木綿の江戸積のはじまり
藩の専売制度は、文化7年(1810)にはじまりましたが、木綿が江戸に送られたのは文政3年(1820)で、専売制実施の10年後のことでした。
翌年の文化4年、城下の綿町に専売品取扱機関として御国産木綿会所(おんこくさんもめんかいしょ)が設けられました。
御国産木綿会所は、高砂の岸本吉兵衛などの6人衆や姫路城下の有力商人などによって運営されていました。
この御国産会所の下に姫路藩江戸積仲間が置かれましたが、それに参加したのはほとんど城下・飾磨の商人で、高砂商人の参加はみられません。
長束木綿の大坂積
姫路木綿は、加古・印南郡で生産される木綿で、長束木綿(ながそくもめん)といいました。
その実数は、天保7年(1836)の調査によると、姫路領内で長束木綿が150万反あまりで、近隣藩からの買い入れ分を加えると、約200万反にも達しました。
長束木綿は、長束木綿仲買があつめ、加古・印南に散在する木綿問屋に納め、長束木綿問屋へ出していました。
当時、城下の木綿問屋が江戸に積み出した木綿・200万反うち30万反程度で残りの85%は長束木綿問屋が大坂や他領へ販売していました。
専売制度実施当時、大坂積木綿は圧倒的な割合でした。
この長束木綿を江戸積みの統制下に置くために、国産会所の下部機関として長束木綿会所が設置されたのです。
天保7年のことでした。(no4520)
*「近世港町の商業機能に関する研究(市村泰隆)」兵庫教育大学修士論文参照
*写真:御国産木綿会所(姫路市綿町・戦災で焼失)
◇きのう(7/15)の散歩(10.610歩)
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