ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

センスあるなぁ!…奈良俣ダム(ダム下編)

2021-11-30 07:09:55 | 群馬(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。昨日記事にした矢木沢ダムと同じく、その近くにある利根川水系の奈良俣ダム(群馬県利根郡みなかみ町藤原)もそこへ向かう管理道路が今シーズンは11月30日で閉鎖されるので行ってみました(参考)。アクセスは国道291号から県道63号に入り、ずっと行くとダム下への入口があります。

まずはダム下へ行ってみます。これが下から見上げた奈良俣ダム。



下の写真の案内図でわかるように、ダム下には発電所があります。



発電所の壁には水利使用標識が貼られています。



そして「群馬県奈良俣発電所」のプレート。



発電所は写真右側の建物。そして中央に見えるのは上の貯水湖から発電所へ送られた水の出口なのかもしれません。わかりませんが。



で、最初は気づかなかったのですが、実は県道から発電所への通路に工夫がされていたんです! これが発電所へ向かう通路。ここから発電所へ向かってみることにします。



まず目にするのは「太平洋」の文字。なんだろうなと思うじゃないですか。



その先に見えてくるのは「利根川」の文字。そうなんです、このブルーのタイル部分は海、そして川なんですね。



では、魚の身になって川を遡ってみましょう。すると二股に分かれます。



右側の川(片品川)を遡ると…以前訪れたことのある薗原ダムに行き着くんですね。



そして今度は二股になった左側の川(利根川)を遡ります。すると左から合流する川が見えてきました。赤谷川(あかやがわ)です。



その上流にもダムがあります。これも以前訪れた相俣ダムですね。



そして利根川に戻り、遡ります。するとダム上の道路が県道63号である藤原ダムが現われます。



さらに上流には須田貝ダム(リンク先には遠くから見た写真しかありませんが…)。



その上流はまた二股に分かれます。さあて、どっちへ行きましょうか。



じゃあ、まず左側へ。すると昨日記事にした矢木沢ダムへ辿り着きます。



一方、右側に進むとこの奈良俣ダムに到着。



で、見上げるとこんな景色になっているわけです。



ね? ダム下だけでも利根川水系の群馬県内の主要なダムの系統がわかるでしょ? ほとんどの見学者はダム上にしか行きません。だからこれはダム上に作ればいいのにと思うかもしれません。でも、そうじゃないんですね。利根川を遡っていけば、まず辿り着くのがダム下だからです。その場所にこれを作るから意味があるんです。そう考えるとこのダムの設計者もしくはデザイナーはセンスがあるなあと感じるんですよね。

今回はそんなわけで奈良俣ダムの下の部分の紹介でした。次回はいよいよダム上に向かい、色々見ていくことにします。

それでは!

(続く)
コメント

ギリ、セーフ!…矢木沢ダム

2021-11-29 07:09:37 | 群馬(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。いや〜寒くなりましたね。みなさん、風邪をひかぬようご注意くださいね。

ドライブがてらダム巡りをしているわけですが、ふと「そういえば矢木沢ダムはもう行けるようになったのかな?」と思ったわけです。というのも、前回訪問した時にはダムを目前にしながら新型コロナウイルスのせいで無残にも行けなかったからです(参考)。

とにかく確認してみよう!…ということで当該ダムのサイトを見ると、なんとダムへ通じる管理道路が今シーズンは11月30日をもって閉鎖されるとな! いやいやいや、こりゃ早よ行かなアカン。

…というわけで、群馬県利根郡みなかみ町藤原矢木沢にある利根川水系の矢木沢ダムへ向かいましたよ。下流にある須田貝ダム横の管理道路からしばらく登って行くと…見えました、あれですね。



もうすぐダム横、というところで洪水吐(ウイングダム)が見えました。



そして、やっと到着。これを進んで行くと矢木沢ダム防災資料館(ネイチャービュー矢木沢)です。ただし、ここからは歩きになります。



この近くにあるのがこんな案内板。これで当該ダムの位置関係がわかると思います。







あの建物が「ネイチャービュー矢木沢」です。左側の建物は矢木沢ダム管理所。





そこからダムを見るとこんな感じ。



対岸には水資源機構ならではの壁面看板。



ダム湖名は「奥利根湖」。ダム湖百選のひとつでもあります。





周辺案内の看板。



矢木沢ダムを中心とした立体地図。なんかホイップクリームみたいで、ちょっと美味しそう(笑)



ダム横に向かいます。これがウイングダムのダム上。ウイングダムと称していますが、要するに洪水吐ですね。



ウイングダムの中央から「奥利根湖」を見るとこんな感じ。



ウイングダムから排出された水はこの水路を通って流れてゆきます。



その隅にある矢木沢ダムの看板。ここには「水資源開発公団」(1962年5月設立)と書かれていますが、それは現在の独立行政法人「水資源機構」(2003年10月設立)になる前の名称です。同機構のサイトのデータによれば矢木沢ダムの竣功は昭和42年(1967年)9月だそうです。だからこの看板の表記は水資源開発公団のままなんですね。





ここからはアーチダムのエリアに入ります。右岸から見るとこんな感じ。確かにアーチ型ですね。



アーチダムの中央から見た「奥利根湖」の様子。



一方、ダム下はこんな感じ。高さは131mなのでさすがにクラクラします。クルマの大きさが米粒くらいにしか見えないのでその高さはイメージすることができるでしょう? そういえばこれに似た景色、見覚えがあるなぁ。そうだ、以前に訪れた長野県の奈川渡ダムも同じアーチ式のコンクリードダムでしたね。もっとも、そちらは高さが155mでしたけど(参考)。



下流側の遠景はこんな感じ。



そうそう、アーチダム上の中央には「矢木沢ダム」と刻まれたプレートがあり、その裏側には諸元が記されています。





対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。ダム上の長さは352mもあるので長い長い。



左岸、下流側から見たダムの様子。やっぱりアーチってますね。(変な日本語)



そこから真下を見ると…ひぃ、足がすくみます。



左岸、「奥利根湖」側からダムを見るとこんな感じ。



そこから見上げると先ほどの壁面看板。やっぱりデカイなぁ。



さすがに11月末のダム訪問は寒いです。風もびゅーびゅー吹いてましたし。でも今回は見学することができて大満足!
コメント

なぜカット?…宇曽川ダム

2021-11-28 13:29:29 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は滋賀県東近江市平柳町(ひがしおうみしひらやなぎちょう)にある淀川水系の宇曽川(うそがわ)ダム を訪れます。アクセスは国道307号から「宇曽川ダム」もしくは「リバースセンター」の看板のある道を登って行き、途中からリバースセンターのあるほうへ進んで行くと当該ダムの左岸へ到着します。

見えてきました。ダム上の中央になんかありますね。



ズームしてみると見晴らし台のようです。



ダム横を通過した先にあるのが宇曽川ダム管理事務所。





その付近からダムを見るとこんな感じ。写真下部に見えるコンクリート部分が洪水吐です。左岸側にありますね。



管理事務所の奥からダムを見るとこんな感じに見えます。



ダム横へ向かいます。近くには「宇曽川治水ダム」と刻まれた石碑。ん?「宇曽川ダム」じゃないの?どちらが正しいんですかね。



当該ダムの概要を示す案内板。あらら、こっちは「宇曽川ダム」になってます。



さらにダム周辺を散歩できるウォーキング・マップの案内板。これによると宇曽川ダムは洪水調節と用水の適切な維持を目的として築造されたとあります。



では、いよいよダム上を歩いてみることにしましょう。



傍には「鈴鹿の心 生命の羽音」と刻まれています。なんとなく深いね。知らんけど。



ダム上から見た洪水吐の様子。向こうに見えるのが取水塔と管理事務所。増水時になると水はここから溢れ出て、



この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



ダム上、中央から見た貯水側の景色です。



これが先ほど遠くから見えた見晴らし台。後から増設したんでしょうか。



そこから眺めた下流側の景色。まるで天下を取ったような気分に…うーん、ならんな。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



こちら側の親柱にも「宇曽川治水ダム」と表示されてますね。



「淡海眺望廊(おうみちょうぼうろう)」…「淡海」は淡水の海、すなわち琵琶湖を意味し、読み方は「あわうみ」→「おうみ」に変化したのでしょう。「廊」は通路の意味なのでダム上の道を表していると思われます。ということは「淡海眺望廊」とはここのダム上から琵琶湖を眺めることができますよということなのでしょう。



右岸、貯水側から見たダムの様子。



同、下流側からダムを見るとこんな感じ。



上にも書いたように、概要が書かれている案内板や管理事務所の名称は「宇曽川ダム」ですが、ダム本体と石碑には「宇曽川治水ダム」と表記されています。どちらが正式の名称なのでしょうか。また、「宇曽川ダム」が正しいとするなら、なぜ「治水」の文字がカットされたんでしょうね。カットする理由があったんですかね。だって、このダムは洪水調節と河川用水の確保のために築造されたダムなんですから、まさしく治水ダムなわけで…。

うーむ。
コメント

ありがとうございます?…犬上川ダム

2021-11-27 07:05:20 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は滋賀県犬上郡多賀町萱原(いぬかみぐんたがちょうかいはら)にある淀川水系の犬上川(いぬかみがわ)ダムへ向かいます。アクセスは国道306号から「永源寺」方面の看板を曲がり、県道34号をずっと行くとダムの左岸に到着します。

到着したはいいんですが、犬上川の左岸は木に覆われていて「ご尊顔」はちょこっと見えるだけ。



県道を登ってくると最初に目に入るのが「犬上川ダム管理事務所」の建物。ダムはすぐ上流側にあります。





ダム横に来ました。下流側から見たダムはこんな感じ。



ダム横の近くには水利使用標識があります。逆光でうまく写っていませんが、発電を目的とする関西電力が管理するダムであることがわかりますね。



その傍には意味不明の杭。一体何に対して感謝しているんでしょうね。こちらとしては「いいえ、どういたしまして」としか言えませんけど。



上流側からダムを見るとこんな感じです。水面に浮いている網場(あば)の位置からすると発電用の取水口は左岸側にあるように推測されます。



これがダム上です。歩いてみましょう。



ダム本体には「昭和22年(1947年)3月竣功」と記されています。



ダムの中央にある本体にも水利使用標識。こちらは灌漑が目的とあり、滋賀県が管理しているんですね。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。



一方、ダムの真下はこんな感じ。



下流側の景色。当該ダムが山の中にあることを実感します。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸の親柱にも竣功年月が記されたプレートが嵌め込まれています。



そして「犬上堰堤」と刻まれたプレート。管理所の職員に聞いたところ、建設当初はそう呼ばれていたそうですが、犬上川に築造されたダムなので現在は「犬上川ダム」が正式名称だそうです。



右岸には谷口久次郎(たにぐちきゅうじろう:1886-1973)の揮毫による石碑。谷口は1958年から1966年まで滋賀県知事を務めた。従ってこの石碑が建てられたのはその期間であることがわかります。



さらに犬上川ダムの諸元のようなものが記された石碑。起工は昭和9年(1934年)5月ですが、第二次世界大戦勃発のため資材不足となり建設は中断。そして昭和21年(1946年)12月に完工したと記されています。ダム本体の竣功年月と一致しませんが、これはどういうことなんですかね。また、当時83才の大橋源太郎(おおはしげんたろう)さんの揮毫なんですが、この人はどういう経歴なんでしょうね。職員に聞けばよかったな。こちらのサイトによれば1965年に『犬上ダムの出来るまで』という書籍を自費出版しているようですが。



ありがとうございます。ありがとうございます。
コメント

坂本地区の守護神!…小滝川砂防ダム

2021-11-26 07:06:04 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は三重県いなべ市藤原町坂本にある員弁川(いなべがわ)水系の小滝川(こたきがわ)砂防ダムを訪れます。アクセスは国道365号から「簡易パーキングふじわら」近くの「山口」交差点を入り、そのまま進むと到着です。

