ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

飲んでみました

2009-06-30 04:15:23 | 脳みその日常


23日に発売されたコレ、皆さん、もう体験しましたか? 商品名をここに記載すると検索でヒットするので敢えて記しません。

それにしても検索システムってのはもちろん便利なものではありますが、どうでもいいことまでも検索してしまうので一長一短だなあと思います。ある時期までは個人名や商品名などを記していましたが、どうやら検索によってこのブログにたどり着くケースがあるようなので最近ではわざと記さないことにしています(意図的に宣伝する場合は別ですが)。

で、話を元に戻しましょう。その味はどうかというと、正直なところ微妙です。しその香りは充分すぎるほど匂ってくるので、それはいいとしてもそれ以上はないといったところですかね。

季節限定商品ということですが、いつまでなのかはメーカーのサイトに書かれてないんですけど…。一定数が売れたらおしまいということなんですかねえ。
コメント (2)

努力は裏切らない

2009-06-29 04:51:56 | 脳みその日常
もう昨日のことになりますが、先日書いた「おさらい会」が終了。いや~、生徒さんたちは皆ワシの期待に応えてくれました。

改めて思うのは努力は裏切らないということ。これは年齢に関係ありません。向上心をもって頑張れば自ずと結果に現れるんですね。実に素晴らしいことと思います。

やってることは別にレヴェルが高いわけじゃありません。それに皆さん趣味として学んでおられるんですが、どの顔も生き生きしておられました。老後を充実して生きるってのはいいことだなあと、彼らをみていて思った次第。
コメント

禁煙草

2009-06-28 04:39:48 | ドライブ関連


これは江戸川区の北小岩で撮影したものです。住宅街の中にある個人経営の薬局のようなのですが、

禁煙草……

不勉強で、こんなものがあるとは知りませんでした。で、禁煙草って何? 帰宅して調べてみました。どうやら、これ、タバコの葉の代わりに杜仲茶の葉を用いた商品のようです。見た目はタバコそっくりですが、ニコチンはゼロ。香りもほとんど通常のタバコと変わらないのだとか。

ふ~ん、そういうものなのか。世の中、いろんなものがあるんですね。でも、こちとら筋金入りの愛煙家であります。禁煙なんてこれまで考えたこともありません。だからこのようなものがあることを知ったからといって禁煙しようなどとは思わないんですけどね。

もちろん愛煙家ですから、周囲に対する気遣いはしています。前を走っているクルマの運転手がタバコをポイ捨てしようもんなら注意することだってあるんですからね。マナーを守れないタバコ吸いは自分が愛煙家ながら許せんのですよ。

何事においてもそうですが、マナーを守ることは最低限のルールですし、大切なことなのです。そうじゃないと、何のためのマナーなんだ!ということになっちゃいますからね。
コメント (2)

口の中のへんな物

2009-06-27 04:36:27 | 音楽あれこれ
来る日曜日は我が「歌い方教室」のおさらい会。今週は最後の仕上げのレッスンを行ないました。いや~、生徒さんたちは非常に努力されてまして、驚くほどの仕上がり具合。嬉しい限りです。あとは本番で力が発揮されるといいんですけどねえ。

そのレッスンの中で、ひとりモゴモゴと歌う方がおられました。どんな歌でもそうなんですが、口の中でこもるように歌うのはあまり良いことではありません。歌詞が明確に伝わらないからです。せっかく努力されているのにこれでは聴き映えがしません。そこで、

「もう少し、口を大きく開けて歌ってみたらいいですよ」

とアドヴァイスしました。そして全員のレッスンが終わったのですが、上にも書いたように皆さん上々の仕上がりだったため、時間が余ってしまいました。そこで、「じゃあもう一度歌ってみてください」というわけで、二巡目に。

さて、モゴモゴの人の番になりました。すると歌う曲の楽譜を譜面台に置きながら、おもむろに紙の端を指差したのです。そこには走り書きで

「口の中にへんな物があるので、口を大きく開けられません」

最初は何のことかさっぱりわかりませんでした。まあ、女性なので飴でもなめているのかな、それだと確かに歌いにくいよなと勝手な想像をしていました。でも、その歌を聴いていると、飴をなめているような感じじゃないんです。はて、なんなんだろうか。

歌が終わる頃、ハタと気がつきました。なるほど、そういうことだったのかと。つまりですね、この方は総入れ歯のようなんですよ。だから口を大きく開けられないと「告げた」のです。実際のところはどうなのか知りませんが、本人にすれば、もし口を大きく開けたら入れ歯がパカッと外れてしまうかもしれないと思ったのでしょうね。

