言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語169

2007年06月21日 21時29分35秒 | 福田恆存

また、支那と日本との文字についても、津田左右吉は、次のやうに明確にその差異を述べてゐる。

「全體として日本語から成立つ日本文であれば、支那の文字のもつ役割はさほど重いものではない。日本語化した支那語の如きは、カナで書いてもロオマ字で書いても差支へは無い。だから、支那の文字が日本で或る程度に用ゐられてゐるといふことから、二國は同文であるといふのは、大なる誤である。」

『支那思想と日本』一七二頁

文中の「同文」とは、「同じ文字を用ゐるといふこと」と津田は書いてゐる。つまり、日本語の中の漢字は、支那語ではなく、すでに日本語なのであり、漢字があるから日本語は支那の影響下にあるなどと考へる必要はないと言つてゐるのである。

さらに、別の處では、かうも記してゐる。

「東洋といふ呼稱のあてはめられる地域をどれだけのものとするにせよ、文化的意義に於いてはそれが一つの世界として昔から成立つてゐたことが無く、東洋史といふ一つの歴史も存在せず、從つて東洋文化といふ一つの文化があるといふことは、本來、考へられないことである、といふのである。」

同右 一七八頁

 近代化は西洋化である。私たちは背廣を著、スカートを著、靴下をはき、靴をはいてゐる。しかし、私たちは西洋人ではない。英語を學び、大學の入學試驗で國語の科目がなくとも英語の試驗はあるやうな國であるが、私たちは一向に英語が巧くならない。紛れもなく日本語の國である。つまり、日本は西洋ではない。また、日本は支那ではない。かと言つて、東洋などといふ大雑把な理解の範疇に留めても、新しく見えてくるものはないのだ。

その意味で、津田の「支那の文字のもつ役割はさほど重いものではない」といふのは、本當だらう。日本語の文法を見ても、あの國の文法とは全く違ふ。

 石川九楊氏は『二重言語論』で「文字は発声・音韻や文法の構造にまで入り込むのであって、その考察を欠いた言語論は滑稽とさえ言える」(三一頁)と思ひきつた發言をしてゐるが、むしろ、その言の方が「滑稽」ではないだらうか。それは助詞のない支那語の側から、日本語を見た場合の幻想であり、虚像である。現実よりも大きく見えてしまふのがその特徴である。

 そして、同じ頁の中で、「言語にとって重要なのは語彙の質と量と、その語彙を引き出す力であると同時にその語彙を成立せしめる力である文体、つまり語彙と文体であり、文法は二義的なのである」と言ふのは、矛楯ではないだらうか。文體とは文法があつてはじめて成立するものであつて、文體が文法に優先するとなれば、それはもはや言語でなくなつてしまふ。

私は、個性と日本人らしさについて考へるとき、この文體と文法との關係を使ふが、私たちの道徳觀や生活習慣を否定して、自分勝手な振舞ひを「個性」とは言ふまい。醫者は醫者らしくあつた上に個性がある、それならば良い。しかし、目茶苦茶な醫療をして患者を殺してしまふやうではそれを醫者の個性とは言はないのと同じことである。福田恆存は、かうした「個性」を「野性」と言つた。言葉においても同樣である。文法があつて文體がある。

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時事評論石川――6月號

2007年06月19日 16時37分37秒 | 告知

○最新號の目次を以下に記します。どうぞ御關心がおありでしたら、御購讀ください。1部200圓です。年間では2000圓です。

脱北者問題の本質とは何か

    ――脱北の流れは止められる、なぜならば――

                       評論家     三浦小太郎

憲法九条は諸悪の根源

       ――二度と敗戦を繰り返さぬためには――

                軍事評論家     潮 匡人

奔流  「年金」で内閣支持率急落

       ――悪いのは安倍首相なのか――

                                   (花)

コラム

             恐るべし朝日新聞及び植村隆記者    (蝶)

             ノーベル賞――評價と嫉妬        (柴田裕三)

             英國代表部が見た現行憲法制定經緯(菊)

             小林秀雄との再會                         (星)            

  問ひ合せ

076-264-1119          ファックス  076-231-7009

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精神の運動學――北村透谷研究會 會報誌より

2007年06月17日 19時17分05秒 | 日記・エッセイ・コラム

  以下は、北村透谷研究會の會報誌に寄せた文章である。書いたのは、昨年の十二月である。會長は、桶谷秀昭氏であり、私にとつてはずゐぶん樂しい學會である。桶谷氏はもちろんのこと、新保祐司先生や富岡幸一郎氏など、一線の文藝評論家たちも、かういふ席では結構きわどいこともおつしやるし、書かれた文章についても率直に意見交換ができる。そんな中で出た發言としては、「透谷は所詮二五歳で死んだ人間だ。買ひかぶりもいい加減にしたらいい」といふのがある。仰る通りである。かういふ風通しの良さといふのも、學會にしては珍しく、得難い魅力である。

精神の運動學

前田嘉則

 第三十囘の全國大會は京都で行はれた。久しぶりに參加して、隨分と勉強になつた。杲由美、峯村至津子兩女史による研究の成果は、近代文學成立期の、纖細な經緯を垣間見るやうな發表で興味深かつた。鏡花も一葉も私は門外漢であるだけに、すべてが新鮮で學ぶことは殊の外多かつた。

一人の青年が自立すべく、内には不安を抱へながらも痩せ我慢の自負心でそれを覆ひ隱して闊歩してゐる、そんな像が眼に浮んだ。もとより不安は隱し切れない苦い青春、明治といふ時代はそんな時代なのであらう、御二人の初初しい發表の姿とも相俟つて、その味はひが透谷研究會の發表にはふさはしいと思はれた。

  出原隆俊氏の講演は透谷の全體像をずばりと把握する試みで、刺戟的であつた。近代文學の先驅けたる逍遙はもとより、透谷にも明確に「内部」と「外部」といふ問題意識は存在するといふのは、コロンブスの卵のやうで、なるほどと合點することが多かつた。

また、三島由紀夫にもその問題意識は見られるといふ指摘は斬新で、透谷との關聯を考へる上で、その思想とは別に近代文學の一筋の道が見えてくるやうに思へた。

以下は講演を聽きながら思ひ附いた、樣樣な聯想である。

私が讀む現代作家と言へば數少ないが、村上春樹は愛讀する作家の一人である。村上が紡ぎ出す物語は、「内部」と「外部」とが相互入れ替へしたり、あるいは兩者の區別がつかずに渾沌としたりといふところに成立してゐるものである。その意味では、「近代文學」と隔絶したところにあるとも言へる。

言つてしまへば、それは「内部」だけの物語であり、行動なき物語である。それが文學の成熟を意味するのかどうかは分からないが、さういふところに現代文學は來てゐるといふことは事實である。村上が小説の構成によく使ふパラレルワールドは、一見「内部」と「外部」にも見えるが、夢かうつつか分からない觀念の遊び、そんな印象もある。近年の長篇『海邊のカフカ』はその典型で、すべては夢でしたと言へば、それで納得出來てしまふほど、「内部」を抑制したり刺戟したりするする確實な「外部」といふものがない。

これは誰も言はないことだが、シェイクスピアの『夏の夜の夢』の飜案のやうでもあり、あの作品に示された、森の妖精達の作り出す世界と現實のお城の中での出來事とを思ひ浮べるのは容易であつた。村上のパラレルワールドも、讀者はその二筋の道を通じて一つの像を頭の中で結ぶのである。それはちゃうどネガとポジとが實像の兩面を映しだすのと同じである。しかしながら、パックの幕切れの言葉よろしく「ちよいと夏の夜のうたたねに垣間みた夢まぼろしにすぎない」と種明かしをされてしまへば、すべては虚像だと言へなくもない。

もつとも、かうした趣向は何も外國の中世文學に御手本を搜さずとも、本邦の中古の物語を見れば、いくらでも似た世界があるのであつて、單に傳統に囘歸したといふことなのかもしれない。しかし、日本近代がやうやくにして見つけた「自我」といふものを、それを否定したり肯定したりする超越者=絶對者を搜して、より陰翳を深くする(平たく言へば、『老人と海』のサンチャゴのやうな、シェイクスピアで言へばハムレットのやうな、一人の英雄を作り出す)方向で、文學の成熟が圖られたのではなく、探求することをやめ、戸惑つてゐるだけだとも言へる譯で、村上春樹への評價は未だ留保せざるを得ない。

『海邊のカフカ』には次のやうな言葉がその終はり近くに出てくる。

「僕はそのとき空白と空白とのあいだにはさみこまれている。なにが正しくなにが正しくないのか見きわめることができない。自分がなにをもとめているのかさえわからない。僕は激しい砂嵐の中にひとりで立っている。自分がのばした手の先だって見えない。どちらに行くこともできない。骨を砕いたような白い砂が僕をすっぽりと包んでいる。(中略)

呪縛がとける。僕はもう一度ひとつになる。僕の身体に温かい血が戻ってくる。(中略)僕は角を曲がり、そして山あいの小さな世界は視界から消える。それは夢と夢のはざまに飲みこまれてしまう。そのあとは森の中を抜けることだけに意識を集中する。道を見失わないこと。道からはずれないこと。それがなによりも重要だ。」

ところで、出原氏はその講演の中で、透谷のキーワードとして、「縛」があるのではないかと問題提起をされた。次の例がその一つである。

「もし我にいかなるつみあるかを問はゞ我は答ふる事を得ざるなり、然れども我は牢獄の中にあり。もしわれを拘縛する者の誰なるを問はゞ我は是を知らずと答ふるの外なかるべし。」

「我牢獄」

もちろんかうした指摘は、「内部生命」といふ言葉の重要性に變化をもたらすものではないだらうし、透谷の中でくつきりと概念化されたものでもないだらう。が、「呪縛」といふイメージが強いといふ指摘は重要である。自我を發見した「内部」の人間が、「外部」の抵抗を感じ出したからである。

村上の「呪縛」と透谷の「拘縛」と、辭書的な意味においては近似してゐるが、その意味の重さにおける逕庭は埋めやうがない。なぜなら、牽強附會を恐れずに言へば、「日本近代がやうやくにして見つけた『自我』といふものを、それを否定したり肯定したりする超越者=絶對者を搜して、より陰翳を深くする」努力を、私たちのこの百年がして來なかつたからである。もちろん透谷も自我の桎梏に苦しんだばかりで、その解決の道を探ることができなかつた。しかし、「我は牢獄の中にあり」といふ自覺が、夢から醒めたら消えてゐたといふやうななまやさしいものではなかつたからこそ、壯絶な文章と生涯とを殘し得たのである。それは、精神の垂直運動と言ふべきものであつた。

「精神の垂直運動」とは分かりにくが、キェルケゴールが『現代の批判』で示した「精神の水平化」、これに對する抵抗運動として私が考へてゐるものである。

その端的な例を、講演の資料を引用して示せば、「眼を上げて大、大、大の虚界を視よ、彼處に登攀して清涼宮を捕握せよ」(「人生に相渉るとは何の謂ぞ」)である。

私にとつて村上春樹は、決して嫌ひな作家ではない。現代作家の中では唯一人と言つても良いくらゐ、誠實に人間がいかにあるべきかについて考へてゐる作家である。先に引いた文にも見られるやうに「なにが正しくなにが正しくないのか見きわめることができない。自分がなにをもとめているのかさえわからない」と書けるのは、「正しいものは何か」「何を自分は求めてゐるのか」を考へてゐるからである。その試み自體をもう三十年近く續けてゐるといふことは眞摯な取り組みであると言へよう。

ただ、村上の、あるいは言つてよければ私たちが生きてゐる現代の文學が、總じて持つてゐる課題は明確に存在する。詳しくは別のところに書いたので觸れないが、それを今囘の講演に引き寄せて再言すれば、「内部」とは何かといふことであり、「外部」は何ゆゑに私たちの「内部」を抑壓するのかといふことを突き詰めて考へてゐないといふことである。その探求に際して、本來重要な資料となるはずなのが聖書であるが、それを讀んでゐる形跡は私たちの現代作家にはゐない。自我の發見が西洋でなされたといふ歴史を信じるのであれば、私たちもまた聖書を讀まずして、西洋の文學、あるいは近代文學の正統を知る事はできないと知るべきである。

そして、ロレンスもエリオットもあるいはメルヴィルも、まづは自己の良心の聲を聽いて、超越者の意志を知ることができた。なぜそれが出來たのかと言へば、聖書を讀んでゐたからである。それが、生くべき道を示してゐるからである。聖書などを持ち出せば、ずゐぶんと照れ臭いが、現代作家が聖書を讀まないといふことは、文藝批評家として言はなければならない。。

「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでゐるが、私の肢體には別の律法があつて、私の心の法則に對して戰ひをいどみ、そして、肢體に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしてゐるのを見る。わたしはなんといふみじめな人間なのだらう。」

「ローマ人への手紙」第七章二十二~二十四節

キリスト者は、ここからイエスへの信仰に向ふのであるが、私たちは直ちにさうは行けない。しかしながら、自我を發見してしまつたといふ「近代の宿命」を自覺し、自我の呪縛を如何に解くかといふ「近代の超剋」を試みるには、「私」とは別次元の存在の力を借りるしかない。別の存在とは別の自我では「超剋」が望めない以上、超越者でなければならない。即ち、絶對者の力を必要とするのである。それを希求する精神の運動はもはやキリスト教といふ一つの信仰のあり方を越えた、普遍的なものである。

平たく言へば、天を仰ぎつつ良心の聲を聽くといふことである。良心の聲を聽いた文學、それが透谷文學の本質であらう。そして、私たちの現代文學に決定的に缺けてゐるものがそれである。私が村上に期待するのも、課題として感じるのもその一點である。

