言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

今年の収穫

2016年12月29日 10時47分47秒 | 文學(文学)

 今年読んだ本の中から三冊を取り上げる。

1 吉田修一『怒り』上・下(中公文庫)

  久しぶりに吉田修一の小説を堪能した。殺人事件を描きながら、それとは関係ない三つの話が続いていく。テレビやインターネットを通じて、現代の社会に生きてゐる私たちは一方的につなげられていく。「あの人が犯罪者ではないか」といふ疑心暗鬼が人々の心中の底辺部に密かに沈んでいく。それがいつしか「怒り」をもたらし、そしてその人の行動として現れてしまふ。小説といふスタイルだからこそ伝はる現代社会の風景である。切なかつた。それだけに「怒り」を鎮める方法も暗示されてくるやうな気もした。『悪人』がこれまでの吉田修一ベストであつたが、どうやらこの『怒り』はそれを越えてゐるやうだ。映画もよかつた。妻夫木の演技もまた『悪人』とは比較にならないほどのすばらしさであつた。このあと同じく吉田の『路』も読んだ。それもよかつたが、特筆すべきものはない。しばらくは『怒り』ロスで小説が見つかつてゐない。

 

2 五百旗頭真・中西寛編『高坂正堯と戦後日本』(中央公論新社)

 戦後社会のことについて考へる機会があり、今まで読まず嫌ひであつた高坂正堯について読んでみた。本人の文章を読むよりも前に、信頼できる人の「評伝」を讀むといふのが私の読書作法であり、それが初学者の心得であるとも思つてゐるので(異論はあらうが)、いつもの通りの読み方であつた。そして、いい本に出会へた。お弟子の方々で編集されたものであるが、礼賛ばかりではない。高坂の残した「課題」も記されてゐる。そしてそれが、始まつたばかりの国際政治学といふ学問の「課題」であるといふことをも示してゐて、ずゐぶんと奥行きの深い論集になつてゐた。かういふ本だからこそできる、立体的な人物像と学問像、そしてそれがそのまま戦後日本の姿であるといふことまで書かれてゐて感動的であつた。

3 児美川孝一郎『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマ―新書)

 著者は、法政大学のキャリアデザイン学部の教授である。「キャリアデザイン学部」といふ学部があることも不明にして知らなかつた。私の嫌ひな言葉の一つに「キャリア教育」といふものがあつて、学校は社会に出てからどんな職業があるのかを教へるべきだといふ主張のもとに行はれる教育だと理解してゐる。そんなことを言ひ出したら社会の変化に教育はズタズタにされて、何の統一感もないモンタージュ写真のやうな、日本の近代の再現(憲法はドイツ、議会はイギリス、東西で違ふ電圧、新幹線と在来線で違ふ軌道の幅などなど)を改めてせよと言はれてゐるやうに感じる。だから本書のタイトルを知つて飛びついた。「キャリアデザイン学部」の先生が書いた「キャリア教育のウソ」である。こんなに信頼できる本はない。「やりたいこと」「やれること」「やるべきこと」の三つを教へ、自分の夢の実現などといふ嘘話でごまかすのではなく、社会の中で何を果たせるかといふことを自問させるといふのがその要諦であつた。それなら、キャリア教育に限らない。人生とはさういふものであらう。さういふ自他の認識から人生を描くべきといふ意味で「キャリアデザイン」なのだといふことで腑に落ちた。とても勉強になつた。いい本に出会つた。

https://www.manabinoba.com/interview/015387.html

 

 

 

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