言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

二つ目の消しゴムはいつ使ふのか。

2016年12月06日 21時50分42秒 | 日記

 試験監督の話の続き。

 相変はらず、机上には文房具が並ぶ。シャープペン4本、芯ケース1つ。消しゴム4個。あるクラスの生徒の机の上である。

 今日は、さらに面白いことがあつた。消しゴムが床に落ちた。さつと手を挙げ、「消しゴムを落としました」と伝へてきた。つまり、拾つてくれといふ依頼である。しかし、机上にはもう一つ消しゴムがある。そこで、「目の前の消しゴムはいつ使ふのか」と訊いた。すると、不満げな表情でこちらを見つめた。私が見つめ返すと(イヤなおじさんですね)すごすごと机上の消しゴムを使ひ始めた。

 何かあつた時に困らないために、その子は消しゴムを2個用意したのではないか。そして、時は、今、まさにその「何かあつた時」ではないか!

 なのに、「消しゴムを落としました」である。

 思考が固まつてゐる。消しゴムを2個準備したときの思考が、消しゴムを1個落としたときには動き出さないのである。

 これは結構厄介だな、と思つた。

 消しゴム集めがフェティシズム(物神崇拝)になつてゐる。文房具好きはいつかうに構はない。しかし、道具としての物の価値を忘れて、試験中の机上で物への執着心を広げられてはたまらない。

 一度、文房具の数を抑制するといふことをやつてみようか。

 そんなことを考へた。監督といふ仕事は思考が弾みます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする