ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

現場表記を尊重…桜ため池

2023-06-17 06:57:23 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回はダム便覧で見た鳥取県倉吉市桜にある天神川水系の桜溜池を目指します。アクセスは県道34号から法万(ほうまん)方面へ向かう東伯中央広域農道に入ります。そして最初のT字路を入り、道なりに進んで行くと目的地に到着します。

…というわけで右岸に到着しました。これがいわゆるダム上になります。行ってみましょう。

上の写真のガードレールのある橋のところが洪水吐の水路で、橋から覗くと越流式の洪水吐が見えます。そして増水すると水はここから溢れ出て、

この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。

ダム上、中央から見た桜溜池の様子。

一方、下流側の遠景を眺めます。

対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

左岸、下流側から見た様子。

同、溜池側から見るとこんな感じ。

この看板によれば、正しくは「桜ため池」のようです。


周囲に案内板がないので鳥取県による県内防災重点ため池一覧表で調べてみました。それによると桜ため池の高さは32.1mで、ダム上の長さは124mだそうです。溜池の名称はここの地名に由来するもの。国土地理院の地図ではちゃんと「桜ため池」と表示されています。グーグル先生の地図やダム便覧の表記は「桜溜池」。またダム便覧には高さ36.6m、長さ115mと記載されていてリンク先の一覧表と数値が異なっています(参考)。さらに同便覧では竣工は1973年と記されていますが、典拠が明示されていないのでそのデータを鵜呑みにするのは危険かもしれません。
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三兄弟の長兄…西高尾ダム

2023-06-16 06:59:45 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は鳥取県東伯郡北栄町西高尾にある由良川水系の西高尾ダムを目指します。アクセスは説明が難しいので記事の最後に地図の写真を載せておくので参考にしてください。

地図の通りに来るとダムの右岸に到着します。こんなダムです。

右岸側には西高尾ダム完成記念と刻まれた石碑があります。平成五年(1993年)三月とあるのでそのころに築造されたのでしょう。

これが右岸から見たダム上。橋の下は洪水吐からの水路になっています。

右岸側の洪水吐は越流式で、増水すると水はここから溢れ出て、

この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。

その洪水吐を渡る橋を過ぎると正真正銘のダム上になります。歩いてみましょう。

ダム上、中央から見た貯水側の景色です。なかなかの眺めですね。

一方、下流側の遠景を眺めます。

対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

いわゆる親柱のところには「にしたかおダム」「西高尾ダム」と表示されたプレートが嵌め込まれています。


左岸、下流側から見たダムの様子。下に示すリンク先によれば高さは46.2mで、ダム上の長さは237mだそうです。

西高尾ダムの管理事務所は左岸にあります。


その近くからダムを見るとこんな感じ。

国営東伯農業水利事業計画概要。ここに記されているのは昨日記事にした小田股ダムと同じなので詳細はそちらをご覧ください。

近くには「西高尾ダム」と刻まれた石碑。

水利使用標識。小田股ダムと同様に灌漑を目的としたダムであるのがわかりますね。

左岸、上流側から見たダムの様子です。

ついでに右岸の上流側にある周辺マップもどうぞ!


国営東伯農業水利事業による3つのダムの築造年をまとめると、次のようになります。
西高尾ダム…1993年3月
船上山ダム…2003年から2004年の間
小田股ダム…2007年3月
なるほど、西高尾ダムは三人衆の長兄なんですね!(笑)

西高尾ダム周辺の地図。
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三人衆のひとり!…小田股ダム

2023-06-15 07:00:23 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は鳥取県東伯郡琴浦町福永(とうはくぐん ことうらちょう ふくなが)にある洗川(あらいがわ)水系の小田股(こだまた)ダムを目指します。アクセスは国道9号の琴浦東インターチェンジを降りて県道44号を南下。そして県道204号を福永方面へ。道なりに進んで、赤松倉坂トンネルを抜けて道なりに登って行き、最初のT字路を入って行くと目的地の左岸に到着します。

