ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

国策に乗じて…引竜第二溜池

2021-09-10 07:17:17 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県西村山郡河北町(かほくちょう)岩木にある最上川水系の引竜(ひきりゅう)第二溜池(ダム)を訪れます。アクセスは県道285号から法師川に沿って登って行くと到着します。

これが「ご尊顔」。溜池の下は公園になっています。



その名も「引竜交流広場」。



左岸側には洪水吐の排水路があり、増水時にはこの水路を通って、



あちらへ流れてゆきます。



これが、いわゆるダム上です。行こうとしたらロープが張ってあったので諦めました。



そこで右岸から貯水湖を眺めてみます。写真中央左側に見えるのが取水塔、そして同じく右側に見えるのが洪水吐です。



同じ場所から下流側を見るとこんな感じ。これが先ほどの「引竜交流広場」です。シンプルでスッキリした印象。



ダム横には「引竜第二溜池竣工記念碑」。比較的新しいもののようですね。「山形県知事 高橋和雄」とあるので記念碑は彼の在職中である1993年から2005年の間に建立されたものと思われます。石碑の裏を見れば書いてあったのかもしれませんが、うっかり見忘れました。てへ。



その隣には「水徳悠久」と題された石碑。こちらが元々の竣工記念碑と思われます。最初の名称は「引龍第二貯水池」だったんですね。建設の経緯は以下の通り。

古来より法師川は村民にとって大切な水源であった。しかしその水量は乏しく、日照りが続くと周辺田畑では旱害に悩まされてきた。そこで法師川を堰き止めてこの貯水池が建設されたのだが、実は戦時食糧増産の国策に乗じて企てられたもので、1943年12月に着工する。戦時中の工事は青年学徒を中心とする勤労隊が行なっていたが戦後は物資の調達が困難だったり物価が高騰したため工事を中断せざるを得ない事態となった。しかし地元の受益者たちが立ち上がり工事を続行したことで貯水池の完成に至ったという。貯水池の完成はおそらく1952年前半と思われます。



この近くにある建物は寒河江川土地改良区が管理するもののようですが見張所でしょうか。



ここは「第二」なんですが「第一」はどこだろうと調べてみると、どうやらこの建物の向こうの道を登っていったところにあるようです。今回は行きませんでしたが。ただひとつわからないのは「引竜」の名称の由来です。この辺りの地名でもなさそうだし…。あー、また悩みが増えちゃったよ〜。
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