言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

年賀状を書く意味。

2016年12月25日 22時24分33秒 | 日記

  これからは年賀状を出す枚数を減らさうかと思つてゐる。

  そもそも在職中の職場の人には出してゐないし、それ以前の同僚に出すことには意味があると思ふから出すが、それとても次第に減つて行く。

   友人にはずつと出してゐるが、その数は増えることはない。そもそも友人がそれほど多い訳ではない。

   お世話になつた方は年々少なくなつていく。

   何より、私の職業では最も忙しい時期と来てゐる。

   年始の挨拶を年末に書くといふのも何だか気分が乗らない。宛名も印刷にしてしまつた。裏に一言書くだけ。送られてくる年賀状も印刷面だけといふ人も多い。社交辞令なら、さういふ関係であるのだからもう来年からは出すこともないと考へてしまふ。

   今はメールもラインもフェイスブックもある。さういふ中で年賀状を出す相手とは、送る必要がある人だけでいいのではないか。いや、さうではなくて、そもそも年賀状とはさういふ人に出すものなのではないか。

  さうであれば、もう数は減らしていつて良い、さう思ふ。

 

   しかし、今年はもう例年通り投函した。いつも同じ迷ひの中にあるやうに思へる。

 

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