ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

なるほどねぇ…黒川ダム(再訪2021)

2021-03-31 06:56:33 | 長野(ダム/堰堤)
長野県木曽郡木曽町福島にある木曽川水系の黒川ダムを再訪しました。ダム上の道は飛騨街道西野通りと言うのですが、ダムはその道よりも下側にあるので、深夜に通ってもほとんど見ることができません。(参考

でも、今回は昼間に行ったので「ご尊顔」を何とか見ることができました。



ダム下流の黒川の様子です。この水がすぐ先の木曽川に合流します。



黒川の上流側から見たダムはこんな感じ。



上流の黒川の様子です。



これが黒川ダムの管理所。上のリンク先にも書きましたが、この管理所は西野通り沿いにあり、ダムから少し離れた場所にあります。





小規模なダムではありますが、今回はその全貌を確認することができました。なるほど、なるほど。
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木曽川取水ダム(再訪2021)

2021-03-30 07:05:04 | 長野(ダム/堰堤)
長野県木曽郡木曽町福島にある木曽川水系の木曽川取水ダムに来ました。アクセスは長野県立木曽病院のすぐ近くなのでわかりやすいです。

病院はダムの右岸にありますが、まずは左岸(国道19号のある側)を走る県道461号から見たダムの様子をご覧ください。



ダムの右岸へ行くにはこのダムのすぐ上流側の橋を渡ります。その角のところにあるのが木曽川取水ダムの管理所です。(参考

木曽病院のある右岸側に来ました。ご覧のようにダムに近いところまで行くことはできますが、そこは断固として敷地内へ入らせないことで知られる関西電力です。ダム上に行くことなどできるわけがありません。仕方がないのでダムに近いところから撮影。





右岸から見たダム下流の木曽川の様子です。



ダムの上流側から見た様子はこんな感じ。



そして右岸側から見た上流の木曽川の様子です。



上の参考のリンク先にあるように深夜に見た時は大きな工場のような印象でしたが、昼間見ると確かにゴツい感じはするものの「うん、まあ、そんな感じかな」という程度で、深夜ほどの強烈なインパクトはありませんでした。
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やっぱりガード…王滝川ダム(再訪2021)

2021-03-29 06:50:21 | 長野(ダム/堰堤)
ダムは深夜に行ったから見えない…というのは確かに間違いではありません。しかし、だからといって昼間に行けば見えるというものでもない。木曽川水系の王滝川ダム(木曽郡王滝村)はまさにその例といえます。

王滝川ダムは前回の濁川堰堤から県道486号をさらに王滝川に沿って遡ると到着します。でも行けるのはここまで。管理するのが関西電力なので、例によって一般の人が敷地内に入ることはできないんです。これじゃあ2019年に訪れた時と同じ。違うのは訪問時間が昼か深夜かだけ。(参考





むむむ、困りましたな。仕方ないので、県道をさらに上流に向かってみます。貯水側からなんとなく見える感じなんですが、やはり全貌は掴めず。写真だと余計にわかりませんねえ。



これで王滝川沿いにあるダムは昼間にチェックすることができました。え? まだ上流に三浦ダムがあるでしょ?って? 以前の記事を読んでいただければわかりますが、三浦ダムへの道は通行禁止なんです。それは昼間に行っても同じはず。…なので、行かないのです。(参考

それにしても関西電力め…。秘密主義が過ぎるぞ!
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その上流には…濁川堰堤

2021-03-28 06:59:19 | 長野(ダム/堰堤)
前回の牧尾ダムから県道486号を王滝川に沿って遡って行くと赤茶けた鉄橋のところで堰堤のようなものを発見! その上流にも何やら見えます。これは行ってみるしかありません。



どうやらこれは木曽川水系の濁川(にごりがわ)堰堤(長野県木曽郡王滝村)らしい。しかしダム横に来てみると木が邪魔でよく見えないですね。



上流側から見てもこの通り。



濁川堰堤のさらに上流には小規模の堰堤があります。ただ、土砂の量が半端じゃありませんね。





そのすぐ傍にある建物は何でしょうか。建物のプレートに関西電力の子会社である「KANSOテクノス」の文字が読み取れるので、発電のための堰堤なのかもしれません。



その敷地内には「流」の文字が刻まれた石碑。う〜ん、どんな意味があるんだろうか…。



さらに濁川の上流にはこんなものが。ん?作りかけ?



いやいや、そうではなく、こういう堰堤らしい。2002年8月竣工と読めますが、堰堤名が書かれたプレートが遠くて、ズームしても判読できませんでした。「●ヶ△3号えん堤」としか…。



濁川の上流にはまだ堰堤がありそうなんですが、現在行けるのはここまで。来年の6月下旬以降にならないと通れないようです。



それにしても、この濁川にはなぜこんなに堰堤があるんでしょうか。気になったので調べてみるとここには思わぬ悲劇があったことを知りました。

【濁川温泉の悲劇】
濁川温泉はここからさらにさらに濁川を遡ったところにあった。濁川温泉とはいうものの、実際には一軒しかない温泉宿だったが、あまりに奥地のため昭和後期になっても電線は未通で、照明はランプだったそうな。しかし1984年9月14日に発生した長野県西部地震により大量の土石流が濁川に流れ込み、濁川温泉はあっという間に50mの地中深くに埋没。これにより4人の生命が奪われるとともに濁川温泉そのものは消滅した。(参考

濁川という名の川は全国にありますが、この濁川のゴツゴツした石は当時の土石流の名残なのかもしれませんね。これぞまさに自然の恐ろしさです。
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愛知用水のための…牧尾ダム(再訪2021)

2021-03-27 06:56:35 | 長野(ダム/堰堤)
長野県木曽郡木曽町三岳にある木曽川水系の牧尾ダムは前回の常盤ダムの上流にあります。アクセスは容易で、県道256号をそのまま王滝川に沿って遡るだけ。

以前訪問した時(参考)には深夜のため気づきませんでしたが、牧尾ダムってぇのはデカイんですなあ。その規模の大きさに驚きです。



そして洪水吐のところには「牧尾ダム」の看板がしっかり掲げられています。これも深夜ではわかりませんね。



ダム横に来ました。ここには色々なものがあります。まず「共生」と刻まれた石碑。



その裏には牧尾ダムの建設経緯と役割が書かれています。それによると当該のダムは1961年に愛知用水の水源施設として通水を開始。しかし1984年9月14日に発生した長野県西部地震で御嶽山の山腹が崩壊したためダムに大量の土砂が堆積流入。これによりダムの貯水機能が著しく低下。そこで2005年から堆砂対策工事を行ない、土砂を撤去するとともにダムへ土砂が流入しないような対策が取られているとのこと。



この敷地には他に「牧尾ダム」と刻まれた石碑や、



作者不明のブロンズ。



そして、少し離れたところには「慰霊碑」があります。ダム建設にあたり21名の尊い命が犠牲になったそうです。





だんだんダム上に近づいていきます。近くにあるのが管理所。





すぐそばには水利使用標識。



近くに横たわる流木のようなものの上には廃材か何かで作られた巨大なトンボ。なかなか良くできています。



牧尾ダムの案内板です。なんの変哲もない案内板に見えますが、よく見ると愛知県民向けに書かれていることがわかります。つまりダムの面積や貯水量の基準はナゴヤドームなんですね。またダムの高さは名古屋城と比較されているんです。何もそんなに意識せんでもと思うんですが…。



では、いよいよダム上を歩いてみることに。



このクリーム色の建物の下に洪水吐があります。



洪水吐付近から見た貯水側の様子です。この時には水がほとんどありませんでした。



同じ場所から今度は下流側を見下ろしてみます。



で、この洪水吐の先が対岸なのかなと何となく思っていたら、まだまだ「続編」が。実はこのトンネルを抜けてからが本当のダム上だったのです!(いや〜、まだ歩かせるんかい!)



トンネルを抜けました。これが本当のダム上です。長さもあるけど、幅も広いなあ。



ダム上、中央から見た下流側の景色です。



同様に貯水側の様子。ここには水が溜まっていました。



対岸(右岸)に来ました。貯水側から見たダム上です。



これが対岸から振り返った際に見える景色。写真右に道のようになっていますが、



ここから緩やかな坂を下って、



クネクネ曲がりながらダム下に行くことができるようです。



何度も書きますが、牧尾ダムはデカい。さすが愛知用水の水源のひとつだけのことはあります。
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やっぱり無理かぁ…常盤ダム(再訪2021)

2021-03-26 06:59:34 | 長野(ダム/堰堤)
前回訪れた木曽ダムのある王滝川の上流にあるのが木曽川水系の常盤(ときわ)ダムです。住所は長野県木曽郡木曽町三岳下殿(みたけしたどの)。王滝川の左岸に沿って走る県道256号(御岳王滝黒沢線)をそのまま遡って行けば常盤ダムは左側にあるのですが、入口の門は基本的に閉まっていて中に入ることができません。

そこで王滝川の右岸に移動し、常盤トンネルを抜けた場所からなら見えるかな…と。



まあ、確かに見えることは見えました。しか〜し、木が邪魔でクッキリと見えません。実は以前深夜に訪れた時にも同じパターンで見たのですが、当然のことながら確認できませんでした(参考)。昼間なら大丈夫かなと思って今回来たわけですが、やっぱりアウト。

まあ、しゃ〜ない。こんなこともあります。
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見えたよ!…木曽ダム(再訪2021)

2021-03-25 06:45:50 | 長野(ダム/堰堤)
長野県木曽郡木曽町福島にある天竜川水系の木曽ダムを再び訪れてみました。このダムはロケーション的には王滝川と木曽川が合流する直前にあるもので、国道19号に近く、わかりやすい場所にあると言えるでしょう。ところがその実体はなかなか見ることができません。ダム近くの周辺道路には木々が生い茂り、あたかも見せないようにしているかのよう。特に前回訪問した深夜では皆目わかりませんでした。(参考

でも、やっぱり昼間だと何とかなるもんですねえ。国道19号から入る細い道を下って行くと「ご尊顔」を拝むことができました。

これです。ジャ〜ン!(誇らしげ)



でも、実はこれ、ズームしたものなんです。そのままだとこんな感じに見えます。写真中央を横切るように流れているのが木曽川で、ダムから流れてくるのが王滝川なんですね。



念のためダムの右岸近くを走る道路から撮ったのが、これ。葉が落ちているとはいえ、枝が邪魔でよく見えません。



今度は左岸に来てみました。関西電力が管理するダムですから、当然敷地内に入ることは許されません。なので、ここまで。



左岸、高台から見える様子もこの程度。



だからこそ、一番上に掲げた「ご尊顔」のスポットを見つけた時には思わず「ヒャッホ〜!」と叫んでしまいましたよ。

つまらんことに時間を費やして、よ〜やるわ…と思うでしょうね。いいんです。これが好奇心というやつなんですから。はっはっはっ。
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意外に大きい…小川堰堤

2021-03-24 07:02:44 | 長野(ダム/堰堤)
今回は長野県木曽郡上松町小川長路沢(ちょうろざわ)にある小川堰堤へ行ってみました。実は、ここ、以前深夜に来たことがあったのですが真っ暗で何も見えず記事にするのをやめたのでした。でも昼間なら見えるだろうという期待から出かけたというわけ。アクセスは小川に沿って走る県道473号(上松御岳線)からちょいと脇へ入ったところにあります。

