ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

還暦間近!…菊川頭首工

2023-03-08 06:56:05 | 静岡(ダム/堰堤)
才能豊かなリュート奏者である友人のK君が先月末に亡くなったとの知らせを受ける。ワシより年下なのに…嗚呼。

どーも、ワシです。さて、今回は静岡県菊川市富田(とみた)にある菊川水系の菊川頭首工を目指します。場所は東名高速道路の相良牧之原インターの北西に位置します。アクセスはJR菊川駅の前を走る県道79号を東へ進み、「火剣山キャンプ場」と表示のあるT字路を入り、東海道本線を潜った先が二又になっているので左方向へ。そして橋の手前を左に入っていくと目的地に到着します。

上のリンク先の説明によると、菊川頭首工は戦後小笠地区で大旱魃と不作が続いたことが建設のきっかけだったようです。昭和26年(1951年)に国営大井川農業水利事業が開始。そしてその一環として建設されたのがこの頭首工で、昭和39年度に竣工したとあります。

これが菊川頭首工。左側に見える線路には東海道新幹線が走っています。


菊川の下流方向の様子。


頭首工の横には関連施設があり、

その壁には水利使用標識が貼られています。


正式名称は「菊川左岸幹線菊川頭首工」なのでしょうか…。この表示を見ると、竣工は1965年3月。リンク先の表示と異なると思いきや、昭和39年度とは翌年3月までのことなので間違いではありませんね。うーん、紛らわしいな。


菊川の水はこの取水口から分水し、

この沈砂池に流れ込んだ後、水路を経て左岸の農業用水として使用されるようです。


近くには大井川用水と菊川頭首工の案内板があります。それによれば頭首工は確かに1965年3月に竣工したものの、施設の老朽化が進んだため「国営大井川用水農業水利事業」の一環として平成23年度にゲート、巻上げ機、沈砂池の改修が行われたそうな。


菊川の上流側から見た様子。先にも書いた通り、東海道新幹線がすぐそばを走っていて、新幹線が通過するや、物凄い騒音にびっくり。近隣の人々はもう慣れっこなんでしょうねえ。


菊川頭首工は半世紀以上もの間、近隣の農地へ水を送り続けているんですね。
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くつろぎの場所!…丹野ダム

2023-03-07 15:42:41 | 静岡(ダム/堰堤)
いや〜、今年から地区の会長にされてしまい、雑事に追われているでござるよ…。ヒィイィィィ。

どーも、ワシです。さて、今回は静岡県菊川市丹野にある菊川水系の丹野ダムを目指します。場所は東名高速道路の相良牧之原インターの南にあり、アクセスは県道244号から入って行ったところにあります。

県道を入っていくと見えてきました。あれですね。


右岸のダム横に来ました。ダム湖名は「丹野池」。


丹野池周辺を総称して丹野池公園というそうな。この地域は枯渇と洪水を繰り返していたため、昭和32年(1957年)に農業用ため池として築造されたとのこと。


これが右岸から見たダム上。歩いてみましょう。


「土砂災害警戒区域表示板」。周囲は一見のどかな感じですが、土砂災害も起きるんですね。


ダム上、中央から見た丹野池の様子。


そして下流側の景色はこんな感じです。


丹野池の周囲には様々な動物の形をした石像があり、そのお腹のところには「大蛇の足窪と赤どじょう」という物語が書かれています。物語を読むには丹野池をぐるっと回らなければならないようなので断念。


左岸側には越流式の立派な洪水吐があります。増水時になると水はここから溢れ出て、

この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。


対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。写真手前の橋の下が洪水吐の水路。


左岸、丹野池側から見たダムの様子。


ゆっくり見ればどこかにダムに関しての案内板があったのかもしれませんが、少なくともダム上周辺には見当たりませんでした。
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ほとんど放置…東大谷防災ダム(堰堤)

2023-03-03 06:58:30 | 静岡(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は静岡県掛川市大渕(おおぶち)にある東大谷川水系の東大谷(ひがしおおや)防災ダムを目指します。場所は以前訪れた西大谷池の南東に位置し、県道249号沿いにあるので迷うことはありません。

…とはいうものの、実際に行ってみると、あまりパッとしませんね。写真は右岸から見た様子。写真右端に見えるのが県道249号です。


右岸、ダム横に来ました。これがダム上ですが、ご覧の通り未舗装。


洪水吐は右岸側にあります。越流式ですが訪れた時は水はなく、カラッカラ。


ダム上を歩いてみます。中央付近から見た貯水側はこんな感じ。渇水期なのか湖底が半分以上見えています。

左岸方向に目をやると取水塔と思しきものと白い建物が見えます。



ダム上、中央から見た下流側の景色。高さがあまりないので県道249号がすぐ前にある感じ。


対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。


先ほどダム上から見た建物がこちら。

「県営防災ダム事業 東大谷防災ダム」のプレート。


そこからダムを見るとこんな感じ。


近くには水神様?が祀られています。


東大谷防災ダムの諸元は現場になかったので、これがいつ築造されたのかは不明。でも静岡県が作成した「ため池データベース」によると高さは10.8m、長さは180.8m、総貯水量は94,000㎥と記されています。また、防災ダムという名称ですがダムの定義からすると高さが15.0mに満たないため定義上は堰堤となります。だからダム便覧には載っていないんですね。
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歴史も見なあかんぞ…神増分水工

2023-03-02 07:00:54 | 静岡(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は静岡県磐田市上神増(いわたし かみかんぞ)にある神増分水工を目指します。場所は新磐田スマートインターの西南西に位置し、アクセスはもちろん同インターからが近いのですが、わかりやすいのは国道152号「新原小南」信号を浜北大橋方面(県道61号)へ曲がり、浜北大橋を越えて突き当たりのT字路まで行きます。それを袋井方面へ左折し、県道44号に入ります。しばらく走ると左側に「とよおか歯科医院」があるのでそのT字路を入って行くと諏訪神社が見えてきます。目的地はその付近です。

下流側から見た神増分水工。この分水工も昨日、一昨日記事にした2つの分水工(於呂、五貫地)と同じ船明(ふなぎら)ダムを水源としています。ただ、それらと異なるのは同ダムからの左岸導水路を経てここへ流れてきていることです。


だから案内板の「施設名」も「左岸導水路神増分水工」なのですね。この略図に示されているように左岸導水路はこの分水工で「寺谷(てらだに)幹線」と「社山(やしろやま)幹線」に分水されます。


上流側から見ると、こんな感じ。向かって右側のゲートが上がっているほうが寺谷幹線への入口、そして左側のほうが社山幹線へ向かうのです。


分水工から見た左岸導水路の上流方面の様子。安全面を考慮してなのか導水路にはフタがしてあります(いくつかのサイトによれば、ゴミの不法投棄を防ぐためでもあるそうな)。


神増分水工は天竜川下流農業水利事業の一環として農林水産省が直轄して建設したと書かれていますが、同分水工がいつ建設されたのかは記されていません。そこで大まかな建設時期を推理してみましょう。天竜川下流農業水利事業は1967年から1984年にかけて行なわれました(参考)。また、農林省が農林水産省に改称したのは1978年7月5日からです。さらに左岸導水路の元になっている船明ダムの竣工は1976年6月。以上のことから考えられるのは、神増分水工が建設されたのは1978年から1984年の間ということになります。だからなんだと言われても困るんですが…。

じゃあ、左岸導水路ができる前は何もなかったのかというと、そうではありません。例えば寺谷幹線の元になっている寺谷用水の本格的な開発が始まったのは戦国時代の1588年に遡ります。2年後の1590年に水路の開削に成功し、これで盤石かと思われましたが、1733年取水元の天竜川の様態が変化し取水不可能に。

こんな状況をなんとかせねば…。1830年、江戸幕府の普請役として土木技術に精通した犬塚雄一郎が派遣されます。様々な調査を行なった末「社山疏水事業」を立ち上げました。しかし犬塚の構想は諸事情から実現されずに終わります。

犬塚の志は明治時代になって再燃。再び調査が開始され、1884年にようやく工事に着手します。ところが途中で設計ミスが発覚!結局1888年に中止。人々の無念の声は高まるばかり。そうしたなかで、1926年に社山疏水構想は大規模な水利事業として動き始めます。1929年には天竜川に強固な取水口を設置し、社山に隧道を作ることが始まりました。これが県営磐田用水幹線改良事業となって着工に至ります。この時の成果のひとつが社山隧道で1935年に竣工し、現在も神増分水工の社山幹線の下流方向に行くと残っているようです(参考)。

せっかく始まった社山疏水構想ですが、なんと第二次世界大戦の激化とともに工事の継続が不可能となってしまいます。なんたる悲運!しかしながら1941年、農地開発法が制定され食糧増産が急務とされたこともあり、翌42年には工事が再開され、天竜川沿岸大規模農業水利事業として開始。そして戦後の1947年に天竜川から取水した磐田用水が開通。ひとまずはお幸せに。

