ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(43):湯ノ山街道をゆく(20)・志方町をゆく

2011-07-10 11:04:02 |  ・加古川市志方全般

湯ノ山街道の散策は、点(想像できる位置)を結びながら、志方町(しかたまち)の「有り馬」とある道標までたどり着きました。

地図で道標の場所を確認ください。

  志方町(しかたまち)をゆく、湯ノ山街道

B16a9eae 道標のある辺りは、かつての志方城のちかくです。

志方町(しかたまち)を貫通する「湯ノ山街道」について、松本光明氏は『志方郷(第20号)』で、次のように説明しておられます。

その一部を少し変えて掲載させていただきます。

「・・・(湯の山街道は)志方中央保育園から下ノ町公会堂の北側を通り、松野食料品店と住田商店との間を出て、旧宝殿道に突き当たり北に折れて赤線のように折れ曲がり東に向かう・・・」

松本氏の説明の「湯ノ山街道」を赤線でなぞったのが、上記の地図です。

それにしても、山陽道と共に姫路から京都へ続く幹道の一つが、こんな狭い道であったことと知る時ちょっとした驚きです。

志方町(しかたまち)を通った湯ノ山街道も、すぐに元の姿を消してしまいます。

次に分かっている地点は、二子池の南西隅の道標のあたりです。

    湯ノ山街道の散策を

天理教会のすぐ南から、「三木有り馬」の道標の場所へ、そして旧宝殿道に突き当たる道を一度歩いてみませんか。

歴史のニオイがしますよ。

「幸圓」のことなどを考えながら歩いてみるのもいいですね・・・・

コメント
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