ババ〜ン、見事な「ご尊顔」を拝むことに成功! 予想以上に大きくてビックリ。



右岸側から堰堤の横に登ってきました。写真の上方に細く見える白いガードレールのところが県道473号ですが、そこから堰堤はほとんど見えません。



小川の上流側の景色です。天気にも恵まれたせいか、とても清々しい気分。



一方、小川の下流側の景色です。



実は県道から脇道を降りてくると、まずこれが目に入ります。でもフェンスがあって立ち入ることはできません。



フェンスの奥の広いスペースは何だろうと思ったら、関西電力のヘリポートらしい。緊急時にはここにヘリコプターが舞い降りるんでしょうな。



入口の右側にあるこの建物は何でしょうね。



写真ではわかりにくいですが「小川えん堤作業詰所」と書かれていました。



ここを管理するのは「KANSOテクノス」という会社で、1974年の創立時の社名は「株式会社関西総合環境センター」でした。そして2004年には商号を「株式会社環境総合テクノス」に変更。さらに2020年からは商号が「株式会社KANSOテクノス」になっています。調べてみると関西電力が100パーセント出資の子会社らしい。なるほど、だから敷地は親会社と同じくフェンスでがっちりガードされているんですな。ちなみにKANSOとは環境・総合の頭文字を略したもののようです。

そんなことより、小川堰堤の大きさには驚きでした。確認しに来て良かった〜。
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歴史がありそう…桃山堰堤

2021-03-23 06:56:32 | 長野(ダム/堰堤)
長野県木曽郡上松町(あげまつまち)荻原にあるのが木曽川水系の桃山堰堤です。まずは木曽川の右岸から見た全体像をどうぞ。



堰堤の近くへ行ってみます。上の写真にも見えていた看板が「桃山発電所水利使用標識」です。つまりこの堰堤は直線距離にして約4km下流にある桃山発電所(上松町登玉)の発電のために作られたものなんですね。



その付近から見た堰堤の様子です。よく見ると堤体が石造りになっており、芸術的な感じがします。近くに案内板がないので完成年はわかりませんが、こういう築造の仕方は大正から昭和初期であることが多いので、たぶんその頃に作られたのではないかと思われます。魚道もちゃんとありますね。





堰堤の下流はこんな風になっています。おっ、吊り橋がありますね。行ってみましょう。



吊り橋の袂には桃山雨量観測所があります。1963年5月より稼働だそうで。住所が「萩原」になってますが、荻原の間違いですかね。





木製の吊り橋です。堰堤の上には行けないので、ここを歩いてみます。



歩を進めるたびにギシギシと音がします。こわひ。吊り橋の中央から見た堰堤の右岸側の様子です。クリーム色の建物は上松発電所。



同じく、堰堤の左岸側の景色です。



一方、下流側の景色はこんな感じ。水が少ないとはいえ石がゴロゴロしています。



そもそも堰堤なので決して派手ではありませんが、歴史を感じさせる場所でした。
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再訪決定!…田光堰堤

2021-03-22 06:54:06 | 長野(ダム/堰堤)
長野県木曽郡大桑村にある木曽川水系の田光(たこう)堰堤へ向かってみました。アクセスは大桑村を流れる伊奈川に沿って走る道を進んで行くとあるようなんですが…。

相之沢発電所を目指し、そのすぐ上流には田光堰堤があるはずだぞ…。

しか〜し、何と通行止!



砂防堰堤を建設しているためだそうです。



訪れた日は3月初旬だったので行けませんでしたが、今はもう通行できるのかもしれません。そのうち機会を見つけて行ってみようと思います。
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読書ダム(再訪2021)

2021-03-21 07:00:58 | 長野(ダム/堰堤)
長野県木曽郡大桑村にある木曽川水系の読書(よみかき)ダムを再訪します。ダム名の由来は木曽川下流の南木曽町(なぎそまち)読書にある読書発電所へ送水するために作られたダムという意味です。ついでに読書という地名の由来も調べてみました。

【読書(よみかき)の由来】
1874年9月7日、当時の筑摩県筑摩郡にあった与川村(よがわむら)、三留野村(みどのむら)、柿其村(かきぞれむら)が合併し、新たな村として出発するにあたりその名称は三村の頭文字(よ、み、かき)を繋げて「よみかき村」となった。読書の文字はおそらく当て字で、特にこの地域で読書が盛んだったわけではない。

1961年4月1日、同村は吾妻村(あづまむら)、田立村(ただちむら)と合併して南木曽町になったため、同日、読書村の名称は消滅。しかし読書の地名は南木曽町に残っていて、上にも書いたように発電所の地名がまさしくそれである。