ヴァレリーは「精神の政治學」を言つたが、これから必要なのは「精神の運動學」なのである。

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言葉の救はれ――宿命の國語168

2007年06月13日 22時37分08秒 | 福田恆存

 前囘見た石川九楊氏の發言中、「政治文字が決定づけた」といふのは、それが古代ならばさうだとも言へよう。つまり、「秦始皇帝が統一し、制定した篆書体という政治文字」なら、文字が「文明、文化」を「決定づけた」とは、言へるだらう。しかし、その當時の關係が(始皇帝による支配が)今もつづいてゐるといふ發想には、度を越えた飛躍がある。もちろん、氏は東洋の言葉は、書字中心言語で、書くことにその本質があるとし、それにたいして西洋の言語は、聲中心言語で、話すことにその本質があるという性質が「決定づけられた」と言ひたいのであらう。しかし、その結論を出すには、より精緻な分析が必要である。

 文字といふものに過大な評價を與へてゐるからである。明らかに中國語の文法と日本語の文法とは違つてゐるではないか。文法とは、書き言葉によつて生まれたものではなく、文字が生まれる以前の話し言葉の中にすでにあつたものである。

 たとへば、現代中國語の「我是學生」と日本語の「我は學生です」とは、「我」や「學生」といふ言葉は同じであり、「我」「學生」といふ単語の順序は同じで、日本語は中國語の壓倒的な影響力の下にあると言へなくもない。が、「我は學生である」「我は學生ではない」、あるいは同じやうに「この花は美しい」「この花は美しくない」、「問題を考へる」「問題を考へない」など、日本語の文意の決定は文末でなされるといふ常識を思ひ出せば(中國語は英語と同じで、動詞の前に否定語をつける)、中國語とはまつたく隔絶したところにある言語であるといふことになるではないか。壓倒的な影響力は、漢字の文字においてはあつても、文の構成においてあるとは到底言へない。

 また、石川氏は、アジアといふ言葉で一括りして論じる癖があるが、それも中國語を重視するゆゑの誤謬である。アジアといふ地域は、一括りできるものではない。次の文をお讀みいただきたい。

「何よりも明白なのは、日本人の生活と支那人のそれとがすべての點に於いて違つてゐる、といふことである。家族制度も社會組織も政治形態も又は風俗も習慣も、日本人と支那人とに共通なものは殆ど無いといつてよい。道徳や趣味や又は生活の氣分といふやうなものが全く違つてゐることは、いふまでもなからう。日本人と支那人との間に意志の疏通を缺くことが多く、互に他を知ることが困難であつて感情の疎隔が生じがちであり、國交が常に紛糾してゐるのも、その根本はこゝにある。これは民族が違ひ、生活の地盤もしくは環境としての地理的形態や風土が違ひ、さうしてまた全く違つた別々の歴史を有つてゐるからのことである。民族の違ふことは言語が全く違つてゐる一事から見ても明白であつて、それはむしろ人種の違ひといふべきである。」

                        津田左右吉『支那思想と日本』一五二頁

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中村晋也の彫刻――祈り

2007年06月12日 19時49分54秒 | 日記・エッセイ・コラム

  前前から行かうと思つてゐた、中村晉也彫刻展にやうやく行くことができた。京都の京セラ美術館である。中村晉也美術館は鹿兒島にあるが、不覺にも九州にゐた頃は知らずに、行くことができなかつた。

11025500

開催者の趣旨説明にかうある。

「『ミゼレーレ』に凝縮されるキリスト教的な無私の愛と献身、『シャカ十大弟子』に象徴される仏教の慈悲と調和の精神、東洋と西洋それぞれに祈りの形は違っても、その根底にある、人間を超越する偉大なものの存在を認め、その存在の前に謙虚になり、自らの弱さや至らなさを理解した上で、ひたむきによりよく生きようとする人間の姿には変わりない。」

  大正15年生まれの中村氏は、すでに80歳を越えてゐるが、今も制作をやめない。粘土を持つと手が動いてしまふといふのだ。藥師寺には、今年になつて二體の像が納められた。大東亞戰爭で友人達を失ひ、その鎭魂の思ひもあり、祈りはそのライフワークになつた。しかし、阪神大震災の慘状を見て、自分の「祈り」は甘いものだと知り、ミゼレーレの連作を始めた。またそのかたわら各地のキリスト教寺院に巡禮の旅を續け、佛教の世界に釋迦の弟子の名を冠した寺院がないことに氣附く。そこから、佛教の救ひに導く、弟子の姿を作らうと思ひ立ち、アーリア人の姿、形を求めてインドやネパールを巡り歩いた。その結晶が、「シャカ十大弟子像」である。

  像の印象は、どれも生命を感じるものであつた。私は今年三月に大阪で開かれた伊藤眞乘のことを書き、現代の佛像は顏が惡いと書いた。しかし、そのことを訂正したい。この彫刻家は佛像は彫つてゐないから、正確には言ひ切れないが、釋迦の弟子達の立像には心を打たれた。素晴しかつた。

  殘念ながら、6月15日で終了である。無料。

薬師寺 釈迦十大弟子
価格:¥ 6,300(税込)
発売日:2003-02

薬師寺 釈迦十大弟子

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