どーも、ワシです。今回は山形県鶴岡市羽黒町川代(はぐろまちかわだい)にある最上川水系の三又(みつまた)ダムを訪れます。アクセスは県道211号を進み、月山高原牧場方面へ曲がるとすぐに叶宮橋(かのみやばし)があり、目的のダムはその近くです。
まずは京田川(きょうでんがわ)に架かる叶宮橋から見た「ご尊顔」をご覧ください。左岸側に洪水吐があるんですね。
【京田川の由来】
珍しい名称なので、その由来を調べてみました。「京田」には4つほどの説があり、1つは寺院に寄進された供田が転訛した説、2つ目は大泉氏(武藤氏)から与えられた田(給田)が転訛して京田となった説、3つ目は大般若経などの節会の費用を捻出するための田(経田)という説、4つ目は京都が資本を投入して開発した田という説
(参考)。
このうちのどれかが正解なのでしょうが、いずれにせよその付近に流れる川なので「京田川」と命名されたものと思われます。なお、京田川は別名「祓川(はらいがわ)」とも呼ばれますが、それは近くにある修験道の霊山、羽黒山(はぐろさん:414m)へ参拝する者がまだ山頂まで車道がなかった頃、この川で身を清めてから山へ登ったというところから命名されたそうな(参考)。
さて、叶宮橋を渡ると広い駐車場があるので、クルマはそこへ停めます。その隅には案内板が。ここは月山山麓地区だそうです。
そこからダムへは歩いていきます。ダムへ向かう道の入口には三又ダムの概要と諸元を記した案内板があります。それによれば当該ダムは1977年に完成とのこと。
そこからダムへ向かいます。
これがダム上。進んでみましょう。
先ほど確認したように左岸側に洪水吐があります。増水時、水はここから溢れ出て、
この水路からあちらへ流れてゆきます。
ダム上、中央から見た貯水側の様子。
同、下流側の景色です。遠くに見えるのが叶宮橋です。
対岸(右岸)へ来ました。振り返るとこんな感じ。
で、管理所のようなものはないのかな? キョロキョロすると左岸の高い場所にそれらしき建物が。しかし、それを示すプレートはありませんでした。
その近くには「水神」と刻まれた石碑。裏には1977年10月吉日に建立されたとあります。
そこからダムを見下ろすとこんな感じ。
ところで、三又ダムの名称は何に由来するんでしょうか。地名でもなさそうだし、それについて説明したサイトも見つかりませんでした。で、改めて地図を見たらなんとなく答えがわかりました。つまりダムのある場所には京田川だけでなく他に2つの川が合流して貯水湖が形成されているんです。その形はまるで鳥の足のよう。それが三又のように見えるところから三又ダムと命名されたんじゃないでしょうか。たぶん。
余談ですが、叶宮橋の名称は月山高原牧場内にある叶宮神社に由来すると思われます。ちなみに同神社は猿田彦大神が祀られていて、出産、安産のご利益があるパワースポットらしいです(参考)。
まずは京田川(きょうでんがわ)に架かる叶宮橋から見た「ご尊顔」をご覧ください。左岸側に洪水吐があるんですね。
【京田川の由来】
珍しい名称なので、その由来を調べてみました。「京田」には4つほどの説があり、1つは寺院に寄進された供田が転訛した説、2つ目は大泉氏(武藤氏)から与えられた田(給田)が転訛して京田となった説、3つ目は大般若経などの節会の費用を捻出するための田(経田)という説、4つ目は京都が資本を投入して開発した田という説
(参考)。
このうちのどれかが正解なのでしょうが、いずれにせよその付近に流れる川なので「京田川」と命名されたものと思われます。なお、京田川は別名「祓川(はらいがわ)」とも呼ばれますが、それは近くにある修験道の霊山、羽黒山(はぐろさん:414m)へ参拝する者がまだ山頂まで車道がなかった頃、この川で身を清めてから山へ登ったというところから命名されたそうな(参考)。
さて、叶宮橋を渡ると広い駐車場があるので、クルマはそこへ停めます。その隅には案内板が。ここは月山山麓地区だそうです。
そこからダムへは歩いていきます。ダムへ向かう道の入口には三又ダムの概要と諸元を記した案内板があります。それによれば当該ダムは1977年に完成とのこと。
そこからダムへ向かいます。
これがダム上。進んでみましょう。
先ほど確認したように左岸側に洪水吐があります。増水時、水はここから溢れ出て、
この水路からあちらへ流れてゆきます。
ダム上、中央から見た貯水側の様子。
同、下流側の景色です。遠くに見えるのが叶宮橋です。
対岸(右岸)へ来ました。振り返るとこんな感じ。
で、管理所のようなものはないのかな? キョロキョロすると左岸の高い場所にそれらしき建物が。しかし、それを示すプレートはありませんでした。
その近くには「水神」と刻まれた石碑。裏には1977年10月吉日に建立されたとあります。
そこからダムを見下ろすとこんな感じ。
ところで、三又ダムの名称は何に由来するんでしょうか。地名でもなさそうだし、それについて説明したサイトも見つかりませんでした。で、改めて地図を見たらなんとなく答えがわかりました。つまりダムのある場所には京田川だけでなく他に2つの川が合流して貯水湖が形成されているんです。その形はまるで鳥の足のよう。それが三又のように見えるところから三又ダムと命名されたんじゃないでしょうか。たぶん。
余談ですが、叶宮橋の名称は月山高原牧場内にある叶宮神社に由来すると思われます。ちなみに同神社は猿田彦大神が祀られていて、出産、安産のご利益があるパワースポットらしいです(参考)。
どーも、ワシです。えー、今回は山形県尾花沢市銀山新畑(ぎんざんしんはた)にある最上川水系の銀山川ダムを目指します。アクセスは県道188号から脇道を降りていくと到着。
これですね。
ダムへさらに近づくべく道を下っていくと、まず目に止まるのがこの建物。見張所のようですが、それらしき看板はありません。
その建物の壁に貼られているこのプレート。水利使用標識に似ていますが従来のフォーマットではありませんね。ちなみに記されている住所は山形県庁のものです。
その建物からダムを見るとこんな感じ。越流式の洪水吐が見えます。コンクリートの感じからして年季の入ったダムのようですね。
貯水側の「底」です。この時期には水が少ないのでしょうか。
ダム本体に嵌め込まれた「銀山川ダム」のプレート。いや〜、シブいね。
同じく、「1964年3月竣功」のプレート。あら〜、57年前に築造されたんですね。そりゃ古いわけだわぁ。
これがダム上。特に立入禁止の表示がないので歩いてみます。
上流側の景色です。小さな堰堤(床固工?)が複数見えますね。
ダムの真下はこんな感じ。
そして下流側の遠景。銀山川はこのずっと先で丹生川に合流します。
対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。朱色のペンキが周囲の緑といい感じで調和しています。
上の写真を見るとわかると思いますが、県道188号はダムよりも少し高いところを通っているのでその入口はわかりにくいです。特に看板もないし。
これですね。
ダムへさらに近づくべく道を下っていくと、まず目に止まるのがこの建物。見張所のようですが、それらしき看板はありません。
その建物の壁に貼られているこのプレート。水利使用標識に似ていますが従来のフォーマットではありませんね。ちなみに記されている住所は山形県庁のものです。
その建物からダムを見るとこんな感じ。越流式の洪水吐が見えます。コンクリートの感じからして年季の入ったダムのようですね。
貯水側の「底」です。この時期には水が少ないのでしょうか。
ダム本体に嵌め込まれた「銀山川ダム」のプレート。いや〜、シブいね。
同じく、「1964年3月竣功」のプレート。あら〜、57年前に築造されたんですね。そりゃ古いわけだわぁ。
これがダム上。特に立入禁止の表示がないので歩いてみます。
上流側の景色です。小さな堰堤(床固工?)が複数見えますね。
ダムの真下はこんな感じ。
そして下流側の遠景。銀山川はこのずっと先で丹生川に合流します。
対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。朱色のペンキが周囲の緑といい感じで調和しています。
上の写真を見るとわかると思いますが、県道188号はダムよりも少し高いところを通っているのでその入口はわかりにくいです。特に看板もないし。
どーも、ワシです。さて、今回は山形県尾花沢市鶴子にある最上川水系の新鶴子ダムに向かいます。アクセスは国道347号から県道29号に入り、しばらく行ってから県道301号を左折し丹生川(にゅうがわ)に沿って進めば到着します。ちなみに丹生川と呼ばれる川は全国にあり、その由来については以前書いたコチラの記事で説明していますので興味のある方はご覧ください。
で、県道301号を進んでくると、見えてきました。あれですね。右岸側に洪水吐があるのが見えます。
左岸のダム横に来ました。なかなか立派なロックフィルダムです。
まず目にしたのが新鶴子ダムの案内図。
貯水湖側には「平成の湖」と刻まれた石碑。これが貯水湖名のようです。ダムは1974年に工事を着工し、幾多の困難を乗り越えて1990年3月に完成したと書かれています。
新鶴子ダム周辺の村山北部土地改良事業案内図。
左岸、「平成の湖」側から見たダムの様子。
これがダム上。さあ、歩いてみましょう…と思いきや、
関係者以外立入禁止とな! たは〜っ。
仕方がないので、その場所から見た「平成の湖」の様子を撮りました。写真左端に見えるクリーム色の建物が管理所と思われます。
一方、下流側はこんな景色です。ダムの高さが96mなので、見晴らしは最高!
ダム名が「新鶴子」なんですが、「旧鶴子ダム」もしくは「鶴子ダム」ってえのはないんでしょうか。元がなくて、いきなり「新」というのもどうかと思うんですが…。
そんなことを思いながら調べていくと命名の理由が判明! どうやらこのダムが建設されたことにより、それ以前に丹生川を堰き止めて作られていた「丹生川ダム」(1959年竣工)が水没。この丹生川ダムの別名が「鶴子ダム」だったことから新たに作られたこのダムの名称は「新鶴子ダム」になったようです。(参考1)(参考2)
なるほど、そうだよなあ。そうじゃないとおかしいもんね。あ〜、スッキリした。
で、県道301号を進んでくると、見えてきました。あれですね。右岸側に洪水吐があるのが見えます。
左岸のダム横に来ました。なかなか立派なロックフィルダムです。
まず目にしたのが新鶴子ダムの案内図。
貯水湖側には「平成の湖」と刻まれた石碑。これが貯水湖名のようです。ダムは1974年に工事を着工し、幾多の困難を乗り越えて1990年3月に完成したと書かれています。
新鶴子ダム周辺の村山北部土地改良事業案内図。
左岸、「平成の湖」側から見たダムの様子。
これがダム上。さあ、歩いてみましょう…と思いきや、
関係者以外立入禁止とな! たは〜っ。
仕方がないので、その場所から見た「平成の湖」の様子を撮りました。写真左端に見えるクリーム色の建物が管理所と思われます。
一方、下流側はこんな景色です。ダムの高さが96mなので、見晴らしは最高!
