どーも、ワシです。えー、昨日の記事に載せた竜神橋から上流側を見たらですね、何やら立派な堰堤が! これは何でしょうね。早速行ってみることに。
竜神橋を渡って玉川の右岸からアクセスしてみます。どうやら砂防堰堤のようです。
堰堤の横から見た様子。
堰堤本体に嵌め込まれたプレート。「玉川第六砂防ダム」とあり、1975年10月に築造されたもののようです。でも高さが11.0mなのでダムの定義上からすると砂防堰堤になります。住所は山形県東田川郡庄内町立谷沢西山。
堰堤の中央に来ました。流水部はこんな感じ。
そこから見た上流側の景色です。
一方、下流側はこんな感じ。あちらに見える橋が竜神橋です。
堰堤中央から右岸を見るとこんな感じ。
堰堤の上面。単なるコンクリートの打ちっぱなしでないのは職人仕事という感じがしますね。
右岸から堰堤の下に降りる道があるので行ってみると、途中には「砂防発祥之碑」と刻まれた石碑や、
「黙而雄」と題された石碑。裏側の説明によると、これは元最上川水系砂防工事事務所公務課長だった倉上靖が1952年11月に転勤で同地を去る際に残した言葉だそうです。倉上はこの玉川が下流で合流する立谷沢川(たちやざわがわ)の砂防に関わった人物。「黙而雄」は文字通り読めば「もくしてゆう」なのでしょうが、その意味は「黙々として与えられた仕事を果たす」。しかしこの石碑はオリジナルではなく、元々は立谷沢川にある瀬場堰堤石碑の背面に刻まれたものだそう(参考)。
堰堤の下に来ました。そこには「立谷沢川の龍神信仰」と題する案内板。なぜ龍神を信仰するかというと、月山の奥深いところに龍神様が住んでいるという言い伝えがあり、立谷沢川が洪水を起こすたびに龍神様へ祈りを捧げていたそうな。なるほど、それで竜神橋の装飾が竜ざんまいなのも納得です。ん〜、でも1つ疑問が。「立谷沢川の龍神信仰」を説明するのならこの案内板は立谷沢川沿いに建てればいいのに、なぜここに? 立谷沢川に合流するとはいえ、ここは玉川なんですけどー。
それはさておき、堰堤には一対の竜神が描かれています。作者は案内板にあるように庄内町出身の秋葉玲。この人のプロフィールは不明ですが、同町の清川公民館建設20周年記念事業として1999年3月に制作された紙芝居『清河八郎』の絵を担当しています(参考)。清河八郎(1830-1863)は江戸幕末の庄内藩出身の志士で、尊王攘夷の思想から倒幕運動を唱えるため諸国を歴訪し浪士組を結成するなどして明治維新の一翼を担ったことで知られています。
で、話を戻しましょう。堰堤の右岸側に描かれているのがこちら。
左岸側のはこれ。
まあ、なんだかんだ書きましたが、1つの砂防堰堤でこれだけ見どころがあるのも珍しいかもしれません。また、石碑「黙而雄」に関係のある瀬場堰堤は近くにありそうなので訪ねてみようと思います。
それはそうと、ここが「第六」ならば「第一」から「第五」もきっとあるんだろうなぁ…いやぁ、深追いはやめておきましょう。キリがありませんからね。
竜神橋を渡って玉川の右岸からアクセスしてみます。どうやら砂防堰堤のようです。
堰堤の横から見た様子。
堰堤本体に嵌め込まれたプレート。「玉川第六砂防ダム」とあり、1975年10月に築造されたもののようです。でも高さが11.0mなのでダムの定義上からすると砂防堰堤になります。住所は山形県東田川郡庄内町立谷沢西山。
堰堤の中央に来ました。流水部はこんな感じ。
そこから見た上流側の景色です。
一方、下流側はこんな感じ。あちらに見える橋が竜神橋です。
堰堤中央から右岸を見るとこんな感じ。
堰堤の上面。単なるコンクリートの打ちっぱなしでないのは職人仕事という感じがしますね。
右岸から堰堤の下に降りる道があるので行ってみると、途中には「砂防発祥之碑」と刻まれた石碑や、
「黙而雄」と題された石碑。裏側の説明によると、これは元最上川水系砂防工事事務所公務課長だった倉上靖が1952年11月に転勤で同地を去る際に残した言葉だそうです。倉上はこの玉川が下流で合流する立谷沢川(たちやざわがわ)の砂防に関わった人物。「黙而雄」は文字通り読めば「もくしてゆう」なのでしょうが、その意味は「黙々として与えられた仕事を果たす」。しかしこの石碑はオリジナルではなく、元々は立谷沢川にある瀬場堰堤石碑の背面に刻まれたものだそう(参考)。
堰堤の下に来ました。そこには「立谷沢川の龍神信仰」と題する案内板。なぜ龍神を信仰するかというと、月山の奥深いところに龍神様が住んでいるという言い伝えがあり、立谷沢川が洪水を起こすたびに龍神様へ祈りを捧げていたそうな。なるほど、それで竜神橋の装飾が竜ざんまいなのも納得です。ん〜、でも1つ疑問が。「立谷沢川の龍神信仰」を説明するのならこの案内板は立谷沢川沿いに建てればいいのに、なぜここに? 立谷沢川に合流するとはいえ、ここは玉川なんですけどー。
それはさておき、堰堤には一対の竜神が描かれています。作者は案内板にあるように庄内町出身の秋葉玲。この人のプロフィールは不明ですが、同町の清川公民館建設20周年記念事業として1999年3月に制作された紙芝居『清河八郎』の絵を担当しています(参考)。清河八郎(1830-1863)は江戸幕末の庄内藩出身の志士で、尊王攘夷の思想から倒幕運動を唱えるため諸国を歴訪し浪士組を結成するなどして明治維新の一翼を担ったことで知られています。
で、話を戻しましょう。堰堤の右岸側に描かれているのがこちら。
左岸側のはこれ。
まあ、なんだかんだ書きましたが、1つの砂防堰堤でこれだけ見どころがあるのも珍しいかもしれません。また、石碑「黙而雄」に関係のある瀬場堰堤は近くにありそうなので訪ねてみようと思います。
それはそうと、ここが「第六」ならば「第一」から「第五」もきっとあるんだろうなぁ…いやぁ、深追いはやめておきましょう。キリがありませんからね。
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