村田沙耶香と言へば『コンビニ人間』(2016年 芥川賞)であるが、1979年生まれのこの作家(つまり、現在45歳)にとつて、『しろいろの街の、その骨の体温の』(2012年)が今のところの代表作と言へるかもしれない。
この2022年に書かれた『信仰』も、全く真実味を感じられない。「原価いくら」が口癖の主人公が、現実志向でブランド物や飲食店の値段のつけ方に違和感を抱きながら、友人が始めたカルトに惹かれていくといふのが筋立て。理性的な性格の持ち主が、一週回つて反理性に行きつくといふのは、人間の逆説としては面白いが、そこには「本当さ」がない。言葉遣ひの誤りと言つてもよい。つまり、これは「信仰」の物語ではなく、「詐欺」の物語であり、どう控へ目に言つても「信じる心」を弄んでゐる者の物語ぐらゐであつて、「信じて仰ぐ」といふ精神の営みにはなつてゐない。たぶん、作者自身が信じたこともなく、懐疑するだけの理性を「信じ」てゐるからだらう。
この短編集から感じるのは、知の遊戯、知の迷宮であつて、信じることの葛藤や現実による引き裂かれるほどの焦燥を体験したことがないといふ冷静さである。かつて大江健三郎が「信仰のない者の祈り」といふことを言つたが、それと同じである。一言で言へば「いいきなものだ」といふ感想しかない。
星新一の短編集に漂ふ気持ち悪さ、不吉さ、それと同じ印象を受けた。これが現代文学だといふ自負が作者にあるのだとすれば、「ああ、さうですか」と言ふしかない。
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