも、別の原稿の締め切りが迫っているからだ。その資料集めもまだ手をつけてないし。

そういえば某編集部から試聴するためのサンプルCDが一向に送られて来ない。どうなっているんだろう。まさか、突然送ってきて「2日ぐらいのうちに書いてくれ」なんて言うんじゃないだろうな。いや、あの編集部ならやりそうだ。

まったく白髪は増えるわ、命の縮まる思いはするわ…まるで地獄の責め苦だな、こりゃ。まあ仕事が来るだけありがたいと思うけれど、このままだと本当にシャレにならん…。

さて、もうひと頑張りだ。
コメント

前からの続き

2005-10-29 05:10:28 | 脳みその日常
なんとなく日の出町のあたりを走っていると「つるつる温泉」という看板が目にとまる。見てしまったら行くしかない。まるで吸い寄せられるように細い道を登って行った。帰宅して確認してみたら、生意気にもサイトがあるではないか! もちろんワシが行ったのは深夜だから営業なんてしてなかったけど。

で、ナビを見るとそこから先にも道が続いている。ならば行ってしまえ。ところが、真っ暗な細い林道を行くと、「この先、行けません」の看板! なぬっ、行けないとな! ならば仕方ない。引き返そう。

何か悔しいので、違う道を探す。おぉ!あったあった。やはり林道のようだが、ナビは「道があるよー」とワシに訴えてくる。そこまで哀願するのなら行ってあげよう。

ぎゃぎゃ! 恐ろしいほど細い道だ。対向車がもし来たら、どう考えてもすれ違うことは無理。どちらかのクルマが谷底へ落ちれば話は別だが。

ところが、またしても「行き止まり」…。何だ、何だ、まるでワシの人生みたいだな。ま、行けないのであれば戻れば良い。街灯なんてもちろんないから、真っ暗闇の中をバックする。ガードレールなんて「ゼイタクな」ものはない。だからもうスリルは500万点は確実。

くそーっ、先に進めないストレスが溜まってきやがった。こうなれば三度目の正直を狙うしかない。道はどこだ!

あった、あった、それらしいイイ感じの道が…。暗闇の恐怖を知らないワシは勇者のごとくズンズン進んでゆく。ただし通常のヘッドライトでは見えにくいのでハイビームにはしたが。

よしよし、今度はクリアできそうだぞ…と思っていたら、前方に看板が。

「白岩の滝」

しかも、クルマの通れるところはそこまで。看板の説明によれば「滝に行くにはここから徒歩でどうぞ」とある。いいえ、こんな夜中に行きたくありません! ご遠慮申し上げます。それにしてもムムムである。三度目の正直どころか、二度あることは三度あった! とほほ。

ちなみに、この写真はクルマのハイビームを照らしてようやく撮影したもの。しつこいようだが、こんな山奥に街灯なんてない。あるわけがない。こんなところで、うっかりハンドル操作を誤ったら確実に谷底へ転落する。しかも携帯は「圏外」なのでヘルプを呼ぶことすらできない。これでスリルは1000万点に達した(笑)

まあ、無事に帰ってきたからノンキなことが言えるけど。
コメント (1)

何かを認識した時

2005-10-29 05:01:15 | 脳みその日常
いろいろな意味で何かが「見えた」時、心の中で何かが変わる。それをポジティブに表現するなら、こんな感じか。すなわち何かを見つけた時、心の状態は喜びの感情で満たされる。

そうした変化というものは一般的には次のように表現できる。ある事柄を認識したことで、それ以前と以後では抱く価値観もしくは評価に変化が生じる。ちょっとネガティブな言い方をするなら、その事柄を認識した時、それ以前に抱いていたものが「崩れる」ということでもある。

もちろん「崩れる」ことは悪いこととは限らない。崩れたことにより、新しい価値観なり評価が生まれる。場合によっては弁証法で言うところのアウフヘーベン(止揚)になることもあるだろう。いずれにしてもケース・バイ・ケースである。

ただ、新たに認識されたものを当人が受け入れるかどうかは、その人の人間性や器の大きさなどによって異なる。認識はしたものの、受け入れたくないこともあるだろうから。でも、認識したという事実を拭うことはできない。それは当人が一番分かっているから。

認識したことをあるがままに受け入れるというのは実は難しいこと。その最たる例が「あまのじゃく」とか「へそまがり」といわれる性格の持ち主。事実を認識しているクセにそれを受け入れたくないゆえに、それとは逆の行動をしたがる。その結果はどうだろう。たいがい裏目に出ることがほとんどだ。

自ら認識した通りに行動していれば、なんでもないのに。いや、認識するということは他人でなく自分が知覚するものだから、そうそう間違うことはないのだ。もっとも、それが正しい認識かどうかは別の問題であるが。

そんなことを考えていたら、気が狂いそうになったのでドライブにでかける。もちろん目的地なんてない。とりあえず今日の気分は奥多摩方面だなと思い、西へ向かう。

長くなるので、続く(笑)
コメント

甘ったれるな!損保協会

2005-10-28 09:10:17 | 脳みその日常

愛知県でクルマが盗難される話はすでによく知られている。同県が2年連続で盗難台数のトップとなったことを受けて、日本損害保険協会は27日に名古屋市でシンポジウムを開いたという記事が出ていた。

盗難されるということは保険会社にしてみれば支払金額が増えることでもある。協会が名古屋でシンポジウムを開いたのは愛知県が車両保険の支払金額も全国1位であり、「これ以上、支払保険料が増えるのはたまらない」という理由かららしい。

「協会や県警によると、昨年1年間の全国の盗難台数は約5万8000台で、2003年度に損保会社が支払った車両保険の金額は約580億円。県は保有台数が全国1位だが、03年に盗難台数で大阪府を抜き、03年度の保険の支払金額も約116億円で全国1位となった。」

こうしたデータを見れば、そりゃ悲鳴を上げたくなる気持ちもわからんではない。でも、ちょっと待て。保険会社さんよ、アンタら自分たちがピンチになったからって、何をあわててるのさ。

確かにクルマを盗むことは犯罪である。同県のみにかかわらず治安の維持を強化することは重要かもしれない。だけどさ、保険会社なんてそもそも「絶対に」会社が損しないようなシステムになってるだろが。それに、保険契約をする時の規約だってアンタらが勝手に決めたものだよな?

なのに、支払保険料が増加したからって何を急にオタオタしてるのさ。アンタらが考えた規約ではそこまで想定していなかったのかね。事態が急変したからって、まさか保険加入者の支払金額を増やすなんてことを言うつもりじゃないだろうね。

保険会社なんて、所詮はヒトのカネを集めて私腹を肥やす組織である。だから経営に不利益となるようなコトが続くと途端に「こまったよー、こまったよー」と騒ぎ出す。バカタレ!アンタらは今まで保険加入者からさんざんカネを吸い取ってるクセに何をビビッてるんだよ! 加入者のケアも十分にしないで保険料だけはガッポリ取ってるクセにさ。

自分のところがピンチになったからって、それを治安が悪いせいだとか取り締まりを強化しろと訴えるのは明らかに自分本位の考えでしかない。そこまで社会問題化したいのであれば、その前にアンタら損保協会の人間が愛知県を夜ごと警備するとかしたらどうかね。そうすりゃ、少しは盗難件数も減るんじゃないのか? そうすれば支払う保険料も少なくて済むぞ。どうかね、この考えは。

自分らが何もせずに「こりゃたまらん」などと抜かすのは、まるで身勝手な子供の発想と大して違わない。それよりも盗難に遭遇したクルマのオーナーの精神的な苦痛を考えたほうがいい。オーナーたちにしてみれば、いくら同型の車種を補償されるとはいえ、それまで乗っていた頃の思い出は二度と帰って来ないんだぞ。保険会社がオーナーのことを親身になって考えるなら、現制度で支払われる金額ですらむしろ安すぎると思うけどな。
コメント

解説はエッセイじゃない!

2005-10-27 04:10:54 | 音楽あれこれ
とある演奏会に行った。座席に腰掛けてから、ホール入り口で手渡されたパンフレットに目を通す。目的は演奏者の情報を知ることと曲目解説を読むためだ。

演奏者プロフィールに続き、「曲目解説」と記されたページを開く。読み進めて行くが、作品についての説明がなかなか出て来ない。最後のほうになってようやく作曲年などなどの情報がチョロっと書いてあった。そこに至るまでのダラダラとした内容は解説どころか、この執筆者がヨーロッパを旅したいわば「紀行文」である。

あれ?ここは確か「曲目解説」のページだよな? 念のため確認してみた。該当するページの冒頭には、しっかりと「曲目解説」とある。ひどいね、こりゃ。一体誰が書いたんだ? 見ればそれなりに名の通った音楽評論家。

曲目解説と称しながら、ちゃんとした解説文の書けないのは、大体メディアあがりの評論家と相場が決まっている。すなわちかつてはジャーナリストという肩書きをもっていた奴らだ。当夜の解説を書いていたのももちろんそれに属する人で、ブン屋あがり。あぁ、やっぱりな…。

この手の人々は職業柄さまざまな情報を知っている。それはそれで素晴らしい才能だと思うし、尊敬もする。しかし、悲しいかな、彼らは音楽に関する専門的な教育を受けていない。だからいくら情報収集能力に長けていても、作品そのものの解説をすることはできない。ワシが一番不思議に思うのは、できないことがわかっていながら、なぜ彼らは原稿の依頼を受けるのかということである。そこまでしてカネが欲しいのかねえ。

まあ、書いた本人の意識なんてどうでもよい。迷惑するのは「曲目解説」と信じて読まされた我々なのだ。特に初めて耳にする作品の場合、どういう経緯で作曲され、どのような構造で書かれているのか。それを読者は知りたいはず。なのに読んでみれば、この人の優雅な旅行記…。といって作家ではないから特別文章がうまいわけでもない。ったく、依頼と違うことを書くなっての!

いや、そんなクソな文章をそのまま印刷に回した編集者の神経も疑うけどね。いくら名のあるセンセイだからって、依頼内容と異なる原稿が来たら書き直しさせればいいのである。編集者がビビる理由はどこにもないわけだし。そういう書き手をペナルティなしにのさばらせておくから、そいつらはますますツケあがってくる。

嘆かわしいねえ、まったく。
コメント

喜ぶ人がひとりでもいれば…

2005-10-26 05:45:48 | 脳みその日常
昨日は講義の日だった。天気は良く暖かかったので多数の受講をちょっぴり期待するもイマイチの出席率。ま、いつものことなので気にしないが。

今回のテーマは「《トロイメライ》はなぜ名曲なのか?」。受講者の顔ぶれによってはかなりツッコんだアナリーゼでもしてやろうと思った。しかし初めての受講者も数人いたのでアウトラインのみの説明に変更する。そりゃそうだ、初めて聴く講義で、いきなり楽譜を詳細に分析されたら誰だって面食らうもんねえ。

もっとも、この講座はクラシック音楽の入門講座という看板を背負っている。だから、極端に専門的な説明はできない。第2の人生を楽しく過ごしてもらうための講座でもあるからだ。まあ、名曲であることの基本的な理由はちゃんと押さえたから受講者たちも納得してくれたようだった。やれやれ。

ワシの講座はここからが面白い(と、本人は自己満足している)。《トロイメライ》の説明をしているのに、途中から J.S.バッハの《フーガの技法》の話になったりする。歴史をさかのぼるだけじゃ不公平だ。ってことで、次にはライヒの《クラッピング・ミュージック》に飛んだりもする。もちろん、これは思いつきで話しているわけじゃない。ちゃんと理由があってのこと。

初心者が相手だからといって、そのへんに転がっている入門書的な説明なんてしない。それだったら入門書を買って読めばいいんだし。わざわざ貴重な時間を割いてまでワシの話を聞きに来てくれるのだから、面白かったと思ってもらえなければ意味がない。だからワシは当日の受講者の顔ぶれを見てから話す内容を決めることも、しばしば。

講義が終わった直後、今回が2度目という受講者が近寄ってきた。その方は雅楽をよく聴いているそうだが、クラシックは軽く流して聴く程度だったという。でも拙いながらもワシの説明を聞いて「そういう視点で音楽を聴くのも面白そうですね。家に帰ったら聴き直してみます」と話された。こう言っては失礼だが、老婦人なのに、話している時の顔はまるで少女のよう。目がキラキラと輝いて、生き生きしていたからねえ。

ワシの講義は決してスマートなものではない。もし客観的に自分の講義を見ることができたなら「なんだコイツ、下手糞だな」と思うに違いない。いや、生き恥をさらしてみっともないとヘコむだろう。でも、受講者の、こうした反応を見るにつけ、話して本当に良かったなと思う。だから、次も頑張ってユニークな講義をしてやるぞと思うのかもしれない。

ともあれ、今月も無事終わってよかった。
コメント

人は見かけじゃない例

2005-10-25 06:17:00 | 脳みその日常
深夜、近所のコンビニにタバコを買いに行く。店内に入るや、奥からハイボイスの少年のような声で、

「いらっしゃいませー!」

なんだなんだ?未成年者でも働かせているのか?この店は。しかもこんな夜中に…。そう思いながら店内を見回す。そうだ、ついでだから飲料も買うか。そしてレジへ。

すると奥から出てきたのは、どう見てもコイツ、ヘヴィメタのバンドでドラム叩いてますって感じのイカついニィちゃん。しかも半分金髪で、とても善人とは思えない顔つき。こえーな、オイ。

飲料をレジ台に出し、タバコの銘柄を言う。と、ニィちゃん、指定されたタバコを手にしながら「今日はさむいっスねー」とワシに話しかけてきた。しかも、ハイボイスで。

うはっ、さっきの声の主はコイツだったのか。ちょっと脳みそが混乱。でも気さくに話しかけてくるんだから悪い奴でもなさそう。

「そうだね。ところで、ニィちゃん、バンドでもやってんの?」
「えっ? やっぱ、わかります? 自分、メタラーなんスよ」
「ほぉー、じゃ、ドラムとか?」
「うーん、みんなそう言うんスけど、実はヴォーカルやってるんス」
「へぇー。じゃ、シャウトとかもするんだ?」
「もちろんス。なんなら今やりましょうか?」
「い、いや、それは…」

注:メタラーとはヘヴィメタのバンドをやっている人のこと。

…と、こんな感じで、悪人ヅラを見ながらフランクな会話をする。うーん、あまりにもギャップがありすぎる。しかも、コイツ、ハイテンションだし。

でも夜中にバイトしながら好きな音楽をするために頑張っているんだよな、コイツ。何か昔の自分を見ているようだ。だから思わず「ニィちゃん、頑張ってなー」と声をかけて店を後にした。
コメント

無駄な買い物

2005-10-24 06:25:11 | 音楽あれこれ
し、しまった…確認しておけば買わずに済んだものを。迂闊だった。それというのも、先日、ショスタコーヴィチの作品目録を目にしたので思わず買ったのである。これはシコルスキ社から刊行されたもので、解説を書く上で非常に便利なのだ。

しめしめ…と思っていたが、そういえばシコルスキ社のウェブサイトには作品目録があったよな? 確かダウンロードもできたような…。

不吉な予感は的中するもの。早速サイトを確認してみると、やっぱりダウンロードできるようになっていた。とほほ。

書籍としての目録には作品の詳細のほかに便利なインデックスもついている。確かにダウンロード版にはない魅力かもしれない。でもねえ、これはpdf書類だから検索しようと思えば簡単にできるんだよな。うーん、それを考えると4,500円の出費は余りに痛すぎる。事前にわかっていれば、払わずに済んだわけだし…。

自分のミスで引き起こした「事件」だけに、いま、ものすごく悔しい気分(苦笑)

(追加)
昨日の演奏会では、近年にない衝撃を受けた。何らかの形で発表できればいいのだが…。
コメント

バカ笑いしてますか?