まずはダム下へ行って「ご尊顔」を仰ぎます。なかなか立派なダムです。写真右に見えるのが洪水吐からの水路。

左岸にやってきました。ここは広いスペースがあり、まず目を引くのが「小田股ダム」と刻まれた石碑。平成19年(2007年)3月完成だそうです。

近くには水利使用標識があります。倉坂川を堰き止めて築造した灌漑用のダム。

「国営東伯農業水利事業計画概要」の案内板。東伯郡琴浦町と北栄町は鳥取県の中心部の農業地域で、昔から畑作物中心に農業が行なわれていました。その水源は勝田川(かったがわ)と加勢蛇川(かせちがわ/かせいちがわ)に依存していたため、絶えず旱魃の脅威にさらされていたそうな。そこで、こうした不安に対応すべく立ち上げられたのが国営東伯農業水利事業計画でした。同計画ではこの地域を流れる3つの川それぞれにダム、すなわち勝田川に船上山ダム、西高尾川に西高尾ダム、そして倉坂川に小田股ダムを築造することで農地への用水の安定供給を図り、生産の向上を目指しています。特筆すべきはそれぞれのダムで用水不足が生じても各ダムで用水を補給し合うシステムが構築されていること。それにより地域全体の用水の安定供給に繋がるのだそうです(参考)。ふむふむ、なるほど。



これが左岸から見たダム上。歩いてみましょう。

左岸側にある洪水吐。越流式ですね。増水すると水はここから溢れ出て、

この水路を通って下流へ向かいます。

ダム上、中央から見た貯水側の景色。おー、ビューリホー。

一方、下流側の遠景。リンク先の諸元によれば高さは50.0mなので、まるで空撮しているかのように見えます。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

右岸、貯水側から見たダムの様子。

同、下流側から見るとこんな感じです。


いや〜、なかなかスケールがデカいなあ。あ、そういえば、左岸側上流に管理事務所があったようですが、うっかり行くのを忘れました。次に鳥取に行った際に訪れてみようと思います。ところでダム名の由来はなんだろうなあ。地名かな?
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歴史に負けぬスケール!…船上山ダム

2023-06-14 06:57:35 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて今回は鳥取県東伯郡琴浦町山川(とうはくぐん ことうらちょう やまがわ)にある勝田川(かったがわ)水系の船上山ダムを目指します。アクセスは国道9号から大山/香取へ向かう県道30号に入り、しばらく進むと船上山と書かれた表示板のある交差点があるので左折。そのまま県道289号を進みます。やがて県道34号に合流するのでそのまま直進。船上山トンネルの先が目的地です。

なかなか規模の大きいダムですね。

順を追って見ていきます。上のアクセス通り来ると右岸に到着するのですが、そこに見える茶色の建物が船上山ダム管理事務所です。


その付近からダムを見るとこんな感じ。

右岸、貯水側には「船上山ダム」と刻まれた石碑があります。

これがダム上。行ってみましょう。

越流式の洪水吐は右岸側にあって、

溢れた水はこの水路を通ってあちらへ流れてゆきます。

「船上山ダム」「せんじょうさんダム」のプレート。ちなみにダム便覧では「せんじょうざん」とありますが、これは誤表記(参考)。現場を確認していない証拠です。


水利使用標識。灌漑を目的としたダムなんですね。

ダム上、中央へ向かう途中には小さな案内板と定礎の石碑があります。

その左にあるのは諸元表。「位置」項目の住所を見ると「鳥取県東伯郡赤碕町大字山川」と記載されていますが、赤碕町は1900年3月27日から2004年9月1日まで存在した町名で、同日に東伯町と合併して琴浦町が発足したため消滅。そのため現在は上に記した住所となります。高さ43.9m、ダム上の長さ232.1mのロックフィルダムだそうです。

定礎の石碑には平成12年(2000年)11月と刻まれています。じゃあ竣工はいつだろう。築造を担当した三井住友建設のサイト(参考)を見ると1997年6月と記載されていますが、これは明らかに間違い。なぜなら竣工後に定礎というのはありえないからです。またダム便覧には2003年竣工と記載されているものの、典拠が明示されていないので鵜呑みにはできません。竣工時期について上の諸元表の記載から推測するならばそこには旧住所が記載されているので竣工したのはおそらく2004年9月以前と考えられます。

ダム名でもある船上山の説明書き。船上山(せんじょうさん)は当該ダムの西に位置し、標高は687mの山(説明書きでは616m)で、大山(だいせん:標高1,729m)、三徳山(みとくさん:標高899.6m)とともに伯耆三嶺と呼ばれ、古来より山岳仏教の聖地のひとつとして修験者の霊場として知られているそうな(参考)。ちなみに船上山の由来は屏風岩と呼ばれる断崖の様態が船底に見えることからその上にある山という意味で命名されたらしい(参考)。

ダム上、中央から見た貯水側の景色。いや〜、絶景、絶景!

