言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語167

2007年06月10日 07時03分37秒 | 福田恆存

近代の外來語の問題と言へだ、たとへば、サボタージュが「さぼる」に、あるいはダブルが「だぶる」にと日本語化してゐるのは、あまり品のよい移入のかたちであるとは思はない。しかも、多くの日本人は、「さぼる」も「だぶる」も和語であると思つてゐる。品のよさなどといふ感覺がなくなつてゐるのだらう。ともあれ、かうしたメタ構造が現にあるといふことは、原日本語の性質に「つつみこむ」といふ性質があると言つて良いだらう。

ただし、今日の外來語の濫用については福田恆存も私自身も疑問があり、私にも考へがあつて、「つつみこむ」と言へるかどうか問題もある。が、それは別の機會にふれることにする。

  ところで、日本語に無文字の時代があるのなら、中國にもあつたはずである。無文字が非文明であるといふ證據は有り得ない。

襟・衿といふ字は、形聲文字(一つの漢字のなかに、意味を表す部分「形」と音を表す部分「聲」とがある文字)だが、「ころもへん」が意味を、「禁」「今」が音を表してゐる。文字が作り出されていく過程で、「えり」を意味する「キン」といふ音はあつたが、それを現す文字がなかつたので、衣の「キン」と呼ばれてゐる部分といふ意味で「襟」「衿」が生まれたと考へられる。ちなみに言へば、現代北京語では禁も襟も「jin(ジン)」である。もつともこの解釋は我流のもので、白川靜先生の研究では、別のことが書かれてゐるかもしれない。

  石川氏は、「文字が生れ、書記言語の成立とともに文法が確立するものであって、書記言語の成立なくして、文法の成立はありえない」(前掲書三一頁)と言つてゐるが、本當であらうか。この部分に続けて書かれてゐる「言葉が書記されること以前にどのような文法が存在するかはまったく不明なのである」はまだ良いとしても、文法は、文字のできる前からあつたと考へるのが妥當ではないか。繩文時代の集落の規模、農業生産の仕組やそれらによる交易があつたことを示す遺跡の數々を見るにつけ、單語の羅列で事足りるといふ解釋には素直にうなづけない。初期には單語の組み合せに近い状態があつたのかもしれないが、しだいに文法が生まれてきたと考へるのが正確な認識であらう。

石川氏は、いつたいにアジアといふものは壓倒的な中國文明の支配の下にあつて築き上げられたもので、日本もまたその文明下に治められてゐると見てゐる。日本語の文法などは、そのなかで作られたものであつて、原日本語の構造など、取るに足りないおのと考へてゐるやうである。

「文化相対主義者がどのような説明をしようとも、アジアとりわけ東アジアという言葉でくくられる文明、文化と、それとは異質なヨーロッパという言葉でくくられる文明、文化がある。そのアジアとヨーロッパとの違いは、まぎれもなく、秦始皇帝が統一し、制定した篆書体という政治文字が決定づけたのである」

『二重言語国家・日本』五二頁

コメント (2)
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