ダム名が「新鶴子」なんですが、「旧鶴子ダム」もしくは「鶴子ダム」ってえのはないんでしょうか。元がなくて、いきなり「新」というのもどうかと思うんですが…。
そんなことを思いながら調べていくと命名の理由が判明! どうやらこのダムが建設されたことにより、それ以前に丹生川を堰き止めて作られていた「丹生川ダム」(1959年竣工)が水没。この丹生川ダムの別名が「鶴子ダム」だったことから新たに作られたこのダムの名称は「新鶴子ダム」になったようです。(参考1)(参考2)
なるほど、そうだよなあ。そうじゃないとおかしいもんね。あ〜、スッキリした。
どーも、ワシです。今回はグーグル先生の地図に載っている最上川水系の塔の沢ダム(山形県村山市湯野沢)へ向かいます。アクセスは富本(ふもと)郵便局の近くにある長松院を目指し、その辺りから登って行くと到着します。ただし、途中から未舗装の細い道になるので要注意。
クネクネした道の先に現われました。これですね。立派なアースダムです。
左岸、ダム横に来ました。目の前には大きな石碑。題名は「県営白石山地区老朽溜池等整備事業 竣工記念碑」とあります。その内容を要約すると、白石山溜池は明治末期から築造開始。昭和9年(1934年)の大凶作を契機に貯水量を増やす計画を立てる。翌10年(1935年)から工事に着手。昭和58年(1983年)に溜池整備事業は採択。完了は平成3年度(1991年)。
あれれれ、ここは塔の沢ダムでなく、白石山溜池なの? 最初の完成はいつなんでしょうか。また昭和初期の工事が完了したのはいつ? う〜ん、なんだか不親切な内容だなぁ。そもそもこの碑文に「塔の沢」の文字が出てこないのはなぜ?
まあ、いいや。とにかく石碑のあるところから見たダム上の様子をどうぞ。
これがダム上になります。歩いてみましょう。
ダム上、中央から見た貯水側の様子です。
同、下流側はこんな感じ。
右岸側には洪水吐があります。
これがその水路。
対岸(右岸)へ来ました。振り返るとこんな感じ。
洪水吐近くから見たダム上。
右岸、下流側から見た様子。
最初に書いたようにグーグル先生の地図には当たり前のようにここが塔の沢ダムと記されています。でも現場にはそれを示すものが全くありません。あるのは「白石山溜池」の文字のみ。従って、ここでは現場の記述を優先したいと思います。
ただね、この場所から直線距離にして1.6kmほど北に溜池らしきものがあり、グーグル先生はそれを「白石山ダム」と記しているんですよね。だけど残念なことにここへ行く道が見当たらない。少なくともクルマでは行けない場所なので確認のしようがありませんでした。
クネクネした道の先に現われました。これですね。立派なアースダムです。
左岸、ダム横に来ました。目の前には大きな石碑。題名は「県営白石山地区老朽溜池等整備事業 竣工記念碑」とあります。その内容を要約すると、白石山溜池は明治末期から築造開始。昭和9年(1934年)の大凶作を契機に貯水量を増やす計画を立てる。翌10年(1935年)から工事に着手。昭和58年(1983年)に溜池整備事業は採択。完了は平成3年度(1991年)。
あれれれ、ここは塔の沢ダムでなく、白石山溜池なの? 最初の完成はいつなんでしょうか。また昭和初期の工事が完了したのはいつ? う〜ん、なんだか不親切な内容だなぁ。そもそもこの碑文に「塔の沢」の文字が出てこないのはなぜ?
まあ、いいや。とにかく石碑のあるところから見たダム上の様子をどうぞ。
これがダム上になります。歩いてみましょう。
ダム上、中央から見た貯水側の様子です。
同、下流側はこんな感じ。
右岸側には洪水吐があります。
これがその水路。
対岸(右岸)へ来ました。振り返るとこんな感じ。
洪水吐近くから見たダム上。
右岸、下流側から見た様子。
最初に書いたようにグーグル先生の地図には当たり前のようにここが塔の沢ダムと記されています。でも現場にはそれを示すものが全くありません。あるのは「白石山溜池」の文字のみ。従って、ここでは現場の記述を優先したいと思います。
ただね、この場所から直線距離にして1.6kmほど北に溜池らしきものがあり、グーグル先生はそれを「白石山ダム」と記しているんですよね。だけど残念なことにここへ行く道が見当たらない。少なくともクルマでは行けない場所なので確認のしようがありませんでした。
どーも、ワシです。今回は山形県西村山郡河北町(かほくちょう)岩木にある最上川水系の引竜(ひきりゅう)第二溜池(ダム)を訪れます。アクセスは県道285号から法師川に沿って登って行くと到着します。
これが「ご尊顔」。溜池の下は公園になっています。
その名も「引竜交流広場」。
左岸側には洪水吐の排水路があり、増水時にはこの水路を通って、
あちらへ流れてゆきます。
これが、いわゆるダム上です。行こうとしたらロープが張ってあったので諦めました。
そこで右岸から貯水湖を眺めてみます。写真中央左側に見えるのが取水塔、そして同じく右側に見えるのが洪水吐です。
同じ場所から下流側を見るとこんな感じ。これが先ほどの「引竜交流広場」です。シンプルでスッキリした印象。
