ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

晴れるのは嬉しいが

2005-02-14 13:17:08 | 脳みその日常
午前2時頃、都内から川崎にかけてドライヴ。うーん、日曜日の深夜というか月曜の深夜は道路が空いており、実に気分がよい。だがこんな時間なのに幹線道路にはやたらとパトカーが徘徊している。不満があるといえばこれだな。

午前4時すぎに帰宅し、そのまま原稿に取り組む。そして昼前に完成。送り先は例の編集者なので憂鬱。どうせまた意味不明な理由で書き直せと言ってくるだろうから。こちらが考えた末に書いたものに対して、なぜそのように書いたのかをまったく理解しないから困るのである。まあ愚痴を書いても仕方ないけど。わはは。

それにしてもいい天気だ。何もなければどこかへドライヴに行きたいところだが、そうもいかない。たまっている仕事をどんどん片付けなければならんし。

さあて、ちと休憩して続きをやるとするか。
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集団競技となったマラソン

2005-02-13 22:59:26 | 脳みその日常
本来マラソンといえば最初から最後までひとりで走るものと相場が決まっている。もちろん「見た目」ではみんなひとりで走っている。ところがトップクラスの選手になると、どうやらそうではないようだ。つまりこれらの選手には「ペースメーカー」なる選手が一緒に走っていることが多い。

最初の15km、20kmまではこの「ペースメーカー」が先導し、主役となる選手が記録を狙えるようにサポートするのだ。所定の距離を走り終えれば、彼らの役目は終了。選手として登録され、競技に参加しながら実は黒子みたいな役目をするのである。そりゃ確かに主役の選手にしてみれば一定の速度で走ってくれる「仲間」がいればラクチンだろう。自分でペースを考えずに済むわけだからね。

しかしどうなんだろうか。マラソンはそもそも個人競技のはず。スタートラインに立った時から孤独との闘いは始まる。そして己の体調を考えつつレースをし、最後にゴールラインに駆け込む。自分との闘いが記録となって現われたのではなかったのか。

それがどうだろう。今では途中までは信頼のおけるペースメーカーと一緒に走り、調子が良ければあとは彼らとオサラバしてスパートする。そして好記録を叩き出し、メデタシ、メデタシ。

うーん、これも戦略なのか。なんだかなあ…
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非通知って何だよ

2005-02-12 23:52:57 | 脳みその日常
無言電話がよくかかってくる。心当たりがないわけじゃない。もちろんそれ以外の人かもしれない。こんな仕事をしていると恨みを買うこともあるだろうし。まあそれを承知の上でこの仕事をしているから気にしないのだが。

電話がかかってくること自体、自分の時間を一時的に中断させられることではある。だが、普通の電話ならば別に腹も立たない。仕事の依頼だとか、相談事など、相手がワシに用があって連絡してくるわけだからね。需要があるから供給するみたいなもの。中断させられた時間は、あとで取り返せばいいだけだし。

しかし無言電話というのは許せない。ワシに対する嫌がらせというのも用件といえば用件なのかもしれない。とはいえ、そんなことをして本当に楽しいのだろうか。むなしくないのか?

相手が無言だから、当然それが誰なのか本当のところはわからない。で、最近知ったのはそうした電話のあと、ある番号にかけると直前に掛かってきた電話番号がわかるというもの。おぉ、こりゃいいな。さっそく無言電話が掛かってきたら試してみよう。そう思っていると、無言電話がかかってきた。よしよし、それでは早速…。

ところが、「相手の方が非通知なのでお知らせできません」という返答。正直「ハァ?」という気持ちである。しかし考えてみれば相手は自分の素性がバレては困るんだから非通知でかけてくるのも当然だな。

だけど、非通知させる意味って何だよ。電話をかける側のプライバシーを守るためにあるのか? 相手はワシの番号を知ってるんだぜ。それにこっちは迷惑している立場なのに、その相手のことはこちらからは知ることができないなんて変じゃないのか? 電話会社は、それならば着信拒否をする手続きをとることをオススメしますという。

そんなことはわかってるさ。でも問題なのはその手続きが有料だってこと。こちらは被害を受けてるのに、なんでこちらがカネを出さなきゃいけないんだよ。NTTは所詮カネ儲けをしたいだけなんじゃないのか? 被害者を保護することぐらい無料でやれよな。ったく…。
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波動が合うなら

