一ツ橋領(東志方9ヶ村)
八代将軍の吉宗は、家康によって創設された御三家にならって田安家(吉宗の二男)・清水家(将軍家重の二男)・一ツ橋家(吉宗の四男)をもって御三卿(ごさんきょう)を創設しました。
江戸時代初期におかれた御三家が、中期になると将軍家との関係が次第に疎遠になって来たためでした。
御三卿には、それぞれ領地があたえられた。
吉宗の四男・宗尹(むねただ)の一橋家にあたえられた土地は『加古川市史(第二巻)』(p230)に紹介されています。
約10万石でした。
「志方町を歩く(49)」で紹介した東志方の9ヶ村(大沢・行常・細工所・野尻新・岡・柏尾・吉弘・高畑・大宗の各村)は、相模小田原藩の領土でしたが、延享4年(1747)から今度は、そっくり一ツ橋領に組み込まれたのです。
つまり、地図の東志方9ヶ村は天領となりました。
(地図は「志方を歩く(49)」と同じです)
その後、東志方の9ヶ村の所領関係の変化はなく、一ツ橋領として江戸時代の終わりまで続いています。
11代将軍・家斉(いえなり)、15代将軍・慶喜(よしのぶ)は、一ツ橋家出身の将軍でした。
*『加古川市史(第二巻)』参照