それにしても「口の中にへんな物がある」なんていきなり書かれたワシの気持ち、みなさん、わかります? 走り書きを見た瞬間は本当に頭の中に「?」が5個ぐらい浮かびましたよ。でもそれが総入れ歯と判った瞬間あからさまに笑うわけにもいかず、どうリアクションすべきなのか困りました。もしかするとその時ワシの顔はひきつっていたかもしれません。

まあ、とにもかくにも日曜日にはその方を含め、みなさんに頑張っていただきたいんですけどね。
コメント

銀玉おやじ

2009-06-24 04:05:48 | ドライブ関連


前々から気になっていたのがこれです。ここは東急東横線の日吉駅。通路のど真ん中に鎮座ましますのは通称「銀玉」と呼ばれるオブジェです。正式名称は「虚空自像」というらしいのですが制作者や経緯については知りません。

通勤や通学でこの駅を利用されている方ならよくご存知と思いますが、この銀玉はとりわけ存在感があります。何しろ駅の前を通る綱島街道からも、また駅の反対側の商店街から見てもコイツの存在はわかるほどだからです。

気になっていたのにご紹介できなかったのには理由があるんです。しばしば綱島街道を走行する際これを目にしていたのですが、街道沿いには駐車スペースがほとんどありません。そのため停止できずに通過したことが何度もありました。それに早い時間だと周囲に人がいて撮影しているのを見られちゃうでしょ? いやはや、それは何とも恥ずかしいわけですよ。

しかし今回は何とか駐車可能な場所を確保できたため撮影することができたというわけです。

でも、なぜ虚空自像というんでしょうね。虚空とは仏教用語では「すべてのものの存在する空間」を意味します。とすれば虚空自像とは虚空そのものを表す姿ということなのでしょうか。この銀玉おやじが虚空を象徴しているのか?。もしそうなら何だか深いですね。

いや、なぜ疑問に思ったのかというと、虚空「地蔵」でもいいんじゃないかと思ったからです。ことによると、もしかしたら誤植じゃないか…と。地蔵と表記するところを「自像」と打ち込んでしまったのでは…。

あ~、嫌ですね。なんと俗っぽい発想でしょうか。編集者的というか校正者的な目線になってます。

でもですよ、地蔵とはそもそも地蔵菩薩の略ですよね? 地蔵菩薩は釈迦が入滅し、やがて弥勒の世が現れるあいだ人々を教え導く役割を持つ菩薩のこと。ということからすると、一切の存在空間を支配する地蔵菩薩という意味で捉えるなら、虚空地蔵という名称であってもあながち間違いじゃないじゃん、なんて思ったわけです。

もっとも、一般に地蔵さんといえばは右手に錫杖をそして左手に宝珠を持つのがノーマルな形とされています。ところが上のオブジェにはそもそも手がありません。そうか、これだと地蔵必携のアイテムがないではないか。となれば地蔵としての条件を満たさないので失格なんですね。

というわけで、やはりこのオブジェは「自像」が正しいのでしょう。
コメント

耳は大切に!

2009-06-23 18:08:44 | 音楽あれこれ
先日、ある演奏会で同業者と隣り合わせになった時のこと。

「いや~、連日連夜、演奏会で忙しいでしょ?」
「え? どうして?」
「だって、ほら、今シーズンですし…」

確かにこの業界は今演奏会のシーズンです。仕事柄、あちこちのマネジメントから招待状が届きます。それでトランプできるくらい連日届くのです。

この仕事を始めた頃はマネジメントの期待に応えようと、それこそ可能な限りすべての演奏会に行ってました。ほぼ毎日だったかもしれません。でも最近は違います。あまたある演奏会のうち、仕事で行くものを除いて「これは!」というもの以外行かないようにしています。だからシーズンであってもさほど演奏会に出かけることはありません。

なぜそうなのかって? 理由は簡単。耳が疲れるからです。こういう仕事をしてますとね、仕事以外で音楽を聴いても、つい耳は「仕事モード」になってしまいます。思わず真剣に聴いてしまうのです。すると終演後ドッと疲れが出ます。特に素人に毛の生えた程度の演奏だとなおさらです。

そんなこんなで、仕事以外はできるだけ音楽を聴かないようにしているのです。一般の愛好家の方々は楽しむために音楽を聴くのだと思います。それはいいことと思いますし、ワシからすれば羨ましい限り。

よく「ドライヴが好きだね」と言われます。しかし、これは一般の方が音楽を聴いてストレスを発散することをワシの場合はドライヴに置き換えているだけのこと。ワシはプロのドライヴァーじゃありませんから、その意味で純粋に運転を楽しむことができますからね。

もちろん運転中は基本的に音楽を聴きません。仮に聴くとしても仕事とは関係のないジャンルの音楽です。他の同業者はどうか知りませんが、ワシの場合はそうなんです。

いずれにしても、みなさん、耳は大切にしてくださいね。特に若い人たちはヘッドフォンを使って音楽を聴いているのを目にします。それはそれでいいんですよ。

でもね、シャカシャカと音が漏れ聞こえてくるということは本人が実際に聴いている音量は相当デカイはず。音の世界に浸りたいという気持ちはわかります。だけどこれは耳にとっては好ましいことじゃありません。近い将来、難聴になりますよ。かなりの確率で。

それでも聴きたいという方には次のような聴き方をオススメします。可能な限りボリュームを下げて聴くのです。聴こえるか聴こえないかくらいでいいんです。

「え~、そんなのじゃ物足りない」と思うかもしれません。わかりますよ、その気持ち。でもね、音楽を細部にわたってじっくり聴くにはこれが一番良い方法なんです。

ボリュームを下げているから聴こえにくいんでしょ? 実はそこがミソなんです。聴覚というのは不思議なものでしてね、聴こえないなと思うと、なんとか聴き取ろうと聴覚が勝手に感覚を鋭くするようにできているんです。静寂の中で耳を澄ませると虫の声がだんだん聴こえてくるでしょ? それと同じなんです。

こうした聴き方をすれば「耳にも優しい」し、聴こうとしている音楽をよく聴くことができます。耳を大切にしたいと思っているアナタ、ぜひ実践してみてくださいね。
コメント (2)

2つの言葉

2009-06-20 05:15:24 | 脳みその日常
同じ意味のように思えても、微妙にニュアンスの異なる言葉ってありますね。たとえば、

「おひとよし」と「ひとがいい」

それぞれの語は辞書では次のように定義されています。

「おひとよし」
・気がよくて、他人の言うことをすぐに信じたり、引き受けたりするさま。また、そういう性格の人。【大辞林】
・何事も善意にとらえる傾向があり、他人に利用されたりだまされたりしやすいこと。また、そのさまや、そういう人物。【大辞泉】

「ひとがいい」
・人柄が良い。気立てが良い。/お人よしだ。【大辞林】
・人柄がよい。気立てがよくて、他人の言いなりになりがちである。【大辞泉】

どちらの語も相手に対して発するものであり、それと同時にその相手に対する評価が含まれていることがわかります。ただ、注意してみるとその評価が微妙に違うことに気づかれるでしょう。

つまり、「おひとよし」のほうは相手に対して一応は好意的に見ているものの、その相手をいささか見下すようなニュアンスが感じられます。「いい人だけど、ダメだねえ」みたいな…。

一方、「ひとがいい」のほうはというと、相手の人柄の良さのことをかなり評価しつつ、まあマイナス面もあるかなあといったニュアンス。「信じ込みやすい面もあるけど、いい人だよね」といった感じ。

ね、なかなか面白いでしょ?

ところで、ワシが他人からよく言われるのは「おひとよし」のほうが圧倒多数。まず「ひとがいい」なんて言われたことがありません。いえ、別に「おひとよし」と言われても構わないんですよ。第一、ワシは自分で「ひとがいい」なんて思ってないんですから。それに上に記した辞書の定義に当てはまることも多々あるからです。

でも、改めて考えてみると「おひとよし」と言われながら実は自分の中ではそれを「ひとがいい」と都合良く変換して解釈していたようにも思うのです。だから、他人から「おひとよしだねえ」と言われても何も疑うことなくニコニコと「あははは、そうかもね」なんて喜んでいました。

ただ、もし発言した側が「バカだな、コイツ」という意味を込めて「おひとよしだねえ」と言っていたとしたら、ワシは能天気に喜んでいたのですから、それこそ「おひとよし」というわけです。もっとも、「おひとよしだねえ」と発したその人が「おひとよし」と「ひとがいい」のニュアンスの違いがわかった上で発言していたかどうかは不明なんですけどね。

いや~、言葉って、難しいものですね(某映画評論家ふう)
コメント (4)

準備中(笑)

2009-06-19 04:27:55 | 脳みその日常
本日は多忙につき、ブログ休「脳」日とさせていただきます。お詫びといってはなんですが、農村の風景をアップしておきます。しばしの間、これで和んでください。


コメント (2)

たった3円の苦悩

2009-06-18 04:06:19 | 脳みその日常
たまりにたまった書類を整理していましたら「定額給付金」の申請書類が! おっと、こりゃいかん、手続きせねば…。というわけで、免許証とキャッシュ・カードのコピーを取るため近所の文房具店へ。

「えーと、これ(免許証)とこれ(カード)のコピーをしたいんですけど…」
「ああ、定額給付金のやつですね」
「うはっ、なんでわかったんです?」
「そりゃもう…(苦笑)」

店主の話によると、一時期そのためのコピー客が殺到したのだそうです。だからワシの申し出に対してすぐにピンと来たのだとか。興味深いのは同じ用件の客の大半が高齢者という事実。

「でも、なぜ高齢者ばかりが?」
「今はどこのコンピニにもコピー機がありますよね?」
「ええ」
「でも、高齢者はコピー機の使い方がわからないんですよ」
「ほぅ…」
「その点、ウチはコピーしてあげられますからね」
「なるほど! それでですか」

もっとも、この店に客が集まるのには他に理由があります。ほとんどのコンビニはコピー1枚10円だと思いますが、ここは1枚7円なんです。自分でコピー機を操作しても店に頼んでも7円。たった3円のことですが、庶民はこの3円節約のために集まるんですね。

「いや~、定額給付金サマサマですね」
「う~ん、それはまあ、いいんですけど…」
「何かあったんですか?」
「ええ、実はお釣りがね…」

ここは個人経営の小さな店。そこへ一気に800人も来たらどうなると思いますか? たった1枚のコピーのために。そうです、800人分のお釣り、すなわち単純計算して2,400枚の1円玉を用意しなくちゃいけなくなったというわけです。

もちろん実際にはもっと少ない枚数で事足りたのでしょうけど、その時店主はお釣りが用意できなくて文字通りアタフタしたのだとか。たった3円なのにそれが工面できないのですからね。そりゃ誰だって慌てるでしょう。

こういった話を聞くと、政治というのは我々の生活に意外な影響を与えたりするもんだなあと思ったりします。たとえそれがちょっとしたことでもね。
コメント (4)

ココアにんにく?

2009-06-17 05:37:54 | 脳みその日常
テレビやラジオで耳にするこの会社。ご存知の通り食品を扱っているので商品リストを見てみましたが、ありません。え、何がって?

ココアにんにく

ですよ。最初はね、ココア風味のにんにくなのかなと思いました。まあね、確かににんにくのニオイって強烈ですから、それを消すためにココア・フレーバーのコーティングをしてるんだろうなと想像したわけです。

でも、違ってました。「ココアにんにく」なんて商品はないんです。なぜないんだろうと思ったら、それは単なる電話番号の語呂合わせだったんですねえ。ココアではなく「ここは」ということらしい。

いや~、先入観かもしれませんが、流れてくるフレーズは「ココア~にんにく、○○○○」としかワシには聞こえません。その音が高音なので「ここは」の「は」が「ア」にも聞こえるのです。

耳鼻科に行ったほうがいいですか?(笑)


【企業宣伝じゃないので、企業名は伏せ字にしてあります】
コメント (2)

不要な個人的見解

2009-06-16 04:50:13 | 脳みその日常
報道番組は世の中の動きがわかるので、よく見ています。でも、どうにも気に入らないのはキャスターと称する人々。個別に誰が好きとか嫌いということじゃありません。この人たちのスタンスは一体なんなのだろうと思うのです。

そもそもキャスターを務める人たちというのは現役のアナウンサーか元アナウンサーと相場が決まっています。それはまあいいんですけど、首を傾げてしまうのはこの人たちが個々の話題で自らの意見を主張することなんです。ん? これは報道番組であって意見番組じゃないですよね。

報道番組ならば、世の中の事件や話題をそのまま伝えるだけで良いのです。「いつどこで、こんなことがありましたよ、あんなことが起きましたよ」でいいんです。もしその内容がわかりにくければ事件の背景を補足説明してもらえばいいのです。時々専門家を呼んで話を聞いていますが、それでいいんです。

ところが、キャスターという人たちはなぜか知りませんが、そのあと自分の考えを言おうとします。いや、アナタの意見は別に視聴者は求めてませんから…。

この種の番組にはよくコメンテーターという人たちも登場します。この人たちの存在も時に理解に苦しむところです。専門家でもないのに、なぜコメントするのだろう、いや、なぜコメントできるのだろう。たまにトンチンカンなコメントを耳にしますが、それはホント、恥ずかしいことですね。知らないのであれば言わなければいいのにとよく思うことがあります。

言論の自由が保障されているのですから自分がどう主張するかは自由です。でも、報道することをメインとする番組であれば、出演者の意見なんて実は不要なんです。なのにキャスターやコメンテーターは訳知り顔で自説を述べます。いったいどういう神経なんでしょうね。

たぶん彼らは「我々の主張が社会をリードしているぞ」みたいに思っているのかもしれません。もしそうだとしたら、それは大きな勘違いですし、もしそうした主張に視聴者が影響されるのであれば番組の責任は重大です。下手をすれば世論をミスリードしかねないからです。

となれば、視聴者の側が「防御策」を考えるしかありません。幸い近年はネットの普及で視聴者は賢くなってきました。メディアがこっそり流す「まやかし」を見抜く目が養われてきたように思います。それでもメディアの社会に及ぼす影響力は計り知れません。だから情報を受け取る側としては専門家でもない彼らの意見に左右されることなく、必要な情報だけを知るように努めるのが望ましいということなのでしょうね。
コメント

埋もれていた記憶

2009-06-15 04:09:28 | 脳みその日常
このブロクのタイトルに「脳みそ」とあるのに、ワシは自分の脳みそについてさっぱり把握できていません。もちろんワシは脳外科医ではありませんから、把握できないのも当然なんですけどね。

いや、そういう意味で把握できないといっているのではありません。今回の内容は自分の脳みその不可思議な記憶メカニズムに心底驚いたというお話です。

中年になってくると、物や人の名前が思い出せないのは日常茶飯事。思い出せないのは癪に障りますが、どうやっても思い出せないんですから諦めるしかありません。他の人についてはどうなのか知りませんが、少なくともワシの場合でいうと何かを思い出すには「3の法則」を用いることにしています。つまり即座に思い出せない時は3分待つのです。それでも思い出せなければ30分、さらには3時間…というふうに。

たいがいのことは3時間ほどで思い出せますが、それでも思い出せないと、今度は「思い出そうということ」それ自体を忘れてしまいます。まったく、情けないったらありゃしない。でも、思い出すことそのものを忘れてしまうのですから実際には腹が立つことなく時間が過ぎてゆくんですけどね。なんともはや…

そんな日常を過ごしていた先日、「事件」は起きました。家の中で雑用をしていた時です。まるで何かがひらめいたかのように思い出したんです。

「そうだよ、あの人だ! ○○さんだ!」

つまりは、こういうことです。実は以前書いた「2009年5月13日の記事」の時、その演奏会である人に会釈されたのですが、その人が誰で、どこでお会いした人なのかどうしても思い出せなかったのです。

で、上に書いたように、思い出そうとしているうちに「思い出そうとすること」を忘れてしまいました。注目していただきたいのはその記事の日付です。なんと、これ、ひと月も前のことじゃないですか! それに○○さんとは15年も前に一緒に仕事をして以来会っていなかったこともハッキリと思い出したんですよ。どうなってんでしょうね、ワシの記憶システムは。

突然「ブワッ」とその記憶がよみがえったので、ホント驚きました。あぁ、でも、まだ思い出せるだけ良しとすべきなのかもしれません。そのうち徐々にこのシステムも崩壊していくのでしょうか…。

くわばら、くわばら。
コメント (2)

憩うひととき

2009-06-14 06:04:17 | 脳みその日常


昨日、長年お世話になっている整備工場へ行ってきました。目的はエンジン・オイルの交換なのですが、社長と世間話をするのも行く楽しみのひとつなんです。この会社については過去の記事で何度も触れたので詳細は書きませんが、ワシにとってここは長時間くつろげる唯一の場所。それに、この社長はワシのクルマの主治医でもあり、これまで何度となく助けてもらっています。

それだけでもありがたいのに、最近では訪れるたびに夕食に呼ばれます。今年になってから工場の場所が移転し、同じ敷地内に工場と自宅が一緒になったので「呼ばれる」確率があがりました。申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、申し出を断るのも失礼なので毎回快諾して御馳走になっています。

また、奥様の料理がお世辞抜きで美味い! 総菜屋か小料理店でも充分やっていけますよと言うと、「何言ってるの、バカ!」と叱られます。社長とともに食事をいただくのはもうかなり遅い時間になってから。そのころになると奥様はかなり「できあがって」いるのでそんな発言になるわけです。ですから、まったくもって憎めないキャラなんですよね。

上の写真は工場の前に広がる狭山茶の畑。田舎の雰囲気プンプンですが、これがまたのどかでいいんですよ。
コメント

健康という「状態」を意識する

2009-06-11 05:22:28 | 脳みその日常
みなさん、感謝していることってありますか? ワシは何よりも頑丈な身体で産んでもらったことに対して親に感謝しています。

だいたい若い頃なんて健康であることは当然と思ってました。でも年齢を重ねるにつれて同世代の友人と交わす話といえば、まず病気のことが話題にのぼります。どこが痛いとか具合が悪いとか…。

嫌ですねえ、そんな話で盛り上がるとは。情けないです。だけど年齢的には仕方ないんですよ。否応なしに「老化」を意識せざるを得なくなるんですから。それに実際身体の免疫力や抵抗力も落ちてきますし。

そういう状況にあってですね、唯一ワシが誇れるのは病気をしないことです。これは病気がちの人からすれば羨ましいことかもしれません。もちろん体調の悪い時はあります。熱が出ることもあります。でも寝込むほど悪化することもないし、思い出すだけでもこの30年間は患者として病院に行ったことはありません。

なぜそんなに健康なの? よく訊かれます。でも自分自身理由がわかりません。ただ、思い当たることはあります。

つまり健康である状態を常に意識しているのです。人間の身体というのはさまざまな要素で構成されています。そしてそれぞれの要素が本来はうまい具合に均衡を保っているのです。この状態がいわゆる健康というやつで、そのバランスが少しでも崩れると病気と呼ばれる状態になると考えられます。

この考えが仮に正しいとするなら、健康な状態でいるには広い意味でバランスを崩さぬように注意すればよいわけです。もっとも、先天性の病気や深刻な病気の場合はそんな暢気なことは言ってられませんから、すぐに専門家に診てもらってください。ただ、ここでワシが言いたいのは普段の日常生活において、ちょっと気をつけるだけで健康な状態でいられるという話なんです。

じゃあ、具体的にはどうすればよいのか。ワシがもう20年も前から定期的に実践しているのは「半身浴」です。これは毎回やる必要はありません。なんとなく身体が重いなあとか、体調がイマイチだなあと感じたら行なえばよろしい。

たとえば熱が出ることを考えてみましょう。これは体温を正常に保つ機能が不全の状態になっていることを意味します。ということは、強制的にでも体内に留まっている「熱のもと」を排出させればいいわけですね。「熱のもと」とは簡単に言えば汗のこと。つまり無理矢理でも汗をかけばいいんです。

このとき、汗とともに毒素のようなものも一緒に排出しますから半身浴終了とともに熱は下がり、体内の「バランス」も徐々に整ってきます。半身浴はよほど強烈な病気でない限りたいていの症状に通用する方法です。注意しなければならないのは次の点です。あまりに有名な半身浴ですが正しい方法で実践しないと効果が出ないということ。下手をするとロクに汗すら出てきません。もし実践されるのであれば、やり方をよ~く覚えてから挑戦してみてくださいね。

繰り返しますが、健康な状態でいるためには体内バランスを整えることが重要です。ワシにとっては半身浴が最も効果的な方法ですが、ほかにも良い方法があるかもしれません。ご自分にとって最良の方法があればそれを実践すればよいのです。

さあ、みなさん、健康な毎日を送りましょうね。
コメント (4)

緑を浴びに行く

2009-06-10 03:54:43 | ドライブ関連
さてさて、深夜に徘徊してばかりだと太陽エネルギーが欠乏してしまいます。そこで、たまには日がのぼっている時間に郊外へ出てみました。この日はあまり天気に恵まれなかったので鮮やかな色彩というわけにはいきませんでしたが、緑を満喫。写真は中央道の小淵沢インターにほど近い八ヶ岳牧場付近で撮影したものです。



上の写真は牧場を背にして撮ったもの。涼しげな感じが伝わりますか?



これは牧場を右に見て八ヶ岳高原ラインに向かって撮ったものです。つまり前方が上り坂となります。



ラストの写真は回れ右をして牧場を左に見ながら下り坂を撮影したもの。

いずれも早朝に撮った写真です。天気はイマイチだったものの、たくさん緑を吸収できました。これでまた安心して深夜のモグラ族に戻れます。
コメント (4)