ダム横には「引竜第二溜池竣工記念碑」。比較的新しいもののようですね。「山形県知事 高橋和雄」とあるので記念碑は彼の在職中である1993年から2005年の間に建立されたものと思われます。石碑の裏を見れば書いてあったのかもしれませんが、うっかり見忘れました。てへ。
その隣には「水徳悠久」と題された石碑。こちらが元々の竣工記念碑と思われます。最初の名称は「引龍第二貯水池」だったんですね。建設の経緯は以下の通り。
古来より法師川は村民にとって大切な水源であった。しかしその水量は乏しく、日照りが続くと周辺田畑では旱害に悩まされてきた。そこで法師川を堰き止めてこの貯水池が建設されたのだが、実は戦時食糧増産の国策に乗じて企てられたもので、1943年12月に着工する。戦時中の工事は青年学徒を中心とする勤労隊が行なっていたが戦後は物資の調達が困難だったり物価が高騰したため工事を中断せざるを得ない事態となった。しかし地元の受益者たちが立ち上がり工事を続行したことで貯水池の完成に至ったという。貯水池の完成はおそらく1952年前半と思われます。
この近くにある建物は寒河江川土地改良区が管理するもののようですが見張所でしょうか。
ここは「第二」なんですが「第一」はどこだろうと調べてみると、どうやらこの建物の向こうの道を登っていったところにあるようです。今回は行きませんでしたが。ただひとつわからないのは「引竜」の名称の由来です。この辺りの地名でもなさそうだし…。あー、また悩みが増えちゃったよ〜。
これが「ご尊顔」。溜池の下は公園になっています。
その名も「引竜交流広場」。
左岸側には洪水吐の排水路があり、増水時にはこの水路を通って、
あちらへ流れてゆきます。
これが、いわゆるダム上です。行こうとしたらロープが張ってあったので諦めました。
そこで右岸から貯水湖を眺めてみます。写真中央左側に見えるのが取水塔、そして同じく右側に見えるのが洪水吐です。
同じ場所から下流側を見るとこんな感じ。これが先ほどの「引竜交流広場」です。シンプルでスッキリした印象。
ダム横には「引竜第二溜池竣工記念碑」。比較的新しいもののようですね。「山形県知事 高橋和雄」とあるので記念碑は彼の在職中である1993年から2005年の間に建立されたものと思われます。石碑の裏を見れば書いてあったのかもしれませんが、うっかり見忘れました。てへ。
その隣には「水徳悠久」と題された石碑。こちらが元々の竣工記念碑と思われます。最初の名称は「引龍第二貯水池」だったんですね。建設の経緯は以下の通り。
古来より法師川は村民にとって大切な水源であった。しかしその水量は乏しく、日照りが続くと周辺田畑では旱害に悩まされてきた。そこで法師川を堰き止めてこの貯水池が建設されたのだが、実は戦時食糧増産の国策に乗じて企てられたもので、1943年12月に着工する。戦時中の工事は青年学徒を中心とする勤労隊が行なっていたが戦後は物資の調達が困難だったり物価が高騰したため工事を中断せざるを得ない事態となった。しかし地元の受益者たちが立ち上がり工事を続行したことで貯水池の完成に至ったという。貯水池の完成はおそらく1952年前半と思われます。
この近くにある建物は寒河江川土地改良区が管理するもののようですが見張所でしょうか。
ここは「第二」なんですが「第一」はどこだろうと調べてみると、どうやらこの建物の向こうの道を登っていったところにあるようです。今回は行きませんでしたが。ただひとつわからないのは「引竜」の名称の由来です。この辺りの地名でもなさそうだし…。あー、また悩みが増えちゃったよ〜。
どーも、ワシです。えー、今回は山形県東根市(ひがしねし)にある最上川水系の一の沢ダムを目指します。アクセスは県道29号沿いにある東根一日町(ひといちまち)郵便局付近で白水川に合流する日塔川(にっとうがわ)の左岸に沿って遡って行くと到着します。
で、到着したはいいんですが、なんと現在改修工事中。工事は今年の11月30日まで続くようです。
訪れた日、現場にはなんとなく緊張感が漂っていて長居できる雰囲気ではありませんでした。下の写真で工事用資材がある場所がダム上。写真中央にある石碑は「記念碑」。これによると、元々の名称は「一の澤溜池」で、旱害から守るための補給水源として1953年に工事着手し、1965年3月に完成したと記されています。
その横には「殉難者之碑」。おそらくその溜池建設中に亡くなったと思われる2名の慰霊碑と思われます。興味深いのは通常の慰霊碑では俗名が刻まれるのですが、ここでは戒名になっている点です。
ちなみに一の沢ダムと同名のダムは北海道に2つ(札幌市南区、岩見沢市)あるようです。
で、到着したはいいんですが、なんと現在改修工事中。工事は今年の11月30日まで続くようです。
訪れた日、現場にはなんとなく緊張感が漂っていて長居できる雰囲気ではありませんでした。下の写真で工事用資材がある場所がダム上。写真中央にある石碑は「記念碑」。これによると、元々の名称は「一の澤溜池」で、旱害から守るための補給水源として1953年に工事着手し、1965年3月に完成したと記されています。
その横には「殉難者之碑」。おそらくその溜池建設中に亡くなったと思われる2名の慰霊碑と思われます。興味深いのは通常の慰霊碑では俗名が刻まれるのですが、ここでは戒名になっている点です。
ちなみに一の沢ダムと同名のダムは北海道に2つ(札幌市南区、岩見沢市)あるようです。
どーも、ワシです。今回は山形県東根市泉郷(ひがしねしいずみごう)にある最上川水系の白水川(しろみずがわ)ダムを目指します。アクセスは国道48号沿いにある東根市立高崎小学校(東根市観音寺)付近から村山野川方面へ向かい、さらにそれを越えて進むと白水川にあたるので今度は白水川の左岸に沿って登っていくと目的地の左岸に到着します。
ダム横へ行く前に、まずダム下へ行ってみます。ここのダム下はちょっとした公園になっていてゆったり寛ぐことができます。
白水川ダムは横長なのでダムの真下から撮ると画面に収まりません。
では、ダム横へ行ってみましょう。まず見えてくるのが白水川ダムの管理所の建物。
駐車スペースは貯水側にあるのでダム横を過ぎてから止めます。そこからダムを見るとこんな感じ。
そこから歩いてダム横へ向かいます。すると、草陰に重厚な石造りの案内板が! でも雨や雪に晒されて文字がかすれてしまっています。
それでも、なんとか読んでみましょう。概要説明を要約すると、白水川地域の年間降水量はさほど多くないものの、この地域では短時間に集中して雨が降ることが多いらしい。また降雪も2mにも及ぶことがあるそうな。1904年6月の洪水を契機に白水川の改修工事が行なわれてきましたが、その後水害が度重なり、遂には1969年8月の集中豪雨で堤防が決壊し、家屋と田畑に多大な被害が発生。また1976年には各所で浸水被害があったそうです。その一方で降水量の少ない年には下流の灌水設備が整っていないため旱害が発生しやすく、それが果実生産の不安定な要因になっていたそうな。そこで治水と灌漑用水の確保を目的として1979年に白水川ダムが建設されたとあります。
白水川ダムの目的:洪水調節、流水の正常な機能維持、灌漑用水の供給
諸元表の一部。
近くにはおむすびのような形の岩に嵌め込まれた「白水川ダム」のプレート。
で、ダム上に向かおうとしたらゲートが。立入禁止なのでしょうか。
近づいて見ると車両が進入禁止のマーク。ならば歩行者は良いのかというとゲートに鍵が掛かっていて、いずれにしてもその先に行くことはできません。なんやねん、まったく…。
仕方がないので、その場所(左岸)から見た貯水側の景色を撮ることに。
下流側からダムを見るとこんな感じ。
ダム下には素敵な広場があるんですから、ダム上からの素晴らしい(であろう)眺めも見たかったなぁ。
ダム横へ行く前に、まずダム下へ行ってみます。ここのダム下はちょっとした公園になっていてゆったり寛ぐことができます。
白水川ダムは横長なのでダムの真下から撮ると画面に収まりません。
では、ダム横へ行ってみましょう。まず見えてくるのが白水川ダムの管理所の建物。
駐車スペースは貯水側にあるのでダム横を過ぎてから止めます。そこからダムを見るとこんな感じ。
そこから歩いてダム横へ向かいます。すると、草陰に重厚な石造りの案内板が! でも雨や雪に晒されて文字がかすれてしまっています。
それでも、なんとか読んでみましょう。概要説明を要約すると、白水川地域の年間降水量はさほど多くないものの、この地域では短時間に集中して雨が降ることが多いらしい。また降雪も2mにも及ぶことがあるそうな。1904年6月の洪水を契機に白水川の改修工事が行なわれてきましたが、その後水害が度重なり、遂には1969年8月の集中豪雨で堤防が決壊し、家屋と田畑に多大な被害が発生。また1976年には各所で浸水被害があったそうです。その一方で降水量の少ない年には下流の灌水設備が整っていないため旱害が発生しやすく、それが果実生産の不安定な要因になっていたそうな。そこで治水と灌漑用水の確保を目的として1979年に白水川ダムが建設されたとあります。
白水川ダムの目的:洪水調節、流水の正常な機能維持、灌漑用水の供給
諸元表の一部。
近くにはおむすびのような形の岩に嵌め込まれた「白水川ダム」のプレート。
で、ダム上に向かおうとしたらゲートが。立入禁止なのでしょうか。
近づいて見ると車両が進入禁止のマーク。ならば歩行者は良いのかというとゲートに鍵が掛かっていて、いずれにしてもその先に行くことはできません。なんやねん、まったく…。
仕方がないので、その場所(左岸)から見た貯水側の景色を撮ることに。
下流側からダムを見るとこんな感じ。
ダム下には素敵な広場があるんですから、ダム上からの素晴らしい(であろう)眺めも見たかったなぁ。
どーも、ワシです。昨日の留山川(とめやまがわ)ダムの記事で、その上流の桜広場地区にもダムがありそうということがわかったので留山川ダムの左岸沿いの細い道を進んできました。念のためグーグル先生の地図で確認してみると、そこには「留山川第一ダム」というのがあるらしい。へぇ〜、そうなのか。
ダム横と思われる場所に来ました。するとそこには次のように記された石碑が。
留山川荒廃砂防工事
留山第四ダム
着工 1975年6月
完成 1979年3月
形状 H=16.50m L=90.0m
山形県土木部
施工 渋谷建設KK
いやいやいやいや、グーグル先生、違っとるやないかい!
