ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

現代音楽演奏の美学とは?

2006-02-02 06:13:01 | 音楽あれこれ
最初に断っておくが、ワシは現代音楽アレルギーではない。むしろ好きなほうだ。しかし、このところ現代音楽を聴いてよく思うのは、演奏者はどのような考え方をもって演奏に臨んでいるのだろうかということである。

作品に対してさまざまな解釈があるのは何も不思議なことではないし、決して間違いであるということもない。記されてある音を即物的に表現するのもひとつの解釈だろうし、情熱的に表現するのでも構わない。その解釈に妥当な理由があればの話であるが。

ただ漠然と聴いていて思うのは、音に愛情が込められてないなということ。言葉で表現するのは難しいが、鳴らされる音には必ずベストな響きというのが存在する。どれをベストな響きとするかは演奏者の裁量に委ねられている。だからそれを聴いている我々があーだこーだと注文をつけるのは筋違いなのかもしれない。もし聴いている側で、こういう響きのほうがいいのにと思っても、それは演奏者が良いと思った響きなのだろうから、聴いているほうはこれをひとつの解釈として受け入れる寛容さも持ち合わせなければならない。

とはいうものの、個人的な受け止め方を言うなら、ワシはどんなジャンルの音もしくは響きというものに対しても、必ず何らかのイメージを抱きながら聴くのがクセになっている。そのイメージはひとつではない。何かの物体をイメージすることもあれば、色であったり、エロスであったり、さまざまである。それらのイメージがくっきりと浮かび上がれば上がるほど聴きながら背筋がゾクゾクしてくるのだ。うひゃーっという感じで。

こうした聴き方を前提にすると、現代音楽を演奏する人々の奏でる音には残念ながらあまりゾクゾク感を覚えた記憶がないのだ。なぜなのか考えてみるのだが、今のところ思いつくのは響きに対する執拗なまでの「こだわり」が彼らにはないのではないかというもの。たとえば、ある音を出すのにワシ的な解釈をするなら「この音こそ妖艶な響きが必要だろう」と思っても、演奏者によっては実にサラっと弾き流してしまう。それもくすんだ音で。だから聴いていて、ちっとも面白くないし感動することもない。

何度も言うが、これはワシの感じ方であり、それが絶対的に正しいとは思わない。しかし、長年現代音楽を聴いていて思うのは、演奏者に「狂気」のようなものが欠けている奴が多いということ。演奏技術は優れているのかもしれないが、聴き手に「なんだこれは!」と思わせる何かが欠けているのだ。ことによると、現代音楽がつまらないと思われる原因のひとつは実はここにあるのかもしれない。

演奏家に一番やって欲しくないこと。それは現代音楽ならば何とかなるかもしれないという「逃げ」のスタンスだ。たとえて言えば、ピアノでは勝負にならないが、チェンバロなら演奏家として食えるかもしれないという安易な発想のようなものである。

作品様式というのはもちろん時代によって異なるし、演奏家によっては古典派の表現は得意だけれどロマン派の表現は苦手だということはある。でもそれは、一定以上の演奏表現ができるという前提での話。でもロマン派以前の作品がうまく演奏できないから現代音楽に走るという動機で演奏に取り組んでいるとしたら、それは大間違い。ダメな奴は何をやってもダメなのだから。

どんな時代であっても響きには生命が吹き込まれていなければならないと思う。現代作品だからといって、単に音を出せばよいというものではないのだ。それは即物的表現とは別の次元の話なのである。
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