ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

情報は正しく!…先谷池

2024-03-31 07:56:43 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は岡山県久米郡美咲町北(くめぐん みさきちょう きた)にある先谷池(さきだにいけ)を目指します。アクセスは国道429号から北方面へ入り、県道341号へ。しばらく行くと左側に旭北(あさひきた)郵便局が見えてくるのでそこのT字路を入ります。そして、すぐの左カーブの先を右へ入り、そのまま先谷川(さきだにがわ)に沿って進んでいくと目的地に到着します。

…てなわけで到着。左岸側に洪水吐があるのがわかります。

洪水吐の様子。ちょっとした段差のある越流式です。池が満水になると水はここから溢れ出て、

この水路を通って下流へ向かいます。

左岸、池側から見た様子。

これが、いわゆるダム上になります。先谷池であることを示す案内板は見当たりませんが、そこにある唯一の看板が「先谷池水利組合」なので間違いないでしょう。写真左上はワシの指。日差しを遮ろうとしたら写ってしまいました。へへへ。

ダム上を進みます。中央から池を見るとこんな感じ。

一方、下流方向の様子。

右岸まで来ました。振り返るとこんな感じ。


先谷池はダム便覧に登録されています(参考)。それによると先谷池は、高さ=16.4m、長さ=75.0mのアースダムで、竣工は1911年だそうです。しかし河川データは「旭川水系通谷川(かいだにがわ)」となっていますが、これは間違い。国土地理院の地図を見ると、この先谷池から流れ出た川は先谷川であり、それが下流で通谷川に流入しているからです。

また所在地は「美咲町北村(きたそん)」とありますが、現在の住所は上に記した通りです。そしてダム事業者も「北村」がないのですから「北村土地改良区」の表記もおかしい(ネットを検索しても同土地改良区はヒットしないので存在しないのかも…)。

さらに、上に見たようにダム上には「先谷池水利組合」と表示されているので、現在の事業者はこれではないかと思われます。もっとも、「先谷池水利組合」で検索しても同様にヒットしませんけどね〜。ただ、現地にそういう表示があるということはまだこのほうが正しいんじゃないかと思います。

真実はいかに…。
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いろいろ不明…舟木谷池

2024-03-31 07:00:04 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。一週間ほど前、毎月書いている雑誌社から新譜のCDが届きました。そのコメントを書こうとした時、その一枚がなんと二年前にリリースされたものであることが判明。「いや、これ、新譜ちゃうでしょ?」と編集部に問いただすと「あー、すみません。気づきませんでした」との回答。もぉー、しっかりしてくれ!

気を取り直して…。

えー、今回は岡山県久米郡久米南町中籾(くめなんちょう なかもみ)にある舟木谷池(ふなきだにいけ)を目指します。アクセスは国道53号の「上神目(かみこうめ)」信号を上籾(かみもみ)方面へ曲がります。県道375号をそのまま進んでいくと池が見えてきます。「おおっ、これか?」と思うんですが違います。県道から離れ、池の左岸側の道を進み、しばらく行くと目的地に到着します。

これですね。右岸側、つまり写真下部のところに洪水吐が設置されています。

洪水吐といっても、ちゃんとしたものではなく排水路といった感じ。水はそこから溢れ出て、

あちらへ流れていきます。

右岸、下流側から見た堤の傾斜の様子。

では、いわゆるダム上を進んでみます。その中央から見た池の様子はこんな感じ。

池の下の様子と下流方向の遠景。


対岸(左岸)にきました。振り返るとこんな感じです。

左岸、池側から見た様子。


ここへ来た理由はダム便覧に載っていたからです(参考)。グーグル先生の地図にも舟木谷池は載っています。でも、現場にそれを示すものはありません。ちなみにダム便覧のデータによれば、高さは18.2m、長さは65.0mのアースダムで、1919年に竣工したとのこと。

ただ、河川は旭川水系誕生寺川と記載されていますが、誕生寺川は国道53号に沿って流れている川であり、舟木谷池から流れ出ている川でないのは明らか。うーん、詰めが甘いねぇ。もっとも、その川名は知りませんけど。

また、この池名の由来も不明です。地名ではなさそうなので、もしかしたらここは「舟木谷」という谷なのかもしれません。その谷を堰き止めて池にしたのでそのように命名されたのかも。ええ、あくまで推測ですけどね。
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取水堰堤なんです!…旭川第二ダム

2024-03-30 06:54:10 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、前回の旭川(あさひがわ)ダムから旭川沿いの県道30号を下ってくると何か見えてきました。なんでしょうか。


到着しました。ダムかな?

