ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

北条直正物語(8) 印南新村の免相は一割 

2020-07-07 08:38:23 |  北条直正物語

    印南新村の免相は一割 

 *「免相(めんあい)」は、年貢率のことです。

 江戸時代の年貢は、百姓個人にではなく、村にまとめて課されました。

 それを庄屋が中心になり、村人に年貢として割り振るのです。

 それにしても、印南新村の免相は、驚くばかりの低さです。

 下の印南新村に残る、宝暦十年(1760)の「年貢免状」を読んでみましょう。

     辰年免相之事  印南新村

  一、高 四百八拾弐石三斗九升      新田

     取米 五拾四石九斗五升弐合    壱ツ壱分四厘

  一、高 百九拾五石弐斗九升二合     新田

     取米 二拾弐石二斗九升二合    壱ツ壱分四厘

  一、高 参百四拾九石七斗八升六合    新田

     取米 参拾九石八斗七升六合    壱ツ壱分四厘

 なんと、印南新村の免相は約1割です。

 税は年貢だけではないのですが、この免相の低さは特別です。

 当時の年貢は、生産の高い村々は高く、少ないところは低くおさえられていました。

 生産の少ない地域から多くの税を取れなかったのです。

 印南新村からは、約1割より多くの年貢を取れば、百姓の生活が成り立たないということです。

 もっとも、免相(税率)が低いのは、母里地区の村々に共通していますが、とりわけ印南新村の人々の生活は貧しかったようです。

 それでも、将来に希望を持って、この地を離れようとしませんでした。

 印南新村の農民の願いは「水」でした。(no5020)

コメント
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