一方、下流側を眺めます。

対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

左岸、貯水側から見たダムの様子。


鎌倉時代、隠岐島に流された後醍醐天皇が1333年に伯耆の豪族、名和長年に迎えられて幕府討伐のために挙兵した舞台として知られる船上山。討伐を目論むスケールの大きさはその麓に築造されたダムにも反映されているかのよう…ぬぁんてね。
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たぶん堰堤だろうな…寺谷池

2023-06-13 06:59:44 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は鳥取県西伯郡大山町東坪(さいはくぐん だいせんちょう ひがしつぼ)にある真子川(しんじがわ)水系の寺谷池を目指します。これはダム便覧に記載されているもので、池の名称は寺谷川を堰き止めて築造したことによるものと思われます。アクセスは広域農道沿いの「フットボールセンター大山」の看板のついたカーブミラーのある交差点を西方向(花街道)へ。そして最初のT字路を入ります。しばらく行くと斜め左に入る細い道があるのでそこを入っていくと目的地に到着します。

そんなわけで、なんとか左岸に到着しました。なかなかの山奥です。

これが左岸から見た、いわゆるダム上になります。

写真では分かりにくいですが、左岸側に洪水吐があります。

ダム上、中央から見た寺谷池の景色。

一方、下流側はこんな感じ。木しかありません。

右岸の下流側の斜面が崩落しています。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

右岸、下流側から見た様子。


現場には案内板はありません。そこでネットで詳細を調べてみました。ダム便覧を見ると寺谷池(てらたにいけ)の高さは15.0mで、長さは95.0mと書かれています(参考)。だからダム便覧に記載されているのかもしれません。ところが、鳥取県の農業用ため池データベースによれば、まず名称は「てらたにいけ」ではなく「てらだにいけ」となっていて、高さは13.9mで長さは95.0mと記載されています(参考)。もし後者のデータを信用するなら寺谷池はダムではなく堰堤なので便覧のラインナップに入れるのはおかしいことになります。なぜならダムと定義されるには高さが15.0m以上なければならないからです。高さが1.1m足りないのですから堰堤となるわけですね。

それにしても、ここまでくると気軽にドライヴというのではなく、もう冒険のレヴェルだなあ。自らを笑います。
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偶然目にした門野池(堰堤)

2023-06-12 06:57:02 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は偶然見つけた水関連施設を紹介します。鳥取県西伯郡大山町赤松(さいはくぐん だいせんちょう あかまつ)を通る県道36号を走っていた時のこと。何気なく風景を見ていたらこんなものが目に飛び込んできました。

いや、なに?あれは…。

吸い寄せられるように近づいていきます。うん、洪水吐のようですね。

洪水吐の下流には副ダムがあります。

右岸の、いわゆるダム横に来ました。これがダム上のようです。歩いてみましょう。

ダム上、中央から見た貯水側の景色。

一方、下流側はこんな感じ。向こうに見えている道路は県道36号。

洪水吐の上には橋が架かっていて、それを渡ると対岸(左岸)になります。そこから貯水側を見るとこんな感じ。

それにしても、この施設はなんという名称なんでしょうね。地図を見ても何の表示もないし。

ところがその謎を解く鍵がありました。洪水吐に架かる橋です。ふとその親柱を見ると「門野橋」と刻まれています。しかも昭和32年(1957年)3月竣工の文字も。


これと住所をヒントに鳥取県の農業用ため池データベースで確認してみます。すると条件に合致するのは門野池(かどのいけ)のみ。おおっ、これに違いない!さらにデータを見ると、門野池の高さは9.8mで、ダム上の長さは110mであることが判明。(参考

うーん、高さからするとこれはダムではなく堰堤に定義されるもの。遠くから見たら「おおっ、これはダムでは?」と思うほど立派な洪水吐だったので堰堤とわかった時、ちょっとガッカリ。でも偶然目にしたのでそのワクワク感は半端なかったです。
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鳥居の先に…金屋谷2号砂防堰堤

2023-06-11 06:58:26 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は鳥取県西伯郡伯耆町金屋谷(さいはくぐん ほうきちょう かなやだに)にある日野川水系の金屋谷2号砂防堰堤を目指します。アクセスは県道52号から清山川(せいやまがわ)の南側を並行して走る道を上流方向に入り、しばらくして左側に鳥居が見えるT字路を入っていくと目的地に到着します。