下流側から眺めます。高さはさほどないので堰堤のように見えます。

県道の山側に堰堤の横へ至る小道があったので登ってみます。そしてそこから堰堤を見るとこんな感じ。ご覧のように堰堤の上は関係者以外立入禁止なので行けません。


はて、これはなんでしょうね。周囲にそれを示すものはありません。そこで、地図で調べるとこの築造物は「旭川第二ダム」というそうな。ああ、これが上流の旭川ダムの次に築造されたものなんですね。さらに調べると旭川第二ダムはここから直線距離にして下流約1.5kmのところにある岡山県企業局旭川第二発電所(岡山市北区建部町品田)で発電するための取水堰堤であることが判明。国土地理院の地図を見ると旭川第二ダムの右岸に取水口があり、そこから旭川とは別の水路で旭川第二発電所へ送水され発電に利用されるようです。

では、旭川第二ダムはいつ築造されたのでしょうか。旭川第二発電所の運用開始が1954年11月なので当該ダムの築造年月もそのころと思われます。

あれ?そうすると築造時期は旭川ダムとほぼ同じ頃になりますね。確か、ここは旭川ダムの次に築造されたはずなので再度確認してみます。旭川ダムは岡山県企業局の旭川第一発電所のためのダムとしても築造された経緯があります。そして同第一発電所の運用開始が1954年2月なので旭川ダムの築造もそのころと思われます。とすれば、確かに旭川第二ダムは旭川ダムよりもあとに築造されたのですが、竣工時期はその9ヶ月後ということになります。

旭川第二ダムは見た目は新しく見えるので築造されたのは最近なのかなと思いますが、実はもっと前に築造されていて、塗装などのリニューアルが行なわれたので新しく見えるんでしょうね。

参考
参考
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岡山県の…旭川ダム

2024-03-29 07:04:22 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は岡山県岡山市北区建部町鶴田(たけべちょう たづた)にある旭川(あさひがわ)水系の旭川ダムを目指します。アクセスは県道30号沿いにあるので迷うことはないでしょう。

見えてきました。あれのようです。


県道から入ると、まず「旭川ダム統合管理事務所」の建物があります。


そこからダムを見るとこんな感じ。旭川ダムはその名の通り旭川を堰き止めて築造したことに由来します。

旭川ダムの案内板。築造の経緯が記されています。それによると、築造の計画はなんと大正10年(1921年)頃に起こり、県営電気事業計画として発案されます。その後、県下の河川の調査を行なっていましたが、昭和9年(1934年)9月に室戸台風による大災害が発生。これが直接のきっかけとなり、昭和17年に築造に着手するも翌年第二次世界大戦のため建設は一時中止。戦後、旭川総合開発計画が立案され、昭和25年に事業が再開。翌年から着手されます。そして昭和29年(1954年)に治水、利水、発電を目的とする多目的重力コンクリートダムとして完成した。ただし、後年下流に旭川第2ダムが築造されるまで当該ダムは「旭川第1ダム」という名称だったそうな(参考)。ほうほう。

子供にもわかるように作成された案内板。

周辺環境整備事業についての説明。

ダム内の循環設備についての説明。

旭川ダム再開発事業についての説明。昭和29年に当該ダムは完成したものの、昭和47年7月、西日本を襲った豪雨をきっかけに洪水調節方式の見直しを開始。予備放流方式を制限取水方式に変更するなどの改良を行なったそうです。そして取水塔の設置をはじめとして昭和59年(1984年)3月、工事は完成。ほほぅ。

訪れた時、ダムの補修工事が行なわれていたため、ダム上には行けない雰囲気だったので、

左岸から見たダム上のみの撮影となりました。

そして、左岸、ダム横から下流方向を眺めます。ダムの高さが45.0mということで見晴らしは最高!


工事がなければ、ダム上の中央から見たかったなあ…。そういえば、秋田県秋田市にも旭川ダムがあったっけ。いや〜、秋田県もまた行きたいなぁ。
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霜降りチョコレートムースケーキ

2024-03-28 06:57:51 | 脳みその料理
どーも、ワシです。冷蔵庫にいろいろな余り物があったので、整理する目的でチョコレートムースケーキを作りました。クリームチーズとか生クリームとか中途半端に残っているものって、ホント邪魔になります。それらを片付けるべく、チョコレートを買ってきて作ったのがこちら。

どーん。


完成して、冷蔵庫で少し冷やしてみたら…なんと上部の溶かしチョコレートが脂分と分離しとる!それはまるで霜降りのよう(笑)

まあ、いいや。美味かったし。
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現場表記を優先に!…瀧谷池

2024-03-27 06:54:45 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は岡山県久米郡美咲町大垪和東(くめぐん みさきちょう おおはがひがし)にある滝谷池を目指します。アクセスは県道70号から栃原(とちばら)方面へ至る県道373号を行くと到着します。

ところで、滝谷池はダム便覧に掲載されている(参考)のですが、そのデータにはいくつかの誤りがあります。まず池名ですが、後述するように現地の石碑には「瀧谷池」と刻まれています。そして読み方はダム便覧では「たきだにいけ」とありますが、河川名が滝谷川(たきたにがわ)なのでそれに由来する名称と考えればおそらく「たきたにいけ」が正しいと思われます。また、データでは吉井川水系とありますが、地図を見れば明らかなように滝谷川は旭川(あさひがわ)に流入しているので水系名は旭川水系が正しいはず。ダム便覧の記載内容は時として間違っているので鵜呑みにするのは危険です。なお、高さ=18.0m、長さ=110.0mの典拠は不明。

さて、到着しました。左岸のところには高さ3mくらいの石碑が建っています。そこには前述の通り「瀧谷池竣工記念碑」と刻まれています。まあ「瀧」の新字体が「滝」ですからダム便覧の記載は間違いではないのですが、やはり現場の記述を優先すべきではないかとも思います。

その裏側を見ると「昭和四十三年(1968年)十一月吉日建之」とあるので、瀧谷池もこのころに築造されたものと思われます(これはダム便覧と一致します)。

左岸から見た、いわゆるダム上の様子。

近くにある「大垪和10景プラス1」の案内板。

ダム上、中央から見た池の様子。確かに10景に選ばれるほどの良い眺めです。

一方、下流側の景色はこんな感じ。

右岸側には越流式の洪水吐があります。おや?犬小屋みたいなものがありますね。あとで行ってみましょう。

洪水吐から溢れ出た水はこの水路を通ってあちらへ流れてゆきます。

右岸に来ました。振り返るとこんな感じ。写真下部の橋の下が洪水吐の水路。

右岸、池側から見た様子。このあたりに管理所のような建物がありますが写真を撮り忘れました。

先ほどの「犬小屋」に近づいてみました。すると…「はくちょうのいえ」だそうです。なるほど。


白鳥が飛来するんですね。それも見たい気がします。
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由来は明らか…長池

2024-03-26 06:56:37 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は岡山県久米郡久米南町松(くめなんちょう まつ)にある旭川(あさひがわ)水系の長池を目指します。アクセスは国道53号の「厨橋(くりやばし)」信号を上籾(かみもみ)方面へ曲がり、県道373号をひたすら進んでいきます。

到着しました。これのようです。左岸側に洪水吐が見えますね。

左岸、池側から見た様子。

これが、いわゆるダム上になります。歩いてみましょう。

洪水吐に架かる橋から下流側を見ます。池の水が満ちると水はこの水路を通ってあちらへ流れてゆきます。

ダム上、中央から見た長池の様子。池名の由来は不明ですが、その形状が細長いことから命名されたのかな?

ダム下の様子。左岸から溢れ出た水はダム下中央付近まで来て、そこから下流へ行くようです。

対岸(右岸)にきました。振り返るとこんな感じ。

右岸、池側から見た様子。

右岸から見た堤の傾斜の様子。

左岸、下流側のちょっと離れたところに2つの記念碑があります。

左側の記念碑の文言を転記します。

「 耕地整理記念碑
由来為松之地耕地狭隘而乏水利交通運輸亦頗不便郷人夙憂之凝議至大正五年一月設立耕地整理組合築造堰堤于長池外加以主要道路数條之開鑿(かいさく)昭和六年四月竣工矣総工費拾参萬五千餘圓内国庫助成金参萬五千七百餘圓縣補助金壱萬九千五百餘圓也今也闢田三十餘町歩拓畑地数町歩用水路之新設改廃成化磽确(こうかく)而為豊穣之地人馬交通之便備而達成郷黨百年之宿願焉仍茲建碑傳于後昆云爾
  岡山縣知事正五位勲四等多久安信閣下題
   昭和十年初秋
      久米郡弓削町松耕地整理組合」

要約すると、「松地域の耕作地は非常に狭く、水利交通の便がとても悪かったためそこに住む人々は以前から憂いていた。大正15年1月、耕地整理組合が設立されたことで長池に堰堤の築造とその外側に主要道路が引かれることとなり、昭和6年(1931年)4月に竣工した。総工費十三万五千余円のうち、国庫助成金は三万五千七百余円、県からの補助金は一万九千五百余円である。現在、田圃三十余町歩、畑地数町歩を開墾し、用水路を新設することで荒地を豊かな地に変え、交通の便を整備し地元の人々の百年の宿願を達成した。よって、ここに碑を建てそれを後世に伝えるものである。」といった内容です。

なお、当時岡山県知事だった多久安信(たく・やすのぶ:1890-1959)は佐賀県出身で東京大学法学部を卒業し、内務省へ入省。1932年6月から青森県知事、1934年8月から岡山県知事、1937年7月から千葉県知事を歴任しました。

一方、右側の記念碑はなんでしょうね。その裏側を見ると平成10年(1998年)3月に県営ため池整備事業が完成したことを記念する石碑であるのがわかります。これを見ると地区名が「長池地区」とあるので、長池とはここの地区名に由来するのかもしれませんね。


ちなみに、長池はダム便覧に登録されています。それによると、高さ=15.5m、長さ=68.8mからなるアースダムとのこと(参考)。
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ちょいと謎が…荒神池

2024-03-25 06:57:05 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は岡山県久米郡久米南町南庄(くめなんちょう みなみしょう)にある旭川(あさひがわ)水系誕生寺川の荒神池(こうじんいけ)を目指します。アクセスは国道53号の「厨橋(くりやばし)」交差点を上籾(かみもみ)方面へ曲がり、県道373号を進んで津山線の踏切を過ぎて最初のT字路を右へ入ります。そして少し行ったT字路を「←松東・南庄」方面へ。そのまま道なりに進んでいくと到着します。

到着しました。左岸から見た様子。

左岸側には記念碑が並んでいます。

それによると、荒神池が竣工したのは大正15年(1926年)4月で、

昭和時代末期に改修工事が行なわれて、平成元年(1989年)1月に竣工したことがわかります。

左岸側から見た、いわゆるダム上。

その中央から荒神池を見ると、こんな感じ。

一方、その中央にはダム上から下へ降りる階段があります。

階段を少しだけ降りて、傾斜の感じを撮ってみました。

そして、下流方向の遠景。

洪水吐は右岸側にあり、申し訳程度の越流式の段差になっています。

右岸から左岸方向を眺めるとこんな感じ。写真左下のところが洪水吐になっています。


荒神池はダム便覧に登録されています。それによれば、高さ=15.3m、長さ=67.0mのアースダムだそうですが、竣工は1905年と記されています(参考)。ん?先に見た石碑には1926年とありましたが、どういうことなんでしょうか。もしかすると、並んでいた三つの石碑のうち、一番左の石碑に記されていたのかもしれません(実はほとんど判読できなかったので諦めたんですが)。ただ、それが事実ならば真ん中の石碑に記された竣工年は何を意味するのでしょうね。これも改修工事?また池名の由来は?

うーむ、いまいちモヤモヤします。
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由来が知りたい!…夫入道池

2024-03-24 06:59:11 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は岡山県久米郡久米南町南庄(くめなんちょう みなみしょう)にある旭川(あさひがわ)水系誕生寺川の夫入道池(ぶにゅうどういけ)を目指します。アクセスは前回記事にした水越池のすぐ下を通る道を進んでいくと到着します。ただし、この道はとても細いので要注意。

対向車が来ないことを祈りつつ進んでいくと無事到着。これが左岸から見た、いわゆるダム上になります。

下流側の斜面の様子。

池側から見るとこんな感じ。

ダム上を進んでみます。中央のガードレールの隙間には「地蔵菩薩」と記された石碑が…。

そこから池を眺めます。

一方、下流方向の遠景。

右岸側には洪水吐があります。一応越流式のようです。

洪水吐の上に架かる橋の名は「夫入道池橋」で、昭和57年(1982年)3月竣工だそうです。


洪水吐から溢れ出た水は、この水路を通ってあちらへ流れていきます。

右岸、池側から見た洪水吐の様子。

そして、左岸側を見るとこんな感じ。

右岸、下流側から改めて堤の傾斜を眺めます。こう見ると、やはり高さがあるなあと思ったり…。


ここが夫入道池であるのは間違いないんですが、諸元を示すものは見当たりません。そこでダム便覧を見ると、夫入道池は1900年に着工し、1919年に竣工した高さ=15.0m、長さ=67.0mのアースダムとあります(参考)。しかし、池名の由来は記されていません。ネットを検索しても由来についてはわからずじまい。うーん、気になります。

次回、岡山県に行った際に近所の人にでも聞こうかしらん。
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昭和末期に改修された水越池

2024-03-23 06:52:09 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は岡山県久米郡久米南町北庄(くめなんちょう きたしょう)を流れる旭川水系誕生寺川に築造された水越池を訪れます。アクセスは前回の記事で書いた誕生寺に突き当たったら左へ曲がり、そのまま県道376号を進んでいくと到着します。

到着しました。県道から見るとこんな景色。

近くには「水越池改築記念碑」があり、

その裏側には改築の経緯が簡単に記されています。

転記すると、以下の通り。
「此溜池は大正末期から昭和の始め、誕生寺耕地整理組合二区として増改築されたが、堤塘破止石垣の老朽と一部漏水もあり、昭和五十九年度小規模老朽溜池工事として県と町の助成を仰ぎ、工費壱阡五百余円をもって無事完工されたものである。
   昭和六十年三月吉日  水越池受益者一同」

とりあえず、いわゆるダム上に向かいます。これがダム上。

その、ほぼ中央から池を見るとこんな感じ。

一方、下流側の景色。棚田があるのが見えますね。先ほどの石碑から推察するに、水越池はこうした棚田のために築造されたものであるのがわかります。

一応、ここが右岸に相当する場所ですが、そこには謎の石碑が…。これは水神様かな?

その背後には洪水吐があり、池から溢れた水は、


この水路を通って下流へ向かいます。水路の左側の堤はダム上から繋がっていて、それが水路の堤防のような役割を果たしています。

その堤の端から池を眺めるとこんな感じ。

ついでに左岸側の下付近からはこんな感じに見えます。


水越池はダム便覧に登録されています。その諸元を見ると、上に見た石碑にあるように大正時代に築造されたものであるのは確かで、高さ=16.0m、長さ=79.0mのアースダムだそうです(参考)。それにしても、水越の由来はなんでしょうね。ここの地名でしょうか。
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下流の棚田のために…神田池

