北条郡長辞任
説得すれど
印南新村の百姓衆が、郡役所に直訴したあくる日、郡長(写真)は上庁しました。
なんとしても、土地の取り上げの件を県令に伝えたかったからです。
しかし、県令からの返事は、むなしいものでした。
(県令)「地価を修正し、増租分の延長も認めたのに、その上に郡役所まで押しかけるとはあまりにも強情者たちである。処分は徹底して行なえ・・・」
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郡長は、何を説いても分かってもらえぬ上司に言いようのない怒りを覚えました。
(郡長)「このままでは、村が潰れてしまう。当座、2000円でも納めたら急場をしのげるのだが・・・郡長が租税の支払いのために畑を売らせる。こんなことが許されるのだろうか」
こんな考えが北条自身を苦しめるのでした。
ともかく、今を切り抜けるために2000円が必要でした。
北条は、大阪のYに、土地の購入を申し込みました。
Yは、葡萄園に興味を持ち、将来の疎水の話に目を輝かせました。
「いまは儲けにならへんが、疎水ができたら、この地はようなる。ええ買い物かも知れへん」と考えたのでしょう。
没収地のうち34町の契約がまとまりました。
価格は、葡萄園の時と同じ反当り6円でした。
その代金の2000円は戸長に渡され、そのまま地租未納分として納付されました。
なんとか急場をしのぐことはできました。
残った没収地は元の百姓に返されました。
北条郡長辞任
(明治)15年4月。突然郡長に勧業課への転任が決まりました。
役人として好ましくない人物として、閑職へ追われたのは明らかでした。
悔しかった。北条は、自分の力のなさを骨身にしみて感じるのでした。
このままでは、百姓がかわいそうだ。
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北条は、役人を辞任しました。(no5039)