正直、鳥居の先に堰堤なんてあるんだろうか…と思っていたら、ど〜ん、こんな立派な砂防堰堤が!堰堤中央が開いている透過型構造のようです。

訪れた日には、たまたま水が凄い勢いで流れていました。

堰堤下から見上げると…。

堰堤本体に嵌め込まれたプレート。平成4年(1992年)11月完成で、高さが14.5m、長さが80.0mと読めます。

堰堤中央の開いたところから流れ出る水。めちゃくちゃ澄んでます。

堰堤下から下流方向を見るとこんな感じ。


堰堤の上に登る方法が見つからず、上流側を見ることは断念しました。それにしても「2号」とあるので「1号」はあるんだろうか…と地図を見ると、県道52号の下流側に「金屋谷砂防堰堤」というのがあるので、おそらくそれが「1号」に相当するんじゃないかと思われます。で、行ってみようと思ったのですが、そこへ至る道らしきものがないので諦めることにしました。
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山の中から出現?…朝鍋ダム

2023-06-08 06:53:02 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は鳥取県西伯郡南部町朝金(さいはくぐん なんぶちょう あさかね)にある日野川水系の朝鍋(あさなべ)ダムを目指します。ダム名は朝鍋川を堰き止めて築造したことに由来するもののようです。アクセスは県道1号沿いにあるので迷うことはないでしょう。

まずはダム下へ行って「ご尊顔」を拝みます。まるで山の中から突然現われたかのよう。


県道からダム横へ向かいます。右岸、ダム横にはちょっとオシャレな建物。おそらくこれが管理事務所なのでしょうが、訪れた時にはゲートが閉まっていて県道沿いからパチリ。

案内板や諸元表もあるようですが、ズームしても遠すぎて読めません。

そこで、リンク先を見ると、当該ダムは洪水調節、流水の正常な機能維持、ダムの管理用発電を目的とした高さ45.0m、長さ150.0mの重力式コンクリートダムだそうです。

これがダム上。歩いてみましょう。

右岸、ダム本体のいわゆる親柱のところには「朝鍋ダム」「平成十七年(2005年)三月竣工 鳥取県」と記されたプレートが嵌め込まれています。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。

中央に設置されている各種ゲート類は2004年10月に完成したそうな。

貯水された水はここから常用洪水吐へ向かいます。

一方、ダムの真下を覗き込むと常用洪水吐から水が流れ落ちています。

そして下流側の遠景を眺めます。


対岸(左岸)へ来ました。振り返るとこんな感じ。

左岸、ダム横から見た貯水側の様子。写真中央に見えるのが管理事務所と思しき建物。


朝鍋ダムの周囲は木が多く、新緑の季節のせいかダムのサイドからその「横顔」はほとんど見ることができませんでした。
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正式には…椿谷池

2023-06-07 06:55:02 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回はグーグル先生の地図で鳥取県西伯郡南部町絹屋(さいはくぐん なんぶちょう きぬや)に日野川水系の椿谷(つばきだに)溜池というのを見つけたので行ってみることにしました。アクセスは国道180号沿いにある「←入沢歯科」の看板のあるT字路を入り、法勝寺川を渡って最初のカーブミラーがあるT字路を入り、そのまま道なりに進みます。そして左側に森脇神社の鳥居が見えたらその先の最初の小さな交差点を左に入ります。目的地はこの先にありますが、ワシは大事をとってここからは歩いて行きました(クルマは安全な場所に停めましょう)。

おー、あれのようですね。

左岸の、いわゆるダム横に来ました。早速歩いてみましょう。

中央から見たため池の様子。

足下には取水設備でしょうか。

一方、下流側はこんな感じ。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

そういえば、洪水吐はどこにあるのかな。キョロキョロ探していると、なんと左岸側の木に隠れるようなところにありました。こりゃ気づかんわなあ。


溜池であるためか、ここに案内板はありません。そこで諸元を調べてみました。鳥取県の県内防災重点ため池一覧表によると、当該ため池の高さは16.3m、長さは90.0mとあります。しかし名称は「椿谷池」となっていて、こちらが正式名称のようです(参考)。グーグル先生の地図もダム便覧でも「椿谷溜池」と表示されていますが、それは何に基づくものなんでしょうねえ。出典が不明なので、ここでは椿谷池と表記しておくことにします。なお、椿谷の由来は不明です。
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過小評価どころか…賀祥ダム

2023-06-06 06:52:45 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は鳥取県西伯郡南部町下中谷(さいはくぐん なんぶちょう しもなかたに)にある日野川水系の賀祥(かしょう)ダムを目指します。アクセスは国道180号沿いにあるので迷うことはないでしょう。

どーん、こんなダムです。

で、国道にはこんな表示板があるので、まあ、迷わないのです。

左岸、上流側からダムはこんな風に見えます。

日野川流域憲章」。賀祥ダムは法勝寺川(ほっしょうじがわ)を堰き止めて築造されたものですが、法勝寺川は下流で日野川に流入。そして日本海へ流れ込みます。この憲章は日野川流域の環境保全に努めるとともに川を通して流域の連携を強くしていこうというもので、2008年8月23日に制定記念式典が行なわれ同憲章が制定されたそうです。ふーん。

ダムの左岸、国道沿いには賀祥ダム管理事務所があります。


その敷地内には賀祥ダムの案内板。それによると、当該ダムは高さ46.4m、長さ174.0mの重力式コンクリートダムで、築造当初は洪水調節、流水の正常な機能維持、米子市の水道用水供給を目的としていましたが、2013年9月2日からはダム直下の賀祥発電所へ導水して発電も行なっているそうな。



「賀祥ダム竣功記念碑 平成元年(1989年)三月」と刻まれた石碑。

その隣にはダム建設に際し移転した方々の名前が刻まれています。その内訳は、信頼(のぶより)地区:21世帯、定常(さだつね)地区:14世帯、賀祥地区:12世帯、騂牛(あごうじ)地区:2、早田(わさだ)地区:1の計50世帯。 

では、ダム上を歩いてみることにしましょう。

左岸の、いわゆる親柱に相当するところには「賀祥ダム」「平成元年三月竣功 鳥取県」と記載されたプレートが嵌め込まれています。


ダム上、中央から見た貯水側の景色。

一方、ダム下を覗き込み、

下流側の遠景を眺めます。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

右岸側の親柱にも左岸と同じ内容のプレートが嵌め込まれています。


右岸、貯水側から見たダムの様子。

同、下流側からダムを見るとこんな感じ。

せっかくなのでダム下へ行き、「ご尊顔」を。写真右下に見えるのが賀祥発電所の建物。

そこに掲示されている水利使用標識。


ダム名は左岸側の地名(賀祥)に由来するのですが、「賀」も「祥」も喜ぶとかめでたいを意味する字なので何か特別な由来があるのかなあと調べてみましたがわからず。まあ、でも縁起の良いダムだなと勝手に解釈して、気分はウキウキ。

ははは。
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黒坂発電所のための…大宮ダム

2023-06-05 06:57:45 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は鳥取県日野郡日南町菅沢(にちなんちょう すげさわ)にある日野川水系の大宮ダムを目指しす。アクセスは県道48号でカーブするところにバスの停留場があり、その隣の橋を渡って行くと目的地に到着します。

到着しました。なんだか厳めしい感じのフォルムですね。

県道から入ってくると大宮ダムはこんな風に見えます。

左岸にあるこの建物が管理所のようですが、それを示すものはありません。

左岸のダム横から見た様子。しかしフェンスに阻まれていて近づくことはできず。

水利使用標識。これを見ると中国電力が発電のために築造したものであるのがわかります。


現場には案内板がないので調べてみました。すると大宮ダムはここから直線距離にして約9.3km東にある黒坂発電所へ別水路で繋がっていて(途中、鵜ノ池を経由しますが)、つまりは同発電所で発電するための取水ダムらしい。同発電所の運用開始が昭和15年(1940年)5月であり、この大宮ダムもそれに伴って同じ年に築造されたようです。高さが16.8mなので取水ダムといってよいでしょう(参考)。なお、大宮ダムは印賀川(いんががわ)を堰き止めて築造されたものですが、その水は昨日記事にした菅沢ダムのダム湖(日南湖)へ流れ込みます。また、ダム名は当該ダムの上流が日南町大宮地区ということなので、おそらくそれに由来するものと思われます。
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すげー見たかった…菅沢ダム

2023-06-04 06:57:14 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は鳥取県日野郡日南町菅沢(にちなんちょう すげさわ)にある日野川水系の菅沢ダムを目指します。アクセスは国道180号から入って行くと到着します。

こんなダムです。シンプルでキリッとしたお姿。

ダムへの入口は国道沿いにこんな看板があるのでわかりやすいです。

入口横にある周辺ガイドマップ。

「森と緑の○○」…これがキャッチフレーズらしい(これは後でわかるんですが)。

菅沢ダム完成50年記念碑。これが建立されたのが平成30年(2018年)12月なので、ダムの築造は1968年? 念のため上のリンク先で確認してみると、昭和34年4月1日に建設省によるダム建設のための調査が開始され、様々な協定の調印の後、昭和41年4月8日にダム本体のコンクリート打設が開始。そして定礎式、湛水式を経て、昭和43年(1968年)5月27日に菅沢ダムの竣工式が行なわれたと記載されています。うん、記念碑の記述に間違いはありませんね。

