言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

精神の運動學――北村透谷研究會 會報誌より

2007年06月17日 19時17分05秒 | 日記・エッセイ・コラム

  以下は、北村透谷研究會の會報誌に寄せた文章である。書いたのは、昨年の十二月である。會長は、桶谷秀昭氏であり、私にとつてはずゐぶん樂しい學會である。桶谷氏はもちろんのこと、新保祐司先生や富岡幸一郎氏など、一線の文藝評論家たちも、かういふ席では結構きわどいこともおつしやるし、書かれた文章についても率直に意見交換ができる。そんな中で出た發言としては、「透谷は所詮二五歳で死んだ人間だ。買ひかぶりもいい加減にしたらいい」といふのがある。仰る通りである。かういふ風通しの良さといふのも、學會にしては珍しく、得難い魅力である。

精神の運動學

前田嘉則

 第三十囘の全國大會は京都で行はれた。久しぶりに參加して、隨分と勉強になつた。杲由美、峯村至津子兩女史による研究の成果は、近代文學成立期の、纖細な經緯を垣間見るやうな發表で興味深かつた。鏡花も一葉も私は門外漢であるだけに、すべてが新鮮で學ぶことは殊の外多かつた。

一人の青年が自立すべく、内には不安を抱へながらも痩せ我慢の自負心でそれを覆ひ隱して闊歩してゐる、そんな像が眼に浮んだ。もとより不安は隱し切れない苦い青春、明治といふ時代はそんな時代なのであらう、御二人の初初しい發表の姿とも相俟つて、その味はひが透谷研究會の發表にはふさはしいと思はれた。

  出原隆俊氏の講演は透谷の全體像をずばりと把握する試みで、刺戟的であつた。近代文學の先驅けたる逍遙はもとより、透谷にも明確に「内部」と「外部」といふ問題意識は存在するといふのは、コロンブスの卵のやうで、なるほどと合點することが多かつた。

また、三島由紀夫にもその問題意識は見られるといふ指摘は斬新で、透谷との關聯を考へる上で、その思想とは別に近代文學の一筋の道が見えてくるやうに思へた。

以下は講演を聽きながら思ひ附いた、樣樣な聯想である。

私が讀む現代作家と言へば數少ないが、村上春樹は愛讀する作家の一人である。村上が紡ぎ出す物語は、「内部」と「外部」とが相互入れ替へしたり、あるいは兩者の區別がつかずに渾沌としたりといふところに成立してゐるものである。その意味では、「近代文學」と隔絶したところにあるとも言へる。

言つてしまへば、それは「内部」だけの物語であり、行動なき物語である。それが文學の成熟を意味するのかどうかは分からないが、さういふところに現代文學は來てゐるといふことは事實である。村上が小説の構成によく使ふパラレルワールドは、一見「内部」と「外部」にも見えるが、夢かうつつか分からない觀念の遊び、そんな印象もある。近年の長篇『海邊のカフカ』はその典型で、すべては夢でしたと言へば、それで納得出來てしまふほど、「内部」を抑制したり刺戟したりするする確實な「外部」といふものがない。

これは誰も言はないことだが、シェイクスピアの『夏の夜の夢』の飜案のやうでもあり、あの作品に示された、森の妖精達の作り出す世界と現實のお城の中での出來事とを思ひ浮べるのは容易であつた。村上のパラレルワールドも、讀者はその二筋の道を通じて一つの像を頭の中で結ぶのである。それはちゃうどネガとポジとが實像の兩面を映しだすのと同じである。しかしながら、パックの幕切れの言葉よろしく「ちよいと夏の夜のうたたねに垣間みた夢まぼろしにすぎない」と種明かしをされてしまへば、すべては虚像だと言へなくもない。

もつとも、かうした趣向は何も外國の中世文學に御手本を搜さずとも、本邦の中古の物語を見れば、いくらでも似た世界があるのであつて、單に傳統に囘歸したといふことなのかもしれない。しかし、日本近代がやうやくにして見つけた「自我」といふものを、それを否定したり肯定したりする超越者=絶對者を搜して、より陰翳を深くする(平たく言へば、『老人と海』のサンチャゴのやうな、シェイクスピアで言へばハムレットのやうな、一人の英雄を作り出す)方向で、文學の成熟が圖られたのではなく、探求することをやめ、戸惑つてゐるだけだとも言へる譯で、村上春樹への評價は未だ留保せざるを得ない。

『海邊のカフカ』には次のやうな言葉がその終はり近くに出てくる。

「僕はそのとき空白と空白とのあいだにはさみこまれている。なにが正しくなにが正しくないのか見きわめることができない。自分がなにをもとめているのかさえわからない。僕は激しい砂嵐の中にひとりで立っている。自分がのばした手の先だって見えない。どちらに行くこともできない。骨を砕いたような白い砂が僕をすっぽりと包んでいる。(中略)