とはいえ、戦後における天竜川を利用した発電ダムの建設は続き、それはそれで人々にとっては利するものがあったのですが、1960年代になるとその弊害も出てくるようになりました。それは上流のダムで天竜川の水が堰き止められたせいで下流では流量が低下し、用水の取水が不可能になる事態が発生し始めたのです。その対策として浮上したのが上に書いた「天竜川下流農業水利事業」で、船明ダムを築造し、右岸からは浜名用水(右岸導水路)を、左岸からは磐田用水(左岸導水路)を整備するという計画でした。

つらつらと書いてきましたが、こうした歴史的な流れの中で建設されたのがこの地域での数々の分水工であり、今回の神増分水工でもあるわけです。
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詳細不明!…五貫地分水工

2023-03-01 07:02:20 | 静岡(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は静岡県浜松市浜北区尾野(おの)にある五貫地分水工を目指します。アクセスは国道152号の「新原(しんぱら)大橋」信号を北方向へ浜名用水に沿って進んで行くと到着します。

五貫地分水工は昨日記事にした於呂(おろ)分水工から浜名用水を下った場所にあるんですが、分水工の名称である五貫地の由来はわかりません。ここの昔の地名かな?

アクセス通り来ると目的地が見えてきました。これです。


分水工の横に来ました。取水装置がありますね。

「五貫地分水」と表示された看板。


浜名用水の上流方向の様子。左側の広い川が浜名用水本線で、右側は地図で確認してみると於呂分水工からの分水路であることがわかりました。


上流側から見た五貫地分水工の様子。分水路の余った水は浜名用水に戻るようです。

ここが取水口で、水は浜名用水の東側の農地へ供給されるのでしょうね。


五貫地分水工を検索してみましたが、情報はありませんでした。どのような役割を果たしているのかなあ。
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新浜名幹線への入口…於呂分水工

2023-02-28 06:52:10 | 静岡(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は静岡県浜松市浜北区於呂(おろ)にある於呂分水工を目指します。アクセスは国道152号の「於呂下」信号のすぐ北側のT字路を入っていき、浜名用水に架かる橋を越えてすぐ左折。浜名用水沿いに進んでいくと到着します。

到着しました。これですね。於呂分水工は以前訪れた船明ダムを水源とする右岸導水路から流れてきた浜名用水をここで分水し、天竜川と並行して流れる新浜名幹線へ送るための設備です(参考)。写真右側の水路が新浜名幹線へ繋がっています。


下流側を眺めます。右の水路が浜名用水で、左のが新浜名幹線へ向かう水路。


於呂分水の看板。


分水工の横から見た様子。



浜名用水の上流側から見るとこんな感じ。写真左側の水門が新浜名幹線への入口。


まあ、言うなれば、ここが浜名用水と新浜名幹線の分岐点というわけです。郊外のどこにでもありそうな景色ですが、実は重要な役割を果たしているんですね。
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水窪川の有効利用!…西度(取水)堰堤

2023-02-21 07:00:03 | 静岡(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は静岡県浜松市天竜区佐久間町相月(さくまちょう あいづき)にある天竜川水系の中部電力 西渡(にしど)堰堤を目指します。アクセスは飯田線の城西(しろにし)駅と相月駅の中間にあり、国道152号の相月トンネルの北のT字路を入っていくと到着します。

堰堤名はここの地名ではありません。この堰堤は直線距離にして約4.8km下流の天竜川沿いにある中部電力の西度発電所(静岡県浜松市天竜区佐久間大井)で発電するために使用される水を取水するための施設なのでそれに由来しています。なお、西度は同発電所の東側の地名です。

さて、アクセス通りに来ると眼下に水窪川(みさくぼがわ)を堰き止めている堰堤が見えます。これが西度堰堤。


堰堤の上流側はこんな感じ。


そして堰堤の下流側の景色。向こうに見える道路が国道152号。


堰堤の敷地はフェンスで囲われているので入ることはできません。その内部の建物のところに水利使用標識があるのをかろうじて確認できました。


水窪川からの取水口は確認できませんでしたが、取水した水は写真右側の水路から西度発電所へ向かうのでしょう。

水はバー・スクリーンで濾過されてから水路を進みます。


なんとも地味ではありますが、水窪川の水はこうして発電に有効利用されているんですね。
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チロル型式の…河内浦取水ダム(堰堤)

2023-02-20 06:57:02 | 静岡(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて今回は静岡県浜松市天竜区水窪町山住(みさくぼちょうやまずみ)にある天竜川水系の河内浦取水ダムを目指します。ダム名の河内浦はそこの地名ですが読み方は不明。アクセスは国道152号の「水窪橋」交差点を「春野」方面へ入り、県道389号を道なりに進み、最初のヘアピンカーブの手前が目的地になります。

到着しました。これのようです。うーん、ダムというより堰堤だねえ。

このダムの特徴はチロル型式を採用しているそうな。ん?チロル型式ってなんだ? 調べてみると、チロル型式とはオーストリアのチロル地方に古くからあるもので、流水部分に複数のバーを並べ、その隙間から流れ落ちる水を取水するというもの。その複数のバーが置かれた部分を「バー・スクリーン」というらしい(参考)。


副ダム下の沈砂部分。


堰堤から見た水窪河内川の下流の様子。


堰堤の横から見た様子。写真中央に見えるのがバー・スクリーン。


上流側から堰堤を見ると、こんな感じ。なんだかよくわかりませんね。


下流側から見た様子。堰堤のバー・スクリーンの隙間から落下した水は右岸側の水路を通って、写真中央に見える薄紫色の調節弁を経て山の中の水路を通って水窪発電所へ向かいます。(参考


チロル型式…うーん、どこかで見たような。そうだ! 福井県大野市にある智那洞(ちなぼら)取水堰堤がこのタイプでしたね。もっとも、他にもあったような気がしますが…。
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知ると面白い!…水窪川がいきょ堰堤

2023-02-18 07:01:01 | 静岡(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方(みさくぼちょうじとうがた)にある天竜川水系の水窪川がいきょ堰堤を目指します。アクセスは国道152号沿いにある「ホルモン焼肉元禄茶屋」と「水窪の星の駅 碧」の間の道を入り、突き当たりを左折して進んで行くと到着します。

アクセス通りに進んでいくと水窪発電所が見えてきます。目的地はそれに併設するもののようで、水窪川を覗き込むとこんな風に見えます。


水窪発電所。


水窪発電所設備概要。

水窪発電所の概要。昭和44年(1969年)5月24日より運用開始。


ところで、「がいきょ」ってなんでしょうね。調べてみると漢字だと「蓋渠」と書き、渠は水路の意味なので、つまり蓋渠とは蓋で覆われた水路という意味。うーん、それはわかったけど、それが「がいきょ堰堤」とどういう関係にあるんでしょうか。

その答えは上の「概要」の「発電所縦断面」にありました。つまり水圧鉄管で送水されてきた水が発電所に入り、そこで発電に使用されたのち水窪川を横切る形で堰堤の中を通り放水路へ流れていく構造なので「がいきょ堰堤」と呼ばれるんですね。なるほど、なるほど。

魚道についての案内図。ここの魚道は左岸にあり、その構造などが詳しく書かれています。魚道をこんなにも詳細に説明しているのは始めて見ました。勉強になるなあ。


発電所の横の道を通って水窪川の上流側から堰堤を見ると、こんな感じ。

右岸側のクリーム色の柵状のところが取水口で、堰堤の下を通る水とともに放水路へ流れ込みます。


堰堤の外見は一般的な堰堤と同じように見えますが、「がいきょ堰堤」は構造が違うことを始めて知りました。いや〜、面白い、面白い。
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偶然発見!…灰の沢川砂防ダム

2023-02-17 06:54:32 | 静岡(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、昨日記事にした水窪ダムの帰り道、つまりダムを後して数分のところに気になるものを見つけました。これはグーグル先生の地図には載っていません。場所は静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方(みさくぼちょうじとうがた)で、水窪川に合流する灰の沢川にあります。水窪ダムへ向かう時には気づかなかったので、もうウキウキ。

水窪ダムから下って来ると、こんな風に見えます。ね、気になるでしょ?


灰の沢川の上流方面の様子。土砂が随分堆積していますね。もう少しで溢れそう。


右岸の横から見た様子。


下流側から見るとこんな感じ。


これには名称があるのかな。築造物本体には「荒廃砂防事業 灰の沢川砂防ダム」と記されたプレートが嵌め込まれていました。着工は1988年で、竣工は1995年。高さが18.5mなので砂防ダムに間違いありません。灰の沢川は水窪川に流入し、やがて天竜川に合流するので天竜川水系のダムということになります。


竣工から今年で28年。そろそろ土砂を浚渫しないといけない時期にきているようですね。
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静岡県の水窪ダム

2023-02-16 07:01:16 | 静岡(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方(みさくぼちょうじとうがた)にある天竜川水系の水窪(みさくぼ)ダムを目指します。アクセスは水窪川と翁川(おきながわ)が合流するところの国道152号に「水窪ダム」の表示があるので、その交差点を水窪川沿いに進みます。そしてしばらく行くと「水窪ダム→」表示のT字路を右折。そのまま道なりに進み、狭く短いトンネルを抜けると目的地に到着します。

ちなみに山形県米沢市にも「水窪ダム」がありますが、そちらは「みずくぼ」と読みます。

トンネルを抜けてすぐに「ご尊顔」があらわれます。考えてみればこんな山あいに、よくもまあこんなダムを作ったものだと感心しますね。


案内板。水窪ダムは1966年8月26日着工、1969年5月24日竣工。ここで貯水した水は左岸の取水口から水窪発電所へ導水され発電に使用されたのち佐久間貯水池へ送水されるそうな。佐久間貯水池は以前訪れた佐久間ダムのダム湖名のこと。また、国土地理院の地図によれば佐久間貯水池へ流れ込むのは水窪ダムの水だけでなく、これも以前訪れた気田川(けたがわ)に設置されている門桁堰堤(門桁ダム)で取水された水と、後日記事にする予定の「河内浦取水ダム」で取水された水も流れ込んでいるようです。


さらにダムへ近づき、左岸のダム横に来ました。そこにも案内板があります。この「施設一般平面」に上に書いた水の流れが示されていますね。


近くには「水窪ダム」の石碑。一本調子の文字がちょいと笑えます。


そこから見たダムの様子。


左岸がら見たダム上。車両通行可。


ダム上、中央から見た貯水湖の様子。


一方、下流側の景色。写真中央に小さく見えるのが先ほど抜けて来たトンネル。


ダム上はヘリポートにもなっているようです。ま、それだけ山の中にあるということですね。


対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。


右岸には「電源開発株式会社 水窪ダム管理室」があります。



右岸、下流側から見たダムの様子。


右岸には「慰霊」と刻まれた石碑。

その裏側には20人の名が刻まれています。合掌。

その近くには水窪発電所新設工事において亡くなられた方々の所属先の内訳が書かれています。疑問なのは水窪発電所はこのダムの下流にあるのになぜこの場所に慰霊碑が設置されたのかということ。ダム築造と発電所はセットという考えなんでしょうか…。



ダムを築造すれば、ほとんどの場所で集落が水没します。ここには湖底に沈んだ村の住宅地図がイラストで示されています。



水窪発電所の設備概要が書かれたプレート。ここにこれがあるということは、やはりダムと発電所はセットという考え方なんですね。


右岸、貯水側から見たダムの様子。写真右にラジアルゲートを備えた洪水吐が見えます。


こんな山の中に高さ105mものロックフィルダムを築造するのは本当に大変だったと思います。写真では分かりにくいですが、実際に行ってみるとその偉業に驚かされますよ。
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ダムじゃないゾ!…有本取水堰

2023-02-15 06:53:17 | 静岡(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回はグーグル先生の地図を見ていたら静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方(みさくぼちょうじとうがた)に天竜川水系の有本取水ダムというのを見つけたので行ってみることにしました。アクセスは長野県側から行くと国道152号を南下し、飯田市の丘越峠・青崩峠分岐点から県道369号に入ります。そしてしばらく進んで行くと「水窪ダム」の表示が見えてくるのでそちらへ。ここからは道が狭くなるので要注意。草木川沿いに進み、橋の先のT字路を右折。そのまま進んで行くと目的地に到着します。浜松側からアクセスするには国道152号を北上し、飯田線の水窪駅付近から水窪ダム方面に行き、水窪川沿いに進んで行くと到着します。

到着しました。下流側から見た様子。うーん、これはダムというより堰堤ですね。


下流側の景色。


下流側にある注意喚起の看板。ここには「有本ダム」と記されています。ちなみに有本はここの地名。


取水堰の上部。いや~年季の入った感じ。でも、これ、いつ築造されたんでしょうね。築造年は不明。


堰堤横の表示。ここでは「有本取水堰」と書かれていますね。


上流側から見た様子。長野県側から来ると、この景色が目に入ります。


上流側の景色。デカい岩がゴロゴロ。


「取水堰」と書かれているので取水口があるはず。おそらく左岸側にあるんでしょうが、目視できませんでした。じゃあ、この取水口から分水した水はどこへ流れるのか…。国土地理院の地図を見ると水窪ダムのダム湖(水窪湖)に繋がっているのが確認できました。

築造物の名称は現場の表記に基づいて「有本取水堰」とします。少なくともダムの定義からしてもこれはダムじゃないもんね。
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きちんとしている奥野ダム

2020-05-16 07:57:20 | 静岡(ダム/堰堤)
東伊豆唯一のダムである伊東大川水系の奥野ダム(伊東市鎌田)に来ました。まず目にするのがダム周辺の案内図です。



その先にあるのが管理所です。ここをくぐると、すぐダム。



「県」の一部が取れちゃってますぜ。



ダムには作られる理由が必ずあります。奥野ダムについては1958年9月の狩野川台風で伊東大川下流に甚大な被害が出たことがダム建設の理由だそうです。そうは言ってもすぐにポンとダムができたわけではなく、10年後の1968年になって予備調査が開始され、完成したのは1990年3月。狩野川台風から実に32年の月日が流れての「お目見え」となったわけです。



この案内板では奥野ダムがどんな目的で作られたのかが説明されています。



貯水湖(松川湖)側から見たダム。



「奥野ダム」と刻まれた石碑と、



「松川湖」と刻まれた石碑。



では、ダム上を歩いてみましょう。まず目にするのはデカい自由越流式の排水路です。増水すると水はここから溢れ出て、



この排水路から下流へ流れていきます。



ダム上の通路には静岡県の花「つつじ」のプレートが、



また、奥野ダムがどのような位置にあるのかを示す方位図、



そして伊東市の花「つばき」のプレートが、それぞれ埋め込まれています。



ダム上、中央部付近から見る松川湖。



対して、下流側の景色はこんな感じです。



対岸へ来ました。下流側から見たダム。



松川湖側から見たダムはこんな感じ。



その近くにはダム建設で水没した「奥野の里」の記念碑。27世帯が移転したようです。

「湖底のふるさとを想う」





訪れた日には多くの観光客が来ていました。まあ、ダム上なんて常に風がビュービュー吹いてますし、密閉空間でもなく接触するわけでもないのでコロナ・ウイルスに感染する危険はまずないと判断し訪れるのでしょう。ワシもそうなんですけどね。
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立派、立派…青野大師ダム

2020-05-15 08:02:21 | 静岡(ダム/堰堤)
青野川水系の青野大師ダム(加茂郡南伊豆町青野)は伊豆半島で最も南にあるダムです。下の案内図にあるように、青野大師(あおのだいし)とは、全国を遍路した長野県出身の斉藤本重師が1936年にこの地に居を構え、弘法大師を祀ったところから地域の人々に「青野の大師さん」と親しまれるようになったそうです。由来からするともっと昔の話のように思えますが、開祖したのは昭和11年なんですね。なお、斉藤師の生没年や経歴については不明です。

ダム横の案内図。



ダム上です。



ダム本体に嵌め込まれたプレート。



貯水湖(青野大師湖)側から見たダム。上の案内図にも書かれていますが、青野大師湖という名称は一般公募により命名されたとのこと。



下流側から見たダム。木が邪魔だなあ。



ダム、中央部付近から真下を見ると。



下流の遠景はこんな感じ。あの山の向こうが太平洋だなんて信じられますか?



青野大師湖の様子。



対岸側にあるクリーム色の建物が管理所です。





対岸から振り返ると…。



管理所からダムはこんな感じに見えるはず。



ダム下から見た「ご尊顔」。



ダムから流れ出た川は鈴野川といい、やがて青野川へ合流します。訪れた日には川底丸見え。



最後にベスト・ショット。我ながらこれはナイスなアングルだと思います。



正直、南伊豆にこんなダムがあるのは知りませんでした。
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地味に働く…岩尾砂防堰堤

2020-05-14 07:21:31 | 静岡(ダム/堰堤)
伊豆市湯ヶ島にある狩野川水系の岩尾砂防堰堤へ来ました。場所は浄蓮の滝よりも少し北東方向にあり、国道414号の脇道を降りて行くとあります。

この看板が目印。1971年2月完成だそうです。



見上げると…おおっ、なかなか迫力があります。



ふと横を見ると階段があるので登ってみましょう。



階段を登り切ったところから見た堰堤上。



少々地味な印象の堰堤ですが、この地域のためにしっかりと働いているんだと思います。


(お知らせ)

長野県の金原ダムをアップデートしました。昼間の姿です。よろしければコチラをご覧ください。
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