ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

北条直正物語(11) 県令、早期の地租改正を迫る

2020-07-10 07:11:45 |  北条直正物語

 廃藩置県(明治4年・1871)後、兵庫県の県域はめまぐるしく変化しました。

 少し、説明しておきましょう。

 明治4年11月2日、現在の兵庫県は図のように豊岡県、兵庫県、名東県(みょうどうけん)、に再編されました。

 その内、姫路県は、1週間後の11月9日に県名を飾磨県と変えています。

 これは旧姫路藩が徳川幕府での最後の大老を出すなど、朝敵藩であり、「姫路」という名称が新政府に嫌われたためだといわれています。

 明治9年8月21日、それら4つの県が合併して大きな兵庫県となりました。

 これは、「神戸港をもつ兵庫県が貧弱な県であってはならない」という大久保利通の考えによるものでした。

    県令、早期の地租改正を迫る

 森岡昌純は、飾磨県の県令でしたが、明治9年9月4日、東京・京都・大阪に次ぐ大兵庫県の初代の県令に任命されました。

 森岡は、自信と満足感でいっぱいで、心に「地租改正」の早期実施を誓うのでした。

 初登庁の日です。

 県会議員や職員が集まり、森岡は第一声を発しました。

 彼は、少しばかり県政を述べただけで、さっそく当面の仕事の話題にはいりました。

 以下、小説『赤い土』(小野晴彦著)から引用します。

 ・・(初登庁での演説)・・

 「さっそくであるが、いま、われわれが早急にとりくまなければならぬ仕事は「地租改正」である。

 この改正については、改正条例ならびに改正規則、地方官心得が出されてすでに三年を過ぎ、諸士もよく存じていることと思う。

 県下各地の耕地丈量は全て終えているであろうから、これより直ちに、地価の評価と地租の算定を急いでもらいたい。

・・・・」

 森岡は、各地の丈量が終わっていないことをよく知っていたが、すでに終えたかのような話しぶりでした。

 部下の気持ちを奮い立たせたのです。

 以後、県令の意を受けて、地租改正の作業は急ピッチで進められました。

 そして、明治11年、新地租(税率)が各村々に申しわたされたのです。(no5023)

 

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