呪縛がとける。僕はもう一度ひとつになる。僕の身体に温かい血が戻ってくる。(中略)僕は角を曲がり、そして山あいの小さな世界は視界から消える。それは夢と夢のはざまに飲みこまれてしまう。そのあとは森の中を抜けることだけに意識を集中する。道を見失わないこと。道からはずれないこと。それがなによりも重要だ。」

ところで、出原氏はその講演の中で、透谷のキーワードとして、「縛」があるのではないかと問題提起をされた。次の例がその一つである。

「もし我にいかなるつみあるかを問はゞ我は答ふる事を得ざるなり、然れども我は牢獄の中にあり。もしわれを拘縛する者の誰なるを問はゞ我は是を知らずと答ふるの外なかるべし。」

「我牢獄」

もちろんかうした指摘は、「内部生命」といふ言葉の重要性に變化をもたらすものではないだらうし、透谷の中でくつきりと概念化されたものでもないだらう。が、「呪縛」といふイメージが強いといふ指摘は重要である。自我を發見した「内部」の人間が、「外部」の抵抗を感じ出したからである。

村上の「呪縛」と透谷の「拘縛」と、辭書的な意味においては近似してゐるが、その意味の重さにおける逕庭は埋めやうがない。なぜなら、牽強附會を恐れずに言へば、「日本近代がやうやくにして見つけた『自我』といふものを、それを否定したり肯定したりする超越者=絶對者を搜して、より陰翳を深くする」努力を、私たちのこの百年がして來なかつたからである。もちろん透谷も自我の桎梏に苦しんだばかりで、その解決の道を探ることができなかつた。しかし、「我は牢獄の中にあり」といふ自覺が、夢から醒めたら消えてゐたといふやうななまやさしいものではなかつたからこそ、壯絶な文章と生涯とを殘し得たのである。それは、精神の垂直運動と言ふべきものであつた。

「精神の垂直運動」とは分かりにくが、キェルケゴールが『現代の批判』で示した「精神の水平化」、これに對する抵抗運動として私が考へてゐるものである。

その端的な例を、講演の資料を引用して示せば、「眼を上げて大、大、大の虚界を視よ、彼處に登攀して清涼宮を捕握せよ」(「人生に相渉るとは何の謂ぞ」)である。

私にとつて村上春樹は、決して嫌ひな作家ではない。現代作家の中では唯一人と言つても良いくらゐ、誠實に人間がいかにあるべきかについて考へてゐる作家である。先に引いた文にも見られるやうに「なにが正しくなにが正しくないのか見きわめることができない。自分がなにをもとめているのかさえわからない」と書けるのは、「正しいものは何か」「何を自分は求めてゐるのか」を考へてゐるからである。その試み自體をもう三十年近く續けてゐるといふことは眞摯な取り組みであると言へよう。

ただ、村上の、あるいは言つてよければ私たちが生きてゐる現代の文學が、總じて持つてゐる課題は明確に存在する。詳しくは別のところに書いたので觸れないが、それを今囘の講演に引き寄せて再言すれば、「内部」とは何かといふことであり、「外部」は何ゆゑに私たちの「内部」を抑壓するのかといふことを突き詰めて考へてゐないといふことである。その探求に際して、本來重要な資料となるはずなのが聖書であるが、それを讀んでゐる形跡は私たちの現代作家にはゐない。自我の發見が西洋でなされたといふ歴史を信じるのであれば、私たちもまた聖書を讀まずして、西洋の文學、あるいは近代文學の正統を知る事はできないと知るべきである。

そして、ロレンスもエリオットもあるいはメルヴィルも、まづは自己の良心の聲を聽いて、超越者の意志を知ることができた。なぜそれが出來たのかと言へば、聖書を讀んでゐたからである。それが、生くべき道を示してゐるからである。聖書などを持ち出せば、ずゐぶんと照れ臭いが、現代作家が聖書を讀まないといふことは、文藝批評家として言はなければならない。。

「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでゐるが、私の肢體には別の律法があつて、私の心の法則に對して戰ひをいどみ、そして、肢體に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしてゐるのを見る。わたしはなんといふみじめな人間なのだらう。」

「ローマ人への手紙」第七章二十二~二十四節

キリスト者は、ここからイエスへの信仰に向ふのであるが、私たちは直ちにさうは行けない。しかしながら、自我を發見してしまつたといふ「近代の宿命」を自覺し、自我の呪縛を如何に解くかといふ「近代の超剋」を試みるには、「私」とは別次元の存在の力を借りるしかない。別の存在とは別の自我では「超剋」が望めない以上、超越者でなければならない。即ち、絶對者の力を必要とするのである。それを希求する精神の運動はもはやキリスト教といふ一つの信仰のあり方を越えた、普遍的なものである。

平たく言へば、天を仰ぎつつ良心の聲を聽くといふことである。良心の聲を聽いた文學、それが透谷文學の本質であらう。そして、私たちの現代文學に決定的に缺けてゐるものがそれである。私が村上に期待するのも、課題として感じるのもその一點である。

ヴァレリーは「精神の政治學」を言つたが、これから必要なのは「精神の運動學」なのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする