西牧組は、文化2年(1805)内海継之(つぐゆき)が、福居組から大庄屋を引き継ぎ、成之、敬十郎と三代にわたり、その職を世襲しました。
継之は、膨大な「内海日記」を残しています。
内海敬十郎氏の表徳碑
今日、紹介するのは、西牧・大歳神社の境内の内海敬十郎の表徳碑(写真)です。
この表徳碑については『志方郷(第21号)』で松本裕翠氏が詳細を紹介されていますので、お借りします。
詳しくは、松本氏のご研究をお読みください。
碑文は漢文で書かれて読みづらいので、その一部を松本氏の要約のさらに要約で読んでみます。
『彼の功徳は、一村に及びました。村民はそれを忘れませんでした。
君(内海敬十郎)の功徳は枚挙にいとまがない程多くあります。
その内、もっとも著名なことは、安政2年の「奥の池の上の池」の堤防を高くしたことです。
この工事の費用は巨大でした。
そこで、藩主に報告して救済を願いました。
藩主は、敬十郎の村を思う心からの願を察し、村に役人が来ること度々でした。
そして、敬十郎は、村の債務のすべてを償い、工事は完成しました。
・・・明治二十四年七月建立。
西牧村の財政を豊かにするために、大庄屋・内海敬十郎は、私財を投げ出して工事を進めました。
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