まあ、いいや。とりあえずダム上に行ってみましょう…というわけで向かってみると。
「この先 蜂の巣あり 通行注意」
さすがにこれは躊躇しました。冬場ならともかく、この日の服装は半袖のTシャツだったので万一刺されたらえらいことになる。シャレにならんし…。
それにしても、グーグル先生は何を根拠にここを「留山川第一ダム」としたのでしょうか。意味がわからん。
ダム横と思われる場所に来ました。するとそこには次のように記された石碑が。
留山川荒廃砂防工事
留山第四ダム
着工 1975年6月
完成 1979年3月
形状 H=16.50m L=90.0m
山形県土木部
施工 渋谷建設KK
いやいやいやいや、グーグル先生、違っとるやないかい!
まあ、いいや。とりあえずダム上に行ってみましょう…というわけで向かってみると。
「この先 蜂の巣あり 通行注意」
さすがにこれは躊躇しました。冬場ならともかく、この日の服装は半袖のTシャツだったので万一刺されたらえらいことになる。シャレにならんし…。
それにしても、グーグル先生は何を根拠にここを「留山川第一ダム」としたのでしょうか。意味がわからん。
どーも、ワシです。えー、昨日の記事で遭遇したイカツイ深沢砂防堰堤を過ぎ、そのまま県道281号を進むと、すぐに「留山川ダム→」のような看板が出てきます。その表示に従って進んでいくと…。
おー、あれがそうかな。
ダム横の近くまで来ました。これが今回の目的地、山形県天童市山口にある最上川水系の留山川(とめやまがわ)ダムです。ダム本体の色からするとまだ新しい感じです。
ダム横にはダム名と概要及び諸元が記された石碑があります。これによると、当該のダムは、洪水調節、既得取水の安定化、河川環境の保全を目的とした山形県が管理する多目的ダムだそうです。
ダム横にあるこの建物が留山川ダムの管理所。
で、いよいよダム上に行こうかと思いきや、ぬぁんと関係者以外立入禁止とな!
ダム本体に嵌め込まれた竣工のプレート。2011年6月だそうです。今年で10年目のまだ新しいダムなんですね。
ダム上に行けないので、仕方なく左岸から見たダムの様子をどうぞ。
下流側の景色です。
管理所を過ぎて、上流側からダムを見るとこんな感じ。
上流側の景色です。良い眺めです。
左岸、上流側の道沿いにはまたまた案内板が。留山川ダム周辺の特性が説明されています。
地形特性。
環境特性。ジャガラモガラ風穴群落…気になるなぁ。
環境配慮事項。
周辺環境整備。
地形図。
この案内板のあるところからダムを見るとこんな風に見えます。
上の地形図を見ると、この上流にある「桜広場地区」のところにもダムがあるようです。というわけで、次回はそこへ行ってみようと思います。
おー、あれがそうかな。
ダム横の近くまで来ました。これが今回の目的地、山形県天童市山口にある最上川水系の留山川(とめやまがわ)ダムです。ダム本体の色からするとまだ新しい感じです。
ダム横にはダム名と概要及び諸元が記された石碑があります。これによると、当該のダムは、洪水調節、既得取水の安定化、河川環境の保全を目的とした山形県が管理する多目的ダムだそうです。
ダム横にあるこの建物が留山川ダムの管理所。
で、いよいよダム上に行こうかと思いきや、ぬぁんと関係者以外立入禁止とな!
ダム本体に嵌め込まれた竣工のプレート。2011年6月だそうです。今年で10年目のまだ新しいダムなんですね。
ダム上に行けないので、仕方なく左岸から見たダムの様子をどうぞ。
下流側の景色です。
管理所を過ぎて、上流側からダムを見るとこんな感じ。
上流側の景色です。良い眺めです。
左岸、上流側の道沿いにはまたまた案内板が。留山川ダム周辺の特性が説明されています。
地形特性。
環境特性。ジャガラモガラ風穴群落…気になるなぁ。
環境配慮事項。
周辺環境整備。
地形図。
この案内板のあるところからダムを見るとこんな風に見えます。
上の地形図を見ると、この上流にある「桜広場地区」のところにもダムがあるようです。というわけで、次回はそこへ行ってみようと思います。
最近、左手の爪だけが早く伸びます。なんでだろ〜。
あ、どーも、ワシです。えー、今回の目的地は山形県天童市田麦野にある留山川ダムなんですが、押切川と並行して走る県道281号をトコトコ走って行くと「天童高原ガーデン」の看板の先のカーブのところで思わぬモノを発見!
いや、なになに、これは? なんともイカツイねぇ。
見れば、最上川水系の深沢砂防堰堤(山形県天童市山口)の看板。
堰堤の両側に階段があり、特に立入禁止の看板もないので右岸側の階段を登ってみました。そこから県道を見下ろすとこんな感じ。
堰堤の上までは行きませんでしたが、横から見るとこんな感じです。多くの堰堤がコンクリート製なのに対し、ここのは基本的にはコンクリート製なのでしょうが、堰堤を覆っている表面がメッシュになっています。
そのうち、堰堤全体が草ボーボーになるのかもしれませんね。
堰堤の状態から見て、比較的新しいもののように思われます。もちろん活躍しないに越したことはありませんが。
…というわけで、当初の目的地である留山川ダムについては明日記事にしようと思います。
乞うご期待!
あ、どーも、ワシです。えー、今回の目的地は山形県天童市田麦野にある留山川ダムなんですが、押切川と並行して走る県道281号をトコトコ走って行くと「天童高原ガーデン」の看板の先のカーブのところで思わぬモノを発見!
いや、なになに、これは? なんともイカツイねぇ。
見れば、最上川水系の深沢砂防堰堤(山形県天童市山口)の看板。
堰堤の両側に階段があり、特に立入禁止の看板もないので右岸側の階段を登ってみました。そこから県道を見下ろすとこんな感じ。
堰堤の上までは行きませんでしたが、横から見るとこんな感じです。多くの堰堤がコンクリート製なのに対し、ここのは基本的にはコンクリート製なのでしょうが、堰堤を覆っている表面がメッシュになっています。
そのうち、堰堤全体が草ボーボーになるのかもしれませんね。
堰堤の状態から見て、比較的新しいもののように思われます。もちろん活躍しないに越したことはありませんが。
…というわけで、当初の目的地である留山川ダムについては明日記事にしようと思います。
乞うご期待!
どーも、ワシです。今回は山形県東村山郡中山町(なかやままち)長崎にある三郷堰(さんごうぜき)頭首工を訪れます。アクセスは山形自動車道の寒河江(さがえ)インターチェンジの南側の、最上川と交差するあたりにあります。
到着しました。これが下流側から見た「ご尊顔」。毅然と立つ三人衆といった感じ。
しかしながら三郷堰頭首工があるのは最上川の左岸側のみ。ご覧のように右岸のほうにはありません。
下流側の様子。訪れた日は前日からの大雨の影響でめちゃくちゃ増水していました。
頭首工に近づいて見上げると、これまた凛々しいお姿。
上流側から頭首工を見るとこんな感じ。
上流側の様子。かなりの雨量だったと思われます。
実は、この頭首工、最上川の中程のところに作られていて、本当の河岸から頭首工を見るとこんな感じなんです。おそらくかなり増水するとこの河岸近くまで達することがあるのでしょう。でも通常の川幅はこのように狭いので頭首工をこの場所に作り、万一増水した時のことを考慮して本当の河岸から鉄橋の通路を頭首工へ繋げているのだと思われます。
河岸の鉄橋の袂には「三郷堰頭首工」のプレートが嵌め込まれています。1983年3月に完成したのでしょうか。
その通路はご覧のように鉄柵があって立ち入ることはできません。でも、説明書きの文字がポップなフォントを使っているのが親しみやすいですね。
このアングルも、なかなか格好よろしい。
「三郷堰」という名称についての説明はありませんが、地図で確認してみるとこの場所は中山町、寒河江市、天童市という3つの自治体の境界に位置していることからそのように命名されたのかもしれません。付近にも三郷という地名は見当たらないので、たぶんそうだと思います。
到着しました。これが下流側から見た「ご尊顔」。毅然と立つ三人衆といった感じ。
しかしながら三郷堰頭首工があるのは最上川の左岸側のみ。ご覧のように右岸のほうにはありません。
下流側の様子。訪れた日は前日からの大雨の影響でめちゃくちゃ増水していました。
頭首工に近づいて見上げると、これまた凛々しいお姿。
上流側から頭首工を見るとこんな感じ。
上流側の様子。かなりの雨量だったと思われます。
実は、この頭首工、最上川の中程のところに作られていて、本当の河岸から頭首工を見るとこんな感じなんです。おそらくかなり増水するとこの河岸近くまで達することがあるのでしょう。でも通常の川幅はこのように狭いので頭首工をこの場所に作り、万一増水した時のことを考慮して本当の河岸から鉄橋の通路を頭首工へ繋げているのだと思われます。
河岸の鉄橋の袂には「三郷堰頭首工」のプレートが嵌め込まれています。1983年3月に完成したのでしょうか。
その通路はご覧のように鉄柵があって立ち入ることはできません。でも、説明書きの文字がポップなフォントを使っているのが親しみやすいですね。
このアングルも、なかなか格好よろしい。
「三郷堰」という名称についての説明はありませんが、地図で確認してみるとこの場所は中山町、寒河江市、天童市という3つの自治体の境界に位置していることからそのように命名されたのかもしれません。付近にも三郷という地名は見当たらないので、たぶんそうだと思います。
どーも、ワシです。えー、今回は山形県西村山郡大江町三郷丙伏熊(さんごうへいふしくま)にある最上川水系の伏熊ダムを訪ねてみようと思います。アクセスは地図によると県道143号から三郷簡易郵便局付近の道を入って行くと到着のようです。
で、とりあえず到着したのですが、何か様子がおかしい。
どうやら改修工事中のようです。これがダム上になります。
右岸、貯水側から見たダム上の様子。どうやら右岸側のコンクリート部分が越流式の洪水吐になるようですね。
貯水側の様子です。工事中なので、もちろん水は溜まっていません。工事が終了すればこの景色は見ることができなくなります。その意味からすると貴重な写真かもしれません。
ダム名の「伏熊」はこのあたりの地名に由来するもののようで、ダムの管理も伏熊水利組合が行なっているようですね。
機会があれば改修後の姿を見てみたいと思います。でも、どうせ改修するなら上の看板も作り直して欲しいな。だって「必らず」の表記が間違っているんだもの。恥ずかしいじゃないですか。わざわざ色を変えてまで注目させているのにその表記が違ってるんですよ! そんな細かいことをと思うかもしれません。でも、職業柄、どうしてもこういうのは「必ず」目についてしまうんですよ。
頼みますよ〜。
で、とりあえず到着したのですが、何か様子がおかしい。
どうやら改修工事中のようです。これがダム上になります。
右岸、貯水側から見たダム上の様子。どうやら右岸側のコンクリート部分が越流式の洪水吐になるようですね。
貯水側の様子です。工事中なので、もちろん水は溜まっていません。工事が終了すればこの景色は見ることができなくなります。その意味からすると貴重な写真かもしれません。
