ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

お爺さんが語る郷土の歴史(227) 近世の加印地域 高砂篇(6)・加古川の流れと高砂の町

2018-07-08 07:00:16 | お爺さんが語る郷土の歴史

 

   加古川の流れと高砂の町

 高砂の町場がつくられました。

 江戸時代の高砂は、加古川の流れをぬきに語ることはできません。

 高砂の町の特徴は、加古川の広大な後背地を持っていたことです。

 高砂は、商品経済の発達にともない、高瀬舟による加古川の舟運の役割は、ますます大きくなりました。

 高瀬舟の本来の役割は、年貢米を高砂へ運ぶことであったのですが、加古川の流域で産出された、さまざまな商品が高砂に運ばれました。

 また、高砂に集まった商品は、流域の各村々に運ばれました。

    どんなものが高瀬船で運ばれたのか

 主な商品は次のようです。

 下り荷物(高砂へ運ばれたもの)

  木工品・・・・・木材、タンス、下駄、桶、樽など

  生活用品・・・・薪、炭、紙、綿など

  食料品・・・・・米、芋、茶、梨など

 上り荷物

  農具・・・・・水車、唐箕(とうみ)など

  肥料・・・・干鰯(ほしか)・油粕など

  海産物

  嗜好品・・・・・菓子、煙草、酒など

  食料品・・・・・塩、砂糖、そうめんなど

  衣料品・・・・・呉服など

  生活用品・・・・鍋釜、火打石、畳表、ろうそく、石炭、仏壇など(no4512)

 *『加古川市史(第二巻)』・『KAKOGAWA-加古川とその周辺の歴史-(伊賀なほゑ著)』参照

 *挿絵:高瀬舟

 きのう(7/7)の散歩(1.0186歩)

   〈お願い〉

  「ひろかずの日記」 http://blog.goo.ne.jp/hirokazu0630b

   時々、上記の「ひろかずの日記」のURLもクリックください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする