ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

北条直正物語(12) 厳しい租額  

2020-07-11 13:21:14 |  北条直正物語

      北条直正物語(12)  厳しい租額

 明治10年の春でした。

 地価を調査するための調査員が台地の村へやってきました。

 百姓は、村の苦しい様をセツセツと訴えました。でも、その実態は理解してもらえなかったようです。

 地租の内示は、旧祖額(江戸時代年の貢率)の3倍を超えていました。

 印南東部6ヵ村の赤松治三郎・井沢重太郎・松田宇在門・丸尾茂平次・松尾宗十郎・赤松治郎三郎は祖額の不当なことを県令に願い出ました。

 しかし、予想していたとおり、返事はありませんでした。

 *(印南東部6ヵ村:蛸草新・草谷・下草谷・野寺新・印南新・野寺の6ヵ村。これら6ヵ村は明治22年4月1日合併して母里村となる)

     新祖額では、村が潰れてしまう!

 そして、明治11年7月24日、新祖額が申し渡される日をむかえました。

 印南新村の丸尾茂平次は、気がすすまぬまま、姫路妙光寺へ出かけました。

 会場には各戸長(村長)の代表等数百人が集まっていました。

 県の掛長は、はっきりした声で述べました。

 「それでは各改正掛より新祖額をお渡しする。よく確かめて印を押されたい」新祖額が戸長(村長)代表に渡されました。

 茂平次は、体のふるえが止まりません。

 内示の額とほとんど変わっていないのです。

 印南の東部6ヵ村の代表は改正係を取り巻いて、その不当な祖額をなじりました。

 印南野でも、この6ヵ村が特に厳しい祖額の申し渡しになりました。

 祖額は、旧祖額(江戸時代の年貢率)と比べて蛸草新村は4.96倍、野谷新村は3.49倍、印南新村は3.44倍、野寺村は3.3倍、下草谷村は2.25倍でした。

 比較的少ない草谷村でも1.76倍でした。

 掛長は、「新しい制度には不備があろうが、猶予のならぬときである。・・・・きょうの六か村の祖額が間違いであったとしても、いずれ正される。だから、今日は、ひとまず調印されたい・・・」というのが精一杯でした。

 6ヵ村の戸長(村長)は、「県令」の強引なやり口をしっていました。

 どうしようもないことを知っていました。

 「(間違いは)いずれ正される」ことに期待し、印南新村を除いてしぶしぶ調印しました。

 印南新村の丸尾茂平次だけは調印をことわりました。

 こんな租税を受けると、村は潰れてしまう・・・(no5024)

 *『赤い土(小野晴彦著)』(神戸新聞総合出版センター)参照

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