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ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

奥只見ダム(前編)

2021-07-31 06:52:59 | 新潟(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は新潟県魚沼市湯之谷芋川(ゆのたにいもかわ)にある阿賀野川水系の奥只見ダムを訪れます。いや〜、ここは気になっていたんですよね。というのも、昨年3月、東京都西多摩郡奥多摩町にある白丸調整池ダムを再訪した際、そこにいた警備員さんとの会話が記憶の隅にあったからです。

「ダム巡りをしているんですよ」
「そうなんですか。じゃあ、奥只見ダムも行かれたんですか?」
「いえ、まだです。でも、どうして?」
「いやぁ、私の生まれたのが奥只見ダムの近くなもんでね」
「へぇ〜、そうなんですか」

名前も知らぬ高齢の警備員さんの故郷へ向かう…。奥只見とは一体どんな場所なのか。そんなことを考えながら国道352号を進み、途中から県道50号(奥只見シルバーライン)をひたすら行くと到着です。

ただ、ダム横へは直接行くことができないため、ダム下にある大駐車場にクルマを停めて徒歩で向かうしかありません。で、その大駐車場から見た「ご尊顔」をまずご覧ください。



大駐車場のところにあるのが奥只見レイクハウス。う〜ん、昭和の香りがプンプンするような建物ですね。



駐車場の隅には、ダム下の地中深いところにある奥只見発電所で稼働していた水車ランナが展示されています。





その横には奥只見電力館への案内図。



ダム横へ行くには2つの行き方があります。ひとつはこの階段を登って行く方法。



もうひとつはこのスロープカー乗り場から行く方法。もちろんワシは足腰を鍛えるために徒歩で登るほうをチョイス。



ダム横までの中間地点付近から下を見るとこんな感じ。



何しろポンコツなのでフーフー言いながら、やっとの思いでダム横へ。スロープカーの終点です。



参考までにこれが終点でのスロープカーの入口。



券売機でチケットを購入するようです。片道料金は中学生以上が100円、小学生が50円、未就学児童は無料だそうです。



チケットを購入したら、この乗り場へ。ワシには関係ありませんが。



ダム横に来ました。さあ、いよいよダムを見学するか…と思いきや色々見所がありそうなので、まずは奥只見電力館へ行ってみることに。



電力館へはこのスロープを登っていきます。



スロープの途中から。おっ、遊覧船乗り場とな! あとで行ってみましょう。



スロープをさらに登って行くと電源神社なるものが。ここにはダム建設にあたり殉職した方が祀られているそうです。



その先には「岡田正平像」。岡田正平(おかだしょうへい:1878-1959)は新潟県中魚沼郡中条村(なかじょうむら)、現在の十日町市出身の政治家で、1947年から1955年まで新潟県知事を務めた人物。只見川の電源開発事業に尽力した関係でここに銅像が建てられたのだと思われます。







そして…見えてきました。これが電力館です。



おっと、その手前には「荘田エーデルワイス」なるものが。これは理学博士である荘田幹夫がエーデルワイスの種をスイスから持ち帰ったものだそうな。荘田は雪崩研究者として昭和32年(1957年)より人口雪崩実験を開始し、雪崩のメカニズムの解明に貢献。その成果は防雪工学に生かされ、雪国でよく見られるスノーシェッドはこの工法が用いられているという。だがスイスから帰国してこれから活躍が期待されるという矢先の昭和49年(1974年)6月、50歳の若さで急逝した。(参考





ダムを見下ろせる場所にあるのが慰霊碑。奥只見ダム建設の際に殉職した117名がここからダムを見守っています。





近くにはダム下の大駐車場にもあった奥只見発電所で稼働していた水車ランナ。諸元から判断すると同型のものと思われます。





で、これが奥只見電力館です。訪れた時間が早朝だったのでもちろんまだ開いていません。





電力館から見るとダム上はこんな風に見えます。早朝なのでモヤが凄いのはご勘弁。



当ブログには1つの記事あたりの字数制限があるため、今回はここまで。続きは明日ご覧ください!
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正しいのは?…三渕沢橋

2021-07-30 06:55:18 | 橋のユニークな親柱
どーも、ワシです。昨日ご紹介した大滝川橋のすぐ近くには三渕沢橋があります。この橋は破間川(あぶるまがわ)に掛かっているのですが、その親柱にあるものが……樽?





