ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

お爺さんが語る郷土の歴史(231) 近世の加印地域 高砂篇(10)・高砂の綿作(1)

2018-07-12 09:34:10 | お爺さんが語る郷土の歴史

    高砂の綿作

 高砂地方の木綿の話をしましょう。

 木綿も米・塩と並んで高砂の重要な積み出し商品でした。

 綿が日本に伝わったのは古く、延暦18年(799)に三河(愛知県)に伝えられたのが最初であるといわれていますが、栽培技術が伴わずその時は絶滅しました。

 その後、綿作は、文禄の頃(1592~96)大和・河内・摂津に広まり、ほぼ同時に姫路地方も木綿産地になりました。

 木綿は、それまでの麻と比べ、柔らかく、染めても美しく、それに何よりも暖かく、冬の寒さには大いに役立ちました。

 江戸時代、大阪・江戸等の巨大消費都市が生まれ、また交通も発達し、商品は大いに流通し、綿も商品作物として栽培されるようになりました。

 姫路木綿は、品質がよく、市川や加古川の水質が木綿を晒すには適していました。

 姫路木綿は「玉川さらし」、「姫玉(ひめたま)」と呼ばれ、江戸で大好評を得ました。

 この姫路木綿の原料は、高砂・加古川地方が主な産地であったことは案外知られていません。

 *「玉川さらし」は、木綿商の天下原(あまがはら・加古川市東神吉町)の金川甚左衛門がつけた商標であり、玉川とは加古川のことです。(no4516)

 *挿絵:木綿

 *きのう(7/11)の散歩(12.877歩)

〈お願い〉

  「ひろかずの日記」 http://blog.goo.ne.jp/hirokazu0630b

   時々、上記の「ひろかずの日記」のURLもクリックください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする