ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

一発勝負を目指す

2010-06-23 04:34:26 | 脳みその日常
ネットでの書き込みは不都合が生じれば即座に削除することができます。ところが印刷物のような活字媒体はそうはいきません。印刷されてしまえば削除・訂正はできません。だから印刷前に校正や誤字脱字のチェックが行なわれるのです。

書籍のような場合も印刷前に編集者による校正のほかに著者が最終チェックを行ないます。事典類の場合は何度も校正やチェックが行なわれるのが常です。

でも同じ印刷物でも雑誌などはちょっと異なります。ほかのジャンルのことは知りませんが、音楽関係の雑誌では著者によるチェックはまず行なわれません。というか、まずチェックさせてもらえません。いったん送ってしまった原稿はよほどのことがない限りそのまま印刷されてしまいます。

だから完成した原稿を送る際には十分見直す必要があります。そうでないと著者が恥をかくことになるからです。もっとも、優れた編集者がチェックしてくれれば万一間違いがあっても訂正してもらえるのでいいんですが、他力本願は危険。たとえ印刷前に間違いに気づき、訂正するように編集者に連絡しても忘れていることもあるからなんです。

本来ならば印刷前のゲラをチェックさせてもらえばいいんですが、雑誌社のほうではスケジュール的にそこまでの時間がないんでしょうね。事情はわかるんですが、やっぱり書き手も人間。勘違いや間違うことだってあります。だからチェックが必要になるわけです。しかし、チェックできないということになれば、こちらの対策はひとつしかありません。そう、訂正の必要のない完璧な原稿を書けばいいんです。

とはいっても、これはなかなか難しい。常に一発勝負のつもりで書いていますが「うっかり」は起こるもの。それに気づいた時にはすでに印刷物になっているので目も当てられない。穴があったり入りたい…。そうならないよう気をつけているんですけどねえ。
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リゲティを聴きに

2010-06-21 17:22:07 | 音楽あれこれ
前に告知した水戸芸術館に行ってきました。首都高に乗って常磐道の水戸インターで降りるのですが、下の写真は途中立ち寄った友部サービスエリアでの1枚。いや~、ほのぼのしてます。

(クリックすると写真は拡大します。以下同じ)


さてさて、お目当ての水戸芸術館に到着。左の写真はただ名称のあるものが撮りたかっただけ。ここは2階で入り口は1階です。実はここには中庭があります。それが右側の写真。この日は夕方から中庭でキャンドルライトを点灯させる催しがあり、その準備が行なわれていました。

  


で、その中庭の写真の中央にモニュメントらしきものが…。上を見上げたら、こうなってます(左)。右は館内のロビー。パイプオルガンがデ~ンとあります。

  


肝心の演奏会ですが、リゲティの1950年代の初期の作品から90年代の作品までいろいろ楽しめました。なかでも《100台のメトロノームのための「ポエム・サンフォニック」》(1962)の「実演」は面白かった。

ステージ上のメトロノームをセット完了し「演奏」が始まった時点で聴衆はホールに入場。つまりカチカチという音を聴きながら着席し鑑賞するというわけです。メトロノームがどのように配置されているのか前もって写真を撮りたいと思っていたのですが、そんなわけで撮影できず。

ところが終演後、知り合いに会うため舞台裏に行くと、ありましたよ、写真が!(左)メトロノームを配置した後に撮影した写真のプリントアウトしたものを撮影。なんだかおかしいですが、まあいいか…。雰囲気は伝わりますよね。右側の写真は「演奏」を終えてぐったりしているメトロノームたちの一部(笑)

  
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自分の気持ちを貫く生き方

2010-06-20 04:14:06 | 脳みその日常
人というのはどうしても権威や地位にしがみつきたいものです。おそらく多くの人がそうではないでしょうか。それらに執着する理由は簡単。周囲の人からスゴいなと思われたり、収入も高額となり安定するからです。

ところがそういった好条件をいとも簡単に投げ打つ人もいます。友人Mがそう。彼は優秀な医者で、現在ある大学の准教授。詳しくは知りませんが、そのまま行けばおそらく教授になる逸材。

しかし彼は今月いっぱいで大学を去り、民間の病院に移ることにしたそうです。周囲の人は異口同音に「何をトチ狂ったのか!」「考え直せ!」と説得したそうですが、彼の意志は固く、家族にすら相談せずに決めたのだとか。

これを読んでどう思いますか。たぶん他人事ですから「へぇ~、そんな人もいるんだね」程度の感想しかもたないでしょう。なかには「もったいないな」と思う人もいるかもしれません。

でも、彼の考えの中には出世などというものはないようです。むしろ彼にとっては臨床の医療が大切で、大学の組織の中で生きるのは息苦しかったといいます。幸い能力のある後輩が育ってきたこともあり、身を引くのは今だなと判断したのだとか。

大学での肩書きにしがみつくのが悪いといっているのではありません。それはそれで意味があることとも思います。ただ思うのは、特に地方大学などでは顕著なのですが肩書きに相応しい能力に達していないのに必死にその肩書きにしがみつく人も実際いること。

その中にあってMは現場での医療を選択した。これはまるで現代の赤ひげ先生です。街の病院に勤務するひとりの医者にすぎません。収入もきっと減るでしょう。でも彼はそこに生き甲斐を見いだした…。

正直、彼は教授にまで昇りつめるだろうなと思っていました。それだけの能力があると思っていたからです。だから今回の決意には本当に驚きました。

と同時に彼を見直すとともに新たに尊敬する気持ちになりました。なぜなら医者の本分は患者の病気を治すこと。基礎医学も大切ですが、彼はきっと目の前で苦しむ患者を何とかしてあげたいという気持ちが勝ったのでしょう。

多くの人が地位に固執するのに対し、彼はそうしなかった。ある意味で変わり者なのかもしれません。でも社会的地位より自分の気持ちに正直でいようとする姿は素晴らしいと思います。見習うべきだなとも思いました。もっとも、ワシにはもとより社会的地位なんてないんですけどね(苦笑)
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夢を追いかける難しさ

2010-06-17 05:06:20 | 音楽あれこれ
大学の後輩で、専門は違うんですが現在ドイツのとある歌劇場で活躍している奴がいます。先日入った連絡によると今シーズン限りで歌劇場との専属契約を解除されるとのこと。

その理由は歌劇場が財政的に逼迫しているからだそうです。いわば事業仕分けされるようなもので、非ヨーロッパ系(正しくは有色人種)の音楽家からまず解雇することになったのだとか。

なんだかんだいっても、舞台は見栄えが優先しますからね。特にアジア系の人種はどうしたって体格と容姿で劣る。これはどうしようもありません。そこそこの実力があってもこの問題はどうにもならない。

今後どうするかはまだ決めていないようですが、こういう社会状況ですからどこか別の歌劇場とすぐに契約というわけにはいかないでしょう。演奏だけで生計を立てるのはいつの時代もどこの国でも難しいんですね。

なんとか夢を諦めずに頑張って欲しいのですが…。
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もらいもの

2010-06-16 04:13:40 | 脳みその日常
よくある会話で、こんなやりとりがあります。

「もらいもので悪いんだけど、あげるよ」
「はぁ、どうも…」

いただいたものは確かに高価なものだったり、美味しいものだったりします。いただけることはありがたいと思いますし、嬉しいことです。でも、なんかひっかかるんですよね。なぜ「もらいもの」なんていう言葉をわざわざ使うんでしょうか。

相手に贈り物をするのは相手に多少なりとも好意があるからすることですね。その相手が嫌いだったら贈り物なんてしないんですから。でも、相手に喜んでもらいたいと思って贈る時に誰か他の人からもらったものを差し出すのはどうなんだろうと思うわけです。受け取る側からすれば「自分に対して贈り手の(好意の)気持ちが感じられない」と思ってしまいます。なぜ「もらいもの」を自分に贈るのかと。

ただ、贈り手の気持ちもわからないではありません。「もらいもので悪いんだけど」という言い方にはその人の正直さが率直に表れているからです。つまり「もらいもの」なんて情報は贈る相手にはどうでもよいこと。本来なら伝える必要はありません。ところがその人は正直なんでしょうね。本当に誰かからもらったことを隠さないんですから。そして一応申し訳ないという気持ちも「悪いんだけど」という言葉に表れています。だからそれはそれで評価できることではあります。

でも、この人のよくないところは相手の気持ちを考えないことです。自分のために贈り物をしてくれたその人の気持ちを考えずに、もらったものだからといって今度は他の人に「もらいもの」と称して流用するんですから。

もらったものなんだからそれをどう扱おうと関係ないじゃないかと思うかもしれません。まあ、そうです。でも最初の贈り手の立場になってみたらどう感じるでしょうか。この人のために贈ったのにその相手が自分の贈り物を他人にあげているんですよ。

ん~、なんか寂しい気持ちになりませんか。この人に自分の気持ちは受け取ってもらえなかったな…と。このことに気づいてしまうと、もうそういう人に贈り物をしようとは思わなくなります。なぜなら自分の真心を込めた贈り物も、この人はまた誰かにあげるんだろうなと思うからです。

では、仮にその人に悪気がなかったとします。その場合相手に誤解を与えないためにはどうしたらいいのでしょうか。その贈り物が食べ物なら簡単です。

「もらいものなんだけど、食べきれないからお裾分けします」

とでも言えばいいんです。そうすれば自分の気持ちに正直なわけですし、贈る相手の気分も害すことはないでしょう。難しいのは物品の場合です。これは本当に考えてしまいます。う~ん、そうだなあ、どう言えばいいかなあ。ここはひとつ控えめな言い方にするのが無難かもしれません。

「もらいものなんだけど、もしよかったらどうぞ」

せいぜいこんなところでしょうかね。贈り物というのは相手が必ずしも喜ばないこともあるので選ぶのもひと苦労です。だから近年では贈られる相手が自由に品物をチョイスできるギフト・カタログなるものが重宝されるのも頷けます。

でも、そもそも贈り物とは本来自分の気持ちを伝えるためのもの。贈るほうも贈られるほうも常に相手の気持ちを考えることが大切なんでしょうね。
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リゲティ三昧の告知

2010-06-15 04:34:37 | 音楽あれこれ
え~、勝手に宣伝します。来る20日、つまり来週の日曜日に水戸芸術館で「リゲティの肖像」と題するコンサートが行なわれます。

(クリックすると写真は拡大します)


ジェルジュ・リゲティ(1923-2006)は現代ハンガリーの作曲家ですが、全曲リゲティの作品による演奏会なんてめったに行なわれません。いつ聴いてもリゲティ、どこを聴いてもリゲティ。そう、まるで金太郎飴のようなもの…(違うか)。

ま、たとえはともかくとしても当日はリゲティの音楽世界を楽しめること間違いなしです。場所および時間などについてはリンク先を参考にしてくださいな。
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富山紀行(後)

2010-06-10 04:12:56 | ドライブ関連
さて、翌日は…と書こうとしたら写真をひとつ載せてなかったのを思い出しました。次の写真は「白エビづくし」を堪能した後、気分良く歩いていた時に目にした風景です。ここは富山湾へと続く岩瀬運河なんですが、たそがれ時の何とも言えない景色が目を引いたので撮りました。

(クリックすると写真は拡大します)


さてさて、元にもどりましょう。翌日は富山市街をあちこち見て回ったのですが、なかなか印象深かったのは富山城でした。

(クリックすると写真は拡大します)


富山城は天文12年(1543)に新保長職(じんぼながもと)によって築城され、天正13年(1585)に秀吉の征討により一旦破却。その後前田利長により整備されるも大火で焼失。元和元年(1615)には一国一城令によって廃城となります。しかし寛永16年に富山藩が分藩したことで前田利次が初代藩主として入城。以来明治6年(1873)の廃城まで富山前田家が13代にわたってここで統治を続けます。

(クリックすると写真は拡大します)


現在の城は平成15年から2年半かけて耐震改修工事されたもので、城の内部は城の歴史を展示した博物館になっています。まあ、こんなことをつらつら書くのは同行した社長が日本史に詳しくて、いろいろ教わったからなんですけどね。

ああ、そういえば、ちょっと前に「レキジョ」って言葉が話題になりましたよね。日本の歴史、特に戦国武将に憧れを抱いている女性のことです。展示を見ている時に、まさしくそれっぽい人がいました。「おお、これが話にきくレキジョか…」

帰りはあちこちの温泉に立ち寄りながら、のんびり帰京。それにしても富山市は素敵な街でした。JR富山駅から出ているライトレールはまるで路線バスの電車版ですし、路面電車の形はユニークだったり、土地の言葉には意味不明なものがあったり…。

ともかく充実した2日間でした。

(おしまい)
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富山紀行(中)

2010-06-09 03:50:44 | ドライブ関連
え~、そんなわけで前回の続きを。

続いて出てきたのが次の2品です。

(クリックすると写真は拡大します)


で、女将から説明が。

「これは●●尾の白エビ(しらえび)を揚げたものです。数えながらお召し上がりください」

またかい! 好きだねぇ、そのフレーズ(笑)まあいいや、とにかく唐揚げから食べてみました。サクサクとした食感。う、うまひ!

写真の右側にあるのは白エビのすり身を団子にした澄まし汁。そしてまたまた説明。

「え~、これは白エビのむき身を▲▲尾使用した…(中略)…数えながら…」

って、好きだねえ。もう、ええっちゅーに。その説明があまりにおかしいのとアルコールがまわったのとでそれぞれ何尾だったのか忘れちゃいましたよ。でも、団子にしちゃったら数えられませんけど?(苦笑)

この後、白エビをつくね状にして軽くあぶった福団子が出てきました。うっかり写真を撮るのを忘れたんですが、これは香ばしくて、ホント絶品。微妙な焦げ具合が最高。そして噛んだ瞬間に押し返してくる弾力。酔っぱらってはいても食感の記憶はあるんですなあ。ははは…。

(クリックすると写真は拡大します)


シメはこの2品。おっ、タイが器の中で気持ち良さそうに入浴中。冗談はともかく、このタイ汁がまたウマイ! ゆずがしぼって入れてあり、その風味が魚の臭みを消してます。そして薄めの味噌味がタイのダシを引き立たせているんですよ。ホント、この中で泳ぎたいくらいでした。

タイ汁の奥にあるのはもちろんスイカ。おや、スイカって旬なのかな? 季節感というものに全く疎いワシにはわかりません。でも、これがまためちゃくちゃ甘かったので旬かどうかなんてどーでもいいんですが。

あ、そうそう、思い出しました。確かこの時の料理に使われていた白エビの総数は一人前380尾と女将は言ってました。使われる数が決まってるってのは老舗料亭にしては面白いですね。それとも料亭もマニュアルがあるんでしょうか…。

いずれにせよ、この料亭はオススメです。ぜひ味わってみてくださいな。場所などの情報については前回のリンク先を参考にしてください。

次回は翌日の様子を書こうと思います。

(つづく)
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富山紀行(前)

2010-06-08 04:18:48 | ドライブ関連
知り合いの社長が富山へ所用で行くというので、ワシは気分転換をかねて運転手役で同行。社長の取引先を訪ね終わると、時は既に夕方。すると社長、

「さて、うまいもんでも食いに行こうか!」

というわけで、地元の人にリサーチした結果、富山湾にほど近いところにある料亭「松月」に決定。この日は富山駅前のホテルに宿泊する予定だったので、クルマを置いて出かけました。なぜ料亭へクルマで行かなかったかって? そりゃ呑むからですよ。

   
(クリックすると写真は拡大します)


明治44年(1911)創業ということなので、今年で99年の老舗! 期待は高まります。通された個室の入り口が右の写真。そう、これは土蔵です。おそらく平成7年の建物再生工事の時につくられたのでしょう。内部は10畳ほどの広さがありますが、土蔵ですから当然外を見ることはできません。まあ風景をみるために来たわけじゃないので、いいんですけどね。

この店の売りは白エビ(しらえび)。白エビは太平洋側では駿河湾や相模湾でも生息するそうですが、単品として商業漁獲されているのは富山湾のみだそうな。ならば、本場の「白エビづくし」といきましょう。

(クリックすると写真は拡大します)


これが最初に出てきたものです。写真中央の、ビールの奥にある小ぶりのガラスの器に入っているのが白エビの刺身。生臭さを消すためのワサビが置かれ、たまり醤油が軽くかけられています。

女将が言うには「ここには70尾の白エビが入ってます。数えながらお召し上がりください!」

いやいや、なんつージョークですか。いちいち数えてたら朝になっちまいますぜ。ここはひとつガバッと一口で。うん、あま~い。とろけます。

白エビづくしは、さらに続きます。でも、眠くなってきたので、続きは次回。

(つづく)
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閑古鳥

2010-06-01 04:20:32 | ドライブ関連
いや~、半月近くのご無沙汰でした。なんだか知りませんが、先月の下旬から慌ただしい日々を送っています。スケジュールなんて、もうめちゃくちゃ。

それはともかく、先日数年ぶりでしょうか、晴海のトリトン・スクエアに行ってきました。そしたら、あ~た、閑古鳥が鳴いてるじゃないですか。

(クリックすると写真は拡大します)


この写真は駐車場の待ち合いロビーです。なんとワシ以外誰もおらん。ちなみに撮影したのは日曜日の昼過ぎですよ。深夜じゃありません。

少なくとも数年前は違いました。日曜日ともなれば、ここは家族連れで賑わっていたものです。この雰囲気からわかると思いますが、これに隣接するテナントにもお客はあまりいませんでした。

閑散としているのは、やはり交通の便が悪いからでしょうか。それにこれらのテナントには「これだ!」という売りがないもんね。

う~ん、施設や設備が衰退していく時というのは、こういう感じなのかな。でも、まだ落ちぶれたわけじゃありません。

頑張れ、トリトン・スクエア!
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