2024-03-22 06:58:40 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回訪問するのは岡山県久米郡久米南町北庄(くめぐん くめなんちょう きたしょう)を流れる旭川(あさひがわ)水系誕生寺川に築造された神田池。池の名称はそこの地名に由来します。アクセスは国道53号の「誕生寺」信号を西方向へ。そのまま県道376号を進むと誕生寺に突き当たるのでそれを右折し、道なりに進んでいくと目的地の左岸に到着します。

見えてきました。あれのようですね。右岸側に洪水吐がある立派なつくりです。

到着です。左岸から見た傾斜具合。

池側から見るとこんな感じ。

これが、いわゆるダム上になります。歩いてみましょう。

中央付近から見た池側の景色。

一方、下流側はこんな様子です。

右岸側にある洪水吐の水路の様子。

その水路の上を渡り、右岸から左岸を見るとこんな感じです。

右岸の池側から見た様子。

ふと足下を見ると小さなお地蔵様が…。水神様かな?「明治37年(1904年)1月建之」と刻まれているので神田池が築造されたのはこの頃なのでしょうか。


付近には案内板などはありません。ダム便覧によると神田池は1899年に完成した高さ=19.3m、長さ=127.0mのアースダムだそうです(参考)。でも典拠はどこなんでしょうね。もしこれが本当なら水神様は神田池が築造された5年後に作られたことになります。
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築造の目的は?…本山池

2024-03-21 06:55:17 | 岡山(ダム/堰堤)

どーも、ワシです。今回は岡山県久米郡美咲町定宗(くめぐん みさきちょう さだむね)にある吉井川水系本山川(ほんざんかわ)に築造された本山池を訪れます。ダム名は本山川に築造されたことによるのか、もしくはこの上流にある岩間山本山寺に由来するのかは不明。アクセスは県道52号沿いにある「本山寺」の表示に従って坂道を進み、道路の左側に最初に現われるガードレールが目印です。

なぜそれが目印なのかというと、本山池は道からは見えないから。で、ガードレールの端の小道を下っていくと目的地が見えてくるんです。

左岸の、いわゆるダム横に来ました。うわっ、決壊してる!…いえいえ、そうじゃありません。そういう構造らしい。

いわゆるダム上へ行くには川の中にある飛び石を渡ります。たまたまこの時は水量が少なかったので行けました。そして、中央付近から見た上流側の景色はこんな感じ。写真は逆光のため暗く見えますが、実際にはもっと明るいです。

池の下と遠景はこんな感じ。


対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

右岸から傾斜の様子をご覧ください。

じゃあってんで、左岸からも撮ってみます。


左岸側にある流水路。石が緩やかな傾斜で敷き詰められて並んでいます。これも越流式といえるんでしょうかねえ。


さて、本山池には公式サイトはなく、諸元は不明。ダム便覧によれば、高さが20.4m、長さが72.0mのアースダムで1920年に着工し、1939年に竣工したとあります。(参考

でも、気になるのは何を目的とした池なんでしょうね。農業用にしてはほったらかし状態のようだし…。
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農業用に築造…長原ダム

2024-03-20 06:54:59 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。いや~、ここ半年くらいは諸事情で県内のダム関連施設だけを回っていましたが、さすがに遠くへ行きたくなりました。そこで、途中になっていた岡山県のダム巡りの続きをやろうと奮起。でも、まとまった時間もなく、天気の状況も考慮した結果、日帰り巡りとなりました。それにしても、あちこち回って日帰りで1,300kmは疲れましたよ!