…てなわけで、読書ダムを見ることにしましょう。木曽川の右岸から見た様子がこちら。



その下流はこんな景色です。



右岸の壁面の高所には「読書ダム」の看板。



これがダム横ですが、ダム上へはフェンスに阻まれて行くことはできません。なぜならここは第三者が敷地内へ入るのを頑なに拒むことで有名な関西電力が管理しているから。



管理所は右岸の上流側にあります。







国道19号が走っている左岸側から見てみることにします。まずはダムの上流側の様子です。



続いて、これが左岸側から見た読書ダム。ここからズームしても右岸の壁面に「読書ダム」の看板を確認することができますね。





立派なダムだなぁと思うんですが、いかんせん近づけないのは残念でなりません。
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与川堰堤(再訪2021)

2021-03-20 07:01:42 | 長野(ダム/堰堤)
長野県木曽郡南木曽町読書(なぎそまちよみかき)にある木曽川水系の与川(よかわ)堰堤を再訪問しました。前回の深夜の訪問(参考)では堰堤本体を確認することができませんでしたが、今回は何とか成功。その実態がこちら。



よく見ると、堰堤の上部に流木などのゴミを取り除くためのザル状のようなものがあります。



与川下流はこんな感じ。



与川発電所の水利使用標識は前回と変わらず。



その「ザル」によって濾された水は右岸の水路を通って発電のために使用されるんでしょうね。







それにしても美味しそうな水です。
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蘭川取水堰堤(再訪2021)

2021-03-19 06:49:37 | 長野(ダム/堰堤)
久しぶりに会った友人からショッキングな話を聞きました。もう10年以上も前にかなり年下の音楽家Mさんが亡くなっていたという事実。おそらく40歳手前くらいだったのかもしれません。Mさんについては彼女が大学に入学した頃から知っていて、とある合宿で演奏しているのを見たのが最初。以後、様々な集まりで何度も顔を合わせました。

ほんわかした風貌にもかかわらず意外に芯はしっかりと持っているお嬢様でした。Mさんは大学卒業後、様々な演奏会に出演していたようですが、その頃からほとんど会う機会がなかったので詳細については知りません。ネットで検索したところ少なくとも2003年まではステージに上がっていたようです。

誰が亡くなっても悲しいには違いありませんが、年下の、それもまだまだこれからという時に亡くなってしまったのは気の毒でなりません。ただただ合掌。



さて、長野県木曽郡南木曽町吾妻(なぎそまちあづま)にある木曽川水系の蘭川(あららぎがわ)取水堰堤に再度やって来ました。理由は何度も書いているように「昼間の顔」が見たかったからです。

で、前回の記事(参考)で思いっきり勘違いをしていたことが判明しました。取水堰堤と思っていたのが実は蘭川発電所の施設だったのです。深夜で見えなかったとはいえ、いや〜お恥ずかしい。

本当の「ご尊顔」はこちら。



沈砂部分には細かな溝や工夫が施されており、写真右には小さな魚道まであります。



左岸、上流側から見た様子です。



深夜には、てっきり取水堰堤と思い込んでいた付帯設備がこれ。まぁ実際に見れば違うのは明らかですね。





フェンスで囲まれたその設備の敷地内には「蘭川発電所水利使用標識」がありました。ただ、この標識、設備に面しているのでフェンスの外から見ることはできません。何とかズームして撮ってもこの程度でしか写すことができませんでした。望遠レンズのカメラならもっと鮮明に撮れたんでしょうけどね。なにせスマフォのカメラなもんで…。ご容赦。



堰堤の下流側の景色です。



最後に、右岸側から見た堰堤の様子をご覧ください。



蘭川取水堰堤は妻籠宿のところにありますが、昼間に堰堤の近くに駐車するには十分なスペースがありません。訪れる方はご注意ください。それにしても確認できて良かった〜。

アセアセ。
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長谷川砂防ダム(再訪2021)

2021-03-18 06:56:20 | 長野(ダム/堰堤)
長野県木曽郡南木曽町田立(なぎそまちただち)にある木曽川水系の長谷川砂防ダムを再訪しました。前回訪れた時は深夜だったので昼間はどうなっているんだろうと思ったからです。(参考

深夜だと「ご尊顔」を拝むことはできませんでしたが、今回は下流の畑の中を歩いた末にバッチリ撮影に成功。



もうちょっと近づいてみます。いやいや、なかなかの迫力ですよ。



よく見れば本体にプレートが嵌め込まれていました。1982年3月竣工とあります。でも名称が「長谷川砂防ダム」と記されていますね。あれれ?「長谷川砂防堰堤」じゃないの? 確かに25mの高さなので河川法の定義からすればダムには違いないんですが…。



ダム横に来ました。そこにある看板には「長谷川砂防堰堤」と書かれています。全くもって紛らわしいなあ。



下流側から見たダムの様子です。



貯水側から見るとダムはこんな感じ。



で、前回と同じ見覚えのあるダム上です。やはり柵が開いているので行ってみましょう。



…と、その前にふと脇を見ると「長谷川砂防ダム」と刻まれた石碑を発見。これは深夜では気づきませんでした。



石碑の裏にはダム築造の経緯が記されています。1972年8月24日未明、同地で発生した集中豪雨により鉄砲水が起き、流域の公共施設に甚大な被害をもたらした。そして地元住民の要望に応える形で流出土砂を防ぐための砂防ダムの建設が1977年より開始されたとあります。で、上にも書いたように1982年3月に長谷川砂防ダムは完成したわけですね。



ダム上を進み、中央付近から貯水側の景色を見てみます。



中央のここから水が流れ落ちます。



落水すると副ダムがそれを受け止め、下流へ流す構造になっています。それにしても水が美しいったらありません。惚れ惚れします。



下流側の遠景はこんな感じです。



そして、ダム上の中央から振り返るとこんな景色になっています。



いや〜、石碑にまで「砂防ダム」とあるんですから今回は「砂防堰堤」でなく「砂防ダム」に名称変更することにします。それはさておき、素敵な場所でした!
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憩う場…矢那川ダム

2021-03-17 06:52:25 | 千葉(ダム/堰堤)
矢那川水系の矢那川ダムは千葉県木更津市矢那にあります。左岸の県道23号沿いには展望台があるということで、まずはこちらへ行ってみます。

展望台から見たダム上の様子です。写真右側に見えるのはたぶん管理所と思われる建物。



展望台には2つの案内板があります。ひとつはダムの概要と役割を説明するもの。



もうひとつはダムの地図のようなものです。



少し上流には何やら不思議なものが…。あとで見に行きましょう。



左岸からはクルマではダムに近づけないようだったので右岸に移動します。これが右岸から見たダム上です。



上の写真で橋のようになっているところに洪水吐の水路があります。橋から貯水側を見ると越流式の立派な洪水吐を見ることができます。増水時にはここから溢れ出て、



あちらへ流れていくようになっています。



橋を渡るとちょっとしたスペースがあり、1995年1月に「定礎」したことを示す石碑や、



1999年11月と刻まれた矢那川ダムの石碑を見ることができます。



では、ダム上を歩いてみましょう。中央付近から見た貯水側の景色です。でも時期的になのか水がありません。



一方、下流側はこんな感じ。公園のようになっていますね。



対岸(左岸)まで来ました。振り返るとこんな感じ。幅の広いダム上です。



左岸を川沿いに遡ります。すると、先ほど展望台から見た「不思議なもの」に近づくことができます。





どうやらダムへ流入する水路のようです。



そこからダム上を見るとこんな感じ。



右岸に戻り、ダムのほとりの建物へ近づいてみました。



予想通り、これが矢那川ダムの管理所でした。



確かにここはダムではあるんですが、下流に公園が整備されていたり、ダム周辺に遊歩道のようなものがあるので近隣住民の憩いの場でもあるように思われます。愛犬を散歩させる飼い主も多数見かけましたし。
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