言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

記事の重複について

2007年06月24日 22時27分53秒 | 告知

  今日になつて突然アクセス數が増えて何事だらうと思つてゐたら、友人に「お前、また木村さん(「地獄の箴言」)に叩かれてゐるよ」と言はれた。「なぜ」と訊いたら、「お前のブログの連載が重複してゐるからだ」と言はれた。それで、木村さんのブログを見てみた。なるほど叮嚀に指摘していただいてゐる。さういふことかと合點がいつた。

  自分のミスでアクセス數が増えるといふのは、情けない話だが、仕方ない。本當のことだから。この件は認めざるを得ません。ひょつとするともつと重複がありさうな氣もする。氣を付けて貼つてゐるのだが、前囘どこまで貼つたかを確認したつもりが間違へてしまつたらしい。かういふ作業は苦手である。新聞連載の方は、かういふことはないのは、その都度書いてゐるからで、編輯者もゐるし、當り前のことである。

   まだ新聞連載は續いてゐる。ブログのペースを早めても、まだ三分の一である。もとより私の論は體系的なものではない。それは力量不足だから仕方ない。宿命として國語を受け止めよといふことについても腐してをられるが、それについては變へる必要を感じない。木村さんは違ふやうだが、私としてはそんなことは一向に構はない。福田恆存はさうは言つてゐないといふのなら、どうそ御指摘ください。私も木村さんも共に國語問題協議會の一員であるが、意見が違ふのは問題ないでせう。

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言葉の救はれ――宿命の國語171

2007年06月24日 19時56分37秒 | 福田恆存

  いつたいに「文明」とは廣い範圍に流通し、後にはどこが發祥地であつたのか、どこが中心地であるかといふことが分からなくなり問はれることすらなくなる性質をもつてゐる。文明とはしたがつて技術のことであると言ふこともできる。

たとへば、日本の樣樣なアニメーションは、韓國で生まれたものだと考へられてゐると韓國でアニメーションの仕事をしてゐる友人に聞いたことがあるし、我我日本人が浦安のディズニーランドに行くときに、そこがアメリカ出自の技術の移転先であるといふことを念頭に置きながら、スペースマウンテンやらジャングルクルーズやらに乘つて遊んでゐる者もゐないだらう。

もつと視野をひろげて考へてみれば、背廣や自動車や電力や學校制度といつたものは、どこで誕生したのかといふことは、クイズ番組のなかでは問題とされても、人人の日常生活のなかで意識にのぼることはありえない。それほどに馴染んでゐるからである。それが文明といふものである。

  これにたいして「文化(culture)」は、今さら言ふまでもないことであるが、土地を耕す、才能を養ふ、精神を陶冶するといふ意味の「cultivate」の派生語であり、自然に何らかの能動的な行爲を施すことを意味してゐる。もちろん、ここで言ふ「自然」とは抽象的な存在ではなく、故郷であり、風土であり、具體的な土地に結びついてあるものであり、さうであれば、「文化」とは「具體的な場所」を離れてはありえない性質を持つてゐると考へて良いだらう。

 卑近な例で言へば、靴をぬぐとき、つまさきの方を外に向けて家に入るのは、私たち日本人であり、逆に内に向けて家に入るのは、韓國人である。韓國で、日本人のやうにつまさきを外側に向ければ、「早く歸れ」といふ意味になつてしまふと聞いた。歸るときに履きやすいやうに置くといふことは、早く歸れといふ意味になると彼らは考へるからである。ところが、つまさきを内に向けるといふことに私たち日本人は、格別の理由はないけれどもなにやら異樣な印象を受ける。靴を整理してゐるといふ感じはなく、むしろぬぎつぱなしといふ印象を感じてしまふのである。

 靴のぬぎ方ひとつをとつても、その土地によつて作法がある。それが文化である。敬語といふ待遇表現でも親に尊敬語を私たちは使はない。しかし、韓國語では使はなければならない。立てひざをついて食事をすれば、私たちにはマナー違反と映るが、韓國では女性の正式な座り方である。ことほどさやうに同じ言動であつても國が違へば失禮にあたるといふことさへあるのだ。

  では、漢字といふものは、文化に屬するものか文明に屬するものであらうか。支配的な力をもち、廣大な面積を統一することのできたといふ意味で、文明(技術)であらう。

しかし、それは始皇帝が支配した秦の時代を祖とする中國古代や、大和朝廷が漢字を基に萬葉集を編纂した日本の古代においては權力的な「文明」ではあつても、いつまでもそれが絶對的な權威として力を有し、中國と日本との關係が支配・被支配の關係であると考へるのは、間違つてゐる。

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言葉の救はれ――宿命の國語170

2007年06月24日 09時17分59秒 | 福田恆存

川端康成の『雪國』の冒頭にある「夜の底が白くなつた」はまぎれもなく文體であつて、「夜が底の白くなつた」は文體はおろかもはや言葉ですらない。「が」と「の」といふ「語彙」の選擇は、文體がもたらすのではなく、文法がもたらすものである。

文法に從ひながら、そのなかで個人の趣向や言語感覺がかもしだすのが文體である。どこかの外國人が話すやうな「夜底白い」で意味が通じるのだから、「の」や「が」といふ助詞は重要ではないと石川氏が言ふのは言ひがかりである。それでも、この助詞の使ひ分け(つまり文法)が「二義的」なものであるといふのならば、もう少し精緻で説得力のある檢討が必要である。

斷言は、明確な根據がなければ單なる啖呵を切つてゐるに過ぎない(もちろん、私は文法といふものが演繹的にアプリオリに存在してゐるなどといふことを言つてゐるのではない。言葉の誕生つまり音聲と意味との聯合が少しづつ「言葉」を作り出していく過程のなかで、文法が生まれたのであり、そしてまたその文法が新たな言葉を作り出していくといふ相互作用を認めてゐるものである。ししかしながら、時代が下るにしたがつて、文法と言葉との關係は少しづつ變化し、前者が後者を壓倒する傾向が強まつてゐると言ひたいのである)。

  石川氏は、東アジアを書字中心言語地帶として位置付け(『二重言語』五二頁)、ヨーロッパの音聲中心言語の文化と對比する。このこと自體には何の問題も見出せないが、石川氏の念頭にある文字は、いつでも「漢字」である。より正確に言へば、秦始皇帝による文字のことである。それ以前は「象徴記号的古代宗教文字」(同書五一頁)であり、始皇帝による「政治的字画文字」こそ「書字中心言語地帯」として「東アジアの歴史と文化を形成しつづけ」たと見る。

たしかに現在、古代宗教文字はすべて滅び、いはゆる「漢字」が東アジアの文明を基礎づけてゐるやうに見える。しかし、先に津田の言でも触れたやうに、アジアは一つではない。漢字以前にそれぞれの文化を持ち、私たちの日本においても、漢字によつて記録は生まれたが、漢字によつて日本文化が生まれたといふ勇気ある結論は、石川九楊氏以外には見当たらない。

それどころか、漢字と言つても、現支那で使用してゐるのは簡體字であるし、台灣では繁體字(正漢字)である。韓半島では、ハングル文字が主流であり、國民のほとんどは漢字を書けない。北の方では、あの有名な「主體思想」によつて外來文字である漢字は使用を禁じられてさへゐる。自文化中心主義(エスノセントリズム)の極致があの「主體思想」である。

日本はどうか。常用漢字なるものが流通し、畫數を減らすことを目的として意味のつながりを無視したまつたく異樣な漢字が使はれてゐる。「摸索」の「摸」が「常用漢字」にないから、「模索」にすると言つた類である。漢字の文明どころではない、宛字なのであるから。

  かうしてみると、東アジアの國々の人々同士では、筆談さへもほとんどかなはないといふのが、實態ではないだらうか。假想の「漢字文明圈」である。

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