2005-02-11 23:56:01 | 脳みその日常
ワシの友人には霊感の強い人が多い。彼らは何かしら「見え」たり「感じ」たりするそうだ。残念ながらワシにはそうした特殊な能力はない。どんなに「出る」といわれるところに行っても平気だし。

もう10年以上前の夏の話。猪苗代湖に近いある別荘に8人ほどで一泊旅行に行った。もちろん夕方からはアルコール・パーティー。深夜になるにつれて盛り上がり、なぜか庭でたき火をしようということになった。

面白いもので、いくらたき火を見ていても飽きないのは不思議だった。たき火が消えそうになれば暗闇の中へ出掛けていき、燃やすための木を拾うことを何度も繰り返した。もちろん体内ではアルコールが駆け巡っていた(笑)

そんな時、仲間のひとりから情報が。歩いてすぐのところに今は営業していないホテルがある、と。そしてそこの温泉は無料で入り放題なのだとか。それを聞けば行かないわけにいかない。アルコールを抜く意味でも是非とも行かねば。そんなわけで3人ほどで「探検」に行く。

廃墟のホテルが暗闇にぼんやりと見えてきたその時、ひとりがつぶやいた。

「ここ、出るよ…」

何を抜かすか。ほれ、とっとと温泉に行くぞ。しかしそいつは真顔で恐がっており、結局引き返して行った。「ったく、しゃーないな。行こう、行こう」 残ったワシともうひとりは暗闇のホテルの潜入に成功。無事、男風呂と女風呂の両方を征服する。

別荘に戻ると、霊感の強いそいつが言った。

「やっぱり、いたでしょ?」

いないっちうねん! というより、何も感じなかったのだが。そんなわけで、世が明ける前にワシは合計三回その風呂に浸かったのだった。もちろん一度たりとも「お会い」しなかったけどね。

霊感が強い人というのは、一説によれば霊との波動が合うため「感じる」らしい。波動理論というのは現在でも完全に証明されているわけではない。波動とは、素粒子以下の細かい「モノ」なので証明することが難しいという。

とはいえ、何かを「感じる」というのは事実なのだろうから、ワシは霊を信じていないわけじゃない。現代の科学では証明できないのであって、きっと「いる」んじゃないかと思う。ただ、ワシにはその波動がレシーブできないのだが。

自分ができないのは実に悔しい。だからもしその波動を受け取れるのなら受け取ってみたい。「感じて」みたい。意思の疎通ができるのなら、相手が何を考えているのか交信してみたいとも思う。もっとも、知り合いの霊能者に言わせれば、「感じたくないのに感じてしまうから、およしなさい」と言われたが…
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なぜ音色に気を配らないのか

2005-02-10 23:26:12 | 音楽あれこれ
東フィルの定期演奏会を聴く。なんと今日は交響曲が2つ! 重いプログラムだなぁ。といっても、バーンスタインの《交響曲第2番》「不安の時代」はピアノ付きの交響曲で、いわばピアノ協奏曲(独奏:小曽根真)。でもでもやっぱり長かった。40分ぐらいかな。

それにしてもバーンスタインのオーケストレーションは、ショスタコーヴィチの影響をモロに受けている。「もどき」というか「パクリ」といった響きがあちこちでするし…。まあ、小曽根のソロも一所懸命で熱演といったところ。

休憩のあとは、ブルックナーの《交響曲第8番》。彼の交響曲では《ロマンティック》と並び、お馴染みの作品。しかしだねえ、こんなに退屈で長く感じる演奏は久しぶりだった。

指揮者の井上道義ファンには申し訳ないが、この人、作品についてのイメージをたぶん持たないまま演奏している。バーンスタインも然り。ゲネプロ以前の通し練習を聴いてるように錯覚するほど。なんていうのかな、スコアに記されてある音符をそのまま再現しているだけなのである。

バーンスタインにしろ、ブルックナーにしろ、それぞれに特徴的な響きや雰囲気といったものはあるはず。フレーズの「入り」をフワッとさせるとか、金管をシャープに鳴らすとかさ。そういったこまやかな点がまったくできていない。だから、長いとはいえブルックナーの作品が気の遠くなるほど長く感じたのだと思う。

この人は、いつからこんなに「歌わなくなった」のだろうか。いや、もともとそんなに「歌わない」人だったのかもしれない。行進曲みたいなノーテンキな曲だと水を得た魚のようなんだけどねえ。意外にブラスバンドの指揮者のほうが向いてたりして。(苦笑)

そういえば、小曽根は最近クラシックの演奏会に出ているね。アンコールにジャズのソロでも弾くのかと思ったが、それもなし。あーあ、80年代前半にデビューした頃の「Crystal Love」なんかが懐かしいのぉ。プロコフィエフばりの突拍子もない転調がメチャクチャ魅力だったんだけどね。
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たかが予選

2005-02-09 16:03:36 | 脳みその日常
テレ朝が視聴率を上げるために必死になっている。もちろんそれは今晩行なわれるサッカーのことだ。日本vs北朝鮮という、いかにもタイミングの悪い組み合わせ。スポーツと政治は別ものという意見に否定はしない。しかし、拉致被害者家族のことを思うと、心情的にちとやりきれない思いがする。まずは両国の「しこり」を取り払ってから対戦すべきじゃないのか、と。スポーツなどで選手は行き来できるのに、拉致された人間は帰って来れないという現実。そのことに違和感を覚えるのはワシだけじゃないと思うのだが。

それと、今晩の試合についてマスゴミがやたらと注目するのも、どうかと思う。あくまで予選だろうが。たとえばさ、ほかのスポーツで予選の試合を大々的に放映することなんて、まずない。公平な報道なんて言われるけど、とてもそうしているとは思えないよな。サッカーに興味のないワシからすると、予選なんだから番組として放映するほどのものじゃないと思うがどうだろう。もしかすると、サッカー関係の団体から「番組にしろ」というような強烈なアピールがあったんじゃないかと勘ぐりたくもなる。

試合で浮かれるのは構わんが、放映されるということは間接的に北朝鮮についての宣伝にもなることじゃないのか。腰抜けの日本政府が経済制裁をしないから、民間でアサリなどの北朝鮮産の不買運動が行なわれている。いや、それぐらいしか民間ではできないのだ。その一方で、今晩の番組にはカネを提供するスポンサーがいる。もちろんそのカネは直接北朝鮮のフトコロに入るわけじゃない。テレ朝がウハウハするだけである。だからいいじゃねーかと言われればそれまでであるが、なんとなく釈然としない。

前述の通り、スポーツと政治は混同してはならないとは思う。それはわかっている。しかし国家の態をなしていない国が国際試合に参加できるというルールはどうなんだろうな。なんか矛盾してないか?

何事においてもルールはある。国交を樹立し、国と国が仲良くするには、両国が決めたルールを遵守することで可能になる。ところが国家間のルールを守らないくせに国際レベルのスポーツ大会には参加しようとする厚顔無恥さ。スポーツにだってルールはあるんだぜ。じゃあ何か、スポーツだけはルールを守ってやるつもりかい? やっぱり変だろ。自分の都合の良い時だけルールを守るなんて、こんな身勝手な国はない。だから北朝鮮はいつまでたってもマトモな国家になれないんだよ。
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今日は打ち合わせ

2005-02-08 10:24:49 | 脳みその日常
そこそこ順調なスタートを切った小学館の「クラシック・イン」。一部のクラシック・オタクなどは「あんなクソ企画」と嘲っているが、まったくもって笑止千万。そもそも、この企画はマニア向けのものじゃないからだ。初めてクラシック音楽に親しんでみようという人のために作られたものなのである。

しかし、初心者向けの商品といっても手を抜いているわけじゃない。フツーに売られているCDよりも、はるかに懇切丁寧な解説が載せられている。また、図版なども派手すぎるかなと思えるほどワンサカ「てんこ盛り」にしている。オタクどもが軽蔑するのは、ただ有名な曲が収録されているからという理由にほかならない。

でもね、これを出しているのが出版社だということを忘れてはならない。収録されている曲がどうのこうのじゃないのだ。つまり、豊富な情報量に重点が置かれているのである。極端に言えば、これに付いているCDなんて、いわば付録のようなもの。だけど付録的な扱いだからといって、いい加減なアーティストは起用しない。以前、外資系が同じような企画をやっていたが、それなどは読み物はいい加減だし、署名すらなかった。おまけに使われている音源なんて誰が演奏しているのかわからん録音を使っていた。だから「あの値段」で売れたのである。

今回は小学館という看板を背負っている以上、クオリティを下げることはできない。だからスタッフはみな一所懸命やっている。その結果がああいう形の商品になったというわけだ。それでも980円というのは安いと思うよ。

そんなこんなで、本日は第2回目の執筆者会議。今回は初めて小学館サイドの編集長も参加するということで、どうなることやら。
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ナルシスト

2005-02-07 12:29:36 | 脳みその日常
人前に出て仕事をする人は少なからずナルシストである。そりゃまあ、考えてみれば当然の話。何かしら自分に自信がなければ人前なんかに出られるわけがない。だからナルシストというわけだ。

周囲の人に受け入れられるナルシストなら、まだよい。しかし、なかにはどう考えても自己完結しているナルシストもいる。これが一番厄介だ。このタイプの人は自分に酔いしれているのでタチが悪い。「鏡を見ろ!」と言いたいが、残念ながらこの手の人が鏡を見ると、ある意味で鏡が歪んで見えるらしい。いや、実際に鏡は歪んではいない。この人の頭の中に写った自分の姿が自動的に矯正されてしまうのだ。だからウットリしてしまう。こえー、こえー。

己の容姿にウットリしてしまう人がいる一方で、己の演奏にウットリしてしまう人もいる。もちろんこれもナルシストに違いない。この人の場合は、自分の耳が自動的に良いほうへと矯正されるんだろうな。実におめでたいが、周囲にとっては迷惑この上ない。もちろん、他人をもウットリさせる演奏ならば問題ないのだが。

ナルシズムというのは、程度の差こそあれ人間にとって必要なことではある。それがなければ自信も生まれないからだ。ワシがここでブログを書いているのだって、やはりナルシズムに起因するものだろう。さすがに自分の書いたものにウットリはしないけどね。

でも、こんな駄文を毎度毎度書けるのは、自分の生き方に自分なりの自信を持っているからである。もっと若い頃だったら、きっと自分の文章を他人様に見せるなんてできなかっただろうし。ある程度の経験を自負しているからこそ、堂々と自分の意見を述べることができるのだ。

もっとも、自分の意見が正しいなんて、これっぽっちも思ってはいない。いろいろな見方があるからね。ただ、読む人に「こんな意見もあるんだぜ」ということを知ってもらい、それによって読む人が何らかの考えをもってもらえばそれで良いと思っている。まあ、これも情報発信のひとつといえるのかな?
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管理責任は、如何に

2005-02-06 23:06:59 | 脳みその日常
中学生の運転するクルマが見通しの良い交差点で衝突事故。(記事参照) 幸い相手のクルマの運転手は死なずに済んだが、中学生のクルマの助手席に乗っていた少年は死亡。ほかの同乗していた中学生の男女も怪我を負った。

バカが怪我をするのは一向に構わん。しかし亡くなった少年については、誰が責任を負うのかねえ。もちろん、それは中学生に決まっている。しかし加害者が成人の場合とは違い、責任能力がまたしてもうやむやにされるのかもしれない。

中学生の運転したクルマはそいつの親が所有するものらしい。中学生は「遊びに行くために勝手に車を持ち出した」と抜かしているという。そうだとしても、コイツの親は何をしてたんだろうな。所有者の管理責任ってのは問われないのかね。なんなら、親子揃って「クサイ飯」を食い続けてもらったら、世の中、ちょっとだけ平和になるんだが。

未成年者の犯罪の場合、その保護者が責任を取るといった制度がなぜ生まれないのか、本当に不思議でならない。これでは死んだ奴も浮かばれないし、被害者のほうも「ぶつけられ損」である。ガキが何をしたって構わんが、どうせやるなら自分のケツは自分で拭くぐらいの根性をもってほしいね。そこまでの根性がなけりゃ、非行なんてするなよ!

法を犯してまで18歳以上の成人にのみ許された自動車運転をしたのだから、やった行為は成人が受ける処罰と同等で構わないんじゃないのか。いや、本当ならもっと厳罰に処して欲しいところだが。
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フリーターが…

2005-02-05 23:52:34 | 脳みその日常
日本の産業を支えていると、ある番組が報じていた。まあ確かに労働力を供給しているという意味ではそうかもしれん。しかし、フリーターをちょっと褒め過ぎじゃないかという気がしないでもない。

フリーターといえば聞こえはいいが、給与の扱いは時間給のアルバイトと同じ。仮に時給1000円として1日8時間労働し、月に25日働いたとしても、税込みの月収は20万円だ。ハタチそこそこの若者であれば同世代の社員と金額的にはさほど違わない。フリーターは社員じゃないから仕事が嫌になればすぐさま辞めることもできる。収入金額もまあまあだからフリーターという状態はラクチンなのだろう。

なぜフリーターをしているのかという問いに、ある若者は「自分が本当に打ち込める仕事がみつかるまでのステップ」といった返事をしていた。社員と違い、フリーターはさまざまな仕事を経験することができる。そうしたなかで自分にとっての天職をみいだしたいらしい。なるほどねえ。

ワシはこの仕事だけで食えるようになるまで10年かかった。それまでは生活のためにアルバイトを並行して行なっていた。だがワシの場合、アルバイトは深夜しか不可能だった。昼間は、いつ仕事の電話がかかってくるかわからなかったからである。睡眠時間を削りながら耐えた10年間は、かなり辛かった。

もちろんそのアルバイトの収入で暮らしていこうと思えば、できないことはなかった。当時のアルバイトの収入だけで30万円は稼いでいたし。しかしワシはそうしたくなかった。収入は低くとも、本業で食っていこうと常に思っていたからである。だからアルバイトなんて、とにかく時給の高いものであれば何でも良かった。あくまで本業をするためにワシは副業をしていたからね。

経験から言えるのは、時給扱いの仕事をいくらやっても、その仕事の面白さなんて本当にわかるもんじゃないってこと。所詮アルバイトにまかせる仕事なんて、誰でもできる仕事なんだし。フリーター本人にすれば「こんな仕事もしました。あんな仕事もやったことがあります」って言うかもしれない。でも、それは錯覚だな。彼らは、さまざまな業種の表面的な部分の「ほんの一部」を体験したに過ぎない。

どの業種だって本当の面白さってのはさ、長年続けて初めて判るんだよ。前述の通り、フリーターには、嫌になればすぐに辞めることができる気楽さがある。だから雇う側からすれば彼らにあてがう仕事は誰にでもできる仕事しか与えられない。だけどその程度の仕事に面白いも何もない。矛盾するようだが、仕事の面白さというのは苦しんだり辛くなったりすることを経た上で感じたりするものなんだよな。

自分がどんな仕事に向いているかなんて、なかなかわからないもの。よっぽどの才能でもない限り、天職を自覚するなんて、まず無理だろうな。別の見方をするなら、続けられる仕事があれば、それがその人にとっての天職なんだよ。続けられるってことも、ある意味ではひとつの才能だと思うし。気楽に辞められるからといって、ホイホイと仕事を転々とするようじゃ、いつまで経っても天職なんてみつからんと思うね。第一、転職続きの人なんて世の中は信用しないし。

マスコミもマスコミで、フリーターなんていうオシャレなネーミングを広めるのも問題だろ。単に「アルバイター」でいいのに。冒頭の番組で「フリーターが日本の産業を支えている」なんて言ったって、それは企業に正社員を雇うだけの体力がないことを示しているにすぎない。たまたま今は企業に体力がないからいいようなものの、今後、企業が体力をつけてきたら、フリーターなんてすぐさまお払い箱になるんだぜ。体力のない企業に、いいように使われている。それがフリーターなんだよな。
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久々のドライヴ

2005-02-04 05:32:30 | ドライブ関連
仕事がひと段落したので、たまにはドライヴ。特にあてもなく東名に乗る。それにしても、やたらと大型トラックがいるな。だいぶ前に大型と観光バスが事故を起こして以来、東名の3車線区間は大型が追い越し車線を通行してはならないと決まったと思うのだが、ワシの記憶違いか? とにかく大型が追い越し車線をふさぐので、全体的に流れが悪くなる。ひどい奴になると後続がいるのに譲ろうともしない。ったく、マナーも何もあったもんじゃないな。

で、チンタラと高速道路を走るのはバカバカしいので、沼津インターで降りてR1に入り、さらに下る。なーんだ、下道のほうが空いてるではないか。高速道路ではないけれど、ご機嫌うるわしくなる。

しばらく行くと富士市に。ここは昔から製紙工場などがあるせいか、あちこちに煙突がニョキニョキ立っている。そしてどの煙突からも白いケムリがたなびいている。うん、この光景は昔から変わらんな。

さらに進んで、静岡市に入る。あらま、そろそろ戻るルートを考えないとマズイな。うーん、どうしよう。そうだ、R52から韮崎へ抜けることにしよう。下道だから、まったりと走る。と言いつつも平均して60km/hは出ているのだが。しかし、60km/hなんて、まるで止まっているようなスピードだ。まるで刺激がない! だんだん眠くなってくる。あちゃー、いかん、いかん。

R52を途中から竜王方面に向かう。おぉ、そういえば、このあたりは、もう15年以上前にファミリーマートの配送でずいぶんと走ったな。懐かしいので、当時のルートを思い出しながら店を探す。ところが、月日というのは無常なもの。ワシがルート配送していた店舗はほとんどなくなっており、唯一確認できたのは甲府駅前店のみ。

甲府駅前店といえば、当時は午前3時に到着することになっていた。ワシがその時間に荷物をせっせと店内に納入していると、決まってやってくる「団体」がいた。それはフィリピンのオネエさまたちである。たぶん、その手の店が終わって家に帰る前に立ち寄るのだろう。

オネエさまは、ひとりやふたりじゃない。もうね、ワンサカとご来店するのですよ。その瞬間、店内は日本じゃなくなる。そう、タガログ語と英語がチャンポンになってエライことになる。アルコールをチャンポンにすると悪酔いするものだが、まさにそんな感じ。ダメ押しに、どう考えても不似合いな香水の匂いまで、もれなくついてくる始末。いやー、あの光景は死ぬまで忘れられませんねえ(苦笑) 今でもその時間には「瞬間的フィリピン王国」が訪れるのだろうか…。

そんなことを思いながら、甲府を離れ、下道で大月まで行く。さすがにドンクサイ大型のケツばかり見てられないので、中央道に乗って帰宅。おや、ふとトリップメーターを見ると、380kmも走ってた。

_| ̄|○ ガックシ…
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だましのオービス

2005-02-03 18:18:45 | ドライブ関連
たぶん、もう出頭要請は来ないと思うので書く。昨年8月のある日、深夜の小淵沢をクルマで走っていた時のこと。それまではずっと山道のようなところを走っていたが、あまり遊んでいると夜が明けそうになったのでR20に入る。時間が時間だったから道路はガラガラ。で、いつものようにカッ飛ぶ。しばらく上り方向に走っていると、速度警告板なるものが登場。

「おや、前からこんなものあったか?」

ご存知のように速度警告板には制限速度をオーバーして走っていると「●●キロ オーバー」のような表示が電光掲示で出てくる。もちろん警告版はワシにも親切に教えてくれた。

「45キロ オーバー」うははは、やっぱりな…

そこの制限速度は50km/hだから、計算しなくてもその時ワシは95km/hで走っていたことになる。そこまではまだよかった。問題はその警告板を過ぎた直後に憎きオービスがあったこと。

オービスというのは速度超過したクルマを感知すると、そのクルマがそこを通過する瞬間に強烈な光を放ち違反車両を撮影する機械である。そう、まさにコイツが次の瞬間にパシャ!っと光りやがったのである。違反したクセに文句を抜かすなと言うかもしれない。いや、確かにそう。文句を言える立場にはない。しかしだねえ、通常の場合、警告板を通過した直後にオービスは設置されないだろ。それじゃあ警告してる意味がないし。

ワシの場合、警告板にスピード超過が出たら、すぐに減速することにしている。何も「よし、もっとスピードを出してやれ」なんて夢にも思わない。そんなマゾ的な趣味はない。ただ、いくら95km/hで走っていたとしてもオービスが感知する前に許容速度までは落とせる。それは経験から言える。しかし、その時はそんな時間はなかった。いきなりスポットライトだもんな(苦笑)

とにかく光ってしまったことは事実。いまさら、どーにもならない。免停の通知が来る覚悟をしなければならん。腹をくくった。そうして3ヶ月が過ぎた。なぜ3ヶ月かというと、恐怖の通知が来るまでに3ヶ月かかることもあるという話を聞いたことがあるから。やんちゃな他の友人の話を聞いても、やはり3ヶ月以内に「おたより」が届いたそうな。ところが、ワシのところにはまったく「おたより」が届かなかった。さきほども郵便受けの中をくまなく探したが、ない。

うすうす知っていたが、3ヶ月を過ぎても「おたより」が届かない場合、あのオービスのスポットライトは「だまし」であるという。つまり威嚇の意味を込めて光ることもあるのだ。もちろん、すべてのオービスがそうというわけではない。きっちりと「いい仕事をする」オービスもある。

知り合いの同業者は滋賀県の国道で「いい仕事をされた」そうな。彼の場合、昨年の7月に光らせ不安におののいていると、9月にはうやうやしく「おたより」が届いたという。もちろんその時、彼が感涙にむせたことは言うまでもない。(笑)ま、それもこれも運なのかもしれないのぉ。

そんなことを書いていたら、遠出したくなってきた。気分転換にどこかへ出掛けてみようかな。
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外来語をカナ表記する難しさ

2005-02-02 12:47:13 | 音楽あれこれ
ちょっと前に書いたブログにトラックバックがついていた。それは「ヴ」表記について書いた1月18日付のブログである。改めて思うが、外来語をカナ表記するのはホント難しい。日本語としてまだ馴染みのない語なら、「ブ」であろうと「ヴ」であろうと気にせず原稿に書くこともある。なぜならその語はまだ人口に膾炙してないからね。

しかし神経質な編集者になると簡単には許してくれない。「その表記の根拠は何ですか?」と、ツッコんでくるからだ。彼らは表記を統一したいので、典拠とするものが欲しいというわけ。だからワシの場合は、音楽用語や人名については『ニューグローヴ』の日本語表記で統一することにしている。この表記を基にしておけば、万一編集者にツッコミを入れられても、「ふふふ、それは『ニューグローヴ』にそう書いてあるんですよ…」とひっくり返るほど胸を張って言い返すことができる。この瞬間を至福のひとときと言わずして何と言おう!(笑)

さて、前述の自分のブログを読んでいてまたまた思ったことがある。たとえば、「ヴァンサン」という表記だ。その時にも書いたが、ヴァンサンと書いても原語が「vingt-cinq」だったら25という意味。また、19世紀後半から20世紀前半に活躍したフランスの作曲家ダンディ(d'Indy)のファースト・ネームもカナ表記だと「ヴァンサン」。でも、こちらは原語表記では「Vincent」。同じ「ヴァンサン」でも原語表記だったら、ぜんぜんちゃうやん。似ても似つかん!

だからといって当該政府に圧力をかけても意味がない。そもそも言語構造が違うのだから。それにしてもワシはどうにもフランス語が性に合わない。フランス音楽は大好きなんだが、フランス語そのものは生理的に受け付けないところがある。理由のひとつは、実際に発音しない文字があること。「いらん文字は書くな!」と言いたいところだが、それが普通なのだろうからここは我慢することにしよう。

フランス語が気に食わんもうひとつの理由は、母音の読み方が場合によってヘソ曲がりであることだ。たとえば「in」と表記された場合、英語なら「イン」と読むが、フランス語だと「アン」となる。こらっ、なんでわざわざ「アン」なんて読むねん!フツーに「イン」と読めばええやん。紛らわしいこと、すな!(興奮するとなぜか大阪弁になりますが、気にしないでね♪)。ま、直球勝負が好きなワシは、そんなこんなで変化球で攻めて来るフランス語はどうにも苦手である。
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基本から見直せ

2005-02-01 15:37:32 | 脳みその日常
京都市でサイズが1ミリ大きい紙幣がみつかったという。(参考記事)

日本銀行側の説明では「規定サイズの発券が大前提だが、裁断過程で寸法がずれた可能性が高い」という。おいおい、偽造防止のためのデザインを考える前に、ちゃんと裁断できる機械を購入するほうが先なんじゃないのか? いや、その前にちゃんとチェックして市場に出せよ。大丈夫かねえ、こんな基本的なことでミスるとは…。そのうち、本物だけど大量の印刷不良紙幣が出てきたら、まさか今度は「印刷過程で寸法がずれた」などと言い訳するのだろうか。これだから木っ端役人のすることは…(略)
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