ま、そんなこちらの事情はさておき、最初に訪れたのは岡山県久米郡美咲町越尾(くめぐん みさきちょう こよお)にある吉井川水系新城川に築造された長原ダム。ダム名はここの地名に由来します。アクセスは県道352号と新城川が交差する落合橋の右岸側の道を登っていくと到着します。

この道を進んでいくとダムの右岸に到着するのですが、まずはダム下へ行って「御尊顔」を拝みます。写真右側に見えるのは洪水吐の水路です。

ダム下に見えるクリーム色の建物は長原揚水機場。


では、続いて右岸のダム横へ行ってみます。おー、ダム下から見るよりも大きく、迫力があります。

上流側から見るとこんな感じ。

ダム上です。行ってみましょう。

ダム上、中央から見たダム湖の様子。

一方、ダム下はこんな感じ。先ほどの揚水機場が見えますね。

そして、下流方向の遠景。

洪水吐は左岸側にあり、ダム湖から溢れ出た水はこの水路を通って下流へ向かいます。

左岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。ガードレールの下が洪水吐の水路になっています。

グーグル先生の地図や国土地理院の地図には「長原ダム」という表記はありますが、当該ダムに表示板はありません。しかし、訪れた時は補修工事の期間らしく、「安心安全の長原ダム」の看板が!確かに安心しました(笑)ただし、訪れた時間は早朝だったため、まだ工事は開始されておらずラッキー。

左岸、上流側から見るとこんな感じ。

すぐ近くにはほとんど廃棄されかけている表示板が。そこには「県営農地開発事業」とか「農業基盤整備事業」の文字が見えることから当該ダムは農業用に築造された県営ダムであることがわかります。

左岸側にあるこの建物は管理所でしょうか。その表示もなく、まるで住宅のよう。

その付近から見たダムの様子。橋の下に越流式の洪水吐があるのがわかりますね。


長原ダムには公式サイトがないので諸元はわかりません。ダム便覧によれば、高さは27.0m、長さは101.8mのロックフィルダムで、1971年に岡山県により着工され、1981年に竣工したそうな。(参考

ほぉ〜。
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カカオ・フィナンシェ+α

2024-03-18 06:54:33 | 脳みその料理
どーも、ワシです。昨日記事にしたキッシュは当初パイ生地で作るんだからスイーツだろうと思い込んでいたのですが、いやいや、どうして、腹持ちのするフードであることに気づきました。こりゃ、小腹が空いた時、気軽に食べるものじゃないな…と。

そこで、ふと冷蔵庫を見るや、卵白が余っていることに気づきます。これは早く消費せねば。また、カカオパウダーも残っています。…となれば、フィナンシェを作るしかない!

というわけで、早速カカオ・フィナンシェ作りを開始。でも、これ、前にアップしたので面白くない。そこで、あるものを追加してみることに。それは、やはり消費されるのを待ち侘びているブルーベリー。こいつを型に入れたフィナンシェ生地に埋め込んで焼いてみたらどうなるんだろうか。もうね、化学実験ですよ。

で、焼きあがったのがこちら。


玉子ひとつぶんの卵白でフィナンシェが6個も作れちゃうのは嬉しい限りです。で、埋め込まれたブルーベリーとの相性ですが、これがまた良い。ブルーベリーの酸っぱさとフィナンシェの甘さ具合がナイスなんですねぇ。

ただ、写真を見てわかるように、その見た目がなんだかスマートキーのようで笑いました。思わずポチッと押したくなります。

はははは。
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キッシュ(試作)

2024-03-17 14:26:16 | 脳みその料理
どーも、ワシです。えー、パイ生地で何か作れないかなと思案した挙句、キッシュを思いつきました。キッシュ(Quiche)はフランスのアルザス=ロレーヌ地方の郷土料理で、その名称の由来は明確ではありませんが、ドイツ語のケーキやタルトを意味するクーヘン(Kuchen)と関係があるともいわれます。

今回はその代表的なものであるキッシュ・ロレーヌに挑みます。これはベーコン、ほうれん草を炒めたものに玉子と生クリームを混ぜたものを注ぎ、その上にチーズをかけて焼いたものですが、今回は玉ねぎとしめじも追加しました。

そうして焼きあがったのがこちら。焼きたてだとパイの縁まで膨れますが、冷ますとこんなにも縮んでしまいます。

8等分にカットするとこんな感じ。


パイ生地なので食感はサクサクですが、その味はまるでクリームシチュー、もしくはグラタンのよう。確かに美味いけれど、ズシンと腹にたまり、ちょっともたれますね。
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