県道345号が走るこの橋だけ見ればフツーなんですけどね。



橋の中央から上流を見ると三日前にご紹介した藪神発電所ダムが見えます。



対岸(破間川の右岸)にある2つの親柱も、やはり樽! 橋は1994年3月竣工だそうで。



橋の名称は「みふちざわばし」。



ここで、あることに気づきました。確かに橋の近くの看板の表示は「Mifuchizawa Bri.(みふちざわばし)」なんですが、



すぐそばにある地名表記の看板は「Mifuchisawa(みふちさわ)」なんですよね。



橋の名称が地名(新潟県魚沼市三渕沢)に由来するのならそのまま「みふちさわはし(もしくは「ばし」)」になると思うんですが、なぜ「みふちざわばし」にしたのでしょうね。また、親柱を樽にした理由はなんなんでしょうか…。三渕沢地区で樽製造が行なわれていたのでしょうか。検索してもわかりませんでした。

考え始めたら夜も眠れません…って春日三球かっ!(ネタが古くてすみません)
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ほのぼの…大滝川橋

2021-07-29 06:52:08 | 橋のユニークな親柱
どーも、ワシです。今回は新潟県魚沼市大倉沢で見つけた大滝川橋(おおたきがわばし)をご紹介します。アクセスは昨日の藪神ダムのすぐ下流で破間川(あぶるまがわ)に合流する大滝川にかかるユニークな小さな橋がそれ。そこは県道345号が走っているのですぐわかります。

なにがユニークかって言えば、大滝川の上流側にある2つの親柱がどちらも「雪だるま」であること。1991年10月竣工だそうで。





一方、下流側の親柱はシンプルな作り。





橋の全景です。本当に小さな橋なんです。



雪国らしい素朴な雪だるまさんじゃ、あ〜りませんか!
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これは?

2021-07-28 06:55:14 | ドライブ関連
新潟県の郊外を走っているとよく目にするこれ。一体なんなのでしょうか。ここは雪国なので大量に雪が積もったら二階部分から脱出するためのもの? でも仮に脱出できたとしても周囲は一面雪なわけですよね。それから先はどうするんでしょうか…。



ご存知の方は教えてくださいな。
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今年で齢80年!…藪神発電所ダム

2021-07-27 06:55:46 | 新潟(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は新潟県魚沼市大倉沢(おおくらさわ)にある信濃川水系の藪神(やぶがみ)発電所ダムを訪れます。アクセスは破間川(あぶるまがわ)に沿って走る国道252号沿いにある大倉沢簡易郵便局付近から破間川方向へ行くと到着します。ダム名の藪神はかつてこの場所が藪神村だったことに由来するものと思われます。藪神村は1899年4月1日の町村制施行により誕生しましたが1955年3月末に広瀬村と合併して広神村になり、2004年11月1日以降は魚沼市になったので現在はありません。当該のダムは1941年完成なのでその名称になったのでしょうね。(参考

まずは破間川の右岸から見た「ご尊顔」をご覧ください。手前には魚道があるのが確認できますね。



ダムへの道を進むと右岸の上流側に来れるのですが、鉄の門があってダム横に行くことはできません。管理する東北電力はガードが固いなぁ。





なので、門の向こうにある水利使用標識もズームするしかありません。でも内容が読めない…。



その門を背にして見える建物が藪神発電所ダムの管理所。





対岸(左岸)に見える茶色の屋根の下に取水口があり、その水は地下水路を通って直線距離にして約5km離れた藪神発電所(魚沼市今泉)へ送られます。



一番上の「ご尊顔」を撮った場所から見た下流の様子です。



これでダム上の中央に行けたら最高なんだけどなぁ。う〜ん、残念!
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今年も自家製ジンジャーエール!

2021-07-26 06:51:08 | 脳みその料理
どーも、ワシです。いや〜、ホント暑いですなぁ。みなさん、夏バテせぬよう気をつけてくださいね。世間ではコロナ禍でみんなそれなりの自粛を強いられているにも拘わらず、都内ではオリンピックが行なわれているという不合理。もっとも、長野県に住んでいるとテレビさえつけなければフツーの蒸し暑い夏にすぎません。そもそもオリンピックには興味がないし、テレビもまず見ないのでそろそろ受信料契約を解除しようかと思っています。

夏といえば…そう! 今年も作ってますよ〜。自家製のジンジャーエール。少し前にスーパーで新生姜が安く売っていたので早速ジンジャーエールを作って楽しんでいます。めちゃくちゃ美味しい。ちなみに去年よりも「色白」なのは新生姜を使っているからです。去年のはフツーの生姜だったので液体の色が濃いんです。でも味は変わらんのですがね。(参考



世の中の、誰が作ったかわからん怪しいものを食うより、手間さえ惜しまなければ自分で作ったもののほうが安心だし美味しいと思います。

怪しいといえば、最近よくネットで見かける胡散臭い広告。例えば「ゲームをするだけで多額の現金がもらえます」ぬぁんて抜かしていますが、そんなうまい話はあるわけがない。要は課金させるのが目的であって、雀の涙程度は稼げても課金しなけりゃそれ以上は稼げないという仕組み。

だいたいこんなことを思いつくのは中韓の会社。そう断定できるのは日本語の活字にないフォントを使っていたり、「現金報酬配付中」などというおかしな日本語を使っているから。コイツらの金稼ぎに関しての行動力は正直凄いなと思います。そこだけは感心します。しかしながらストリップまがいのイラストを多用したり、怪しい日本語で勧誘するなど、とにかく品がないし不愉快極まりない。カネさえ稼げれば手段は選ばないという中韓企業のこうしたやり方にはホント腹が立ちます。だから中韓は嫌いなのだ!

ムカついてきたので自家製ジンジャーエールをもう一杯飲んで気分転換だぁ。
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湖底に折中渓谷…広神ダム

2021-07-25 07:02:49 | 新潟(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は新潟県魚沼市小平尾(おびろお)にある信濃川水系の広神(ひろかみ)ダムを訪ねます。アクセスは国道352号沿いに進むと管理所のある左岸に辿り着きます。このダムは2001年に本体工事が開始されたのですが、当時この場所は広神村だったことからダムの名称になったものと思われます。

なお、広神村は1955年3月末に藪神村と広瀬村が合併して誕生した村で、2004年11月1日に小出町、堀之内町、湯之谷村、広神村、守門村(すもんむら)、入広瀬村(いりひろせむら)が合併して魚沼市が誕生するまで存在していました。

まずは正面の「ご尊顔」といきたいところですが地形的に見ることができないので、やや斜め下から見上げたものをどーぞ。



国道352号沿いにある入口を進むと、まず目にするのがこの案内板。洪水調節、流水の機能保持、水力発電の多目的ダムで、2011年に完成したそうな。







案内板の近くにあるクリーム色の建物が広神ダムの管理所。





水利使用標識は管理所の壁に付けられています。



そこからダム横へは少し歩くのですが、途中には「広神ダム」と刻まれた石碑と、



隣には「折中湖(せっちゅうこ)」と記された石碑。湖名の由来は、かつてこの地には折中渓谷があり、ダム建設によって水没したため、その名をとって命名されたとのこと。(参考



ダム横に近づいてきました。左岸、貯水側から見たダムの様子です。



左岸、下流側からダムを見るとこんな感じ。



これがダム上。進んでみましょう。



ダム上、中央から見た折中湖の様子。写真右に見えるのが管理所です。



ダムの真下はこんな感じ。



下流の遠景です。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



右岸、下流側から見たダム。



同じく、折中湖側から見るとこんな風。



ダム湖名になった水没した折中渓谷はどんな景色だったんでしょうねえ。ちょいと興味があります。
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まだ新しそう…芋川沢第1号砂防堰堤

2021-07-24 06:47:10 | 新潟(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は新潟県魚沼市竜光(りゅうこう)にある信濃川水系の芋川沢第1号砂防堰堤を訪れてみようと思います。アクセスは昨日の記事「十二平砂防堰堤」でも名前を出した県道23号の「十二平トンネル」の出口付近にあります。この堰堤の「芋川沢」はそこを流れる川の名称。

まあ、とにかくその芋川沢にかかる県道23号の橋から堰堤を見るとこんな感じです。



こういうのを見ちゃうとね、つい近づきたくなるんです。で、その橋の脇道を進んで行くと見えてきました。



堰堤本体にプレートが嵌め込まれているんですが、ズームしても読めない…。



堰堤の上です。足元に気をつけて歩いてみます。



堰堤の中央にきました。凹みの部分が汚れていないので、まだこの高さまで水が達していないのがわかります。



堰堤、中央から見た上流側の様子。



下流側はこんな感じ。写真下に見えるのが副堰堤。上に見える橋は県道23号。



堰堤、中央から見た右岸はこんな感じ。



再度プレートを確認しましたが、やっぱり読めない…。とほほ。



データがないのでわかりませんが堰堤本体の白さからすると、この砂防堰堤も恐らく2004年10月23日に発生した新潟県中越地震以後に築造されたものと思われます。これに携わったと思われる建設会社のサイトによれば完成は平成26年(2014年)のようです。(参考

もっとも、こうした砂防堰堤が活躍しないほうがいいに決まっているんですけどね。
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雑草の海の向こうに…十二平砂防堰堤

2021-07-23 06:59:57 | 新潟(ダム/堰堤)

どーも、ワシです。今回は新潟県小千谷市塩谷にある信濃川水系の十二平(じゅうにだいら)砂防堰堤を訪ねます。堰堤の名称「十二平」はこの近くの地名と思われます。というのもこの近くにある県道23号のトンネル名が「十二平トンネル」なので、たぶんそうなんだろうな、と。この堰堤は県道23号沿いにありますが、すぐ下流で芋川を渡る県道474号の橋から全貌を見ることができます。



落水するところにできる「模様」は設計者が意図的に考えたものなのでしょうかね。それとも偶然? いずれにせよ涼しげですなぁ。



さあ、こうなると堰堤に近寄ってみたくなります。どうやら堰堤の横へは県道23号から行けそうなんですが、この草ボーボーの有り様。



しかし、くじけません。雑草の海を泳ぎつつ進んで行くと、見えてきたのは堰堤とそこに付けられた「十二平砂防堰堤」のプレート。おおっ、これこれ。完成は2006年12月だそうです。



では、注意しながら堰堤の上を歩いてみることにします。



堰堤の中央にきました。先ほど見た落水部分を上から見るとこんな感じ。



上流側の景色です。



堰堤の下流側は副堰堤になっていて(写真中央)、一旦そこで水などが貯められたのち下流へ流れる仕組みのようですね。写真上に見えているブルーの橋が県道474号。



それにしても、この辺りには砂防堰堤がたくさんあって驚きます。いやぁ、もっと驚いたのはこの地域を管理しているのは北陸地方整備局の湯沢砂防事務所なんですがこの事務所の管轄する砂防設備の数です。何と砂防堰堤が283、流路工・護岸工が38、山腹工が4もあるんですね。(参考

限られた地域でもこれだけの数の砂防設備があるんですから全国の砂防設備の数なんてもの凄い数にのぼるんでしょうな。これらを全て見て回るのはまず無理だと思います。だって見た目も派手なダムと違い、砂防設備はとにかく地味ですもんね。誰が喜ぶねん!って話ですよ。ダム・ヲタクは居っても、砂防ヲタクなんて居るんでしょうか。聞いたことがありませんけどね。

いや、居るかもしれんな…。
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堰堤は完成したけど…東竹沢第1号・2号砂防堰堤

2021-07-22 06:52:33 | 新潟(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は新潟県長岡市山古志(やまこし)東竹沢にある信濃川水系の東竹沢第1号・2号砂防堰堤を訪ねます。まあ、訪ねますというより国道291号から県道23号に入ってすぐのところにある芋川にかかる橋を通りかかったら目にしたというのが正しいんですが…。

その橋からド〜ンと見えるのが東竹沢第1号砂防堰堤です。竣工は2007年。(参考



思わず光に吸い寄せられる虫のように堰堤に近づいてみます。左岸から堰堤に通ずると思われる道があったので登って行くと堰堤を横目にしながらさらに高台に繋がっていました。そこには他に何もないのに案内板だけがあるという不思議空間。その案内板のひとつがこれ。



他の2つの案内板は2004年10月23日に発生した新潟県中越地震による土砂災害の説明と、



ここの東竹沢地区の砂防事業について記されています。



その高台から東竹沢第1号砂防堰堤を見るとこんな感じ。向こうに見えるのが県道23号。



で、県道23号の橋から見えなかったのが第1号砂防堰堤のすぐ上にある第2号砂防堰堤です。こちらも竣工は2007年。(参考



第2砂防堰堤の上の「不思議空間」には今後何か作られるのでしょうか。まだ建設途中なのかもしれません。いや、そうじゃないと案内板だけがポツンとあるのは何とも寂しいじゃないですか!
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鋼製セル形式の…神沢川砂防堰堤

2021-07-21 06:56:36 | 新潟(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は新潟県長岡市山古志(やまこし)東竹沢を通る国道291号沿いに信濃川水系の神沢川(かみさわがわ)砂防堰堤というのがあるようなので訪れてみました。

むむっ、なんですか、これは!



近づいてみましょう。これが堰堤の横から見た様子です。



堰堤の上には「神沢川砂防堰堤」のプレートが嵌め込まれた碑。2006年11月完成とあります。



自己責任で堰堤の上に行ってみます。この堰堤は特殊で、コンクリート製の円柱を5つ並べた鋼製セル形式という砂防堰堤だそうな。(参考)この中央の「隙間」から水が排出されるようです。



堰堤中央から見た上流側の様子です。



十分用心しながら堰堤の真下を眺めてみます。



下流側の遠景はこんな感じ。



ちょいと離れた場所からもう一度。



このセル形式の砂防堰堤って、そういえば以前訪れた同じ新潟県の「トヤ沢砂防堰堤」もそうでしたね。砂防堰堤はそれぞれの場所によって異なる工法が用いられるということのようです。
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チカチカの理由…東川砂防堰堤

2021-07-20 07:02:46 | 新潟(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回取り上げるのは新潟県長岡市山古志(やまこし)竹沢にある信濃川水系の東川(あずまがわ)砂防堰堤です。場所は県道24号を走る羽黒トンネルの東側口のところにあります。

県道から見た全景はこんな感じ。なんか、目がチカチカしてきますね。



近づいてみます。県道から堰堤の右岸に行けそうな細い道があるので進んでみると…見えてきました。



堰堤の横に来ました。



あと25cm高ければ砂防ダムだったのになぁ。



完成は2006年8月。



堰堤の上に行こうとしましたが、立入禁止のようです。



仕方ないので右岸から堰堤を眺めてみます。



でも、不思議なのはなぜコンクリート製でなくブロックを積み重ねてあるんですかね。調べてみるとその理由が判明。2004年10月23日に新潟県中越地震が発生し、芋川流域では深刻な土砂災害が起こりました。その上流の東川も山の斜面が崩落し多数の砂が堆積。今後の大雨により有害な土砂が流出する危険があるため堰堤をブロック積みにしたそうな。(参考
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アクセスは可能だけど…太田ダム

2021-07-19 07:03:17 | 新潟(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は新潟県小千谷市山谷(おぢやしやまや)にある信濃川水系の太田(おおた)ダムを目指します。地図を見ると県道357号から小千谷ゴルフ練習場入り口のところを行けばダムの右岸に至る道があるんですが、確かに道はあるものの実際には行けませんでした。これで諦めるのも癪なので別の道を探すことに。

左岸へ行く道はないかなと改めて地図を見ると県道357号沿いにある「サンフーズ横倉 小千谷工場」付近からダムへ向かう道がありました。未舗装の狭い道ですがこれでアクセスできます。

で、太田ダムの左岸に来ると、まず目に飛び込んで来るのがこの石碑。「太田ダム 治水興農」と刻まれています。



その裏側には太田ダムの建設の経緯が記されています。それによると、この地は元来水利に乏しく、度々旱害に悩まされていた。そこで対策としてため池を築造することになり、大正11年(1922年)に完成。しかし老朽化が進んだため昭和47年(1972年)から翌年にかけて漏水対策と余水吐の改修工事を行なう。そして新潟県の県営防災ダム事業として平成6年(1994年)に現在の太田ダムの築造に着手し、平成11年(1999年)に完成したとあります。ちなみにダム名はここを流れる沢の名称が太田沢(太田川)に由来すると思われます。



その横には「定礎」の碑。1994年9月とあります。



そこからダム上を見るとこんな感じ。



これがダム上なんですが、関係者以外立入禁止なのでこれ以上は進むことができません。対岸(右岸)の高台に見える小さな建物は管理所のようですが、そんなわけで近づくことができず…。とほほ。





仕方がないので、この場所から貯水側を眺めてみます。



一方、下流側の景色はこんな感じ。



右岸へは行けないし、ダム上も歩けないし…。もうね、あ〜あと言うしかありません。そんな山の中にあるダムでした。
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水の工場?…山本第一調整池

2021-07-18 06:45:05 | 新潟(ダム/堰堤)
えー、どーも、ワシです。今回は新潟県小千谷市山本にある信濃川水系の山本第一調整池を訪れます。アクセスは 国道117号と国道351号の交差点から入ってすぐのところにあります。

まずは調整池の全景をご覧ください。広いのでパノラマ撮影してみました。



ここは単なる池ではありません。以前訪れた「宮中取水ダム」から分水した水がトンネルを通って「浅河原調整池」の連絡水槽へ流れ込みます。さらにそこから圧力トンネルを通って千手発電所で発電に使用された後、別の圧力トンネルを進んでこの山本第一調整池の連絡水槽へ至ります。そして最終的にはすぐ近くの小千谷発電所で発電に使われた後、信濃川へ流れ込むという経路を辿ります。従ってこれらのダムや調整池、発電所は水路で結ばれて連携しているということなのですね。

で、千手発電所から送水された水がこのゲートを通って山本第一調整池に流れ込みます。



そして調整池に溜まった水の一部が連絡水槽から発電に使われ、余分な水は水槽の外に出されて信濃川へ向かいます。





まあ、なかなかダイナミックな調整池だなあという印象。ちなみにこの第一調整池の隣には第二調整池もあるんですが、あまり見所がないので省略します。悪しからず。
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あと30cmあれば…五升苗ダム(堰堤)

2021-07-17 07:02:10 | 新潟(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は新潟県十日町市仁田(にた)にある信濃川水系の五升苗(ごしょなえ)ダムを訪れます。アクセスは県道49号沿いにある十日町市立橘小学校付近の道を北沢川に沿って登っていくと到着。

まずはダム下から見た全景をご覧ください。パノラマ撮影してみました。



で、ダムへの道を進んで行くと左岸に辿り着きます。ダム横にあるのが概要図(逆光になっちまいました。すみません)。諸元表の「位置」の項目ですが、中魚沼郡川西町大字仁田とありますが、これは2005年3月末日までの住所です。同年4月1日、川西町は中魚沼郡中里村、東頸城郡松代町(ひがしくびきぐんまつだいまち)、同郡松之山町(まつのやままち)とともに十日町市に合併されたため現在の住所はこの記事の冒頭に記したものとなります。この諸元表は五升苗ダムが竣工した1985年頃に作られてそれっきりになっているので昔の住所表記のままなのでしょうね。

この諸元表で注目なのはダムの高さです。なんと14.7mしかないので河川法上のダムの定義(15m以上)からするとダムと呼ぶことはできません。定義上では「五升苗堰堤」になります。あと30cmあればダムだったのに…。しかし、まあ五升苗ダムで通用しているのでダムのままにしますか。



左岸、貯水側には「天恵為瑞」と刻まれた石碑があります。出典は不明ですが、天からの恵みは瑞々しさをもたらすといった意味でしょうか。





その石碑の裏にはダム建設の経緯が記されています。まず文久3年(1863年)に仁田・野口両のための五升苗堤の建設が開始され、慶応3年(1867年)に完成。しかし年月を経て堤の荒廃が進んだため、昭和43年(1968年)に新潟の県営灌漑排水事業として五升苗ダムの築造が申請されます。そして昭和45年(1970年)、申請が採択され工事に着手。昭和60年(1985年)に完成したとあります。



では、ダム上を歩いてみることにしましょう。



左岸側には越流式の洪水吐があり、増水時になると水はここから溢れ出て、



あちらへ流れてゆきます。



ダム上、中央から貯水側の左岸を見るとこんな感じ。



同じく、右岸方面の景色です。



一方、下流側はこんな感じ。高さがあまりないので平面のように見えますね。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。



対岸、貯水側から見たダム上。



右岸、貯水側には見張所のような建物がありますが、何の表示もありません。



あるのは「設計荷重積雪量」を示すプレートのみ。4.0mとある割には「2.0mをこえるときは雪おろしをして下さい」とするいかにも慎重な姿勢。早め早めの対処ですな。



右岸、下流側から見たダム上の様子。



歴史のあるダム(堰堤)なんですなぁ。ところで「五升苗」と命名された由来はなんでしょうねえ。どうにも気になります。
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