2005-10-23 05:00:04 | 脳みその日常
近年は、電子メールの普及により原稿依頼も電話を通さないようになった。そのため相手の編集者と会話することすらなくなっている。いや、場合によってはその相手と面識すらないこともある。でも、仕事に支障はないのでそのまま続いている。

かつては、担当者(編集者)としばしば酒を酌み交わし、「ついでに」仕事の話をしたりしたものだ。もちろん今でもそうしたスタンスの編集者はいるだろう。しかし、たまたまなのか知らないが、ワシに限って言えば、近年ではそういう人と出会っていない。明け方まで呑む回数が減ったという意味では健康的な関係になったともいえる。だが、「なんだかなあ…」という気分もないわけじゃない。

それにしても以前に比べ電話で話す時間が減ったのは事実。そのぶん電話代がかからないのは助かる。それは同時に喋らなくなっていることでもある。ひとり家で仕事をしているから、忙しい場合には何日も誰とも話さないこともある。これも考えてみれば異常だよな。

話さないというのは、言い換えれば顔面の筋肉運動が少ないことでもある。話す時にはもちろん脳みそを使うのだが、発音は口で行なう。だから、いくら文字で書いたところで口の筋肉は動いていない。当たり前のことだが、実際にはそうなのだ。

興味深い事実がある。あなたの知り合いで、普段から口数の少ない人を思い浮かべていただきたい。その人の顔はノッペリしてませんか? もちろん遺伝的なものはあるかもしれない。しかし口数の少ない人というのは、おしゃべりな人に比べ顔面の筋肉の使用量は明らかに少ないはず。顔面の筋肉が少ないのだからノッペリした顔になるのも当然なのだ。

人相学では頬の隆起している人はアクティブで積極的だという。考えてみれば不思議でもなんでもない。いつもおしゃべりしていたり、思いっきりゲラゲラ笑っている人って、頬の筋肉を存分に使っているもんね。それが日常的に行なわれれば、そりゃ頬も自然に発達してくるわさ。

ともかく、最近のワシは腹の底から本当に笑っていない。笑うことによって免疫力は高まるともいう。そうであるなら、今のワシは免疫力が著しく低下していてもおかしくない。にもかかわらず、その割に病気にならない。なんだろうな。

あー、たまには腹筋がケイレンするほど笑いたいものだ。
コメント

音が及ぼすチカラ

2005-10-22 11:47:50 | 音楽あれこれ
演奏会で真剣に音楽を聴いたあと、帰りのクルマでワシはアクセルを強く踏む傾向がある。おとといもそうだった。でもそれがなぜなのかはわからない。ところが、ついさきほど積年のナゾに光が見えたような気がした。

人間は音に没頭すると、おそらく脳内に何らかの変化が生じるのではないか。変化するといっても脳みそがひっくり返るわけじゃない。脳内の特定部位のシナプスの働きが活性化されるのだろう。それによって脳みそはコーフン状態に。すると「ハイ」になった脳みそは沈着冷静な状態でいられなくなる。そう、つまりは理性がフッ飛んでしまい、暴走するハメに。

だからといってすれ違う人をやみくもに殴るとか、突然わめき出すわけじゃない。脳内のコーフンはあくまで脳内で起きている。見た目にその人が変わってしまうのでなく、脳内の回路にちょっとした非日常の回路が形成される。それが何らかの形で日常の行動に影響を及ぼすのではないか。ワシの場合はたまたまアクセルを強く踏みたくなるというように…。

そのように考えると、音楽をやっている人に変わり者が多いというのは納得がいくのではなかろうか。一般の人より音楽に接している時間が長いのだから、脳みそのコーフン状態も一般の人の比ではない。これは音楽をやっている人がイカレているというのでなく、音楽が脳みそに与える力というものがそれほどまでに強いという意味だ。もっとも、大きな声では言えないが、ロックの連中などは脳みそを無理矢理コーフンさせるために●●に手を出すのは有名な話である。

アクセルを踏み込むことで思い出したが、音楽家にはスピード狂がかなり多い。帝王カラヤンは自家用ジェットを自分で操縦していたし、ピアニストのポリーニも若い頃は相当なスピード狂だったという。昔の名ホルン奏者ブレインも無類の自動車好きで、オケの他のメンバーが飛行機で行くところをわざわざクルマをカッ飛ばして行ったといわれる。そういえば、我が国のピアニスト某も若い頃はかなりの「直線番長」で、少なくとも新車を3台オシャカにしたのをワシは知っている。近年は曲がることを覚えたらしく、大人しい運転になったそうであるが(笑)

もちろんワシは音楽家ではないから、彼らと同列になろうなどとはこれっぽっちも思わない。しかし彼らがスピードに狂う理由は感覚的によーく理解できる。だからといってそれが本当に音楽に起因するものであるのかは実のところ疑わしい。なぜなら、スピード狂でない音楽家も現にいるわけだからね。

それにしても音が脳みそに与える影響ってどこまで解明されているんだろうか。いや、モーツァルトを聴かせるとトマトが甘くなるとか、そういうのじゃなくてさ…。
コメント

聴衆いろいろ

2005-10-21 06:27:50 | 音楽あれこれ
仕事柄いろいろなジャンルの演奏会へ行く。長年続けていると興味深いことに気づく。音楽にジャンルがあるように、その聴衆もジャンル分けできる。要するに、同じ演奏形態の演奏会には類似する聴衆が集まるということだ。

一番お行儀良く、静かに演奏を聴くのはピアノ・リサイタルに来る人たち。彼らは自分でも演奏するからなのか、とにかくじっと耳を澄ませて聴く人がほとんどだ。室内楽の演奏会の聴衆も、どちらかといえばこれに近い。

管楽器や打楽器のコンサートには学生の来る割合が多いように思う。仲間が出演するから来ているのだろうか。そのせいか知らないが、この種の演奏会の聴衆の服装は一番ラフである。夏ならランニングに短パン、そしてサンダルという奴も少なくない。別に彼らがステージに上がるわけじゃないからどんな格好をしていても構わないけれど。ま、どちらかといえば、この類いの雰囲気はロックやジャズのコンサートに近いかもしれない。

もっとも、ヘヴィ・メタなんかのコンサートに行けばそれはそれで独特の雰囲気がある。そこへ来るオーディエンス(←なぜか知らないが、この類いの雑誌ではこう表現する傾向にある)の多くは、逆に「いつでもステージに上がれるぜ!」ってな具合。チェーンをジャラジャラと腰から下げ、鋲の打ち込まれたレザーといったイデタチだったりする。

パンクの場合だったら、頭髪をトサカというか槍のようにした連中が客席でトチ狂っていたりするから愉快。観客なのにまるでプレイヤーのよう。ま、彼らは自己満足でそういう格好をしているのだろうから、見ていて本当に微笑ましい。

クラシックに話を戻そう。開演時間に最もルーズなのは声楽関係の演奏会に来る聴衆である。もう、とっくに演奏が始まっているというのに、あとからあとからゾロゾロと会場に入ってくる。それぞれの事情はあるにせよ、「コイツら、何だよ」という感じだ。また、遅刻してきたくせに服装が派手だったりするものだから、目立つ、目立つ。もうね、苦笑を禁じ得ないわけですよ。ま、声楽をやる人って往々にして目立ちたがりが多いし、そうした資質がなければ声楽家なんてやれないだろうから別にいいけどさ。

これとは逆に、真面目で地味な聴衆といえば古楽器の演奏会に来る人たち。演奏される音楽そのものが他と比べて地味なせいか、お客も「類は友を呼ぶ」ように目立たない服装になるのかもしれない。ちょっと悪く言えばビンボー臭い格好の人も多いけどね。

こうしてみると、それぞれのジャンルの演奏会には特定の人々が集まる傾向にあることがわかる。逆に言えば、いろいろな音楽があるのに彼らは特定のものしか聴かないということでもある。もちろん、どんな音楽を聴くのかは人それぞれだから構わないし、否定もしない。