そこからダムを見るとこんな感じ。「森と緑の日南湖」の文字。ダム湖名が日南湖なんですね。

じゃあってんで、日南湖を眺めます。

では、ダム上を歩こうか…と思いきや、「関係者以外 立入禁止」の看板! うはっ、残念。

左岸、日南湖側にある立派な建物が「国土交通省 菅沢ダム管理支所」。


近くには慰霊碑がひっそりと置かれていました。その裏側にはダム建設中、不幸にして亡くなられた5人の名前が刻まれています(裏側は草ボーボーで写真が撮れず)。合掌。


ところで、現地には案内板が見当たらないので上のリンク先で確認すると、菅沢ダムは次の4つの目的(洪水調節、工業用水の供給、発電、灌漑用水の供給)のための築造されたのだそうです。ダムの高さは73.5mで、長さは210m。

ダム上に行けなかったのは残念でした。
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周囲は難読地名ばかり…茗荷谷ダム

2022-11-29 09:53:33 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は鳥取県八頭郡若桜町茗荷谷(やずぐんわかさちょう みょうがだに)にある千代川(せんだいがわ)水系の茗荷谷ダムを訪れます。アクセスは国道29号から「香美(かみ) 氷ノ山(ひょうのせん)」方面へ行く国道482号に入り、しばらく道なりに進みます。そして国道が通る陸橋が見えてきたら右に下る道があるのでそちらへ。そのまま行くと目的地の右岸に到着します。

まあ、気づいたら鳥取県に来たわけですが、びっくりするのはこのあたりには難読地名が多いこと!

【八頭郡の由来】(参考
まずは八頭郡から。八頭郡は明治29年(1896年)に八上(やかみ)、八頭(はつとう)、智頭(ちず)の3つの郡が合併し、それぞれの郡の文字をとって八頭郡になったそうな。

【若桜の由来】(参考)(参考
「若」は新しいの意味、「さ」は狭い土地の意味で、八東川(はっとうがわ)沿いの狭い土地を新たに開拓したことに由来するという。じゃあ、なぜ「さ」に「桜(櫻)」の字が当てられたのかという疑問が残ります。これについては履中天皇の時代(古墳時代の5世紀前半)にはすでに「若櫻」の名があったことが『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』(嵯峨天皇の命により815年編纂)に出ています。また『郡郷考』という書物には若桜を「和加佐」と読み、古姓若桜部に因んでいるとあることから地名の若桜は姓の若桜に由来するものという。

まあ、そんなわけで茗荷谷ダムが見えてきました。これが「ご尊顔」です。


右岸、ダム横近くに来ました。

ダム本体に嵌め込まれたプレート。「昭和35年1月 茗荷谷堰堤 鳥取県知事 石破二朗」とあります。当時は堰堤と呼ばれていたんですね。なお、石破二朗(いしばじろう:1908-1981)は昭和33年(1958年)12月に同知事に就任し、昭和49年(1974年)2月まで務めました。石破茂の父でもあります。


右岸、ダム横にある表示板。これを見るとわかるようにこのダム名は「みょうがだに」です。でも、ダム便覧では「茗荷谷(みょうがたに)ダム」と表記されています。なんというケアレスミスでしょうね。現場を見れば明らかなのに。


ダム横には水利使用標識があります。「河川名」に春米川(つくよねがわ)と表示されている通り、茗荷谷ダムはこの春米川を堰き止めて築造されたもの。「水利使用の目的」が水力発電とあるので調べてみると、ここから直線距離にして約5km離れた八東川(はっとうがわ)沿いにある春米発電所(鳥取県八頭郡若桜町大炊[おおい])に春米川とは別の水路を通って送水され発電に使用されるようです。同発電所は鳥取県企業局が運営していて、発電所の工事着手は1958年8月1日で、発電開始は1960年12月9日。(参考


で、これがダム上なんですが、ご覧の通り立入禁止で、行くことはできません。とほほ。


仕方がないので、右岸、貯水側から見たダムの様子を撮ってみました。


春米川上流方向の景色。


「茗荷谷ダム管理棟」は右岸、ダム横から少し下ったところにあります。



鳥取県が運営するダムなのにダム横付近に案内板がないのはちょっと不親切だなあと思ったりして…。
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