ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(37):湯ノ山街道をゆく(14)・西牧組大庄屋②

2011-07-06 08:19:52 |  ・加古川市志方全般

西牧組は、文化2年(1805)内海継之(つぐゆき)が、福居組から大庄屋を引き継ぎ、成之、敬十郎と三代にわたり、その職を世襲しました。

継之は、膨大な「内海日記」を残しています。

   内海敬十郎氏の表徳碑

01_027今日、紹介するのは、西牧・大歳神社の境内の内海敬十郎の表徳碑(写真)です。

この表徳碑については『志方郷(第21号)』で松本裕翠氏が詳細を紹介されていますので、お借りします。

詳しくは、松本氏のご研究をお読みください。

碑文は漢文で書かれて読みづらいので、その一部を松本氏の要約のさらに要約で読んでみます。

『彼の功徳は、一村に及びました。村民はそれを忘れませんでした。

君(内海敬十郎)の功徳は枚挙にいとまがない程多くあります。

その内、もっとも著名なことは、安政2年の「奥の池の上の池」の堤防を高くしたことです。

この工事の費用は巨大でした。

そこで、藩主に報告して救済を願いました。

藩主は、敬十郎の村を思う心からの願を察し、村に役人が来ること度々でした。

そして、敬十郎は、村の債務のすべてを償い、工事は完成しました。

・・・明治二十四年七月建立。

西牧村の財政を豊かにするために、大庄屋・内海敬十郎は、私財を投げ出して工事を進めました。

コメント
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