ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

勝者を称えること

2006-02-14 06:24:34 | 脳みその日常
ワシは狂信的な国粋主義者ではない。むしろリベラルな立場が好きだ。いや、リベラルというと政治思想的な意味合いが強いから「コスモポリタニズム」と言っておこう。

そうした目でオリンピックを見ると、この大会がいかに国威発揚のために行なわれているかがわかる。もちろん自分の国の選手を応援することが間違いだとは思わないし良いことだとは思う。しかし報道の姿勢などを見ていると特に日本はある意味で「中華思想」だなと思ったりする。他国の報道がどうかは知らないけどね。

中華思想をごくごく簡単に言えば「世界の中心が自分の国」という意味。つまり自分の国が中心となって世界が回っているという認識である。だけどそんなことはあり得ない。それぞれの国がそれぞれのスタンスで世界は回っているからだ。自国が世界の中心だなんて認識は、いうなれば子供の発想にほかならない。

子供は世の中をまだ知らないから、自分の目で見える世界でしか判断できない。だから自分中心に世界が回っているというふうに勘違いする。自己中心主義という考え方はそこから生じたものだ。

ほとんどの子供は大人になるにつれてそれまでの考えが「井の中の蛙、大海を知らず」であることに気づく。自分中心に世界は回っていないんだな、と。そうやって人は大人になってゆくのだ。その論からすると、中華思想なんて子供の発想みたいなもの。そんな発想をしている大人を「精神的な」大人の目から見れば、今風に言えばあまりにも「痛い」と言わざるを得ない。

ところが報道の仕方はどうだろう。自国の選手の様子は狂ったように何度も報道するくせに、優勝した選手が外国人である場合、その演技についてはおざなりにしか報道しない。おいおい、それでいいのか?

あのさ、なぜその選手が優勝したのかを考えてごらんよ。彼もしくは彼女が優勝したのは、他の選手以上に優れた演技をしたからではないのか?そうした演技こそが見ていて感動するわけだし、美しいのではないのか?マスゴミは日本人選手だからといって予選落ちした演技や競技を放映したりするが、そんなのは申し訳ないけどどうでもよいのである。

力と力がぶつかりあって優れた演技が生まれる。その結果、勝者が誕生するのだ。その勝者がどの国の選手であれ、そんなことは関係ない。たとえ自分の国の選手が勝者でなくてもいいではないか。ワシは自分の国の選手がどうのこうのというより、素晴らしい成績を収めた勝者の演技を見たいのであり、そちらのほうを評価したいのだ。

常にナンバーワンを見ること。これはすべての意味において確かな目を養うのに必要なことであり、そこに民族の要素を介入させるのはもってのほかなのである。仮に入れるとしても、それは二次的要素であるのが望ましいのであって、それを目的にしてしまったら見る目が曇る原因となる。

大して才能もない日本人アーティストに注目し、必要以上にもちあげて報道するのも実は根っこは同じ。マスゴミさん、もっとさ、大局的に物事を見ようよ。悲しいぜ…まったく。
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