言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

「怒り」はスティグマから――ゴッフマンの思想

2016年12月30日 07時13分04秒 | 日記

 昨日、「今年の収穫」として吉田修一の『怒り』について書いた。登場人物の一人である男が殺人事件を起こしたのだが、昨日の感想では、社会的にレッテルを貼られ、息苦しい毎日を送つてゐたことがその事件の背景にあるのではないかといふ見立てをした。

 書き終はつて、『中央公論』の一月号を読んでゐたら、E・ゴッフマンの『スティグマの社会学』といふ本が取り上げられてゐた。内容はまつたく説明なく書名だけである。恥づかしながら「スティグマ」といふ名詞がどんな意味であつたか思ひ出せず、調べるとこれこそ『怒り』の犯罪者の心理ではないかと感じた。

 今、ネットでその意味を調べると、「〔ギリシャ語で、奴隷や犯罪者の身体に刻印された徴しるしの意〕個人に非常な不名誉や屈辱を引き起こすもの。アメリカの社会学者ゴフマンが用いた。」とある(『大辞林』第三版)。

 もともとの意味は「聖痕」といふことで、アシジの聖フランチェスコの掌にイエスの磔刑の傷が現れたやうな奇蹟を言つたが、ゴッフマンはそれを心的外傷のやうな意味で使つたやうだ。

 それから私の関心は、ゴッフマンに移つた。なかなか面白さうな社会学者である。

 いけない、いけない。

 また関心だけが広がつていく。本が増える。

 読んでゐないことの罪悪感が心に広がる。

 いら立つ。

 スティグマ

 の社会学 

 か。

 

 

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