当該ダムは山間の傾斜のキツい場所にあります。遠くから見てもその大きさにはビックリするほど。



案内板はありませんが、ここがその場所であるという証拠です。



ダム下の左岸から見た様子。



少し離れた場所から見るとこんな感じ。



ズームしてみます。



調べてみると藤原町を流れる小滝川とその南側の西之貝戸川(にしのがいとがわ)ではこれまで何度も土石流が発生していて(参考)、近年では2012年9月18日に発達した積乱雲が集中豪雨をもたらし、それにより土石流が発生したそうな(参考)。

で、そのリンク先を見ると今回ワシが見たダムはどうやら「小滝川1号堰堤」で、その下流に扇状に広がっている空間は「小滝川遊砂地」と呼ばれるものであることを知りました。堰堤はこの上流にさらに4つもしくは5つ設置されているようです。

そしてその遊砂地の末端の境界を右岸側から見るとこんな風になっていて、



その下流側から見るとこれも砂防堰堤のようになっています。



そこから流れ出る水はこの水路を通って下流へ向かいます。注目すべきは川底の文様。階段のように段々になっていますね。これは流速を遅くする役割を果たすもので、おそらく以前訪れた長野県の牛伏川で見たフランス式階段工に通ずるものと思われます。



2012年9月にこの地で発生した土石流は遊砂地で堰き止められ幸いにも被害はなかったようです。それにしても実際にこの遊砂地を見るとここを満たすほどの土砂が流出したのかと思うと自然の脅威を改めて感じさせられますね。
コメント

中里ダムへ供給!…員弁川取水工

2021-11-25 06:52:12 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は三重県いなべ市藤原町篠立(ふじわらちょうしのだち)にある員弁川(いなべがわ)水系の員弁川取水工を訪れます。アクセスは国道365号からあづま食品三重工場付近を員弁川に沿って行くと到着。

到着しました。とても静かな場所です。



管理用の小屋でしょうか。



その壁面には水利使用標識。



三重用水についての案内板。この員弁川取水工で取り込まれた水は昨日の記事で紹介した中里ダムへ送られるんですね。





取水工の近くには地中300mから水が湧き出しています。





その水は無料で汲み放題。訪れた時、荷台にポリタンクをたくさん積んだ軽トラックが来ました。近隣のご夫婦で飲食店か何かをされている方でした。お話を聞くと、ここは昔から有名な水汲み場で、週末になると水を汲みにやってくるクルマで渋滞することもあるそうな。名古屋あたりの遠方からも来るそうです。確かに冷たくて美味かったなぁ。
コメント

北勢地域の水がめ…中里ダム(中里貯水池)

2021-11-24 06:49:21 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は三重県いなべ市藤原町鼎(ふじわらちょうかなえ)にある員弁川(いなべがわ)水系の中里(なかざと)ダム(中里貯水池)を訪れます。アクセスは国道365号からだと「リオフジワラカントリークラブ」の看板のあるところを入って行くと右岸に到着します。

ちなみに「員弁」とは豪族として名高い物部氏の支流である猪名部氏がここに居住していたことに由来するといわれます。なぜその表記が「猪名部」から「員弁」に変わったのかは不明。さらに2003年12月1日に員弁郡北勢町、員弁町、大安町、藤原町の4つの町が合併して「いなべ市」になったのですが、ひらがな表記にしたのは「員弁」が難読だったからだそうな。まぁ、そうだろうね、特に県外者は読めませんもんね。

そんなこんなで右岸に到着しました。まず見えてきたのは「独立行政法人 水資源機構 三重用水管理所 水源管理支所」の建物。





ダムはこの奥にあるようなんですが、門が閉まっているので別のルートを探します。すると隣の駐車場らしき場所のところに「ダムの恵みよ 永遠なれ 治水神社跡」と刻まれた石碑が。



その裏を見るとこんな文言が。ダムの完成により水没することになった「太平」という場所は旧中里村大字長尾に住む宮木助四郎により開墾されたもので、ここには明治35年(1902年)から五穀豊穣を祈って天照大神の保食神が祀られていた。しかしダムの完成で同所の水没が決定したことから昭和51年(1976年)に奈良県宇陀郡菟田野町(うだぐんうたのちょう:現在の宇陀市菟田野古市場)にある宇太水分神社(うだのみくまりじんじゃ)から合祀してここに治水神社として祀ることになった。そして平成15年(2003年)4月に近くの清司原(せいじはら)神社に合祀するにあたりここに記念碑を建立したとあります。なるほど、中里とは旧中里村に由来するものなんですね。



駐車場の隅には「中里ダム」と記された木片が無造作に置かれています。なんか気の毒。



近くには「三重用水のあらまし」とかろうじて読める案内板がありますが、その内容はちっとも読めません。



さらに「水利使用標識」。



ダム横に来ました。そこから管理支所を見るとこんな感じ。



これがダム上になります。このずっと先に洪水吐があるのを帰宅してから知りました。



中里ダムの竣工は1977年3月で、ダム湖名はしばらく付いていなかったものの2004年に「鈴養湖」に。その由来はこの湖が鈴鹿山脈と養老山地に囲まれていること、そして鈴鹿山脈の水が下流の人々の生きる養いになっていることから命名されたそうな(参考)。
コメント

日本昭和音楽村の近く…打上ダム(打上調整池)

2021-11-23 07:10:21 | 岐阜(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は岐阜県大垣市上石津町打上(かみいしづちょううちあげ)にある木曽川水系の打上ダム(打上調整池)を訪れます。アクセスは国道365号から「水嶺湖 日本昭和音楽村」の看板がある交差点を入って行くと到着です。

その道を進んで行くと当該ダムの右岸に来るんですが、そこには江口夜詩記念館をはじめ、ホールやスタジオなどがあります。江口夜詩(えぐちよし:1903-1978)は昭和前半に日本の流行歌を多数書いた上石津町出身の作曲家(本名は江口源吾)。有名な作品には《月月火水木金金》(1940)や《憧れのハワイ航路》(1948)などがあります。日本昭和音楽村は江口の功績を称えるとともに同記念館を中心とする複合文化施設として1994年5月4日にオーブンしたそうな(参考)。





一方、ダム側には野外ステージと駐車場があります。



駐車場から見た野外ステージ。



ダムの右岸へは駐車場から行くことができます。洪水吐は右岸にありますね。ではダム横に行ってみましょう。



これがダム上になります。手前の橋の下が先ほど見た洪水吐。



そこから見た洪水吐。自然越流式ですね。増水時になると水はここから溢れ出て、



この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



近くには三重用水事業の説明図。ん? ここは岐阜県なのにどうして? ええ、ワシも思いましたよ。しかし地図を見て納得。つまり打上調整池があるのは確かに岐阜県なのですが、すぐ南側が三重県いなべ市で、打上調整池の水が三重県北部のいわゆる北勢地域に供給されているのでここに看板があるんですね(もちろん岐阜県の牧田川沿岸の農業用水としても使用されるそうな)。ダム湖の名称が水嶺湖(すいれいこ)なのは「分水嶺を越える分水のための湖」という意味で1990年に公募により決まったそうです(参考)。



では、ダム上を歩いてみることにしましょう。中央から見た水嶺湖の様子。朝焼けで暗いですが、別の意味で良い雰囲気になっています。遠くに見える取水塔の連絡橋には「水嶺湖 水資源機構」の文字。





一方、下流側の景色はこんな感じ。



対岸(左岸)まで来ました。振り返るとこんな景色です。



ダム横にある日本昭和音楽村では定期的にイヴェントが行われているそうですから、そこへ出かけるついでに打上調整池を見学するのも良いかもしれませんね。
コメント

流川のダムたち(4)…流川下流第三ダム(砂防堰堤)

2021-11-22 06:49:10 | 山梨(ダム/堰堤)
(続き)

当初の予定では前回をもって流川(ながれがわ)のダム巡りは終わるはずでした。3つも確認できたんだから満足、満足。そう思いながら流川の左岸の道を下り始めた時です。ふと流川に目をやるとそこには新しい感じの砂防堰堤が! これは来る時には気づきませんでした。見えてしまった以上、スルーするわけにはいきません。



早速調査開始です。しかし左岸から近づくのは難しいので右岸に移動します。この堰堤の場所は最初に訪れた「流川下流第四ダム」の少し下流なので住所もそれと同じ山梨県北杜市白州町下教来石(ほくとしはくしゅうちょうしもきょうらいし)とみて良いでしょう。もちろんここも流川なので富士川水系になります。

そしてこれが右岸から見た「ご尊顔」。形状は明らかに横長の砂防堰堤です。



で、これがいわゆるダム上。



右岸のダム上の端には「流川下流第三ダム」と表示されたプレートが嵌め込まれています。平成5年(1993年)8月に完成したもので、高さが11.0mなので定義上は砂防堰堤になります。



堰堤の上を歩いて中央に進みます。堰堤本体の中央には上流側に透過型の鉄骨が固定されています。このスタイルはあまり見ませんね。





下流側の様子。副堰堤が備わっています。



とりあえず、流川に築造されたこの一連のダム(砂防堰堤)の位置関係をまとめると次のようになります。

   (流川上流)↑
流川第二堰堤 昭和48年(1973年)10月完成
名称不明の砂防堰堤 築造年も不明
流川下流第四ダム 平成12年(2000年)12月完成
流川下流第三ダム 平成5年(1993年)8月完成
   (流川下流)↓

ここから推測されるのは、この流川ではまず「名称不明の砂防堰堤」が、その後、上流に「流川第二堰堤」が築造されたのではないか。そしてこれらだけでは環境の変化に対応できなかったため「名称不明の砂防堰堤」の下流にさらに追加して4つの砂防堰堤を築造した。ダム名を敢えて「流川下流」としたのは「名称不明の砂防堰堤」の位置を基準にし、そこから下流に造られた堰堤なので区別するためにそう命名したのかもしれません。

もしこの推測が正しければ、さらに下流にあると思われる「流川下流第二ダム」および「流川下流第一ダム」が築造されたのは昭和時代末期から平成時代初期頃と考えることができます。もっとも、この「第一」と「第二」を直接見ちゃえばいつ築造されたかなんてすぐにわかることなんでしょうけどね。

こんな風にあれこれ推測するのもまた楽しいもんです。

これにて、とりあえず流川のダム巡りはここまで。
(了)
コメント

流川のダムたち(3)…流川第二(砂防)堰堤

2021-11-21 07:11:50 | 山梨(ダム/堰堤)
(続き)

前回の名称不明の砂防堰堤の上流にはまだ「何か」ありそう。そこでポンコツ冒険者は意を決して進みます。しばらくしてヘアピンカーブ状の場所に来た時、目の前に古さを感じさせる砂防堰堤たちが出現! でもこれらは流川に流入する沢に作られたもので、今回目指すものじゃありません。



しかし、その堰堤から流れ出た水はワシの進む道を横切りながら流川へ向かっていました。写真はその様子ですが、ちょっとわかりにくいですね。



横切る水を乗り越え、しばらく行くと突如巨大なコンクリートの塊が…。その上部には何やら見えますね。



ズームしてみると「流川第二堰堤」と刻まれています。その下には昭和48年(1973年)10月完成とあります。さらにその下には高さ15mとあるのでその形状も考慮すると定義上は「流川第二砂防ダム」と称するのが適切なのかもしれません。



さすがに堰堤の上に行くことはできないので上流側のコンクリートに沿って中央へ行くと、なんとこんな形のものが! これも透過型と言うんだろうなあ。



そこから流川の上流を見るとこんな感じ。



堰堤の下流には行けそうにないので上流から堰堤を撮ってみました。うん、なかなかレアな形状ですね。



国土地理院の地図によると、流川の上流にはさらに2つ堰堤があるようですが立入禁止の看板があったので上流への探検はここまで。これで終わりかなと正直思いました。ところが…。

(続く)
コメント

流川のダムたち(2)…流川(第一)砂防堰堤?

2021-11-20 07:07:43 | 山梨(ダム/堰堤)
前回の続きです(初見の方はコチラをご覧下さい)。

山梨県北杜市白州町下教来石(ほくとしはくしゅうちょうしもきょうらいし)を流れる富士川水系の流川にはグーグル先生の地図には載っていませんが、国土地理院の地図を見ると前回の流川下流第四ダムの他にいくつかの堰堤があるようです。そこでまずは流川下流第四ダムの上流へ行ってみることにしました。

流川下流第四ダムから流川を遡るには左岸の道を進みます。写真では2つの道が見えますが、流川に沿っているのは左の未舗装の道です。クルマで行けないこともないようですが、万一スタックしたらシャレにならんので歩いて行きます。



こんな道を進んで行きます。



落ち葉ゾーン。



おっ、流川が見えてきました。



ふと流川のほうを見ると木の奥にコンクリートの塊が。これはもしや…。



近づいてみると予想通り砂防堰堤がありました。これが堰堤の上です。早速堰堤の上を歩いてみます。



堰堤の中央に来ました。下を見るとこんな感じ。多くもなく少なくもない水が流れ落ちていました。



上流側の景色です。



堰堤の中央から左岸を見るとこんな感じ。



せっかくなので堰堤の下に行ってみます。無数の落ち葉に足を取られないように気をつけながら…。



堰堤の下に来ました。これが「ご尊顔」。なかなか立派でしょ?



ただ、この砂防堰堤の名称を示すものがありません。もしかすると山ほど積もっている落ち葉の下にあるのかも。ちなみにこの記事のタイトルの堰堤名は仮称です。次回はさらに流川の上流へ行きます。

(続く)
コメント

流川のダムたち(1)…流川下流第四ダム(砂防堰堤)

2021-11-19 07:28:24 | 山梨(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、グーグル先生の地図を見ていたら山梨県北杜市白州町下教来石(ほくとしはくしゅうちょうしもきょうらいし)を流れる流川(ながれがわ)に富士川水系の「流川下流第4砂防堰堤」というのがあるのを見つけました。今回はそれを目指します。アクセスは国道20号の「下教来石」の信号の近くの細い道を入り、流川に沿う形で登って行くとあるようです。

到着しました。これです。いわゆる「透過型」の砂防堰堤ですね。以前見た同様のタイプの堰堤では長野県東筑摩郡筑北村にある駒形1号砂防堰堤がそうでした。



堰堤のすぐ下流に架かる橋から見るとこんな感じ。木が邪魔してよくわかりません。



堰堤のすぐ下流の右岸側に「流川下流第四ダム」と記されたプレートがありました。完成は2000年12月。あれれ、グーグル先生の地図の表記と違いますね。でも高さが10.5mで型式が透過型の砂防堰堤なので、これらの条件からすると名称としてはグーグル先生の地図の表記する「流川下流第4砂防堰堤」が正しいと思います。なお、「白州小学校五年坂本英里佳」というのはこのダム名を書いた子のようですが、計算すると今年32歳。いまは何をしているんでしょうね。まぁ余計なお世話ですが。



それにしても、この透過型の部分、アップで見ると頑丈な作りであるのがわかりますね。



せっかくなので堰堤の上に登ってみました。周囲の木や落ち葉でわかりにくいですが、これが堰堤の上です。



中央に来ました。見下ろすとこんな感じ。透過型というだけあって確かにスカスカ。



真下には少量の水が流れています。



上流側の様子。もう、なにがなんだか…。セザンヌの絵画か!



素朴な疑問。これが「第四」ならば他にも堰堤があるんじゃないか…。というわけでこの上流・下流を探すことに。するとグーグル先生の地図には出ていない堰堤がちらほら。次回は上流へ向かっていきます。(続く)
コメント

persimmon sherbet !

2021-11-18 06:57:50 | 脳みその料理
どーも、ワシです。少し前に親友のドクターMが野菜を届けるついでに柿(persimmon)をお裾分けしてくれました。

「甘いから食べてや」
「おおっ、ありがとう!」



皮を剥いて、そのまま食べても確かに美味しいんですが、一手間かけてオシャレな柿シャーベットにしてみました。といっても作るのはいたって簡単。皮を剥いて種があれば取り除き、それをミキサーに放り込んで砂糖を少々加えてガーッとやるだけ。あとは型に流し込んで冷凍室へ入れて凍らせます。

出来上がりがこちら。見た目はオレンジ色の饅頭ですが、シャリシャリした食感で美味。



ドクターM、いつもありがとう!
コメント (2)

関所はセルフで!…大津呂ダム

2021-11-17 06:53:24 | 福井(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は福井県大飯(おおい)郡おおい町山田にある佐分利川水系の大津呂(おおつろ)ダムを訪れます。アクセスは県道1号から大飯神社を目指し、その近くを流れる大津呂川に沿って並行して走る道を登って行くと到着します。

まずは「ご尊顔」をご覧ください。



…と、まあ結果的に到着したわけですが、すんなりと行けたわけじゃありません。途中、なんと「関所」があるんです。これを見た瞬間「うわっ、万事休すか…」と思いましたが、扉に書かれている文章を読むと先へ行くには自分で開閉すれば良いとのこと。たぶんこの関所は鳥獣対策で設置されているのだと思います。そういえば、長野県の日向山砂防ダムへ向かう道にも関所があったのを思い出しました。(夜の部)(昼の部



その「関所」を抜けてくると、まず目にするのが大津呂ダム監視所の建物。





近くには当該ダムの概要を示す案内板。大津呂川はこれまで度々洪水を起こす一方、夏場には干上がることも。そこで洪水調節、用水の確保、河川環境の保全を目的とする多目的ダムが建設されたそうな。



案内板の隣には定礎と刻まれた石碑。2010年5月とあります。



左岸、貯水側から見たダムの様子です。



これがダム上。早速歩いてみましょう。



ダム本体には大津呂ダムと記されたプレート。2012年5月竣工。



ダム上、中央から見た貯水湖の様子。よく見ると右岸側のほうに砂防堰堤らしきものがありますね。





一方、ダムの真下はこんな感じ。高さは40.6mなのでさほど恐怖を感じません。



下流側の遠景です。遠くに見える陸橋のようなものは舞鶴若狭自動車道。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、貯水側から見たダムの様子。



右岸、下流側からダムを見るとこんな感じです。ユニークな屋根の建物は放流バルブ室。なんか可愛い。





左岸に戻り、上流側へ行ってみます。少し高い場所からダム上を見るとこんな感じです。こう見るとダム上の通路が曲がっているのがわかりますね。



左岸の上流の遠くからダムを眺めるとこんな感じ。おや、左岸側にも砂防堰堤があったんですね。



訪れる際の「関所」を開閉するのは手間ですが、それ以外は静かに楽しめる良い場所です。
コメント

表記マチマチ…南川(第1号)砂防ダム

2021-11-16 06:54:06 | 福井(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は福井県大飯郡おおい町名田庄納田終(おおいぐんおおいちょうなたしょうのたおい)に南川水系の南川砂防ダムというのがあるようなので行ってみました。アクセスは国道162号沿いにある「道の駅 名田庄」近くの県道771号を登って行くと到着します。

県道から見た「ご尊顔」。なかなか立派なダムですね。なぜかピントがあっていません。あらら。



これがダム上なんですが、ガッチリと施錠されていてダム上を歩くことができませんでした。



ダム上にはプレートが2枚嵌め込まれています。

「 南川第1号堰堤
平成2年(1990年)3月
通常砂防工事荒廃95号事業
   福 井 県」

あれ?「南川砂防ダム」じゃないの? 確かに高さが22.0mなので定義上はダムで間違いではありません。また砂防工事なので砂防ダムの表示も合っています。気になるのは「第1号」の表記。1号があるということは2号、3号もあるんでしょうか。



右岸、上流側からダムを見るとこんな感じ。



ダムより下流方面の景色です。写真左下に副ダムが見えますが、なんとも言えない水の色!



右岸下流側の県道沿いのところには「南川砂防ダム竣工記念碑」と刻まれた石碑。グーグル先生の地図の表記もこれと同じなのでこれをそのまま地図に載せたのかもしれせんね。



ダムへの道が県道771号ということですれ違いも困難な道かなと思いましたが、少なくともダムまではそうでもありませんでした。なのでほとんどストレスなく行くことができますよ。
コメント