加古川の流れと高砂の町
高砂の町場がつくられました。
江戸時代の高砂は、加古川の流れをぬきに語ることはできません。
高砂の町の特徴は、加古川の広大な後背地を持っていたことです。
高砂は、商品経済の発達にともない、高瀬舟による加古川の舟運の役割は、ますます大きくなりました。
高瀬舟の本来の役割は、年貢米を高砂へ運ぶことであったのですが、加古川の流域で産出された、さまざまな商品が高砂に運ばれました。
また、高砂に集まった商品は、流域の各村々に運ばれました。
どんなものが高瀬船で運ばれたのか
主な商品は次のようです。
◇下り荷物(高砂へ運ばれたもの)
木工品・・・・・木材、タンス、下駄、桶、樽など
生活用品・・・・薪、炭、紙、綿など
食料品・・・・・米、芋、茶、梨など
◇上り荷物
農具・・・・・水車、唐箕(とうみ)など
肥料・・・・干鰯(ほしか)・油粕など
海産物
嗜好品・・・・・菓子、煙草、酒など
食料品・・・・・塩、砂糖、そうめんなど
衣料品・・・・・呉服など
生活用品・・・・鍋釜、火打石、畳表、ろうそく、石炭、仏壇など(no4512)
*『加古川市史(第二巻)』・『KAKOGAWA-加古川とその周辺の歴史-(伊賀なほゑ著)』参照
*挿絵:高瀬舟
◇きのう(7/7)の散歩(1.0186歩)
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