ダム名の「伏熊」はこのあたりの地名に由来するもののようで、ダムの管理も伏熊水利組合が行なっているようですね。
機会があれば改修後の姿を見てみたいと思います。でも、どうせ改修するなら上の看板も作り直して欲しいな。だって「必らず」の表記が間違っているんだもの。恥ずかしいじゃないですか。わざわざ色を変えてまで注目させているのにその表記が違ってるんですよ! そんな細かいことをと思うかもしれません。でも、職業柄、どうしてもこういうのは「必ず」目についてしまうんですよ。
頼みますよ〜。
どーも、ワシです。今回は山形県西村山郡朝日町立木(あさひまちたてき)にある最上川水系の木川(きかわ)ダムを訪れます。朝日川を堰き止めて建設されているのにダム名は木川ダム。その名称の由来を調べてみると、どうやらダムのすぐ上流に「木川沢」という沢があるのでそこから取られているのではないかと思われます。アクセスは以前訪れた上郷(かみごう)ダムの横を走る国道287号を最上川の上流へ向かい、次に最上川へ合流する朝日川に沿うように走る県道289号を進んでいくと到着します。この県道はなかなか細いので要注意。
見えてきました。あれですね。
「山形県企業局木川ダム」と、しっかり宣伝。
実は県道を進んでいくと最初に目にするのが木川ダムの管理所なんです。ダムよりも左岸の少し下流にあります。
ダムへ近づきました。上部はこんな感じで、
これが下部の様子。強烈な水しぶきが上がっていました。
ダム横、上流側から見るとこんな感じ。
上流側の景色です。
では、ダム上に進んでみましょう。ダム本体には「木川堰堤」のプレートが嵌め込まれています。1958年10月竣工とあり、当時は堰堤と呼ばれていたようですね。
ダム上、中央の柱に貼られている水利使用標識。これを見ると発電用のダムのようです。で、ここで取水された水は直線距離にして約6.3km下流にある朝日川第一発電所(山形県西村山郡朝日町太郎)へ送られ、発電に使われます。また、木川ダムでは一定の水流量を維持するため、貯水側から真空ポンプで水を吸い上げて自然流下させるサイフォン式を採用しているそうな。ほほぉ。
ダム上、中央から見た貯水側の景色。水が茶色く濁っているのは前日降った大雨のせい。
一方、下流側はこんな感じ。写真左上に見える建物が管理所。
対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。
山間の狭い場所に作られた感じのダムですが、居心地は良かったです。ただ、ここへ行くまでの道が細いのが難点。神経、すり減るわぁ。
見えてきました。あれですね。
「山形県企業局木川ダム」と、しっかり宣伝。
実は県道を進んでいくと最初に目にするのが木川ダムの管理所なんです。ダムよりも左岸の少し下流にあります。
ダムへ近づきました。上部はこんな感じで、
これが下部の様子。強烈な水しぶきが上がっていました。
ダム横、上流側から見るとこんな感じ。
上流側の景色です。
では、ダム上に進んでみましょう。ダム本体には「木川堰堤」のプレートが嵌め込まれています。1958年10月竣工とあり、当時は堰堤と呼ばれていたようですね。
ダム上、中央の柱に貼られている水利使用標識。これを見ると発電用のダムのようです。で、ここで取水された水は直線距離にして約6.3km下流にある朝日川第一発電所(山形県西村山郡朝日町太郎)へ送られ、発電に使われます。また、木川ダムでは一定の水流量を維持するため、貯水側から真空ポンプで水を吸い上げて自然流下させるサイフォン式を採用しているそうな。ほほぉ。
ダム上、中央から見た貯水側の景色。水が茶色く濁っているのは前日降った大雨のせい。
一方、下流側はこんな感じ。写真左上に見える建物が管理所。
対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。
山間の狭い場所に作られた感じのダムですが、居心地は良かったです。ただ、ここへ行くまでの道が細いのが難点。神経、すり減るわぁ。
どーも、ワシです。以前長井ダムを訪れましたが、それが完成する以前、この少し上流にあったのが最上川水系の管野(かんの)ダムだったそうです。しかし長井ダムの完成に伴いダム湖「ながい百秋湖」が生まれ、その結果、管野ダムはこのダム湖の中へ水没。現在は見ることができません。当時管野ダムがあった場所の上には現在竜神大橋が架かっており、橋の袂には管野ダムがあったことを示す案内板が設置されています。
その案内板は県道252号沿いの、ちょっとした駐車スペースの場所にあります。
この碑によると管野ダムの竣功は1954年1月。
仮に管野ダムがあったと想定して、そのダム上から見た景色がどんな感じなのか竜神大橋から眺めてみましょう。橋の中央付近から上流側を見るとこんな感じです。
これが下流側の様子。この先に長井ダムがあります。
自然環境の変化とともに水害対策も変えていかねばなりません。管野ダムが水没したのは残念なことですが、現在はその代わりとして長井ダムが重責を担っているんですね。
その案内板は県道252号沿いの、ちょっとした駐車スペースの場所にあります。
この碑によると管野ダムの竣功は1954年1月。
仮に管野ダムがあったと想定して、そのダム上から見た景色がどんな感じなのか竜神大橋から眺めてみましょう。橋の中央付近から上流側を見るとこんな感じです。
これが下流側の様子。この先に長井ダムがあります。
自然環境の変化とともに水害対策も変えていかねばなりません。管野ダムが水没したのは残念なことですが、現在はその代わりとして長井ダムが重責を担っているんですね。