ただ思うのは、いろんな演奏会に顔を出しているワシはきっとどの演奏会でも「異質な存在」に見えるのだろうなということ。ヘヴィ・メタであろうと、ピアノだろうと、いつも同じ格好で聴いているし…。もっとも、最近では時間がなくてクラシック以外のコンサートには行ってないけど。
コメント

ちょいと嬉しい気分

2005-10-20 03:14:20 | 脳みその日常
おととい、馴染みの整備工場の社長から電話があった。話によると、BMWの修理の依頼が来たのだが、警告ランプがドイツ語表示なのでわからない。で、ぜひ教えてもらえないか、とのこと。快諾し、その警告ランプに表示されたスペルを書き取った。ところが、浅学のワシには見たことのない単語。うーむ、即答できない。そこで、しばし時間をもらうことに…。

kosserraumoffen

辞書を舐めるように見たが、こんな単語は出ていない。はて、自動車の専門用語なのか? でもここでギブアップするのは悔しい。そこで単語を分解して意味を考えてみることにする。ドイツ語の単語というのは往々にして単語と単語が結合される場合があるからだ。となると、上記の単語は次のように分解できる。

kosser + raum + offen
より多くの + 空間 + 開く

ここから類推すると、警告の意味は「通常よりも多くのすき間が空いてますぜ!」というニュアンスに違いない。ならば、自動車においてそれは何を指すのだろうか。バルブ関係? それとも半ドア? どうもピンと来ない。

とりあえずそのような内容を社長に伝える。しかし判明しないのは気持ちが悪い。クルマのことを考えながら、もう一度その単語を穴の開くほど見つめてみた。そこでフト頭に浮かんだのはスペル・ミスじゃないかということ。最初の電話の時に復唱したのでこちらの書き取りに間違いはない。しかし社長がメカニックから間違った情報をもらっていたとすれば…。

いろいろな可能性を考えていたところ、ひとつひらめいた。もしかして「エフ」を「エス」と聞き間違えたのではないか、と。この仮説が正しければ、問題は解決しそうなのだ。というのも、「koffer」はトランクという意味。それを先ほどの分解に当てはめてみる。

koffer + raum + offen
トランク + 空間 + 開く

おぉ! そうだ、これだと「トランクが半ドアになってますぜ!」という警告ランプに相当するだろう。可能性はある。早速その仮説を社長に電話した。

社長はあれからBMWのフロントに問い合わせたらしいが、やはりわからないと言われたそうな。専門の人にそう言われたんだから、こりゃどうにもならんなあと半ば諦めていたところだったという。で、ワシの仮説を言うと「なるほど、その可能性はあるかもしれないですね。すぐにチェックしてみます」との返事だった。

昨日の昼間になって、社長からその回答があった。まさにドンピシャだったとのこと。たまたまその仮説が正しかったわけだが、それにしてもBMWの対応はどうかと思うね。彼らは自社のクルマのことは一番わかっているんだから、仮にスペルを間違っていたとしても「あっ、それはトランクのことかもしれない」と類推できるだろうに。というより、フロントがわからなかったら、そこのメカニックを呼んで話を聞いてもらえばすぐに判明したことだろうと思うのだがねえ。

いや、それより嬉しかったのは、こんなワシでも人の役に立てたことである。社長からは「ありがとう」と感謝されたが、月並みなその言葉こそワシにとっては何より価値のあるものだった。
コメント

スペース確保も大変だ

2005-10-19 05:12:57 | 脳みその日常
昨日は一念発起して部屋の改革を行なう。もはやどうにもこうにもならなくなってきたので、やらざるを得なかったというのが正しい。今回の目標は足の踏み場を作ること。そのため、床から積み上げてある書籍とCDをトコトン排除する方針で作業を開始。

それにしてもまあよくこれだけの資料があるものだと感心する。譬えてみれば、まるで資料が細胞分裂でも起こしているんじゃないかと思うほど。いや、感心している場合ではない。足の踏み場がないということはワシの生活に支障が出るということ。何とかしなければ…。

やる時はやるタイプの人間なので、朝から脇目も振らずひたすら作業を続けた。その結果、たいがいの資料は「平積みの状態」から解放され、少しだけだがスペースを確保することができた。とはいっても、体育座りする程度の広さなのだが…。

いやいや、それでもこの広さは大きな進歩である。何せそれまでは右足と左足の場所が厳密に守られないと部屋の中を移動できなかったのだ! もし異なる足を出せば、その先に行けない。そう、まるで厳格対位法のような部屋だったのである。(なんのこっちゃ)

それはともかく、不要となった資料とともに珍しい資料が出てきたのでご紹介しよう。アップした写真はヤマダコーサク先生が1933年に上梓した『和声学・作曲法』(文藝春秋社刊)である(画像をクリックすると拡大します)。1933年といえば昭和8年! すごいねえ、戦前に出版され、戦火を無事くぐり抜けてきたのだねえ…。えらいぞ。おぉ、ヨシヨシ。

「音楽講座」と銘打たれているように、これは一般向けに書かれたものである。そのため記述の表現は極めて平易であり、読みやすい。だからといって内容に手抜きがあるわけじゃないところがコーサク先生の素晴らしいところだ。作曲する上で必要なことはちゃんと書かれてある。

そんなこんなで作業をしていたら夕方になった。気づけばもうヘトヘト。晩に聴きに行こうと思っていた演奏会があったが、体力の限界でキャンセル。でもまあ、取りあえずはお幸せである。
コメント

無用な動揺

2005-10-18 06:16:48 | 脳みその日常
昨晩のこと。いつものようにクルマで軽く流していた。R129からR246に合流し、再びR129へ分岐。東名厚木インター出口を過ぎた次の信号のところで、ふと気づく。ルームミラーに映っている後続車である。こんな深夜にオッサンが2人、運転席と助手席に並んでいる。すぐにピンときた。

「覆面パトカーだ!」

前方の信号が赤になったので停車。覆面もワシの後ろにピタッと止まった。この時点では何も違反行為はしてないから何も気にかける必要はない。しかし、後続車に覆面がいると思うだけであまり気分の良いものではない。これじゃ、うっかりスピードも出せやしないから。いや、今日はマッタリのドライブ気分。飛ばすつもりもない。しかし、落ち着かんな…。

信号が青になり、クルマを動かし始める。その瞬間、突然覆面の屋根に赤色灯が現われ、点灯!

「はい、そこのクルマ、止まりなさい!」

なぬ? そこのクルマって、ワシのこと? ワケがわからんぞ。ま、まさか、覆面のやつ、ずっとワシを尾行してたのか?

うーん、確かに上溝から金田陸橋までは120km/hでカッ飛んでましたぜ。ええ、ええ、明らかに速度オーバーですわ。それは認めましょう。でも、なんで今頃停車させようとするんだ? 取り締まりは現行犯検挙が原則だろ。

釈然としないまま、それでも他のクルマとともに進んでいた。すると、再び、

「そこの……のクルマ、左に寄って停車しなさい!」(ちょっと怒鳴り気味に)

「……」の部分が聞き取れなかったが、それでも徐行しながら進む。いいじゃん、見逃してくれよ。無理無理、今頃捕まえようったって、そうはいくかい。ワシは強気だぞ! すると、もう一度、

「そこの……のクルマ、早く停車しなさい!」(完全に怒っている)

うっせーな、検挙はできないってのに…。やれやれ、しょーがない。そこまでワシにケンカを売るんだったら、買ってやろうじゃないの! よし!覚悟は決まった! さあて、停車してやるか…。

クルマを左側へ寄せ、いざ止まろうとして、ふとミラーを見る。するとワシの斜め後ろにいたクルマがシブシブ左へ寄せて止まろうとしていた。はぁ?

おいおい、何だよ、ワシじゃないのかい! ついぞ決めたばかりの覚悟をどうしてくれるんだよ! まさに停車しようとしたじゃないか! うわっ、カッコわるぅー。いや、何より格好悪かったのは、ひとりで空回りしてたこと。

真夜中の覆面には十分に気をつけませう。
コメント